先日、映画KOTOKOを観た。
Coccoの歌やかもし出す雰囲気が好きで、「へー映画なんて撮ったんだ」くらいに内容も知らずに観てみた。
観てるうちに(ん?これって…)
映像表現もある意味そのまんま、(ああ、そういう感じか~そのままんま心に入ってきた)
彼女には時に人がふたつに見えるらしい。いい人と悪い人。
俺の理解的に、超簡単に説明すれば
ひとりの人間に入った幽体と情報伝達系。
※いくつかの国の情報伝達系がいるらしいという事を付け加えておく。
これは、入れ替わりの場合や一緒に入っている場合もあるだろう。
または、知的生命体が別からきての乗っ取り系・はじき出され系の場合もあるかもしれない。
そういう人が見えていたのだろうか。
その葛藤なども表現したような、その環境の中で、
それがわかるKOTOKOが愛する子どもも自分と同じでもあり(これはmixという意味か別かは不明)
そして、生命の選択というか、生きていく子どもを自分と同じにしたくないというか、
現実で生きていかせるか、光の国に還すかっていうような選択をする。
どちらを残したかは、KOTOKOの愛の考え方や人生の捉え方によってわからないが。
別の表現で言えば、人の中にある天使と悪魔の姿と魂の叫びを表現した映画であると思えた。
人間世界にも弱肉強食があるように、
見えない世界(幽界や霊界など)にも弱肉強食が繰り広げられているのだろう。
光の国(天国)にもそれがあるのかと言われたらもしかしたらあるのかもしれない。
情報伝達系の人はよく口にする。弱肉強食と。
弱肉強食の頂点はあるようだが、実は無いのに等しいのだ。
俺は彼らに共存共栄の言葉を。
平安の世界は心の中に、それは、それぞれの世界で自分で作っていくものなのだから。