神と義の宇宙

コアとダブル世界

象と蟻 ゾウとアリ 神と義の宇宙 コア ダブル

-最後の警告-



アリをつぶして殺した。

僕はアリの大きさになってみる。

そして、僕は誰かにつぶされて死んだ。

命が消えた、つぶしたアリのように。

アリの親や仲間は悲しんでいたのであろうか。

侵食される警視庁と銀行 日本侵食 -北の策略 -

侵食される警視庁と銀行 神と義の宇宙 北朝鮮

日本侵食 -北の策略-

侵食される警視庁と銀行


記述中



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落ちた誉(信が偽に変わる時)

コピーされた幽体・霊体 神と義の宇宙

この記述は、よく目にするSFストーリーのようなそんな内容である。

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霊界・幽界には、情報伝達系在住型にコピーされた霊体・幽体たちが多くいる。
ヒューマノイドにいたっては、高価な為、略奪されて使用される場合もある。

情報伝達系の策略により、
俺の守護霊・霊体のコピーが作られ、名を落とす行動や他の人間とのセッションに
弊害をもたらせるような事もあった。

幽体離脱系で飛んでたりする人も結構いるようだが、
その中に有名人の分身・コピーも多くいて、時に影武者でいたり、利用されていたりもするらしい。
著名人であれば自分の為の分身もいるだろう。

そして、生身の現実に生きて生活し存在する人と同じに幽界にその人も多くいる。

例えば、今、俺の傍にいる情報伝達系の人たちに混じって家族もいる。
しかし、俺の家族は生身の現実でも存在している。同時に存在している訳だ。

これは、生身の現実に存在している家族が情報伝達系に乗っ取られた場合か。
幽界レベルでいる家族が強制剥離させられ幽体で存在している場合か。
生身の現実で入れ替わりしながら生活している場合のどれかに属すると考える。

家族にヒューマノイドか情報伝達の分身系(細胞レベルで同じような)人が記憶を入れて入っている場合
元のゆうたいの記憶を整理して、元に戻してほしいものだ。

それが、情報伝達系の幹部などの指示であって、それをやらないのであれば
霊体たちとプレデター系のヴァフ系(別章参照)たちが、その悪の根源の処理を行ってくれるだろう。

ヒューマノイドタイプの場合は見分け方が必ず存在する。
俺が思うに、ヒューマノイドの記憶のデータ抹消は、無にかえる、それは死であり生まれ変わりにもなるのだろう。

今、これらの戦いは終わったかのようにも思える。
そういう弊害がないのは、やはり「コア的問題」「神秘的奇跡」がそれを止めているのは事実。

コア的問題に絡んでか、神的存在の奇跡たちが情報伝達系がわかったからこその今なのだろう。
実をいうと、情報伝達系や他の知的生命体たちは君はコアだといっている。
世界にはコア的存在が多くいるようだが、その中の20人のコアだという人たちに会った事、
オーストラリアで11種族の知的生命体たちが接触してきた事がそれを物語っているのかもしれない。


分身系などのヒューマノイドの人たちは、死んだらどうなるか?どこに行くのか?と不安を抱えているようだ。

ヒューマノイドの場合、生と死を考えると
記憶を入れ込んだ時が生で、記憶をすべて消される時・自分自身で消す時が死する時ではないか。
(生身の人間が生まれる前の事を忘れて生命として誕生してくるような系と似ている)

それが摂理にもあたる気がする。

魂は入っている人が多いようなので、思いは記憶が抹消された後でもきっと残るだろう。
それは、人間や生き物と同じである。

簡単に言えば、軟らかい部品で作られたか硬い部品で作られたかであって、その複雑さに差があるだけだと思う。
生身の人間も肉体なんてものは、ただの器と同じだと思う。機械のようなものである。
その中にある思いがあるかないかがポイント。


俺の戦いは終わったようでもある。
俺の戦いは終わっていても、日本の裏の戦いは現在進行形なのが結構問題なのかもしれない。

日本侵食 -映画KOTOKO-

KOTOKO

先日、映画KOTOKOを観た。

Coccoの歌やかもし出す雰囲気が好きで、「へー映画なんて撮ったんだ」くらいに内容も知らずに観てみた。

観てるうちに(ん?これって…)
映像表現もある意味そのまんま、(ああ、そういう感じか~そのままんま心に入ってきた)

彼女には時に人がふたつに見えるらしい。いい人と悪い人。

俺の理解的に、超簡単に説明すれば
ひとりの人間に入った幽体と情報伝達系。

           ※いくつかの国の情報伝達系がいるらしいという事を付け加えておく。

これは、入れ替わりの場合や一緒に入っている場合もあるだろう。
または、知的生命体が別からきての乗っ取り系・はじき出され系の場合もあるかもしれない。
そういう人が見えていたのだろうか。


その葛藤なども表現したような、その環境の中で、
それがわかるKOTOKOが愛する子どもも自分と同じでもあり(これはmixという意味か別かは不明)
そして、生命の選択というか、生きていく子どもを自分と同じにしたくないというか、
現実で生きていかせるか、光の国に還すかっていうような選択をする。
どちらを残したかは、KOTOKOの愛の考え方や人生の捉え方によってわからないが。

別の表現で言えば、人の中にある天使と悪魔の姿と魂の叫びを表現した映画であると思えた。

人間世界にも弱肉強食があるように、
見えない世界(幽界や霊界など)にも弱肉強食が繰り広げられているのだろう。
光の国(天国)にもそれがあるのかと言われたらもしかしたらあるのかもしれない。

情報伝達系の人はよく口にする。弱肉強食と。
弱肉強食の頂点はあるようだが、実は無いのに等しいのだ。
俺は彼らに共存共栄の言葉を。

平安の世界は心の中に、それは、それぞれの世界で自分で作っていくものなのだから。
神と義の宇宙
作家:yutaka
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