天道虫

  港町場末の酒場通りは、10軒強の飲み屋が居並ぶ、その中でも‘けいこ‘は今年で15周年を迎

えた界隈の古参である。

酒場組合の組長でもあるママは、云わば顔役でもあった。

「ユミちゃんのお陰で、この界隈も賑わいが戻ってきたわ!いつまでも居てね」

「時給も上げてもらったし、お客さんも優しいし、辞めませんよ・・」

‘けいこ‘が満席で入れない客が、隣や向かいの店へと流れ、近隣の店も潤っている。

 口開けから小一時間経った頃、亀田が現れた。

「いらっしゃいませ・・あら・・えっと・・カメさん!」

「一杯だね・・出直すかな」

「待って、カウンターの奥なら空くけど・・・」

「そう、じゃあ飲ませてもらおうかな」

「スミマセン、狭い所で・・おビールでいい?」

「ああ、頼む」

 亀田は正直驚いている、情婦を殺害した正田と、一つ屋根の下で暮している・・アパートの近所

で聞き込んだところ、二人とも夜の商売でとても仲睦まじいとのこと、普通なら恨んで当然だが、

一体何があったのだろうか。

朝から二人を尾行し、やっと正田の姿を確認した、近所のスーパーで睦まじく買い物をしている

姿は、どこか幼さが残る普通の青年にしか見えない、そんな奴があの非道な殺人を遣って退け

たのか、確信が揺らぐ。

「なあ、ユミちゃんは地元の娘じゃないだろう?」

「分かりますぅ、東京なの・・新宿で働いてたこともあるの・・」

「へえ、何でまたこんな所に?」

「心機一転ってやつですかね・・」

「新天地で彼氏と頑張ろうってことかな・・羨ましいな、彼氏は幾つ?」

「もうすぐ18・・」

「そりゃ若いね、健治君は・・」

「えっ・・知ってるの?ケンジのこと」

「いや、昼間スーパーで買い物してなかった?俺も買い物してて・・そしたらユミちゃん、大きな声

でケンジって呼んだの聞いちゃってさ・・」

「ヤダぁ、そうなんだぁ」

 

 霜月の海風が静かな宵闇を澄馬手いる頃、ケンジは不安を募らせていた。

ケンジの勤める居酒屋に、見知らぬ男が尋ねてきたらしい旨、店長から聞いた。

なにやら事細かに、いつから働いているのか、勤務態度はどうかなど、素性を確かめているよう

だったらしい、警察だろうか、それともヤクザの輩なのか・・・。

「ただいまぁ」

そこへ、いつもと変わらぬ無邪気なトモが帰ってきた。

「おかえり、今日はいつもより遅いじゃん・・」

「ゴメン・・それがさぁ、昨日初めて来たお客さんなんだけど、今日も来てね、なかなか帰らなくっ

て・・」

「ふうん・・そっか、さっ食べよう、おでんだぞ!」

「わあ、気が利くぅ、食べたいと思ってたんだぁ」

食事を終え、後片付けをしているトモの後姿を見ながら、煙草を燻らす。

「あのさ、今日俺が出勤する前に、店に俺の事色々聞きに来た奴がいたらしいんだ、警察かな?

それともヤクザかな?店長の話だと、180位の大きな奴だって・・」

「えっ・・それって・・・ほら今日遅くなったの・・そのお客さんも大きな人だった・・それに、誤魔化し

けどケンジの事知っているような口振りだったから・・おかしいなって・・・・・」

「なんか・・嫌な予感がする・・」

「どうしよう?ケンジ・・」

「・・」

「逃げようよ・・ねえ、ケンジ・・」

「何処か・・ホテルにでも泊まって、様子見ようか・・取り合えず身の回りの物だけ持って・・」

「うん、わかった・・」

 足早に戸締りし、SR400にトモを乗せ、エンジンを掛けた。

国道を抜け、東名高速に乗り西へ向かった、グローブを忘れたせいで、手先が悴み感覚が鈍

る。

掛川インターで高速を降り、近くのラブホテルに身を寄せた。

「寒かったね・・一緒にお風呂・・入ろう・・」

「ああ・・」

トモがバスルームに消える、悴んだ指先が痛くて震える、こんな事がいつまで続くのか、何処まで

逃げればいいんだろう、やはり自首して罪を償うべきか。

「ケンジ・・お風呂入れるよ」

「ああ・・」

ケンジは、冷蔵庫からビールを出して、一気に煽る、空になったアルミ缶をグシャリと潰し、ゴミ箱

へ放り投げた。

 

 どんよりと曇った夜空に星は見えない、月明かりさえなく、森々たるラブホテルの周りは暗い。

ホテルの横の空き地に車が一台、さらに離れてもう一台停まっている。

 亀田はアパートの近くで見張っていたが、二人の慌て振りに異変を感じ、後を追っていた、その

亀田の前に、ミッドナイトブルーのメルセデスが二人に着かず離れず走っている、練馬ナンバー

だ、組織の連中に違いない、奴らもとうとう嗅ぎ付けたか、こりゃまずい事になる、応援を呼ぶ

にもここは管轄外だし、ややこしい手続きが必要になってくる。

 一方メルセデスには三人が乗っていた、組事務所の命知らずの鉄砲玉で、生け捕りで連れて

帰って来いと命令を受けていた。

 

