天道虫

 あれから一週間何も食べていない、泣き腫らした目は酷く晴れ上がり、頬はこけて見る影もな

った、一日中あのビルの屋上にいる。

どうでもよかった、このまま死んでいいとさえ思った。

メグ、俺はてんとう虫になれなかったのか?何で・・何でだよ・・・。

涙って枯れることはないんだな、いくらでも出てくるよ。

 

 五月晴れに相応しく、街には鯉幟が風を受けて泳いでいる、メグが居なくなって一ヶ月が経っ

た、ようやく現実を受け入れる事ができた。

ケンジは、メグの母親の許を訪ね、仏壇に手を合わせた、メグの遺影は高校の入学式の写真だ

そうだ、屈託のない笑顔、どうしようもなく涙が溢れる。

「お母さん、俺知ってるんです・・お義父さんとのこと・・全部メグミさんから聞きました」

「そう・・ですか・・私があの娘を殺したんです・・何もかも私のせいなんです・・」

「自分を責めないほうがいいですよ、メグミさんも言ってました、お母さんは悪くないって、苦労し

て私を育ててくれたって」

「・・・・・」

「お義父さんは、お仕事ですか?」

「はあ、葬儀の次の日から帰ってなくて・・あの日ボソって言ったことが気になって・・」

「何て言ったんですか?」

「はあ、近藤の野郎・・とか・・・」

「近藤って誰です?」

「さあ・・・でもあの人、あまりよくない人と付き合ってたみたいで・・・」

「お義父さんは、どちらにお勤めなんですか?」

「駅前のビルで不動産関係の会社を経営しているって聞いてます、あの人の仕事のことは、

あまりよく知らなくて、確か・・東和商事って言ってました」

「そうですか・・東和商事・・・・」

 

 高校には退学届けを提出した、親にはひどく反対されたが、どうしても学校へは行く気がしな

かった、メグの居ない学校などどうでもよかった。

 ケンジは、環状線沿いの小さな自動車修理工場に、見習いとして就職し、朝から晩まで油まみ

れになりながら、必死に働いた。

仕事帰りに教習所へ通い、自動二輪の免許を取った、親の保証人でヤマハのSR400をローン

で購入した、単気筒エンジンにチャンバー、セルは無くキック式のスターター、回転数を上げると

最高の爆音だ、タンクの色は真紅に塗装し、シートは少しアンコ抜いた、今度の休みは気晴らし

に、ツーリングに出かけよう。

 

