身代わり

 TPPは農民を苦しめ、貧乏人が増えるんじゃないかと直人が言ったところ、政代はアメリカに肩を持つようなことを言った。日本はアメリカによって栄えてきたんだから、アメリカが有利になるように協力しなければならない。アメリカが富国化すれば日本も比例して富国化するようになっている。自由貿易共同体を作っていけば核武装もしなくて良くなる。アジア諸国は、できる限りアメリカの州になったほうが、国民は幸せになる。日本が率先してアメリカの州になるべきだ。

 

 この意見には直人も目をむいた。確かに日本は戦後アメリカの庇護の下に繁栄してきたことは確かだが、アメリカの州になって本当に得なのだろうかと思った。さらに、政代が言うには、憲法第条九条「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」はアメリカとの日米安全保障条約が在って初めて実現するものだから、アメリカあっての日本の平和と言える。世界の武装平和を維持するためにも各国の核実験は必要で、それによる大陸、海、大気の放射性物質による汚染はやむをえない。

 

 すでに、世界は汚染され、今後ますます人類は内部被曝していくから、国家は被爆者のための福祉に力を入れていかなければならない。また、ほとんどの海産物、農産物には放射能が含まれているから、被曝しないための食料確保が特に大切だ。世界各国は一致協力して、アメリカを中心に被曝世界における政治を考えていかなければならない。最初、政代の言っていることは大げさだと思っていたが、考えれば考えるほど政代の考えが正しいように思えてきた。

 政代は将来代議士になるんじゃないかと思った。雄弁で闘志がみなぎっている。直人にない才能だと思った。彼は物静かで人前で話すのは得意ではない。子供のころから一人でこつこつといろんな本を読んで勉強するタイプであった。友達とディスカッションをしたことは一度もなかった。政代と出会って初めて自分の意見を言うようになり、他人の意見に耳を傾けるようになった。

 

 政代のように自分の意見を持った友達はいなかった。周りの友達とはAKB48、ゲーム、スポーツ、部活の話し以外したことがなかった。政治経済の話をする友達はいなかった。直人は医者になりたい夢を持っていたが、友達にも両親にも言ったことはなかった。確かに、こつこつ勉強するのは得意だったが、現実に医者になれるとは思っていなかった。夏美との出会いがいつしか医者になることを夢見させていたのだ。

 

 白血病の夏美は小学校4年生のときに長崎から引っ越して西区のM小学校にやってきた。直人と同じクラスでしかもマンションが同じであった。夏美は小学3年生のときに骨髄移植を受け、ほぼ完治した状態であった。だが、小学校5年生のときに再発し、病状が急激に悪化すると突然他界した。そのときから、直人にとって夏美との学校生活は忘れられないものとなった。夏美のことは政代には一切話していない。

 11時25分、もうそろそろ政代が現れる予感がした。政代は荒戸のマンションに住んでいて、いつもママチャリでやってくる。ピンクのママチャリが直人めがけて突っ込んできた。「Just in time! 」いつもの口癖で笑顔を見せると、スタンドを立てた。直人の横に腰かけると大きな目をむいて肩をぽんと叩いた。「元気だしなよ、最近、暗いよ。サンドイッチ作ってきたから、ハイ」直人にたまごサンドを手渡した。

 

 「9月の実力テストのことを考えていたんだ。君は秀才だから心配ないだろうけど、僕は怖いんだ。順位が落ちたら絶望だよ。どうしよう」ボソッと言い終えるとサンドにかぶりついた。「直人君は理系、文系、どっちにするの?まだ悩んでいるの?」政代は直人の顔を覗き込んだ。「そうだよな、困ったな~、かっこよく医学部志望と言いたいところだけど、今の成績じゃ、無理だし。かといって、他にはっきりした目標もないし。親は国立だったらどこでもいいから、頑張りなさいって言っているけど、いやだ、いやだ、」直人は医学部以外行きたくなかったが、浪人はしたくなかった。

 

子供のころから勉強は好きだったが、特になりたい職業はなかった。どこかの大学に合格できても成り行きで就職するに違いないと思えた。就職難で公務員になるのも大変だと先生たちも言っていた。親は市役所を勧めているが、市役所も狭き門なのだ。直人はいったい自分はどんな大人になるんだろうと、ぼんやりした不安がいつも頭をめぐっていた。もし、企業に就職できたとしても何のために働くのだろうと思うと、脱力感が全身を襲ってきた。

「少し、悲観的過ぎない、まだ、医学部がだめになったわけじゃないし、いま、あきらめることないんじゃないかな。医学部を目指しなよ。先のことは誰にもわかんないんだから。だけど、直人は医者って柄じゃ、ないようだけどね、どうして医者になりたいの?」政代はなぜ医者にこだわるのか不思議に思っていた。人助けの仕事をしたいことはわかっていたが、それだったら医者にこだわらなくてもいいと思った。薬剤師、先生、地方公務員だって人助けになる職業と思えたからだ。

 

 直人はこの質問が一番いやだった。だから、友達にも医者になりたいとは言ったことがなかった。医者になりたいと言ったのは政代が始めてであった。小学校5年生のとき子供心に「将来、僕が医者になって夏美を元気にしてあげる」と密かに誓ったのだった。このことが医者を目指す最大の理由であった。このことは誰にも言いたくなかった。政代にも言うつもりはなかった。小児癌の子供を救いたいとは夏美のことだった。ただそれだけだった。「あ~、小児癌の子供を救いたいんだよ。夢だけど」空を眺めてつぶやくように返事した。

 

 「そ~、癌を治療する薬を開発するのはどう?少しランクを落として薬学部ってのは?」政代は進路の話しに戻した。なぜ、小児癌にこだわるのか不思議に思ったが、身内の誰かが小児癌で亡くなったのではないかと思い、癌についての質問はしないことにした。「薬学部か?確かに、これも一つの方法だな。なるほど」直人は黙り込んでしまった。「ね~、もう、好きな子見つけた?」政代は話を替えて直人を元気付けることにした。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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