天道虫

  スナック‘けいこ‘は、漁師の終業時間に合わせて夕方4時には看板に灯を燈す、早々と‘ユミ‘も

出勤する。

開店と同時に馴染の客がゾロゾロと入ってくる、新鮮な魚介類を手土産に持参する者もいる。

店はボックスシートが4席、カウンターが8席と少し手狭であるが、二人で切り盛りするには丁度

勝手がいい、そのボックスシートの一番奥に見慣れぬ一元客が、一人でビールを飲んでいる、口

開けから居るのだとママから聞いた。

「ユミです・・宜しくお願します・・お客さん、ここ初めてですか?」

「ああ・・」

「地元の方ですか?」

「漁師に見えるかい?」

「そうねえ・・垢抜けていらっしゃるから・・東京の方?」

「そういうことにしておこう」

 東京新宿署組織犯罪対策課係長、階級は警部補で通称マル暴の亀こと亀田健太郎は、広域

暴力団〇組系〇組幹部、近藤誠二殺人並びに東和商事社長、山下雄二傷害致傷事件を担当

している。

亀田は、敵対関係にある組織を根こそぎ洗ってきたが、どうも素人の犯行ではないかと、疑念を

抱いていた。

投身自殺した女子高生と、東和商事の山下が義理の親子関係にあったこと、その自殺の原因

が山下と近藤ではないかと妻の証言で分かっている。

当時女子高生と交際していた正田健治の名前は、勿論既に挙がっていた。

山下の妻の証言で、義理の娘を犯した山下に、かなりの憎悪を抱いていた正田を、マークしよ

うか思案に暮れていた、動機は考えられるが17歳の犯行とはどうしても考えられない、捜査本

部の指針も、敵対組織の犯行説が有力であった。

そんな折、静岡県浜松市での転落事故死、広域暴力団員近藤誠二舎弟、小島隼人が死んだ 

との一報が届き、亀田は単身浜松へ飛んだ。

 

 スナックはだいぶ混み合っている、カラオケの順番を巡る酔った漁師の小競り合いで、グラス 

が割れ、その破片がユミの小指の先を切った、大した傷ではないが一瞬店内が静まり返った。

「ユミちゃん大丈夫?あんた達、何てことするのよ、出入り禁止にするからね、まったくしょうがな

いんだから・・」

ママはユミの手をとり、絆創膏を貼った。

 

 

「大騒ぎになっちゃって、ゴメンなさい・・お客さんのお名前聞いてもいい?」

「亀、カメさんって呼ばれてる・・」

「カメさんね、カワイイ」

「ところで、ユミちゃんって本名なの?」

「うんん、ホントは智っていうの・・」

「トモちゃんか、いい名前だ」

 近藤誠二殺人事件の被害者情婦を聴取したのは、亀田の部下だったので面は割れていない

筈だ、正田を追ってこの街に辿り着いたが、偶然とはいえ西野智がこの街にいようとは。

亀田は、浜松付近の聞き込みをしていたが、どうやら女と二人連れらしいことを掴んでいた。

 或る日、清水の街で買い物をしている女に目が留まり、記憶を辿ると、近藤の情婦に似ている

に気付いた、しかし当時の面影は薄い、そこで尾行しスナックを突き止めた。

「君は可愛いから、きっと彼氏・・いるんだろうな?」

「うん・・同棲中!」

まさか、正田じゃないよな、まさかな・・・

「やっぱりいたか・・残念、じゃあ今日は帰るとするか

「もう帰っちゃうんですか?店では皆の彼女ですよ・・フフっ」

亀田は、閉店を待って出てきた西野智を尾行した。

 

 大手居酒屋チェーン店で働くケンジは、働き振りが認められ、正社員にならないかと店長に進

められていた、アルバイトより遥かに収入は良く、福利厚生も充実している。

この先ずっとトモと生活するなら、少しでも待遇がいい方がいい、そうだ住所変更もしなければな

らない、でもアイツ、俺とずっと一緒に暮らすつもりはあるのだろうか?俺には到底消す事のでき

ない過去があるから・・・。

記憶の片隅に追いやられた事実は、決して無くなる筈が無い、たまに夢に出現する奴らの顔は、

憎悪の化身となり俺を追い回す、汗だくになって飛び起きると、急に寒気を覚え堪らない恐怖感

が背筋を凍らせる。

傷害、殺人の時効は何年だろう、今トモと、このシアワセな時間を破綻に追い込むのは辛すぎる

が、いずれ訪れることだろう。

 

 

 

 

