うさぎとテニス部の呪い

 サキはブチを呼んでなにやら用意させていた。和真は自分の愚かさを嘆いていた。サキが怪異だということは、和真もわかっていたことだった。それでもサキを疑うこともせず、自分を助けてくれる存在だと考えてサキに「怪奇祓い」を頼んでしまったのだ。

「まいどあり~」

 サキがそう言った途端、サキと話している時に感じていた、ぼんやりとした安心感は一瞬にして消えてしまった。その代わりに得体のしれない怖さと疑問が和真を支配していったのだ。サキは和真に何らかの魔法をかけていたらしく、和真は正常な判断が出来なくなっていたのだろう。

「あぁ、なんでこんなあやしい話に乗っちゃったんだろう」

 一度疑いだすときりがなく、本当に怪異がとりついているのかすらあやしく思えてきた。そしてその「怪異祓い」が終わった後に何を請求されるのか、和真はひたすらおびえていた。当のサキとブチはなにやらあやしげな道具を次々と運んでは桜の下に置いていった。

「あの、サキさん。本当に怪異がとりついているんですか?」

 恐る恐る聞いてみたが、サキは振り返ってピースサインをしただけでまた作業に戻っていった。

「さて、あらかた準備も終わったし始めますか」

 やたら張り切った顔のサキが戻ってきたのはそれから十分ほど経ってからだった。

「サキさん、さっきまで僕に何か魔法でもかけていたのですか?」

 不機嫌そうに和真は聞いた。

「いやだなあ、私がそんな詐欺師みたいなことするわけ無いじゃん。ちゃんと怪異はとりのぞくさ。信用してよね」

 まったく目を合わさずにサキは答えた。サキが用意したのは鏡だった。何か霊的な力がありそうな鏡にはとても見えない、どこの家庭にもありそうな手鏡にしか見えなかったが、サキは真剣そうな顔で和真に近づいた。

「この鏡はあなたにとりついた怪異の居場所をあぶりだす為の物さ。この鏡にあなたの姿を写せば怪異の本体がある場所が映るの。これであなたについている怪異が何か特定するのさ」

「怪異っていうのは僕自身にとりついているんじゃなかったのですか?」

 和真は胡散臭そうに聞いた。

「それはね、怪異がとりついて悪い事が起きるのは、その怪異がもたらす結果でしかないだよ。毒蛇に噛まれて傷口が腫れるのは蛇に噛まれた結果だけど、傷が治っても噛んだ蛇自身が消えるわけじゃないってことさ」

「そんなものなんですか・・・・・・ でもそれじゃあ僕についている怪異の効果だけ取り除けばいいんじゃないんですか、わざわざ怪異の本体を探す必要はないような気がするのですが」

「あなたの状態だけみても対処のしようが無いの。毒蛇の毒を消すには血清が必要だけど、蛇の種類がわからなかったらどの血清が有効かわからないじゃない」

 どうやらサキはまがいなりにも怪異の対処法を心得ているようだった。和真は少しだけ安心した。

「じゃあ、お願いします」

 和真は観念してサキに任せることにした。

「それじゃ、いくよ」

 サキは手鏡を和真に渡した。和真は鏡に映った自分を見つめた。映っていたのはさえない、へたれた和真の顔だった。どこで怪異の本体がわかるんだ、まさか自分が怪異なのかと考えながら手鏡を覗いていると、ふとその鏡の中に違和感を感じた。和真は桜並木の下で鏡を持っているのに、鏡の中はどうも室内のようなのだ。和真は鏡を傾けていくと、そこは見覚えのある空間だった。それは和真の高校生活の中で最も印象深く、また嫌っていた場所だった。

