恋愛部奔走中

「夢の中で私たちは……」

 話はまだ続いていた。由紀の外見と発せられた言葉とのギャップにどうしようもない苛立ちを感じていた。百歩譲って、漫画・アニメ・映画の世界の主人公に恋するのはいい。空想とはいえ実際に視覚でとらえることができ、媒体を通じて共通の認識で話をすることができるからだ。でも、夢の中の人物をどう扱えばいい、本人しか姿を見たことのない相手にどう対処すればいい。イラストでも描いてもらうか、真剣に考え始めた気持ちを僕は打ち消した。

「解決策を思いつきました」

一呼吸おき、終わりそうもない由紀の夢物語を遮った。僕は一枚の紙をテーブルに広げ、コツコツと指で叩いた。

「魔法の紙です。あなたの思いを書いて下さい。そして枕元に置き眠って下さい。気持に嘘がないなら、夢でこの紙を彼に渡すことができるはずです」

「魔法のラブレターですね!」

 目を輝かせ疑うことを知らないのか、由紀が紙を大切に鞄にしまう。それ以上の言葉は不要だった。何度も頭をさげ礼をいう由紀を僕らは送り出した。明かりの灯っていない部室で、僕は腕時計に目を落す。青紫色でデジタル表示された時刻は、下校時間をとうに過ぎていた。

 

「先輩。あの魔法、ききめあるんですか」

 まさか。夢物語に付き合うほど僕はお人よしではなかった。毎日のように舞い込む恋愛相談に、いつも真摯な気持ちで対応してきた。高校生活をよりハッピーにするためみんなの恋する思いを叶える努力をしてきた。それなのに「夢の中の人物との恋をとりもってほしい」人をバカにしている。

「ただの紙切れ」

 由紀にあげた物と同一の紙を美優に渡す。紙は何の変哲もないA4コピー用紙、コピー機の力を借りあらゆるものを複写できる魔法の紙。でもそれ自体では何も生み出してくれない。

「かわいそう」

 騙したことを批判したのか、それとも夢でしか恋愛できない由紀を憐れんで咄嗟に口にしたのか、美優の発した言葉の意味を僕はしばらく考えていた。

 

 教室のいつもの席に座る。入口から一番遠い窓側の席、授業開始5分前に関わらず生徒の数はまばらだった。東都東高で「眠り病」たる病が猛威を振るい始めたのがちょうど1か月前、咳やのどの痛みなど風邪によく似た症状が現われ、診察しても原因はわからなかった。そのうち睡魔が患者を襲うようになり、いつのまにか眠ったまま目を覚ますことが出来なくなる。適切な治療法が見つからず、登校する生徒数だけがみるみる減っていった。

 黒板にチョークで「自習」の文字が書かれ、出席を取り終えた担任が教室を足早に出て行く。このところ授業はなく、自習がメインになっていた。無理もない、クラスによっては半数以上の生徒が登校して来ない。授業どころではなかった。生徒の中には、眠り病が発症するかもしれない恐怖に脅える者、呪いや祟りのせいだと騒ぎだす者がさらなる不安を煽っていた。

 暗い気持ちに関係なく、空は気持ちがいいほど晴れわたっていた。雲ひとつなくどこまでも広がる世界に、瞬きするだけで吸い込まれそうになる。

「みんな屋上に行けば、憂鬱さも吹き飛ぶな」その言葉を僕は飲み込んでいた。窓から旧校舎の屋上に立つ人影がはっきり見えたからだ。あの事件が起きて以来、屋上は全て立ち入り禁止になっていた。嫌な胸騒ぎがする。どうしてか、涙で頬を濡らす由紀の顔が浮んだ。

教室を飛び出していた。屋上の人物が誰なのかわからない。もしかしたら見間違いかもしれない。それでも気持ちを押さえられなかった。2年2組の教室から旧校舎までは、一度校庭に出なければならない。二段飛ばしで階段を駆け下り、渡り廊下を全速力で走った。すれ違う生徒はなく、マーガレットが咲き乱れる花壇に目もくれず校庭を抜け、一気に旧校舎の階段を上っていく。鍵の掛っていない屋上の錆びついたドアがきしむ。力いっぱい押すと鈍い音とともに光がドアに差し込んできた。

屋上にはフェンスの網目に手を絡ませ、驚いた様子で振り向く由紀がいた。

「落ち着いて、もう一度考えるから」

 僕は必死だった。いい加減な対応をした己を悔やんでいた。夢に恋をしたっていいではないか。気持ちに嘘がないなら。

「僕も一緒に彼を捜す」

 脇腹を押さえ息を整えながら、慎重に由紀に歩み寄る。大粒の汗が額から流れ落ちていく。手でぬぐう僕に、由紀がハンカチを差し出してきた。

「拭いて下さい」

 予想していた展開と異なりのけぞってしまった。「来ないで」「死んでやる」負の会話を想像していた僕の脳内が弾け飛ぶ。由紀は至って冷静だった。馬鹿げたとりこし苦労に笑いが込み上げてきた。

「何がおかしいんです」

「別に」

「それより、ありがとうございます」

「何のこと」

「ラブレター、渡すことできました」

「ひええ」

 変な言葉を発してしまった。全身から吹き出す汗が止まらない。

「昨日、教えてもらった通り魔法の紙に思いを綴り、枕もとにおいて寝たら。何と、彼に会うことができました。だから思いきって、ラブレター渡しちゃいました」

「よかった」

 嬉しそうに話す由紀につられて、とんちんかんな返事をしていた。もしかして、不思議ちゃん? 関わらない方がいいかもしれない。ただ、どうしても気になることがあった。

「なぜ、屋上にいるの?」

「彼と会うんです」

「ここで」

「はい」

 はちきれんばかりの笑顔で、由紀がグリーンの携帯を突き出す。メールの文字が画面に映しだされていた。

『手紙ありがとう。気持ち受けとりました。明日午前10時、旧校舎の屋上で待っています』

 メールを読む僕の耳に、一時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 誰かのいたずらだろう。由紀の友だち、もしかしたら自作自演の可能性だってある。夢の中からメールが送られて来る。考えればありえないことだとすぐに気づくはずだ。

 由紀は腕時計をしきりに気にしていた。後1分もすれば犯人がわかる。休み時間になって校庭に出てくる生徒の姿はなかった。

「このこと誰か知ってる」

「いいえ」

 腕時計に視線を向けたまま由紀が答える。

「メールアドレスを、彼はどうして知っているの」

「ラブレターに連絡先を書いておいたから」

「なるほど」

 悪びれず返答する由紀の携帯から着信音が流れてきた。画面を確認する由紀が携帯を胸に押し当てた。

「彼がもうすぐ来る」

由紀が周囲を見回す。僕まで彼が来るのではないかとドアに向き直っていた。目の前を横切る由紀が、ドアに吸い寄せられていく。さっきまで聞こえていた屋上を吹き抜ける風の音が止み、鋼鉄のドアがゆっくり開かれた。

信じられなかった。制服を着た男子生徒が立っていた。金色の髪をかきあげ由紀の前に約束通り現れた生徒は、僕と同じ海のように深いブルーの瞳をしていた。

T-99
作家:T-99
恋愛部奔走中
0
  • 0円
  • ダウンロード

5 / 18

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント