ホームレス少女

死因は背後からの銃弾によるものであるが、銃弾は体内に残っていなかった。至近距離からの射殺と判断されたが、下着シャツの左背部には弾丸が貫通したと見られる穴の弾痕が見られたが、ジャケットの左背部にはその弾痕が見られなかった。したがって、ジャケットは拳銃による射殺後に何者かによって着せられたものと推察された。殺害されたと見られる佐藤秀雄は暴力団の組員で、12年前に麻薬取締法違反で検挙されていた。

 

9月26日()午後6時10分、福岡市川端町にある冷泉公園のブルーシートテント内で18歳前後と思われる女性の扼殺死体が発見された。第一発見者はこの公園に住む川村幸平、58歳男性。調書によると被害者は、身長は156センチ、頭は坊主に近いスポーツ刈り、服装は長袖の紺のポロシャツ、破れたチャコールグレイのウィンドブレーカー、破れたネイビーの靴下、下着は男性用長袖シャツ、綿のダークグレイのトランクスを着用、靴は薄汚れたスニーカーを履いていた。

 

彼女はホームレスと見られ身元はまったく判明しなかった。この公園に住む三人のホームレスは、昨日、25日()の夕方、そのテントに二人の男がいたのを目撃したと証言した。彼らは死亡した女性を男性と思っていたと考えられる。二人の人物は昨年の5月ころからこの公園に現れ、住みつくようになったと付け加えた。一方の所在の分からない男性は50歳前後の年配ということで、二人は親子ではないかと三人はうわさしていたとのことだ。ここ最近、親子喧嘩する声が夜中に聞こえたとさらに付け加えた。

前者の射殺の加害者は暴力団の組員で、後者の扼殺の加害者は同居のホームレス男と、それぞれの加害者は別人と考え、福岡県警の捜査は進められた。だが、捜査はまったく進展していない。前者においては被害者が東京の暴力団の組員であること、後者においては被害者の身元を割り出す手がかりがまったく無いこと、さらに、同居していたホームレス男を特定する材料がまったく無いことであった。三人のホームレスは同居していた男の顔をはっきりと思い出すことができなかった。似顔絵を書くこともできなかった。

 

逃げてきた男と少女

 

 コロンダ君は書斎の机で頬杖を着き笑顔を作っていた。警視庁勤務の後輩から入手した中洲の怪事件をぼんやりと考えていた。この事件を小説の材料としてドラマのイメージを膨らませていた。そこにいつものようにお菊さんがお茶を運んで書斎に入ってきた。鶴が描かれた輪島塗のお盆を丸テーブルにおくと「坊ちゃん!」と声をかけた。にやけた顔を見たお菊さんはコロンダ君の心を読んでいた。

 

 「ダメですよ、坊ちゃん。小説のことばかり考えていては。考えるんだったら、麻薬マフィアを叩きのめす、いい方法でも考えてくださいな」お菊さんは坊ちゃんの横顔をじっと見つめた。振り向いたコロンダ君はスッと立ち上がり、テーブルに腰かけると眼を丸くして話し始めた。「お菊さん、今度の話はチョーおもしろいよ。小説になること間違いなしだよ」コロンダ君は話し終わるとお茶をすすった。

 お菊さんはいつものように奇妙な話を聞かされると思い少し興奮した。心ではコロンダ君の話を楽しみにしていた。身を乗り出したお菊さんはコロンダ君のドヤ顔を見つめた。「今度はどんな話です。早く話してくださいよ。創価学会の殺人事件ですか?それとも、総理大臣の不倫騒動ですか?」お菊さんは眼を輝かせてコロンダ君をせかした。一呼吸置いたコロンダ君は腕を組んで話しはじめた。

 

 「殺人事件だけどね、これが奇妙なんだよ。福岡市中洲で起きた殺人事件だけど、ひとつは暴力団員の射殺で、もうひとつはホームレス少女の扼殺なんだよ。まず、暴力団員の射殺だけど、特に理解できない点が二つあるんだ。一つは、弾丸は胸を貫通しているのにジャケットに弾痕が無いこと、もうひとつは、すべての指に黒い垢があったこと、なんだ」コロンダ君はまず暴力団員の射殺の疑問点を話した。

 

眼を輝かせて聞いていたお菊さんは目じりを下げて興奮が冷めた表情をした。「詰まんない話ですね、何が不思議ですか?ピストルで撃った後にジャケットを着せたんでしょ、黒い垢は無精者だったんでしょうよ」期待していたほどの話ではないことにがっかりした。「いや、不思議じゃないか。いったい、何のために、ジャケットに着せ替えたんだろう?そのジャケットの内ポケットには運転免許証が入った財布が入っていたんだ。いくら無精でも、すべての爪に黒い垢が溜まるだろうか?」コロンダ君はそのことをここ数日考えていた。

キョロキョロと大きな眼を左右に動かしたお菊さんはあごを小さく引くように頷いた。「そういわれれば、なんとなく不自然ですね。暴力団員って意外とこぎれいにしているように思えますよね。指に垢が溜まっているのは変ですね。内ポケットのない服を着ていたから、財布を入れるために内ポケットのあるジャケットに着せ替えたんじゃないかしら。あ、そうよ、運転免許証が発見されるように、あえて、細工したんじゃないかしら。身元がすぐに分かるように」お菊さんはひらめきをドヤ顔で話した。

 

コロンダ君は二度頷いた。「確かに、運転免許証からすぐに身元が割れたんだ。東京の暴力団員で、麻薬取締法違反の前科があった。つまり、警察に身元を教えたかったわけだよ。そして、加害者も暴力団員であることも。だけど、犯人が暴力団員であれば、犯人探しは難航するんだよ。捜査しても無駄だ、とでも犯人は言いたかったのだろうか?事実、まったく捜査は進展していないということだよ」コロンダ君の考えもまったく進展していなかった。

 

今回ばかりはお菊さんの妄想も難航していた。「爪の垢なんですけど、考えれば考えるほど不思議ですわね。坊ちゃん、爪に垢が溜まったことおありですか?」失礼とは思ったが、小さな声で訊ねた。「無いよ。子供のころ泥んこ遊びをやったときは、爪に泥が溜まったけどね。冗談でも、暴力団が泥んこ遊びをしていた、とも思えないしね」コロンダ君は両手の手のひらを上に向けた。

春日信彦
作家:春日信彦
ホームレス少女
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