うさぎとテニス部の呪い

 「世の中には不思議な現象が山ほどあるの。でも人間界で起きる怪奇現象の大半は科学で解き明かされていたり、人の思い込みだったりする偽物の怪奇がほとんどさ。それでもごく稀に、人間界で本物の怪奇現象が起きる時がある。あなたはその本物にとりつかれた運の悪い人というわけ。だからこっちに呼び寄せたの」

 サキは、訝しげな顔をする和真に向かってゆっくりと話し始めた。

「人間は私たちのような怪異みたいに奇妙な力は持ち合わせていない。その代わりに人には何かを強く願ったり、想ったりする力がある。怪異が肉体的に超人なら、人は精神的な超人というわけ。人が持つその力は自分を強くしたり、時には本物の奇跡を起こすこともできる。でも、その力が負の方向に働けばそれも大きな力と本物の怪異を生み出す事になる」

 サキは和真の眼をしっかりと見つめて言った。

「さて人間、あなたには負の怪異がとりついている」

 和真はサキと出会ったときの様に混乱していた。しかし和真にはなぜか、サキが嘘をついていると思えなかった。不思議の真っただ中にいるので、どんな事でも受け入れようとしているのかもしれない。ただ、最初にサキと話した時から和真はサキの言うことを無抵抗に受け入れてしまっていた。もしかしたらサキには人を簡単に納得させる力があるのかもしれない。和真は聞いた。

「僕にはいったい何がとりついているのですか、それでどんな悪いことが起きるのですか?」

 サキは目を細めた。

「案外せっかちだね。結論を先に求めるのは悪いことじゃないさ。でも物事には順序ってものがある。今の段階ではなにが、いつ、どうやって、なんのためにとりついたのかわからないさ。ただ、そいつはずいぶんでかい負の感情を抱えているみたいだね」

「・・・・・・それだけ僕の事を恨んでいる人がいるんですか?」

「そいつはわからないさ。運悪くあなたにとりついたのかもしれないし、死ぬほど恨んでいる奴がいるかもしれない。」

「それで、その怪異っていうのは退治できるのですか?」

 サキはニヤッと笑った。

「もちろんさ」

 和真は少しほっとした。

「当然、対価は頂くけどね」

 和真はどんな存在を相手にしているのか、ようやく思い出した。

 

 サキはブチを呼んでなにやら用意させていた。和真は自分の愚かさを嘆いていた。サキが怪異だということは、和真もわかっていたことだった。それでもサキを疑うこともせず、自分を助けてくれる存在だと考えてサキに「怪奇祓い」を頼んでしまったのだ。

「まいどあり~」

 サキがそう言った途端、サキと話している時に感じていた、ぼんやりとした安心感は一瞬にして消えてしまった。その代わりに得体のしれない怖さと疑問が和真を支配していったのだ。サキは和真に何らかの魔法をかけていたらしく、和真は正常な判断が出来なくなっていたのだろう。

「あぁ、なんでこんなあやしい話に乗っちゃったんだろう」

 一度疑いだすときりがなく、本当に怪異がとりついているのかすらあやしく思えてきた。そしてその「怪異祓い」が終わった後に何を請求されるのか、和真はひたすらおびえていた。当のサキとブチはなにやらあやしげな道具を次々と運んでは桜の下に置いていった。

「あの、サキさん。本当に怪異がとりついているんですか?」

 恐る恐る聞いてみたが、サキは振り返ってピースサインをしただけでまた作業に戻っていった。

「さて、あらかた準備も終わったし始めますか」

 やたら張り切った顔のサキが戻ってきたのはそれから十分ほど経ってからだった。

「サキさん、さっきまで僕に何か魔法でもかけていたのですか?」

 不機嫌そうに和真は聞いた。

「いやだなあ、私がそんな詐欺師みたいなことするわけ無いじゃん。ちゃんと怪異はとりのぞくさ。信用してよね」

 まったく目を合わさずにサキは答えた。サキが用意したのは鏡だった。何か霊的な力がありそうな鏡にはとても見えない、どこの家庭にもありそうな手鏡にしか見えなかったが、サキは真剣そうな顔で和真に近づいた。

「この鏡はあなたにとりついた怪異の居場所をあぶりだす為の物さ。この鏡にあなたの姿を写せば怪異の本体がある場所が映るの。これであなたについている怪異が何か特定するのさ」

「怪異っていうのは僕自身にとりついているんじゃなかったのですか?」

 和真は胡散臭そうに聞いた。

「それはね、怪異がとりついて悪い事が起きるのは、その怪異がもたらす結果でしかないだよ。毒蛇に噛まれて傷口が腫れるのは蛇に噛まれた結果だけど、傷が治っても噛んだ蛇自身が消えるわけじゃないってことさ」

「そんなものなんですか・・・・・・ でもそれじゃあ僕についている怪異の効果だけ取り除けばいいんじゃないんですか、わざわざ怪異の本体を探す必要はないような気がするのですが」

「あなたの状態だけみても対処のしようが無いの。毒蛇の毒を消すには血清が必要だけど、蛇の種類がわからなかったらどの血清が有効かわからないじゃない」

 どうやらサキはまがいなりにも怪異の対処法を心得ているようだった。和真は少しだけ安心した。

「じゃあ、お願いします」

 和真は観念してサキに任せることにした。

「それじゃ、いくよ」

 サキは手鏡を和真に渡した。和真は鏡に映った自分を見つめた。映っていたのはさえない、へたれた和真の顔だった。どこで怪異の本体がわかるんだ、まさか自分が怪異なのかと考えながら手鏡を覗いていると、ふとその鏡の中に違和感を感じた。和真は桜並木の下で鏡を持っているのに、鏡の中はどうも室内のようなのだ。和真は鏡を傾けていくと、そこは見覚えのある空間だった。それは和真の高校生活の中で最も印象深く、また嫌っていた場所だった。