 高校のテニス部部室だった。

 和真は夜の高校に忍び込んでいた。

 サキに怪異は高校のテニス部部室にあると伝えると、そこに行って何か怪異に関係ありそうなものを探してこい、と言われたからだ。和真は不思議な桜並木の道からいったん外に出してもらい、夜の高校へやってきたのだった。和真はいつも最終下校時間前に学校を出ていたので、真っ暗な高校に入るのは初めてだった。正門は当然閉まっていて、入るには、道路沿いのテニスコート側面の金網をよじ登るのが良さそうだった。周りに人影が無い事を確認して和真は金網をよじ登っていった。侵入成功。暗いテニスコートを横断して本来のテニスコート入口から校庭へ入って行った。

 部室棟は体育館の横にあり、テニスコートから部室棟に行くには広い校庭を横切って反対側まで行かなければならなかった。現役の頃は部室が遠すぎると不満が出ていたほど遠い場所だった。和真は真っ暗な校庭を横切りながら部室にはいったい何があるのか考えていた。しかし和真には思い当たるような怪異に出会っていないようにも思えた。和真は今日までに怪異と呼べるものはおろか不思議な現象にも遭遇していなかった。それが突然、お前には怪異がついているといわれてもピンとこないのだった。怪異というのは、むしろ今日経験したような得体のしれない出来事の方がしっくりきた。でももし、サキの言うように人の想いが怪異を生み出すのなら、テニス部の誰かが自分の事を恨んでいる証明になる。和真は今まで誰かに恨みを買うようなことはしていないはずだった。しかし怪異があらわれるという形で、誰かが自分に怨念を持っている事を和真は知ってしまった。

 そんなことを考えながらも和真は部室棟に辿り着いたのだった。慣れ親しんだテニス部部室は部室棟のちょうど真ん中の位置にあった。そこのドアに手をかけると鍵がかかっている事がわかった。和真はもう引退した身分であり、鍵はもう後輩に渡していた。迂闊だったと思いながらどうやって忍び込もうか考えていた。

「確か裏側に窓があったな」

 もしかしたらそこが空いているかもしれない、そう思い部室棟の裏側に回りこんだ。窓にはやはり鍵がかかっていたが、窓ガラスのすみっこが大きく割れていた。あんまりやってはいけないだろうと思いながら、和真は以前テレビでやっていた空き巣特集の様に手を突っ込んで中から鍵をはずそうとした。不慣れなやり方で手を切りそうになりながら何とか鍵に手が届いた。かちゃりと音がして部室の窓が開いた。

 和真は恐る恐る部室に入って行った。ほんの四、五人が入ればいっぱいになりそうな狭い部室。両脇には棚が置いてありますますスペースを狭くしていた。右の棚にはテニスボールが入ったかごやミニコーンといった練習道具が置いてあり、左側は歴代の先輩たちの趣味が反映された漫画文庫になっている。毎年部員の誰かがいらなくなった漫画を置いていくため棚の中はもういっぱいとなっていた。壁にはスポーツ屋でもらってきた昔のプロテニスプレイヤーのカレンダーが張ってあった。もう棄てなければいけないカレンダーだったが、部員たちのありとあらゆる落書きで埋め尽くされていて、愛着がわいているのか誰も棄てようなどと提案しなかった。一通り見回してもあやしいものは何一つなかった。

 昔を思い出してすこし感傷的な気分になっていた和真だったが、漫画の束の隙間にあるノートを見つけて気分が落ち込んできた。このテニス部に代々続く彼女が出来ないジンクスを打ち破ることが出来ず高校を去った先輩たちの記録が残されたノートだ。一年秋の大会で一回戦負けした部員はこのノートに名前が書かれる。そしてジンクスを打ち破れなかった者たちはこのノートに浮かばれなかった青春の想いをぶつけるのだった。

 和真もこのノートに名前が書かれている。最初はただのふざけた遊びかと思っていた。しかし今までそのジンクスを打ち破った者はいないと聞かされ、さらにもてそうな先輩たちでも彼女が出来なかった現実を目の当たりにした和真は、しだいにそのノートそのものを敬遠するようになっていた。部活の休憩中、部員たちがノートを広げ数々の撃沈エピソードを大笑いながら読む姿をみて、自分もいつかああやって顔も見たことのない部員たちに笑われるのだろうか、そう思っただけで心は重くなった。しだいに部室で過ごす休憩時間が苦痛になり、テニスコートに残って一人で自主練をしたりと部活の仲間から少しずつ孤立していった。部活外で友達を作って遊ぶことが多くなり、引退した今でもテニス部部員と距離があるように思えた。和真にとって此処は居心地の良い場所ではなかった。漫画の束から引き出したノートには先輩たちの怨念が詰まっているように思えた。

