天道虫

「あのさ、今日俺が出勤する前に、店に俺の事色々聞きに来た奴がいたらしいんだ、警察かな?

それともヤクザかな?店長の話だと、180位の大きな奴だって・・」

「えっ・・それって・・・ほら今日遅くなったの・・そのお客さんも大きな人だった・・それに、誤魔化し

けどケンジの事知っているような口振りだったから・・おかしいなって・・・・・」

「なんか・・嫌な予感がする・・」

「どうしよう?ケンジ・・」

「・・」

「逃げようよ・・ねえ、ケンジ・・」

「何処か・・ホテルにでも泊まって、様子見ようか・・取り合えず身の回りの物だけ持って・・」

「うん、わかった・・」

 足早に戸締りし、SR400にトモを乗せ、エンジンを掛けた。

国道を抜け、東名高速に乗り西へ向かった、グローブを忘れたせいで、手先が悴み感覚が鈍

る。

掛川インターで高速を降り、近くのラブホテルに身を寄せた。

「寒かったね・・一緒にお風呂・・入ろう・・」

「ああ・・」

トモがバスルームに消える、悴んだ指先が痛くて震える、こんな事がいつまで続くのか、何処まで

逃げればいいんだろう、やはり自首して罪を償うべきか。

「ケンジ・・お風呂入れるよ」

「ああ・・」

ケンジは、冷蔵庫からビールを出して、一気に煽る、空になったアルミ缶をグシャリと潰し、ゴミ箱

へ放り投げた。

 

 どんよりと曇った夜空に星は見えない、月明かりさえなく、森々たるラブホテルの周りは暗い。

ホテルの横の空き地に車が一台、さらに離れてもう一台停まっている。

 亀田はアパートの近くで見張っていたが、二人の慌て振りに異変を感じ、後を追っていた、その

亀田の前に、ミッドナイトブルーのメルセデスが二人に着かず離れず走っている、練馬ナンバー

だ、組織の連中に違いない、奴らもとうとう嗅ぎ付けたか、こりゃまずい事になる、応援を呼ぶ

にもここは管轄外だし、ややこしい手続きが必要になってくる。

 一方メルセデスには三人が乗っていた、組事務所の命知らずの鉄砲玉で、生け捕りで連れて

帰って来いと命令を受けていた。

 

 深夜の3時になろうとしている時、メルセデスのドアが開いた、中から人相の悪い風体の3人

が、辺りを窺いながら出てきた。

ラブホテルの従業員用ドアをノックし、出てきた瞬間従業員に当身を食らわし、失神させた。

事務所の内部には、使用中の部屋がランプで表示されている、一部屋だけ点灯しているところの

マスターキーを掴み、エレベーターで2階へ向かう。

ケンジとトモは寝息を立てている、一人がマスターキーを使ってドアをそっと開けた。

三人が部屋へなだれ込む。

「おい、起きろ」

一人がケンジの髪の毛を掴み、そばにあったガラスの灰皿で、頬をいきなり殴った。

「ぎゃっ・・」

ガシっと頬骨が砕ける音がした、ケンジは激痛で転げ廻る、もう一人の男が特殊警防で頭を殴打

た、血飛沫が舞いケンジは崩れ落ちるように倒れ、失神した。

隣にいたトモは、あまりの恐怖に失禁していた、すかさず男は鳩尾に当身を食らわせ失神させ

た。

あっという間の出来事だった、三人は二人を担ぎ急いで部屋を出ようとしたとき、亀田が現れた。

「お前ら久し振りだな・・俺を知らねえってことはねえよな・・パクられたくなかったら、そいつら置い

てとっとと失せろ・・

亀田は、一人の男の顔面を殴打し、続けざまにもう一人の股間を蹴り飛ばした、残る一人に向

かって亀田は言った。

「おう、帰ったら親分に言っとけ、マル暴の亀田をなめんなよってな・・」

三人は、慌てて部屋を飛び出していった。

 

 ホテルのベットに意識を失ったままケンジは横になっている。

後頭部は裂傷が酷く、応急処置でタオルを巻いている、頬骨は粉砕骨折らしく、相当腫れている

、そこへはビニール袋に氷を入れて冷やしている、すべて亀田の素早い処置だった。

「医者に行かなきゃまずいな・・頭の傷が・・なあ、ユミちゃん・・いや、トモちゃんか・・」

「カメさん?・・あなた一体・・・」

「もし、もし、カメよ、カメさんよ、のカメさん・・さ・・」

亀田は冷蔵庫からビールを取り出し、プルトップを雑に開け勢い良く飲み干した。

 

 

