演技する死体

 「お菊さんも、すでにニュースで知っていると思うけど、参議院議員の射殺事件のことなんですが、自首してきた前田アツ子は高校時代の友達なんです。彼女が、猟銃でご主人を殺したなんて、どうしても信じられないんです。これって、本当のことなんでしょうか?僕には、どうしても受け入れられないんです。お温厚な彼女が、たとえ、浮気を知って、かっとなったとしても、猟銃でご主人を殺すなんて、こんなことがありえるでしょうか?」

コロンダ君は心のわだかまりを吐き出すようにお菊さんに問いかけた。

 

お菊さんもゆっくりと深呼吸して、思慮深く回答した。「坊ちゃん、お気持ちはよくわかります。高校時代の彼女が殺人をするなんて、信じられないのはごもっともです。でも、人って言うのは、時間とともに、環境によって、変化するものです。彼女の気質は温厚だと思います。でも、ご主人の浮気を知って、激情し犯行にいたったと考えても筋が通ります。男と女の事件は、理屈では理解できないものなんです。人間の嫉妬というものは、この世でもっとも恐ろしいもなんですよ、坊ちゃん」嫉妬による殺人事件は、巷にごろごろしていると、あっさりと言った。

 

 コロンダ君の顔がさらに青くなってしまった。指を震わせながら、コロンダ君は反論した。「お菊さんのおっしゃることはもっともです。僕も、嫉妬による事件をいくつも知っています。でも、でもですね、彼女は、違うんです、本当に、心優しい人なんです。理由にはならないとは思うけど、彼女はクリスチャンで、信心深い人なんです。それと、このことがもっとも僕の気にかかっていることなんですが、彼女は妊娠していたのです。こんな彼女が、殺人を犯すでしょうか?」コロンダ君は、妊娠していたことをお菊さんに教えた。

 お菊さんは、寝耳に水の顔をして、叫んだ。「え!妊娠!妊娠していたんですか?ニュースでは言っていなかったわね。妊娠していたとなると、ちょっと、ややこしくなるわね。子供ができたとなれば、女には母性本能が働くわ。どんなに殺意があっても、子供のために、殺人行為を押しとどめると思うわ。離婚に踏み切っても、殺人はしないと思うわ。お菊もわからなくなってきたわ」お菊さんは、妊娠と聞いて頭が混乱し始めた。

 

 コロンダ君は、お菊さんの気持ちが動いたことにほんの少し元気が出てきた。「でしょ、でしょ、妊娠していた彼女が、殺人をするとは考えられないんだよ。お菊さんもそう思うだろ。彼女の自白は嘘じゃないだろうか?」コロンダ君は、お菊さんのひらめきに期待した。お菊さんは、苦虫をつぶしたような困り果てた表情をすると、頭を整理するように話し始めた。

 

 「ちょっと、頭がすっきりしないんだけど、仮によ、もし、彼女が殺していないとすれば、真犯人がいるということになるわね。でも、彼女は自分が殺したと自白した。と、言うことは、彼女は真犯人をかばっていることになるわね。彼女がかばわなければならないような人とは誰か?そんな人いるかしら?」お菊さんは、困り果てた顔で、腕を組み天井を見つめた。

 コロンダ君も、腕を組んで、しばらく考え込んだ。突然、お菊さんが、うなり声を上げた。「う~~!坊ちゃん、殺意の原因は、ご主人の浮気でしたよね、でも、これが逆に、彼女が浮気をしていたとしたらどうかしら。つまり、真犯人は、浮気相手じゃないかしら。そう考えれば、つじつまが合うわ。彼女は、浮気相手である真犯人をかばって、自分が殺したと、自白した。あくまでも、お菊の妄想よ、怒っちゃいやよ」お菊はコロンダ君の反応をそっと横目でのぞくように見た。

 

 コロンダ君は、かなりムカついたが、お菊さんの妄想に感心した。「お菊さん、さすがですね。警察も、このことを考えたみたいですよ。彼女の男性関係も極秘に調査したみたいですが、まったく、不審な男性関係はなかったそうです。僕は、これを聞いてほっとしたんです。もし、彼女が不倫していたら、気が変になって、病院にいくことになっていたでしょう。だとすれば、いったい、誰をかばっているのか?」コロンダ君は、真犯人は他にいると信じていた。

 

 お菊さんは、肩を落とし、上品にジャスミンティーを一口すすった。いつもひらめく、妄想がなかなか出てこなかった。コロンダ君も考えが行き詰まり、両手で両ほほをパチンと叩いた。コロンダ君は、心でつぶやいていた。彼女は犯人ではない。きっと真犯人がいる。彼女は誰かをかばっている。いったい誰だ。真犯人出て来い。お菊さんは、しばらくコロンダ君の顔色をうかがっていたが、あまりにも真剣な顔で考え込んでいることにあきれ果てた。

 「坊ちゃん、話は変わりますが、この辺で、妄想ごっこはやめましょう。坊ちゃんは、小説家には向いていません。もっと、現実を見つめてください。政治家になる心構えを身に着けてください。最近、坊ちゃんは感傷的になっています。それというのも、小説ばかり書いているからです。この辺で、小説家の夢を捨てて、まず、弁護士になってください。そして、国務大臣、さらには、総理大臣を目指してくださいませ。それが、男というものです」お菊さんは、コロンダ君に、発破をかけた。

 

 突然、現実的な話に面食らったが、冷静に答えた。「お菊さん、何度も言っているように、僕は政治家には向いてないんだ。お金だとか、権力だとか、そんなものは、僕には必要ない。僕が望むのは、平凡な生活だ。まして、小説家になりたいとも思っていない。小説を書くことは単なる慰めに過ぎないんだ。お菊さんは、僕のことをかなり誤解している。この際、はっきり言わせてもらうよ」コロンダ君は、お菊さんの執拗な説得に辟易していた。

 

 お菊も負けてはいなかった。コロンダ君を政治家にするという決意は鋼鉄のように硬かった。両腕を組み、じっとコロンダ君に目を据えると、口から炎を吐き出すように熱く語り始めた。「坊ちゃん、男の魅力とは何ですか?お金と権力じゃないですか。男は天下を取るために生まれてくるものなのです。豊臣秀吉を見てください。あの心意気ですよ。総理大臣を目指してこそ、男です。女々しい男で一生を終わってはなりません。お父様は嘆き悲しまれます。いいですね、坊ちゃん、天下を取るんです。お菊も、坊ちゃんのためなら決死の覚悟です」お菊は、浴衣から溢れ出んばかりのふくよかな胸を右手でぽんと叩いた。

春日信彦
作家:春日信彦
演技する死体
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