途絶えたメール

そのことを考えていたコロンダ君は一睡もできず、ベッドから立ち上がることもできなかった。3日はお菊さんと東京大神宮に参拝に行く約束をしていたが、そのことはまったく忘れていた。10時過ぎにドアがコンコンとノックされると、銀の鶴が舞う紺の着物を着たお菊さんがジャスミンティーをお盆に載せて入ってきた。「あら、坊ちゃん、今日はお菊とデートじゃなかったかしら?」お菊はお盆をテーブルの上におくとコロンダ君のベッドに歩み寄った。

 

 コロンダ君は眼を醒ましていたが、立ち上がる元気がなかった。「あ~、すっかり忘れていたよ。今日は頭が重くてデートできそうに無いよ。悪いけど」コロンダ君は寝込んだままつぶやいた。「あらま~、どうなさいましたの?笙子と喧嘩した夢でもみられたんですか?」急に不機嫌になったお菊さんは笙子への嫉妬心をあらわにした。お菊さんの不機嫌さに驚いたコロンダ君は、顔を引きつらせ飛び起きた。

 

 「あら、元気じゃないですか。早くいただかないと、せっかくの紅茶が冷めてしまいますよ」お菊はテーブルの椅子に腰掛けると、コロンダ君がやってくるのをじっと待った。気まずそうにお菊さんの前に腰かけると、紅茶を一口すすった。コロンダ君は昨夜の訃報のことを話すべきか悩んでいたところ、お菊さんが気遣って訊ねた。「坊ちゃん、何かお悩みでもおありなんですか?お菊に話してくださいな」お菊は優しく訊ねた。

 部屋着に着替える気力もわかず、ぼんやり考え込んだ挙句、昨夜の訃報を話す決意をした。「お菊さん、昨夜、信じられないような悲しい話を聞かされたんだよ。親友の野坂が酔っ払って川に転落して水死したらしいんだ。とにかく、今でも信じられないんだよ」コロンダ君は顔を両手で覆って涙声で話した。「そうでしたか、先ほどはごめんなさいね、そんなこととは知らず、でも、お酒の事故はいつまでたっても減りませんね。お酒は怖いですね。坊ちゃんも気をつけてくださいね」お菊はコロンダ君の肩をそっとなでた。

 

 コロンダ君は指先で涙を拭くと昨夜から思っていたことを話しはじめた。「どうしても信じられないと言ったのは、野坂は一滴もお酒が飲めないんですよ。野坂が酔っ払うということはありえないんです。どう考えても、納得がいかないんです。誰かに無理に飲まされて、川に突き落とされたんじゃないかと思えて、昨夜から眠れなかったんです」コロンダ君は事故ではなく他殺じゃないかとお菊さんに訴えた。

 

 お菊は大きく眼を開き、頷きながら話しはじめた。「そうでしたか、野坂さんは下戸だったんですね。それなのに、酔っ払って、川に転落した。これは確かに、合点がいきませんね。でも、お酒が飲めない人でも、突然飲めるようになる人もたくさんいますから、本当にお酒を飲みすぎたのかもしれませんよ」お菊さんは、他殺の線を思いとどまった。「そうだよな、お菊さんが言うように、飲めるようになったんだが、限度が分からず、雰囲気に飲まれて飲みすぎたのかもしれないな」コロンダ君も事故死のように思えてきた。

 

 「お酒は怖いもので、人格破壊をするんです。酔うと、裸になったり、暴力を振るったり、といつもはおとなしい人でも、人格が変わってしまうんですよ。きっと、野坂さんも、お酒を飲むと人格が変わるタイプだったんじゃないですかね」お菊はクラブのママをやっているころを思い出し、事故を主張した。コロンダ君は頷きながらじっと話を聞いていたが、心の底のわだかまりを話しはじめた。

 

 「確かに、事故の可能性のほうが強いと僕も思うんです。ただ、ひとつ気にかかることがあるんですよ。ほら、お菊さんと11月末に嵐山でデートしたとき、偶然、野坂と彼女に出会ったのを憶えているでしょう。あの時、お菊さんと彼女をおいて、僕と野坂はしばらく立ち話をしていたでしょう。そのときの話を手短に言うと、野坂が中州のソープで遊んだときに、和歌子妃がソープ嬢をやっていたという話を聞いたらしいんだ。これはおもしろいから、その話を編集長にするつもりだ、と野坂は言っていたんです」コロンダ君は皇太子妃の件が野坂の死とかかわっているんではないかと心の底で思っていた。

 

 お菊さんは少しマジな顔になったが、笑顔を作るとゆっくりと話しはじめた。「坊ちゃん、考えすぎですよ。きっと、ソープ嬢が冗談を言ったに過ぎませんよ。巷では、こんな冗談はよくありますよ。野坂さんが亡くなられた事はとてもお気の毒ですが、これを教訓に坊ちゃんこそお酒に飲まれないようにお気をつけくださいよ」お菊はコロンダ君の疑問を打ち消した。コロンダ君はしばらく目を閉じていたが、クローゼットの紺のジャケットから手帳を取り出した。

 手帳をめくり11月24日のページを開いた。「僕も冗談だとは思うんだが、やはり、ちょっと気になるんだよ。話をしたソープ嬢は和歌子妃と親友らしくて、一緒に働いていたときは毎日のように、皇太子と結婚した後でも最低でも一週間に一度は、メールのやり取りをしていたらしいんだ。ところが、10月5日を最後に、突然メールが途絶えたらしいんだ。毎日、彼女はこのことが気になっていて、つい、野坂に和歌子妃のことを話したらしいんだよ。お菊さんはどう思う?」コロンダ君は手帳を見ながら話した。

 

 お菊さんは左手を頬に当てびっくりした表情で話しはじめた。「あら、冗談にしては、深刻な話ですね。このソープ嬢、かなり口上手じゃない。坊ちゃん、この話はもうよしましょう。単なる冗談ですよ。和歌子妃がソープ嬢をやっていたという物的証拠はないんだから。それよか、早く、着替えてくださいな」お菊はデートをしたくてうずうずしていた。コロンダ君は目をギョロッとさせるとお菊に顔を近づけ話し始めた。

 

 「実際に見たわけじゃないから、信用はできないんだけど、そのソープ譲と和歌子妃が一緒に写った写真を野坂は見せてもらったらしんだよ。和歌子妃がソープ嬢であったという物的証拠にはならないけど、そのソープ嬢と和歌子妃が親友であったという証拠にはならないかい」コロンダ君は野坂の話を信じていた。お菊は急に深刻な顔になった。「一緒に写った写真ですか。なるほど、もし、野坂さんの話が本当であれば、和歌子妃と親友だったことは間違いないわね。でも、親友だからといって、本当のことを言っているとは限らないわよ」お菊さんは女のねたみを考えた。

春日信彦
作家:春日信彦
途絶えたメール
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