それから、一年。瀬戸は高校を卒業し、地元の大学に通う大学生になった。
あの不思議な出来事から、時間が過ぎ去っていくうちに記憶が揺らいでかすんでいくのを感じていた。
最初はなんとか覚えていようと、紙に書きだした。しかし、書こうとするたび、風のようにすり抜けていき、
結局本当になにもかも忘れそうになったので、止めた。
時が過ぎ去るままにしようと、思ったのだ。
またいつかそのときがきたら思い出せる、そう思い日々を過ごした。
樫原が瀬戸にあてた手紙も確かに机の引き出しにしまったはずなのに、消えていた。
そして―・・・その思い出は記憶の深い所に隠されてしまったようだ。瀬戸が卒業するころ、もう何も思い出せなかった。
不思議な夢を見た。
それはまるで映画のような夢だった。
内容もなく、ただ色んな場面が映っては消えを繰り返す。
その夢には色も無く、音もなかった。
ただ、一貫して映像に出てきていたのは一人の男だった。
男は不思議な機械に乗って世界中を旅していた。
瀬戸は、その男にも機械にも見覚えがあった。けれど彼の名前が思い出せない。
「・・・・!」
口を開いて声を出そうとしているのに、音にならずに消えていく。
するとまるで声が届いたかのように男が後ろに振り返る。
男と瀬戸の目が合う。
瞬間、瀬戸の意識はそこで途切れた。
目が合った時、男はとても優しい笑みをこぼしていた。
ふ、と意識が戻って目をあける。どうやらいつの間にか寝ていたらしい。
両腕を上に伸ばし、肩をまわして凝りをほぐす。
正面の教卓には教授の姿がなく、周りを見渡しても誰もいなかった。
腕時計に目をやると、講義が終了してから十分も過ぎている。隣で一緒に受けていた友人は瀬戸を起こすことなく出ていったらしい。
「せめて、起こすぐらいはしてくれよ・・・」
がっくりと項垂れていると、ジーンズのポケットに入っていた携帯のバイブがうなる。
取り出してみてみると、メールが一件来ていた。
『件名:ねぼすけ瀬戸ちゃんへ
おはよう、よく眠れたかな?
俺が何回も呼びかけても起きなかったのでほったらかしにさせてもらった。
悪く思うなよー、あと、先に母校に行ってるぞ。
お前も起きたらすぐ来いよー』
ぱくん、と携帯を閉じる。一応起こそうとはしてくれたらしい。
「・・・あー今日学校行く日だったのか」
友人と母校である高校の部活に顔を出す約束をしていた事を思い出した。
「あ、そういえばさっき何の夢見てたっけ・・・」
なんだかやけになつかしい、誰かが笑っていた気がするのだけど。
「まぁ、いっか」
瀬戸は、講義室を出た。
―・・・時は瀬戸が大学に入学してはや三年がたっていた。
今年、母校のサッカー部がインターハイに出場すると聞いて、友人が久しぶりに顔出してみようぜ、と言ってきて承諾したことをすっかり忘れていた。
今いる後輩たちは誰一人として瀬戸達を知っている者はいない。だから練習を見に行くのはあくまでおまけで、顧問の先生に会いに行くのが目的だった。
瀬戸と友人が通っている大学は自宅からも高校からも近いところにある、地元の大学だ。
電車で一駅。そこからは歩いて母校に向かう。
歩く道すがら、瀬戸は先ほど見た夢を思い出そうとしていた。やはり気になってしかたがなかった。
「なんかすっげー懐かしい夢だった気がするんだけどなぁ・・・」
浮かんでくるのはもやもやとした形のないものばかり。
ただ誰かがとても優しい眼で笑っていたような気がする。それが誰だか思い出せない。
母校に着くと友人が校門で待ってくれていた。
遅くなって悪い、と一言詫びて、まずは顧問にあいさつをするため校舎の中に入って行った。
顧問や、瀬戸達と同じく顔を出しに来ていたかつてのチームメイトと話し込んで数時間。
そうこうしているうちに、部活が終わったらしく、瀬戸達もそろそろお開きにしようということになった。
友人は「今日俺バイトあるから先帰るわ!」と言って帰って行った。
瀬戸も帰ろうとして、ふと空を見上げた。空と錆びたフェンスで囲まれた屋上。
「久しぶりに行ってみるか」
下校時刻もすぎて、校舎の中はがらんとしていた。
窓の外を見ると、向かいに旧校舎が見えた。
瀬戸が卒業するまであった旧校舎は、予算のめどがたったのか綺麗に改築されていた。
「旧校舎綺麗になったんだな」
瀬戸はそこである事を思い出した。瀬戸がまだ高校二年生だったころ、友人とお化けが出るといううわさを確かめに旧校舎に入ったことを。
「あれ、そういえば俺たしかあのあと」
どうなったんだっけ・・・?