 高校のテニス部部室だった。

 和真は夜の高校に忍び込んでいた。

 サキに怪異は高校のテニス部部室にあると伝えると、そこに行って何か怪異に関係ありそうなものを探してこい、と言われたからだ。和真は不思議な桜並木の道からいったん外に出してもらい、夜の高校へやってきたのだった。和真はいつも最終下校時間前に学校を出ていたので、真っ暗な高校に入るのは初めてだった。正門は当然閉まっていて、入るには、道路沿いのテニスコート側面の金網をよじ登るのが良さそうだった。周りに人影が無い事を確認して和真は金網をよじ登っていった。侵入成功。暗いテニスコートを横断して本来のテニスコート入口から校庭へ入って行った。

 部室棟は体育館の横にあり、テニスコートから部室棟に行くには広い校庭を横切って反対側まで行かなければならなかった。現役の頃は部室が遠すぎると不満が出ていたほど遠い場所だった。和真は真っ暗な校庭を横切りながら部室にはいったい何があるのか考えていた。しかし和真には思い当たるような怪異に出会っていないようにも思えた。和真は今日までに怪異と呼べるものはおろか不思議な現象にも遭遇していなかった。それが突然、お前には怪異がついているといわれてもピンとこないのだった。怪異というのは、むしろ今日経験したような得体のしれない出来事の方がしっくりきた。でももし、サキの言うように人の想いが怪異を生み出すのなら、テニス部の誰かが自分の事を恨んでいる証明になる。和真は今まで誰かに恨みを買うようなことはしていないはずだった。しかし怪異があらわれるという形で、誰かが自分に怨念を持っている事を和真は知ってしまった。

 そんなことを考えながらも和真は部室棟に辿り着いたのだった。慣れ親しんだテニス部部室は部室棟のちょうど真ん中の位置にあった。そこのドアに手をかけると鍵がかかっている事がわかった。和真はもう引退した身分であり、鍵はもう後輩に渡していた。迂闊だったと思いながらどうやって忍び込もうか考えていた。

「確か裏側に窓があったな」

 もしかしたらそこが空いているかもしれない、そう思い部室棟の裏側に回りこんだ。窓にはやはり鍵がかかっていたが、窓ガラスのすみっこが大きく割れていた。あんまりやってはいけないだろうと思いながら、和真は以前テレビでやっていた空き巣特集の様に手を突っ込んで中から鍵をはずそうとした。不慣れなやり方で手を切りそうになりながら何とか鍵に手が届いた。かちゃりと音がして部室の窓が開いた。

 和真は恐る恐る部室に入って行った。ほんの四、五人が入ればいっぱいになりそうな狭い部室。両脇には棚が置いてありますますスペースを狭くしていた。右の棚にはテニスボールが入ったかごやミニコーンといった練習道具が置いてあり、左側は歴代の先輩たちの趣味が反映された漫画文庫になっている。毎年部員の誰かがいらなくなった漫画を置いていくため棚の中はもういっぱいとなっていた。壁にはスポーツ屋でもらってきた昔のプロテニスプレイヤーのカレンダーが張ってあった。もう棄てなければいけないカレンダーだったが、部員たちのありとあらゆる落書きで埋め尽くされていて、愛着がわいているのか誰も棄てようなどと提案しなかった。一通り見回してもあやしいものは何一つなかった。

 昔を思い出してすこし感傷的な気分になっていた和真だったが、漫画の束の隙間にあるノートを見つけて気分が落ち込んできた。このテニス部に代々続く彼女が出来ないジンクスを打ち破ることが出来ず高校を去った先輩たちの記録が残されたノートだ。一年秋の大会で一回戦負けした部員はこのノートに名前が書かれる。そしてジンクスを打ち破れなかった者たちはこのノートに浮かばれなかった青春の想いをぶつけるのだった。

 和真もこのノートに名前が書かれている。最初はただのふざけた遊びかと思っていた。しかし今までそのジンクスを打ち破った者はいないと聞かされ、さらにもてそうな先輩たちでも彼女が出来なかった現実を目の当たりにした和真は、しだいにそのノートそのものを敬遠するようになっていた。部活の休憩中、部員たちがノートを広げ数々の撃沈エピソードを大笑いながら読む姿をみて、自分もいつかああやって顔も見たことのない部員たちに笑われるのだろうか、そう思っただけで心は重くなった。しだいに部室で過ごす休憩時間が苦痛になり、テニスコートに残って一人で自主練をしたりと部活の仲間から少しずつ孤立していった。部活外で友達を作って遊ぶことが多くなり、引退した今でもテニス部部員と距離があるように思えた。和真にとって此処は居心地の良い場所ではなかった。漫画の束から引き出したノートには先輩たちの怨念が詰まっているように思えた。

「このノートのせいで・・・・・・ 」

 ふと、サキの言葉を思い出した。

「人の想いが怪異を作る。負の感情が強ければ強いほど怪異は強くなる」

「もしかして・・・・・・」

 和真はノートを手に部室を抜け出していった。

 

 

maruma
作家:丸中丸
うさぎとテニス部の呪い
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