  ケンジは、トモより一時間早く帰宅する、朝の遅い二人は夜食を囲む時間が何より楽しい、今日

あった出来事や愚痴など、酒を呑みながら深夜まで語り合う。

そんな食卓に今夜のメニューは、キムチチゲ鍋を作ってトモの帰りを待っていた。

 セブンスターを燻らせていると、チャイムが鳴った。

「ただいまぁ」

トモは満面の笑みを浮かべながら、ケンジに抱きつく、仕事の疲れを忘れるくらいこの笑顔には

われる。

「おかえり・・今日はキムチチゲ!早く手を洗ってこいよ」

「うわぁ・・美味しそう、いつもゴメンね・・・」

「いいんだ・・俺の方が早いんだから・・」

 トモは、今日小指を怪我したことや、店での出来事を楽しそうに喋っている、いつ切り出そうか

ンジは迷っていた。

「ねえ、話があるんだ・・これからのことなんだけど・・このまま俺と一緒に暮していていいの?」

「・・・・・」

「実は、バイト先の店長が、正社員にならないかって・・この先トモと一緒に暮していくんだったら

そのほうがいいと思うし・・」

「なんだぁ、ビックリした・・別れ話かと思った・・当たり前じゃん、ケンジと離れたくないよ、愛してる

もん・・・」

「だけど・・俺・・殺人犯だぜ・・いつ捕まるか分からない・・そんな俺が人並みな生活してていいと

思うか?」

「ばか・・そんなこと言わないで・・・ワタシも同罪だよ・・」

トモは半べそを書きながらケンジの背中を叩いた。

「ほら、正社員になると、住民票を移さなきゃならないだろう、俺が犯人って分かったら、警察飛

んでくるよ・・」

「ねぇ、ケンジ・・このままでいいんじゃない?ずっと一緒に居られるんだったら・・生活に困るわけ

じゃないし・・ワタシ・・別れるのだけは絶対嫌だから・・・・・」

 アパートの向かいの路地で、月明かりに映しだされる刑事亀田の姿があった。

 

新宿署の亀田の行動は単独捜査である、係長という役職にあるにも拘らず一匹狼を好む。

新宿界隈で不良を気取る者で、亀田のことを知らぬ者はいない。

マル暴の顔であり、組織の連中も一目置いていた。

身長185センチ、体重95キロの大男で、柔道2段の猛者である。

 新宿の組織の4割を占める大組織の幹部と舎弟、関係者が次々と襲撃され、組の者も大人し

くはしていられなかった、メンツを重んじる輩にとって、警察に先を越されては困る、是が非でも

実行犯の身柄は押さえなければならない、総動員でことに当たっていた。

組織の情報網は、警察も知り得ない詳細なものまで集める力がある。

近藤の舎弟である小島が、西野智を追って浜松に行ったことも掴んでいた。

既に、精鋭部隊も編成され、浜松へ向かっていた。

 

 

  港町場末の酒場通りは、10軒強の飲み屋が居並ぶ、その中でも‘けいこ‘は今年で15周年を迎

えた界隈の古参である。

酒場組合の組長でもあるママは、云わば顔役でもあった。

「ユミちゃんのお陰で、この界隈も賑わいが戻ってきたわ!いつまでも居てね」

「時給も上げてもらったし、お客さんも優しいし、辞めませんよ・・」

‘けいこ‘が満席で入れない客が、隣や向かいの店へと流れ、近隣の店も潤っている。

 口開けから小一時間経った頃、亀田が現れた。

「いらっしゃいませ・・あら・・えっと・・カメさん!」

「一杯だね・・出直すかな」

「待って、カウンターの奥なら空くけど・・・」

「そう、じゃあ飲ませてもらおうかな」

「スミマセン、狭い所で・・おビールでいい?」

「ああ、頼む」

 亀田は正直驚いている、情婦を殺害した正田と、一つ屋根の下で暮している・・アパートの近所

で聞き込んだところ、二人とも夜の商売でとても仲睦まじいとのこと、普通なら恨んで当然だが、

一体何があったのだろうか。

朝から二人を尾行し、やっと正田の姿を確認した、近所のスーパーで睦まじく買い物をしている

姿は、どこか幼さが残る普通の青年にしか見えない、そんな奴があの非道な殺人を遣って退け

たのか、確信が揺らぐ。

「なあ、ユミちゃんは地元の娘じゃないだろう?」

「分かりますぅ、東京なの・・新宿で働いてたこともあるの・・」

「へえ、何でまたこんな所に?」

「心機一転ってやつですかね・・」

「新天地で彼氏と頑張ろうってことかな・・羨ましいな、彼氏は幾つ?」

「もうすぐ18・・」

「そりゃ若いね、健治君は・・」

「えっ・・知ってるの?ケンジのこと」

「いや、昼間スーパーで買い物してなかった?俺も買い物してて・・そしたらユミちゃん、大きな声

でケンジって呼んだの聞いちゃってさ・・」

「ヤダぁ、そうなんだぁ」

 

 霜月の海風が静かな宵闇を澄馬手いる頃、ケンジは不安を募らせていた。

ケンジの勤める居酒屋に、見知らぬ男が尋ねてきたらしい旨、店長から聞いた。

なにやら事細かに、いつから働いているのか、勤務態度はどうかなど、素性を確かめているよう

だったらしい、警察だろうか、それともヤクザの輩なのか・・・。

「ただいまぁ」

そこへ、いつもと変わらぬ無邪気なトモが帰ってきた。

「おかえり、今日はいつもより遅いじゃん・・」

「ゴメン・・それがさぁ、昨日初めて来たお客さんなんだけど、今日も来てね、なかなか帰らなくっ

て・・」

「ふうん・・そっか、さっ食べよう、おでんだぞ!」

「わあ、気が利くぅ、食べたいと思ってたんだぁ」

食事を終え、後片付けをしているトモの後姿を見ながら、煙草を燻らす。

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