演技する死体

 お菊さんは、寝耳に水の顔をして、叫んだ。「え!妊娠!妊娠していたんですか?ニュースでは言っていなかったわね。妊娠していたとなると、ちょっと、ややこしくなるわね。子供ができたとなれば、女には母性本能が働くわ。どんなに殺意があっても、子供のために、殺人行為を押しとどめると思うわ。離婚に踏み切っても、殺人はしないと思うわ。お菊もわからなくなってきたわ」お菊さんは、妊娠と聞いて頭が混乱し始めた。

 

 コロンダ君は、お菊さんの気持ちが動いたことにほんの少し元気が出てきた。「でしょ、でしょ、妊娠していた彼女が、殺人をするとは考えられないんだよ。お菊さんもそう思うだろ。彼女の自白は嘘じゃないだろうか?」コロンダ君は、お菊さんのひらめきに期待した。お菊さんは、苦虫をつぶしたような困り果てた表情をすると、頭を整理するように話し始めた。

 

 「ちょっと、頭がすっきりしないんだけど、仮によ、もし、彼女が殺していないとすれば、真犯人がいるということになるわね。でも、彼女は自分が殺したと自白した。と、言うことは、彼女は真犯人をかばっていることになるわね。彼女がかばわなければならないような人とは誰か?そんな人いるかしら?」お菊さんは、困り果てた顔で、腕を組み天井を見つめた。

 コロンダ君も、腕を組んで、しばらく考え込んだ。突然、お菊さんが、うなり声を上げた。「う~~!坊ちゃん、殺意の原因は、ご主人の浮気でしたよね、でも、これが逆に、彼女が浮気をしていたとしたらどうかしら。つまり、真犯人は、浮気相手じゃないかしら。そう考えれば、つじつまが合うわ。彼女は、浮気相手である真犯人をかばって、自分が殺したと、自白した。あくまでも、お菊の妄想よ、怒っちゃいやよ」お菊はコロンダ君の反応をそっと横目でのぞくように見た。

 

 コロンダ君は、かなりムカついたが、お菊さんの妄想に感心した。「お菊さん、さすがですね。警察も、このことを考えたみたいですよ。彼女の男性関係も極秘に調査したみたいですが、まったく、不審な男性関係はなかったそうです。僕は、これを聞いてほっとしたんです。もし、彼女が不倫していたら、気が変になって、病院にいくことになっていたでしょう。だとすれば、いったい、誰をかばっているのか?」コロンダ君は、真犯人は他にいると信じていた。

 

 お菊さんは、肩を落とし、上品にジャスミンティーを一口すすった。いつもひらめく、妄想がなかなか出てこなかった。コロンダ君も考えが行き詰まり、両手で両ほほをパチンと叩いた。コロンダ君は、心でつぶやいていた。彼女は犯人ではない。きっと真犯人がいる。彼女は誰かをかばっている。いったい誰だ。真犯人出て来い。お菊さんは、しばらくコロンダ君の顔色をうかがっていたが、あまりにも真剣な顔で考え込んでいることにあきれ果てた。

 「坊ちゃん、話は変わりますが、この辺で、妄想ごっこはやめましょう。坊ちゃんは、小説家には向いていません。もっと、現実を見つめてください。政治家になる心構えを身に着けてください。最近、坊ちゃんは感傷的になっています。それというのも、小説ばかり書いているからです。この辺で、小説家の夢を捨てて、まず、弁護士になってください。そして、国務大臣、さらには、総理大臣を目指してくださいませ。それが、男というものです」お菊さんは、コロンダ君に、発破をかけた。

 

 突然、現実的な話に面食らったが、冷静に答えた。「お菊さん、何度も言っているように、僕は政治家には向いてないんだ。お金だとか、権力だとか、そんなものは、僕には必要ない。僕が望むのは、平凡な生活だ。まして、小説家になりたいとも思っていない。小説を書くことは単なる慰めに過ぎないんだ。お菊さんは、僕のことをかなり誤解している。この際、はっきり言わせてもらうよ」コロンダ君は、お菊さんの執拗な説得に辟易していた。

 

 お菊も負けてはいなかった。コロンダ君を政治家にするという決意は鋼鉄のように硬かった。両腕を組み、じっとコロンダ君に目を据えると、口から炎を吐き出すように熱く語り始めた。「坊ちゃん、男の魅力とは何ですか?お金と権力じゃないですか。男は天下を取るために生まれてくるものなのです。豊臣秀吉を見てください。あの心意気ですよ。総理大臣を目指してこそ、男です。女々しい男で一生を終わってはなりません。お父様は嘆き悲しまれます。いいですね、坊ちゃん、天下を取るんです。お菊も、坊ちゃんのためなら決死の覚悟です」お菊は、浴衣から溢れ出んばかりのふくよかな胸を右手でぽんと叩いた。

 コロンダ君の目がお菊さんの胸に釘付けになった。目の前の豊かな白い乳房が目につきささった。一瞬、生唾を飲んでしまった。お菊さんはほんの少し微笑むと、胸元にそっと手を置いた。「坊ちゃん、モトカノのことなんか忘れて、お見合いなされてはいかがですか。素敵なお嬢様を探してまいりましたのよ」お菊さんは、さらに錯乱攻撃を続けた。両手で胸元をグイット持ち上げドスンと落とした。

 

 コロンダ君は、お菊さんの最近の行動にはあきれていたが、性本能の興奮は抑え切れなかった。ブルンとゆれる白い肌を見た瞬間、右手は股間を押さえていた。「お菊さん、話をそらさないでください。今は、お見合いの話はやめてください。事件の真実を解明したいのです。お菊さんだって、不審に思ったじゃありませんか。妊娠した女性は殺人なんかしないって。僕も、そう思うんです。きっと、真犯人がこの世のどこかに隠れているはずです。二人で犯人を捜しましょう」コロンダ君は、真犯人探しをほのめかした。

 

 お菊さんは、胸元の谷間にコロンダ君の視線が飛び込むように前かがみになり、両肘をテーブルに着いた。ほんの少し胸を左右に揺らすと、ゆっくりと話し始めた。「坊ちゃん、彼女の殺人罪は確定したも同然です。明白な殺意を持った自白があるのです。いまさら、どうしようって言うんです。現実を見つめるのです。しっかりと。信じたくはないでしょうが、彼女が殺したんです。真犯人は彼女です。これでいいのです。わかりましたか」お菊さんは、コロンダ君の妄想癖にパンチを食らわした。

春日信彦
作家:春日信彦
演技する死体
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