 セルフのガソリンスタンドで給油し、ついでにセブンスターを買った。

7月に入り日差しもだいぶ強くなってきた、クソ暑くても革ジャンは欠かせない、バイク乗りのポリ

ーだ。

駅前の信号を左折して、国道に出ようとしたとき、聞き覚えのある看板に目を奪われた。

東和・・商事・・・確か・・そうだ、メグのお義父さんの会社だ、ここか・・怒りが再び蘇ろうとしてい

る、拳を握り締めている自分に気付く。

無意識にバイクを路肩に止めた、俺は一体何をしようとしてるんだ、落ち着きを取り戻そうと、バ

カーズジャケットからセブンスターを取り出し、火を点けた。

雑居ビルの階段を、ゆっくりと三階まで上がり、東和商事のドアを、ノックもせずに開けた。

「あの、何方かいませんか」

「はい・・すいませんが、事務員が昼休みで・・何か?」

奥の部屋から小太りの中年男性が出てきた。

「私、正田といいます、メグミさんのお義父さんいらっしゃいますか?」

「・・・」

「俺・・友達だったんです」

「ああ、そう、俺がそうだけど、何の用だい?」

ケンジは込み上げた怒りを拳に集中した、冷静な心など今は無い。

「アンタ、メグにとんでもないことしたんだって?」

「おい、僕、ここがどういう所か分かってんのか?」

「とぼけんなよ、メグから全部聞いてんだよ」

「さっさと帰りな、怪我する前にな」

その瞬間、何かの箍が外れた、山下の顔面を拳で一撃し、うずくまった所を、ブーツの爪先で

鳩尾辺りを思いっきり蹴飛ばし、続けざまに何度も何度も殴り倒した。

山下は嘔吐し、顔面血だらけになりながら這い蹲り、懇願した。

「やめろ・・やめてくれ・・」

「てめえ・・メグがどんなに辛かったか・・分かるか?」

ケンジは、机の上にあった硝子の灰皿を、山下の頭に振り落とす、とたんに頭が割れて鮮血が

噴出した。

「ギャー・・・」

ぐったりした山下の腹をなおも蹴飛ばす。

「うっ・・俺・・俺も悪かったが・・・近藤が・・アイツがメグミを・・・」

「近藤?そいつが何したんだよ・・おい、早く言えよ」

山下は、近藤の素性やメグに対しての所業を残らず喋り、失神した。

ケンジの中に眠っていた憎悪の塊が、狂気へと化身し始めていた。

 広域暴力団の近藤を追い詰めるには、17歳のケンジにとって至難窮まる、しかし彼の中の

復習の刃は、ひっそりとその瞬間を窺っていた。

 ケンジは、職場である修理工場に退職の旨を伝え、翌日から近藤の事務所を昼夜問わず張込

んだ。

近藤には、複数の塒があるらしい、ここ一ヶ月バイクで尾行したが、愛人らしき女のマンションが

三箇所程存在する。

新宿にある薄いピンクのマンションには、必ず土曜の夜に来ていることが分かった。

そのマンションの住人は、キャバクラMに勤める静といい、毎週土曜日に近藤と同伴出勤し、閉

の数分前には若衆の運転する漆黒のベンツで、マンションに向かう。

近藤にはいつも二人の若衆が張り付いているが、このマンションに近藤が入るのを見届けると、

人は車で立ち去るのが分かった。

 ケンジは、新宿のミリタリーショップで、サバイバルナイフと登山用のロープを購入した。

ナイフを買うのに、身分証明書の提示が必要なのは知らなかった。

 

 修理工場の僅かな給料の中から、バイクのローンと生活費で残金は余り無い、しかもこの一ヶ

カプセルホテルに滞在していた為、食事も儘ならなかった。

痩せこけたケンジの顔は、復習の鬼と化した狂気の物の怪のようだ。

「メグ・・もう少しだからな・・・」

そう呟いたケンジは暫し眠りについた。

 

 土曜の朝、極狭のカプセルホテルで目が覚めた、隣接するサウナに入り、シャワーを浴びた。

ケンジは、最後の千円札でセブンスターを買い、牛丼屋で鮭定食を平らげた。

午前9時半、近藤の組事務所の道路を挟んだ向かいのビルの脇に、バイクを停めセブンスター

に火を点ける。

今日は朝から雲行きが怪しい、一雨振りそうだ、すると黒いベンツが組事務所の前に停まり、中

から眩しいぐらいに真っ白のジャケットを着たアイツが車から降りた。

若衆が馬鹿丁寧な挨拶をしている、もう少し・・・メグ・・・。

 1時を回った頃、事務所から御一行が出てきた、アイツも毎日サウナへ入りに行く、バイクのエ

ンジンをかけ、少し距離をあけて尾行した。

サウナのある複合ビルの駐車場に入った、案の定そうだ、しかしこれから3時間以上出てこない

だろう、じっと待つしかない。

 5時15分、奴等が出てきた、近藤の顔が仄かに赤い、酒でも飲んだのだろうか。

ベンツは新宿方面へ走っている、アルタの前でハザードを出して停車した。

すると淡いブルーで、ホルターネックのミニドレスを着た派手目な女が近づいて来た。

キャバ嬢の静だ、後部座席に乗り込むと急発進で雑踏に紛れる、車では多分見失っていただろ

う、小回りの効くバイクではそういうヘマはしない。

 

 とある高級そうな寿司屋の前でベンツは停車し、近藤と静は中へ入った。

近藤と静は、カウンターに鎮座し、馴染みなのか店の大将を談笑している。

「大将、冷えたシャブリあるかい?後はお任せでな」

「へい、かしこまりやした」

このあと二時間も待つ事になった。

 8時25分、キャバクラMに同伴出勤、あと二時間もすればマンションにやって来る、先回りして

うで待っていよう。

 

 長い一日がもう少しで終わる・・メグの顔が浮かぶ。

ナップザックからサバイバルナイフを取り出し、ベルトに挟んだ。

セブンスターに火を点け、深く吸い込み、フウーっとゆっくりと吐き出す、三本目が吸い終わる頃

、車のエンジン音が近づいて来た。

静の住む部屋は、三階の一番奥で、その奥には非常階段がある、その踊り場にケンジは潜んで

いた。

「おう、ご苦労さん、お前らもういいぞ、明日10時に迎えに来い」

ドスの利いた馬鹿でかい声が、ハッキリ聞こえた、二人の足音が近づく。

「ああ、少し酔ったな、早く鍵開けろや」

「待ってて、今開けるから」

ドアが開き、二人が中に入る瞬間、ケンジはサバイバルナイフの柄で、近藤の後頭部を力任せ

に殴った。

「うっ」

倒れ掛かる所をもう一度殴った。

「キャー、誰・・何してんの?」

近藤は意識を失い倒れている。

「大人しくしてれば何もしないよ、ねえ、タオルある?」

ナイフを翳しながら静に言った。

部屋の奥からタオルを持ってきた。

「それで自分に目隠しして」

ケンジは登山用のロープを取り出して、静の手足を縛り上げた。

「やめて・・御願い・・お金ならアゲルから、助けて」

「金なんか要らないよ、コイツに用があるんだ

気を失っている近藤を玄関からリビングへ運んだ。

「やめたほうがいいよ、この人ヤクザだよ、殺されちゃうよ」

「メグ・・・俺の彼女が・・・コイツに殺されたんだ・・・」

「・・・」

「アンタに恨みは無い、何もしないから黙っていてくれ」

 リビングには黒い二人掛けのソファがある、近藤を担ぎ上げ、そこへぶん投げた。

近藤の頭から大量の血が噴出している、ケンジは、花瓶の水を頭にかけた。

 

 

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