「このノートのせいで・・・・・・ 」

 ふと、サキの言葉を思い出した。

「人の想いが怪異を作る。負の感情が強ければ強いほど怪異は強くなる」

「もしかして・・・・・・」

 和真はノートを手に部室を抜け出していった。

 

 

「正解、おめでとう」

 サキはニコニコしながら和真を迎えた。部室を抜け出した和真はまたあやしげな桜並木に戻ってきていた。

「でも、凄まじい怨念がこめられているね。それこそ怪異に化けてしまうくらいに」

 和真の持ってきたノートを受け取るとサキは嫌そうにノートの中身を見た。

「聞いただけでも二十年以上前からテニス部の呪いは続いていたらしいです。それに高校生の彼女が欲しいという想いと出来なかった怨念で凄まじい事になっているはずです。サキさんの言うとおり想いが悪い方向で化けてしまったみたいですね」

 和真は疲れた顔で言った。

「高校生の彼女ほしいって想いはでっかいからね。にしてもここまで来ると呪いだね、ちゃんと怪異、解けるのかなあ」

「いや、解いてもらいますよ、そのノートのせいで僕の青春も無駄になったんですから」

 和真は真剣な目でサキを見ながら言った。

「おぉ、恋愛沙汰の恨みは怖いねえ。でも、この怪異を解けたところであなたに恋人が出来るとは限らないからね」

「なんでですか! 僕に彼女が出来なかったのは間違いなくそのノートの呪いのせいですよね。僕がどんなに努力しても女の子はちっとも振り向かなかった。それさえ解ければ僕の残りわずかな高校生活はきっとバラ色になるはずです!」

「調子にのるなよ、人間」

 サキの声が一気に冷たくなった。

「確かにお前に彼女が出来なかったのはこのノートのせいだ。これだけの怨念、他人の運命を変えられるレベルまで積っている。だがそれとこれはちがう」

「なぜですか! 」

「お前が本当にそれを望まなかったからだ」

「いっただろ、人間の願う力は呪いも産めば奇跡だって起こす。この呪いは出来てたかだか二十年、強力だが絶対ではない。お前は自分がモテなかったことに理由を求めていたんだ。すべて呪いのせいにすれば、自分が努力しなかったことも正当化できる。呪いのせいだ、仕方なかったんだってな」

「それは・・・・・・」

「怪異を祓うことはかんたんさ。だがそれですべて解決すると思っているんだったらこの呪いは解かない方がいいだろうよ。お前が現実から逃避できる口実を残しておいた方がお前は楽だろう」

「だが、このノートをこのまま放っておけばさらに犠牲者が出ることは確実だ。ここで消し去った方が賢明だと思うね。さあ、お前はどうする」

「・・・・・・」

 和真は自分の気持ちを言い当てられた気がした。心のどこかでジンクスのせいに出来て楽だという想いは持っていた。部活内で孤立したのもノートという言い訳があった。それにすがっていた。今、ノートと呪いが消えれば自分のアイデンティティそのものが揺らぐ気がした。しかし・・・・・・

 和真は眼を閉じて考えた。呪いの存在を知った今、ここでなくさなければ、以後誰がこの呪いを解くのだろう。これが最初で最後のチャンスかもしれない。ここでやらなければ後悔するのはきっと自分だ。

「わかりました」

 和真は眼を開いた。

「この呪い、終わらせて下さい!」

 和真は頭を下げた。サキはふっと笑った。

「よかった、あなたがその道を選んでよかった、和真さん」

 --甘い花の薫りがした気がした。

maruma
作家:丸中丸
うさぎとテニス部の呪い
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