人はみんな、誰にも負けない力を持っています。
小学校の担任が教えてくれた言葉を鵜呑みにして力とやらを捜してみたが、僕の小さなおつむと躰に秘めた力は残念ながら隠されていなかった。宝探しをそうそうに諦めた僕は、力が宝くじの1等賞なみの低い確率でしか手に入れることができない品物だと、ようやく気が付いた。だからせめて、力がなくても誰かのためにできることをしたい。いつも思っていた。
白いプレートに「恋愛部」と赤字で刻まれた部室の扉を、僕は勢いよく開けた。 「先輩」優しく話かけてくれる後輩・永尾美優(ながおみゆ)の姿はなく、代りに中央のテーブルを囲むように並べられた椅子のひとつに彼女は座っていた。窓に差し込むオレンジ色の西日を受け、見つめ返してくる瞳に見覚えはなかった。
恋愛部は、恋のキューピット役を勝手でていた。好きな気持ちを伝えられないシャイな生徒を応援する恋愛相談窓口だ。
東都東高は、男女交際に寛大な高校だった。もちろんそこに至るには、卒業生と学校側との汗と涙の闘いの歴史があるのだが、話すと長くなるので今日は割愛しておく。
「木崎圭介(きさきけいすけ)さん?」
小さな唇のどこから発せられたのか、僕の名を告げた彼女の声が部室に響く。胸元まで伸びたツインテールが揺れ、椅子から立ち上がった彼女の身長は僕とさほど変わらなかった。
「恋愛相談、ですか」
反応するように頬を赤らめ彼女が頷いた。
「座って」
正面の椅子に腰かけ、互いの視線が同じ高さになる。透明な素肌が今にも消えてしまいそうな粉雪を連想させた。
「先輩、遅れてすみません」
振り向かなくてもわかった。恋愛部の部員はわずか三名、部長はなぜかずっと休んでいる。美優が扉を閉め横に腰かけた。
「はじめまして、永尾美優です」
「シンドウユキです」
二人があいさつを交わす間、恋愛カルテと呼んでいる紙を僕は用意していた。氏名・クラス・好きな異性等の項目をコンパクトにまとめたカルテを基に恋愛相談に応じている。
「用紙の記入をお願いします」
鞄からピンクのペンケースをとりだしたユキが、並べられた鉛筆の中から一番長いものを選んだ。流れていく指先がリズムを刻み、用紙に文字を奏でていく。まもなく演奏を終えた手がゆっくり用紙を返してきた。
「新藤由紀」字は体を表す。細いけれど力強く、バランスのとれた美しい文字たちがマス目に丁寧に埋め尽くされていた。由紀が思いを寄せる幸運な男子に興味をひかれ異性欄に目を走らせた。
「空欄になっていますが」
「名前、わからないから……」
僕は美優に合図を送る。美優がノートパソコンを起動させた。パソコンには、全生徒の顔写真入り詳細データを収めた極秘ファイルがある。美優が顔を上げ、準備が整ったのを確認し、僕は異性を特定するため質問を投げかけた。
「まず特徴を教えて下さい」
「私の好きな人は、金髪でブルーの瞳をしています」
「金髪でブルーと」
復唱した美優の手がキーボード上で固まっていた。
「先輩」
美優に言われなくてもわかる。恋愛に寛大でも、身だしなみには厳しい校則を伝統としてきた東都東高で、金髪の生徒などいるはずがなかった。偉大な先輩たちでさえ「頭髪・服装」という名の牙城を攻め落とすことはできなかった。ハーフの生徒や海外から留学生が来たという話も聞いていない。そもそもそんな目立つ生徒なら「由紀がその気になれば名前ぐらい調べることができたのではないだろうか」疑問が生まれた。
「新藤さん。我が部は東都東高生徒間の恋愛の架け橋を目的とする部です。他校の生徒は対象外というのはご存じでしたか」
「はい」
「それなら、そんな特徴の生徒がいないこともご存じでは」
皮肉を込めて言ったつもりだったが、由紀は怯まなかった。
「同じ制服を着ていました。絶対、彼はこの高校にいます」
美優が首を横に振る。
嘘だと思いたくなかった。しかし、恋愛相談といいつつ冗談で恋愛話を持ちかけ、からかい半分で部室を訪れる連中も少なからずいた。
「いつ、どこで彼と会いました」
気を取り直し僕は質問を続けることにした。
「昨日、会いました」
「どこで」
「夢の中で」
僕は言葉を失っていた。
「彼と私は不思議な世界に迷いこんでいました」
空いた口がふさがらない。
「それでどうなりました?」
返答に困る僕に美優が助け舟を出してくれた。
過去にもアイドルに恋をした生徒の相談に応じたことがあった。やんわり断ったが、気持ちは理解できた。僕だって可愛いアイドルに心をしょっちゅう奪われそうになる。