 深夜の3時になろうとしている時、メルセデスのドアが開いた、中から人相の悪い風体の3人

が、辺りを窺いながら出てきた。

ラブホテルの従業員用ドアをノックし、出てきた瞬間従業員に当身を食らわし、失神させた。

事務所の内部には、使用中の部屋がランプで表示されている、一部屋だけ点灯しているところの

マスターキーを掴み、エレベーターで2階へ向かう。

ケンジとトモは寝息を立てている、一人がマスターキーを使ってドアをそっと開けた。

三人が部屋へなだれ込む。

「おい、起きろ」

一人がケンジの髪の毛を掴み、そばにあったガラスの灰皿で、頬をいきなり殴った。

「ぎゃっ・・」

ガシっと頬骨が砕ける音がした、ケンジは激痛で転げ廻る、もう一人の男が特殊警防で頭を殴打

た、血飛沫が舞いケンジは崩れ落ちるように倒れ、失神した。

隣にいたトモは、あまりの恐怖に失禁していた、すかさず男は鳩尾に当身を食らわせ失神させ

た。

あっという間の出来事だった、三人は二人を担ぎ急いで部屋を出ようとしたとき、亀田が現れた。

「お前ら久し振りだな・・俺を知らねえってことはねえよな・・パクられたくなかったら、そいつら置い

てとっとと失せろ・・

亀田は、一人の男の顔面を殴打し、続けざまにもう一人の股間を蹴り飛ばした、残る一人に向

かって亀田は言った。

「おう、帰ったら親分に言っとけ、マル暴の亀田をなめんなよってな・・」

三人は、慌てて部屋を飛び出していった。

 

 ホテルのベットに意識を失ったままケンジは横になっている。

後頭部は裂傷が酷く、応急処置でタオルを巻いている、頬骨は粉砕骨折らしく、相当腫れている

、そこへはビニール袋に氷を入れて冷やしている、すべて亀田の素早い処置だった。

「医者に行かなきゃまずいな・・頭の傷が・・なあ、ユミちゃん・・いや、トモちゃんか・・」

「カメさん?・・あなた一体・・・」

「もし、もし、カメよ、カメさんよ、のカメさん・・さ・・」

亀田は冷蔵庫からビールを取り出し、プルトップを雑に開け勢い良く飲み干した。

 

 

「ねぇカメさん・・あなた警察の人でしょ、捕まえに来たんでしょ?何で連れて行かないの?」

「こんな怪我人連れて行けないだろ・・いや・・話聞こうと思ってね・・・」

「あのね・・ケンジは悪くないんだ・・ワタシを助ける為に・・・・・」

「君は近藤と同棲していたよな?その相手を殺した奴だぜ・・」

「そのときは怖かった・・でも近藤とそういう関係になったのは・・クスリ打たれて無理やり・・・あと

クスリ欲しさで仕方なく一緒に暮していたの・・・もう自暴自棄ってやつ・・」

「コイツは何で近藤を殺ったのか・・訳知ってる?」

「うん・・・ケンジの彼女が・・お義父さんに犯されて・・近藤にはクスリ打たれて・・自殺したって・・・

それで、近藤とお義父さんを・・・・・」

「そうかぁ・・それで浜名湖の近くの一件は?」

「あれは・・近藤の弟分で、ワタシがクスリ欲しさに言いなりになっていて・・そのうち風俗で稼がせ

って脅されて・・・たまたま新宿の店でケンジに会ってね、色々話聞いてもらったの・・そしたら

クスリ止めるなら助けてくれるって・・それでこっちに逃げてきたの・・だけどアイツ・・尾行してた

みたいで、突然襲われたの・・・・ケンジが・・助けてくれた・・」

「それで崖から突き落としたわけか・・しかし、こんな若造がヤクザ相手に・・すげえ奴だな・・・」

「ワタシ、クスリ切れて大変だったの・・ケンジはずっと傍にいてくれた・・・・・」

トモは、顔をクシャクシャにしながら嗚咽した、ケンジのお陰で人間らしい生活を取り戻せたことを

ホントに感謝している、捕まえるんだったら、ワタシも同罪だと亀田に懇願した。

 

 亀田は所轄所に連絡し、ラブホテル強盗傷害事件としてこう証言した、休暇中に怪しい車を追

尾した所、犯行現場を偶然に押さえたが、犯人は車で逃亡と報告したのだった。

被害者はラブホテル従業員一名軽傷、宿泊客二名、内男性一名重症と翌日の地方紙の三面記

事に載っていた。

 救急車の到着を待つ間、亀田はトモにこう言った。

「トモちゃんよ、二度とクスリには手を出すなよ・・・コイツには今までのことは忘れろって・・・これ

からも二人で仲良く暮せよ、俺は暴力団には多少顔が効く、お前さんたちのことは忘れるよう

に、あの馬鹿共に言っておくから・・・」

「アリガトウ・・ホントに・・・アリガトウ、カメさん・・アリガトウ・・・」

 

 

 

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