どくどく、と心臓の鼓動がやけにはやく感じる。何か、大切なことを忘れている気がしてならなかった。
友人が怖がって先ににげて、それから、
頭の中に、映像がフラッシュバックしていた。
科学室。青い光、謎の機械。そこに座っている一人の少年
「誰だ・・・、思い出せ、」
歩く足がだんだんかけ足になり気がつくと瀬戸は走っていた。
たくさんの映像。森の中。廃墟の街。赤い月。
「っ誰だ、俺はあいつと、一緒に」
冷たい眼、温かい眼、感情の読み取れないあいつの顔。それ以上に思い出すのは一緒に過ごした時にみせた優しい顔。
あいつは、未来からやってきたと教えてくれた。
あいつのいた世界は、誰もいない寂しい所で、たとえるなら世界の終りのような場所で。
でもこっちに来て俺と一緒にすごしてから、すこしずつ話すようになって笑うようになって。
あいつは、俺が作ったおにぎりが好きだった。初めて出会った時なんか三つも食ってて。
そして昨日の夢で笑いかけてくれた、あいつ。
見つからなかったアルバムが、瀬戸の目の前に現れた。走馬灯のように、流れてくる記憶。
いつしか、瀬戸は完全に思い出していた。彼と過ごした日々を。
「そんで、最初にあった場所がここだったよな。・・・樫原」
瀬戸はその場所に通じるドアの前に立っていた。瀬戸と樫原が最初に出会った場所。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。
鍵は、かかっていなかった。
ぎぃ、と軋んだ音が響きドアが開く。
ぶわ、と風が吹き込み、瀬戸は屋上へと出た。
目の前に広がるのは、夕闇せまる空ばかりで。
なぜかすごく胸が苦しい。痛いくらいだ。
辺りを見渡す。だが、
「・・・やっぱ、いないよな」
期待はしていなかった。けれどやはりいないとわかると苦しい。
「いつまで待たせるつもりだよ」
誰もいない屋上で空を見上げながら言う。空のそのさらに向こうの遠い未来にいるはずの樫原に向かって。
―――一度、眼を閉じ、ゆっくりと瞼を開けた。
するとなぜか視界が真っ暗になっていた。瞼に体温を感じて目を誰かにふさがれている事に気づく。
誰、と声を発する前に耳元で、懐かしい声が鼓膜を震わせた。
「ここは、立ち入り禁止だよ。―・・・どうして君はここにきたのかな」
初めて会った時と同じセリフ。けれどその声はどこまでも優しく、温かい。
瀬戸はその声の主を知っていた。
「・・・おせぇよ」
くす、と笑う声が聴こえ目の前からゆっくりと手が離される。
頭の中で、いろんな言葉が浮かんでくるがそのどれも口にすることはできず、結局言えたのはその一言だけだった。
他にも言ってやりたいことがあるが、それは後でいっぱい聞いてもらうことにする。
後ろの人物は、瀬戸の返事を待っているようだった。
あの時の約束は今、果される。
また、この場所から、始まる。
最初に出会ったあの時と同じく、言葉に応えるべく瀬戸はゆっくりと後ろを振り返った。
「おかえり」
あの時よりも大人びた顔が、ほほ笑えんだ。
「ただいま」