恋愛部奔走中

「用紙の記入をお願いします」

 鞄からピンクのペンケースをとりだしたユキが、並べられた鉛筆の中から一番長いものを選んだ。流れていく指先がリズムを刻み、用紙に文字を奏でていく。まもなく演奏を終えた手がゆっくり用紙を返してきた。

「新藤由紀」字は体を表す。細いけれど力強く、バランスのとれた美しい文字たちがマス目に丁寧に埋め尽くされていた。由紀が思いを寄せる幸運な男子に興味をひかれ異性欄に目を走らせた。

「空欄になっていますが」

「名前、わからないから……」

僕は美優に合図を送る。美優がノートパソコンを起動させた。パソコンには、全生徒の顔写真入り詳細データを収めた極秘ファイルがある。美優が顔を上げ、準備が整ったのを確認し、僕は異性を特定するため質問を投げかけた。

「まず特徴を教えて下さい」

「私の好きな人は、金髪でブルーの瞳をしています」

「金髪でブルーと」

復唱した美優の手がキーボード上で固まっていた。

「先輩」

 美優に言われなくてもわかる。恋愛に寛大でも、身だしなみには厳しい校則を伝統としてきた東都東高で、金髪の生徒などいるはずがなかった。偉大な先輩たちでさえ「頭髪・服装」という名の牙城を攻め落とすことはできなかった。ハーフの生徒や海外から留学生が来たという話も聞いていない。そもそもそんな目立つ生徒なら「由紀がその気になれば名前ぐらい調べることができたのではないだろうか」疑問が生まれた。

「新藤さん。我が部は東都東高生徒間の恋愛の架け橋を目的とする部です。他校の生徒は対象外というのはご存じでしたか」

「はい」

「それなら、そんな特徴の生徒がいないこともご存じでは」

 皮肉を込めて言ったつもりだったが、由紀は怯まなかった。

「同じ制服を着ていました。絶対、彼はこの高校にいます」

美優が首を横に振る。

嘘だと思いたくなかった。しかし、恋愛相談といいつつ冗談で恋愛話を持ちかけ、からかい半分で部室を訪れる連中も少なからずいた。

「いつ、どこで彼と会いました」

 気を取り直し僕は質問を続けることにした。

「昨日、会いました」

「どこで」

「夢の中で」

僕は言葉を失っていた。

「彼と私は不思議な世界に迷いこんでいました」

 空いた口がふさがらない。

「それでどうなりました?」

返答に困る僕に美優が助け舟を出してくれた。

過去にもアイドルに恋をした生徒の相談に応じたことがあった。やんわり断ったが、気持ちは理解できた。僕だって可愛いアイドルに心をしょっちゅう奪われそうになる。

「夢の中で私たちは……」

 話はまだ続いていた。由紀の外見と発せられた言葉とのギャップにどうしようもない苛立ちを感じていた。百歩譲って、漫画・アニメ・映画の世界の主人公に恋するのはいい。空想とはいえ実際に視覚でとらえることができ、媒体を通じて共通の認識で話をすることができるからだ。でも、夢の中の人物をどう扱えばいい、本人しか姿を見たことのない相手にどう対処すればいい。イラストでも描いてもらうか、真剣に考え始めた気持ちを僕は打ち消した。

「解決策を思いつきました」

一呼吸おき、終わりそうもない由紀の夢物語を遮った。僕は一枚の紙をテーブルに広げ、コツコツと指で叩いた。

「魔法の紙です。あなたの思いを書いて下さい。そして枕元に置き眠って下さい。気持に嘘がないなら、夢でこの紙を彼に渡すことができるはずです」

「魔法のラブレターですね!」

 目を輝かせ疑うことを知らないのか、由紀が紙を大切に鞄にしまう。それ以上の言葉は不要だった。何度も頭をさげ礼をいう由紀を僕らは送り出した。明かりの灯っていない部室で、僕は腕時計に目を落す。青紫色でデジタル表示された時刻は、下校時間をとうに過ぎていた。

 

「先輩。あの魔法、ききめあるんですか」

 まさか。夢物語に付き合うほど僕はお人よしではなかった。毎日のように舞い込む恋愛相談に、いつも真摯な気持ちで対応してきた。高校生活をよりハッピーにするためみんなの恋する思いを叶える努力をしてきた。それなのに「夢の中の人物との恋をとりもってほしい」人をバカにしている。

「ただの紙切れ」

 由紀にあげた物と同一の紙を美優に渡す。紙は何の変哲もないA4コピー用紙、コピー機の力を借りあらゆるものを複写できる魔法の紙。でもそれ自体では何も生み出してくれない。

「かわいそう」

 騙したことを批判したのか、それとも夢でしか恋愛できない由紀を憐れんで咄嗟に口にしたのか、美優の発した言葉の意味を僕はしばらく考えていた。

 

 教室のいつもの席に座る。入口から一番遠い窓側の席、授業開始5分前に関わらず生徒の数はまばらだった。東都東高で「眠り病」たる病が猛威を振るい始めたのがちょうど1か月前、咳やのどの痛みなど風邪によく似た症状が現われ、診察しても原因はわからなかった。そのうち睡魔が患者を襲うようになり、いつのまにか眠ったまま目を覚ますことが出来なくなる。適切な治療法が見つからず、登校する生徒数だけがみるみる減っていった。

 黒板にチョークで「自習」の文字が書かれ、出席を取り終えた担任が教室を足早に出て行く。このところ授業はなく、自習がメインになっていた。無理もない、クラスによっては半数以上の生徒が登校して来ない。授業どころではなかった。生徒の中には、眠り病が発症するかもしれない恐怖に脅える者、呪いや祟りのせいだと騒ぎだす者がさらなる不安を煽っていた。

 暗い気持ちに関係なく、空は気持ちがいいほど晴れわたっていた。雲ひとつなくどこまでも広がる世界に、瞬きするだけで吸い込まれそうになる。

「みんな屋上に行けば、憂鬱さも吹き飛ぶな」その言葉を僕は飲み込んでいた。窓から旧校舎の屋上に立つ人影がはっきり見えたからだ。あの事件が起きて以来、屋上は全て立ち入り禁止になっていた。嫌な胸騒ぎがする。どうしてか、涙で頬を濡らす由紀の顔が浮んだ。

教室を飛び出していた。屋上の人物が誰なのかわからない。もしかしたら見間違いかもしれない。それでも気持ちを押さえられなかった。2年2組の教室から旧校舎までは、一度校庭に出なければならない。二段飛ばしで階段を駆け下り、渡り廊下を全速力で走った。すれ違う生徒はなく、マーガレットが咲き乱れる花壇に目もくれず校庭を抜け、一気に旧校舎の階段を上っていく。鍵の掛っていない屋上の錆びついたドアがきしむ。力いっぱい押すと鈍い音とともに光がドアに差し込んできた。

屋上にはフェンスの網目に手を絡ませ、驚いた様子で振り向く由紀がいた。

T-99
作家:T-99
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