父と娘

 万引き事件

 

 夏休みに入ると例年ならば研究室でロボ助手のキャサリンと宇宙についてだべっているのだが、今年の拓也は書斎にこもり田舎に帰ってからの計画を立てていた。ドクターの紹介で博多区にある大手予備校の数学講師の職が本決まりになり、初めて感じるほんわかした心に浸っていた。手始めに大型二輪の免許を取るために自動車学校のホームページを眺めていると、一昨日の野駄教頭の間抜けな狸のような顔が浮かんできた。

 

 一昨日は瞳に頼まれ、麗子の妹、理恵が通う聖心女子中学校に出向いた。事の次第は理恵の万引き事件であった。この中学校は多額の寄付金を要求する中高一貫校のお嬢様学校であり、桂学校法人系列の一つである。桂コーポレーションは原爆の材料となるプルトニウム239を製造販売する世界的な武器製造企業である。一方、教育産業においても多額の投資を行っていて、自社に送り込む優秀な人材を育成している。

 

 瞳は万引き事件をもみ消すには自分では役不足と思い、拓也にお願いしたのだ。身内でない第三者がでしゃばるのは、逆にことをややこしくしてしまうのではないかと乗り気ではなかったが、万が一、理恵が退学にでもなったら今まで払ってきた多額の寄付金が水の泡となってしまうと涙目で悲しむ瞳の姿を見ては引き受けざるをえなかった。もし、この件で寄付金を要求されたならば素直に「お受けいたします」と丁寧に応答するように、念を押されていた。

 中学校の正面玄関の左手にある受付に挨拶すると教頭に面会したい旨を伝えた。しばらくするとひょろっとした背の高い陰険な男が靴音を鳴らしてやってきた。金縁の眼鏡をかけた42,3歳と思われる男は上から目線で睨みつけるように拓也を見下ろした。教頭は予約されてない業者とは面会しないと強い口調で言い放ったが、低調に頭を下げて今回事件を起こした北原理恵の件で謝罪に伺いました、と小さな声で申し出た。

 

 一瞬、教頭は顔をひきつけると再度名前を確認した。その件に関してはどなたとも一切面会しないことになっていますと教頭は早口に言ったが、しばらく待つようにと言って小走りに校長室に飛び込んでいった。教頭は鬼の首でも取ったような手柄話でもするかのように口元を右上に引き上げ、校長のデスクの前に立つと笑顔をつくりささやくように話した。「万引き見張りのバカ北原の叔父さんというのがやってきました。いかがいたしますか?」

 

 校長は雑誌プレジデントの表紙を飾った桂会長のアップから目を離すと、またか、と言う顔をして大きく胸を張った。「この件に関してはお話しすることはできません、といつものように追い返しなさい」校長はにんまりと教頭にささやいた。「いつもの手ですね、はい」教頭は校長に一礼すると玄関に向かった。拓也は追い返されるのではないかと覚悟を決めていたが、瞳の涙眼を思い浮かべると土下座してでもお願いする決意を固めた。

 

「関拓也さんとおっしゃられましたね、申し訳ありませんが、校長より例の件に関しては職員会議で決定いたしますので、今日のところはお引き取りくださいとのことです」教頭は寄付金を払えば軽い処罰で済ませてあげましょうと言うようなにやけた顔をした。拓也は要求される寄付金を払う覚悟で出向いていたので、腰を90度に折って頭を下げた。「お願いいたします、5分でかまいません、校長に面会お願いします」拓也は丁寧にゆっくりと声を発した。

 

 教頭はうまく行ったといった顔を見せると「このことは他言されないように」と言って応接室に案内した。案内された拓也は白いソファーに腰掛けると借りてきた猫のように小さくなって壁の校訓に眼をやった。どうでもいいような教訓であったがあまりにも時代錯誤の教訓に噴出した。この学校は“日本を代表する女性を育成する”と言ったうたい文句でテレビ雑誌に登場し、桂コーポレーションの売名に貢献している。

 

~ 校訓 ~

 

 一、処女を宝とし、清い身体で恋愛しなければならない。

二、学問と芸能活動を両立させなければならない。

三、学校の名誉のために日々研鑽をしなければならない。

 四、桂コーポレーションの発展のために最高の技術を習得しなければならない。

 五、目上に対し、ため口ではなく、敬語を使わなければならない。

 

 六、教師との恋愛は決してあってはならない。

 七、妊娠した場合、けっして堕胎をしてはならない。

 八、子供は託児所に預け勉学に励まなければならない。

 九、四ヶ月に一度の健康診断を必ず受けなければならない。

 十、神への感謝を心がけなければならない。

 

暇つぶしに、拓也はメモ帳を取り出すと校訓をメモった。今最も若者に指示されている、ミュージカルユニットKTR48は桂コーポレーションのヒット作品になっていた。KTR48は脱原発と題した公演を全国各地で行い好評をえているが、桂会長の矛盾した行動に納得がいかなかった。プルトニウム製造のカモフラージュをやっているようで気に食わなかった。

 

拓也が大きなあくびをしていると、ノックが三回なった。目をギョロッとさせた教頭は入ってくるなり、「桂会長と対談された数学教授の関様でいらっしゃいますね」教頭は拓也の右斜め前に腰かけるとコーヒーを差し出した。「はい」拓也は身元を明かしたくなかったが、嘘をつくわけには行かなかったので素直に返事した。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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