「ねぇカメさん・・あなた警察の人でしょ、捕まえに来たんでしょ?何で連れて行かないの?」

「こんな怪我人連れて行けないだろ・・いや・・話聞こうと思ってね・・・」

「あのね・・ケンジは悪くないんだ・・ワタシを助ける為に・・・・・」

「君は近藤と同棲していたよな?その相手を殺した奴だぜ・・」

「そのときは怖かった・・でも近藤とそういう関係になったのは・・クスリ打たれて無理やり・・・あと

クスリ欲しさで仕方なく一緒に暮していたの・・・もう自暴自棄ってやつ・・」

「コイツは何で近藤を殺ったのか・・訳知ってる?」

「うん・・・ケンジの彼女が・・お義父さんに犯されて・・近藤にはクスリ打たれて・・自殺したって・・・

それで、近藤とお義父さんを・・・・・」

「そうかぁ・・それで浜名湖の近くの一件は?」

「あれは・・近藤の弟分で、ワタシがクスリ欲しさに言いなりになっていて・・そのうち風俗で稼がせ

って脅されて・・・たまたま新宿の店でケンジに会ってね、色々話聞いてもらったの・・そしたら

クスリ止めるなら助けてくれるって・・それでこっちに逃げてきたの・・だけどアイツ・・尾行してた

みたいで、突然襲われたの・・・・ケンジが・・助けてくれた・・」

「それで崖から突き落としたわけか・・しかし、こんな若造がヤクザ相手に・・すげえ奴だな・・・」

「ワタシ、クスリ切れて大変だったの・・ケンジはずっと傍にいてくれた・・・・・」

トモは、顔をクシャクシャにしながら嗚咽した、ケンジのお陰で人間らしい生活を取り戻せたことを

ホントに感謝している、捕まえるんだったら、ワタシも同罪だと亀田に懇願した。

 

 亀田は所轄所に連絡し、ラブホテル強盗傷害事件としてこう証言した、休暇中に怪しい車を追

尾した所、犯行現場を偶然に押さえたが、犯人は車で逃亡と報告したのだった。

被害者はラブホテル従業員一名軽傷、宿泊客二名、内男性一名重症と翌日の地方紙の三面記

事に載っていた。

 救急車の到着を待つ間、亀田はトモにこう言った。

「トモちゃんよ、二度とクスリには手を出すなよ・・・コイツには今までのことは忘れろって・・・これ

からも二人で仲良く暮せよ、俺は暴力団には多少顔が効く、お前さんたちのことは忘れるよう

に、あの馬鹿共に言っておくから・・・」

「アリガトウ・・ホントに・・・アリガトウ、カメさん・・アリガトウ・・・」

 

 

 

 あれから一ヶ月、掛川郊外の総合病院の一室にケンジは入院していた。

冬将軍の到来を感じさせる冷たい隙間風が、窓から吹き込む。

救急車で運ばれたケンジは、緊急手術で再生不能な頬の骨には鉄板が埋め込まれた、頭部の

裂傷は脳まで損傷していた為、自力呼吸ができない状態で、所謂植物状態であった。

 

「もう冬だね・・・外は寒いよ・・」

「・・・・・」

「ねぇ・・ケンジ・・・ワタシね・・おなかの中に赤ちゃんがいるんだって・・・ビックリ・・ケンジ・・パパだ

よ・・・パパになったんだよ・・・」

「・・・・・」

 

人工呼吸器のポンプの音が規則的なリズムを刻んでいる、殺風景な病室のベットの脇には、ケ

ンジの愛車SR400のキーが無造作に置かれていた。

担当医に脳死と宣告され、この一ヶ月泣かない日はなかった。

こんなワタシのために・・代われるものなら代わってあげたい・・・ケンジ・・起きて・・・。

絶望の際に立たされていたとき、身体の変調に戸惑いながらも婦人科を受診した。

妊娠3ヶ月だった、唯一の希望の光が差し込んできた、ケンジの赤ちゃんだ・・アリガト・・ケンジ。

 

 たった一年でケンジの人生は激変した、平凡な高校生活を送っていたケンジにとって、人生が

凝縮された出来事だった、17歳という年齢には到底経験できる筈もないことを・・ただメグのため

・・・トモのために・・・大切な人を守るために・・・。

人生を棒に振った覚えはない、一日を、一瞬一瞬を精一杯生き延びてきた、短い人生だったが

十分過ぎるほど満足していた。

 

様態が急変したのは深夜の2時過ぎだった、トモのケイタイに病院の看護士から連絡があった。

「様態が急変しました、危険な状態です、大至急起こし下さい」

タクシーを飛ばし、病室に着いたときにはもう既に眠りについていた。

かけがえのない人にやっと巡り会えたのに、こんな別れって惨すぎる、赤ちゃんの存在さえ知ら

ぬまま逝ってしまうなんて、こんな短い人生それでよかったの?ケンジ・・・。

無表情の医師や看護士が医療器具を片付けている、人工呼吸器を外されたケンジの顔は傷だ

らけだが、どこか笑っているような、とても安らかな表情だった。

 

エンジェル
天道虫
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