再婚

 幼稚園の年間行事には可能な限り出席した。4月の春の遠足、5月の保護者参観、6月のじゃがいも掘り、7月の七夕まつり、10月の運動会、12月の発表会、2月の演奏会、3月のお別れパーティーなど亜紀が淋しがらないように必死になって出席した。今年4月から小学校に入学するが、小学校は小中一貫校となっており大濠公園駅から徒歩で10分ほどのところにある。また、高校と大学が一貫校となっている。

 

 4月からの小学校通学で悩みが起きた。と言うのも、登校時は亜紀を前原駅まで車で送ればいいのだが、帰りが問題となった。前原駅から徒歩で曽根の自宅まで帰れないからだ。ところが、幸運なことに、さやかとアンナは大濠公園駅近くのスカイビュー大濠というマンションに居を構えていた。そこで、下校時は、亜紀はいったんさやかのマンションに帰り、仕事がひけると拓也がさやかたちのマンションに亜紀を迎えに行くという段取りを二人にお願いした。二人は笑顔で快く承諾した。

 

 拓也の帰宅は早くて4時、遅くて7時ぐらいになる。3時半ごろ帰宅する亜紀は拓也が帰宅するまで一人で留守番をする。いつも、絵本を読んだり、ぬいぐるみとお話したり、電子ピアノでお得意の「ねこふんじゃった」を弾いたり、テレビの録画を見ている。亜紀は一人で居ることに耐えるだけの精神力を持っていた。保護されるまで過酷な状況に耐えて生活をしていたからに違いない。拓也は帰宅するとすぐに夕食の準備をした。テーブルには旬工房に宅配してもらったおかずを並べた。食事が終わると、お風呂に二人で入り亜紀の身体を洗ってやった。就寝は9時と決めていた。亜紀が寝床に入るとご褒美に20分ほど絵本を読んであげた。

 育児放棄をされた亜紀であったが、2歳のころまでは母親がよく絵本を読んであげていたらしい。亜紀はそのことをよく憶えていていた。糸島市には「パピルス号」と言う移動図書館がある。亜紀はこのパピルス号がお気に入りで、いつも一度に絵本を10冊以上借りた。休みの日には必ず読んであげた。いないないばあ、じゃあじゃあびりびり、はらぺこあおむし、うさこちゃんとうみ、たべたのだあれ、でんしゃ、ぐりとぐら、わたしのワンピース、どろんこハリー、はじめてのおつかい、からすのパンやさん、キャベツくん、わたしとあそんで、じごくのそうべえ、おへそのあな、とにかく亜紀のために声がかれても頑張って読んであげた。

 

 休みの日には二人でドライブに出かけた。亜紀は車が好きで車に乗っているだけで笑顔が出た。拓也も糸島周辺の観光地に興味があり、とにかく手当たり次第カーナビを頼りに走りまくった。糸島市の白糸の滝、千寿院の滝、芥屋の大門、二見が浦、加也山、笹山公園、姫島、幣の浜、姉子の浜、唐津市の七つ釜、呼子、鏡山、唐津城、佐賀市のどんぐり村、有田陶器市、有田ポーセリングパーク、福岡市のもーもーランド、大濠公園、西公園、舞鶴公園、黒田城、ヤフードーム、亜紀の好奇心に操られて時間が許す限り足を運んだ。

 

 拓也にとってもっとも苦手なことは亜紀との会話であった。5,6歳の女の子といったいどんな話をすればいいか、まったく検討もつかなかった。とりあえず、亜紀の話を頷きながら無心に聞いてあげた。幼稚園の先生の話、友達と遊んだ話、習い事の話、絵本の話、歌手の話、服装の話、ぬいぐるみの話、亜紀の口から出る言葉を一言も逃さないように聞き耳を立てた。二人で暮らし始めて、一ヶ月ぐらいまでは拓也に遠慮がちであったが、次第に打ち解けてきたのか、口数が多くなってきた。拓也はほんの少しほっとした。

 拓也はXJR1300のバイクで天神にある医進ゼミナール予備校まで通勤している。昨年、拓也は姪浜ドライビングスクールで無事自動大型二輪免許を取得した。予備校まで当初はプリウスで通勤したが、渋滞に巻き込まれると通常は約一時間の通勤時間が2時間以上にもなったからだ。バイクだと約50分で予備校に到着した。幸運なことに、今年4月、糸島市にロボット工学医療を取り入れた桂医科大学が5年の建設期間を経てようやく完成する。今年9月が一期生の入学予定だ。ドクターの勧めで、今年9月からは桂医科大学の数学教授として勤務することが決まっている。

 

           勃起不全(ED)

 

 亜紀との暮らしは拓也にとって人生のやり直しのようなものとなった。かつて佳恵の子育てはしたが、うわべだけの薄っぺらなものであったことにつくづく思い知らされた。佳恵の子育てはほとんど律子がやっていたことに改めて気づかされた。今年に入り子育てのストレスはピークに達していた。亜紀との生活は今までに無い新鮮な活力に与えたが、一方、責任感が重くのしかかり心が押しつぶされてしまった。

 

 拓也は誰かに癒してほしかった。亜紀を養子にしたことを何度も悔やんだが、もはや、今となってはどうすることもできなかった。さやかを時々恨んだが、亜紀を養子にすることに最終決断を下したのは拓也自身であった。無我夢中の一年半の子育てであったが、今後の子育てを思うとまったく自信が無かった。亜紀が思春期を迎えるころ、拓也は還暦を迎えることになる。一人の老人が思春期の少女を育てる姿を思い浮かべると、拓也は地獄に落とされる思いであった。

 亜紀を養子にしたことは一大事件をもたらした。あの時はまさかこんな事態を引き起こすとは夢にも思っていなかった。さやかに亜紀のことを依頼されたときは亜紀の不憫さだけが重くのしかかり、自分の将来のことは何も考えず、勢い余って引き受けてしまった。しばらくして気持ちが落ち着くと、突然、瞳の顔が脳裏を占領した。養子の件は、引き受ける前に瞳に相談すべきであったことに気づいた。事後報告になってしまったが、恐る恐る、瞳に養子の件を報告した。

 

 瞳は養子の件を聞けば、「どうして勝手なまねをしたの!」ときっと興奮して怒鳴ると思っていたが、意に反して、まったく冷静に「そう~」と言ったきりだった。拓也はそのときはその意味がよく分からず、電話を切った。昨年の12月に入り子育てのストレスのはけ口を求めて瞳に電話した。拓也は子育ての苦労と今後の不安を訴えた後、瞳に結婚の意志を確かめるべく、嘘の再婚話をした。

 

 「亜紀のことを考えて、今つき合っている彼女と結婚しようと思う」言ったところ、「それはよかったじゃない、拓也が幸せになれるんだったら、大賛成よ!」と明るい言葉で賛同した。青天の霹靂とはこのことで、拓也は驚き以上に地獄に突き落とされた思いであった。今まで何度と無く瞳にプロポーズして、じらされた挙句、とうとう拒絶のパンチを食らってしまった。人生最大の失恋だった。もはや、心は完全に折れてしまった。

 

春日信彦
作家:春日信彦
再婚
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