一体どれぐらいの玉を斬りつけたのだろうか。
最初のころは、斬った彩玉の数を数えていたが、百に届かない程で、数えるのをやめてしまっていた。はたして、数を数えることが、何か意味を持つのであろうか。いいや、持つわけがない。この世界では、必要がない。ただひたすらに彩玉を斬りつけていればよいのだ。ここでは、それだけが意味を持つのだ。
私は、欲望のままに斬り続けていた。それは、この世界の快楽であり、世界への恍惚であり、すべてであった。
だが、どれぐらいの玉を斬りつけたかは分からないが、ある時、この世界は私一人だけのものではなくなった。
いつものように、色玉が彩玉に変わる様子をじっと見つめていた時のことであった。何を言われたのか、うまく聞き取れなかったのだが、突然、後ろから声をかけられたのだ。
振り向くと、どこから現れたのか、一人の男が立っていた。左手には盾を持ち、風貌から、私よりも幾分か大人びているようであった。そして、男は、「クロ、もうずいぶん楽しんだか?」と私に向かって言った。
「『クロ』? それは私の名前か?」と私が聞くと、男は、「そうだ」と言った。
「お前は誰か、どこから現れたのか、そして、なぜここにいるのか?」と私が続けて聞くと、「お前が『クロ』ならば、俺は『シロ』だ」と男が言い、「どこから現れたのかは私にもわからぬが、きっと『主』のお目覚めなのだ。お前を止めるために俺は存在する」と続けて言った。
「『主』? 私を止める?」
私は、「シロ」と名乗る男の言うことが理解できなかった。理解しようとしても、この世界にはあまりにも真実を知りうることのできる道具が欠けていた。
私がしばらく口を紡ぎ黙っていると、しろが言った。
「クロ、お前は主に生かされているにすぎない。もちろん俺もそうだ。それは、この世界が主のものだからだ」
「主に生かされている?」
「そうだ」
その後、シロは常に私の近くに居続けた。何度かシロの言ったことの意味を考えてみたが、私は理解ができずにいた。シロに意味を尋ねてみても、一向にシロは口を開かなかった。シロはただ、「玉を斬り続けろ」とだけ言った。
しかしある時、いつものように、丸々と大きくなった彩玉を斬りつけようとした時、シロが彼の盾で私の剣を止めた。一瞬、私は戸惑い、剣を握る腕の力を緩めた。しかし、私の衝動は止まらなかった。私の衝動は、もはや狂気であったのだ。
私は力を再びこめて、シロの盾を斬りつけた。しかし、盾はびくともしなかった。シロの盾の腕は完璧のようにみえ、盾にキズ一つ付けることもできなかった。
「この盾は、主の意志の硬さだ」とシロは言った。
私が彩玉を斬らなかったのは、この時が初めてである。丸々と大きくなった彩玉を放っておくと、やがて、爆発した。そして、元の無数の色玉になった。私の狂気は、だんだんと薄れていったが、何か引っかかりを感じていた。
「クロ、俺はお前を止めると言った。これが、ここでの俺の役目だ」とシロは言った。
シロは、私の衝動を止めずにいることも多々あった。ときどき止めに入るときは、決まって私が折れた。いつも抵抗はするのだが、シロの守りは完璧だった。ただ、引っかかりが、だんだんと大きくなっているように感じた。
「お前は俺を斬ることはできない。俺を斬りつけてしまえば、主は主でいなくなってしまうからな。主が主でなくなれば、お前もどうにかなってしまうだろう」とシロは言う。
「どうにかって?」と私が聞いても「俺にも分からない」と言った。
何度かお互いに、ここでのお互いの作業をして、シロが「これで百回目だ」と言った時のことだった。
シロに止められて普段なら薄れていく狂気が、薄れることなく、逆により膨れ上がったのだ。斬りつけようとした彩玉は、今までで、いちばん大きいもののように思えた。私は、シロへの攻撃をやめなかった。やめることができなかった。
シロのいつもの完璧な防御もどこかぎこちないように見え、私の力も、強まっているように思えた。
「そろそろ『主』について教えてはくれないか」と斬りつけながら、私はシロに言った。
剣と楯のぶつかり合う金属音がしばらく続いた後、「わかった」とシロは言った。
「俺とお前は主の中で生きている。主に生かされているというのは、そういうことだ。主の心の作用が、俺たちなのだ。クロ、お前は主の欲望そのものだ。そして、お前が斬る玉は、主の求めるものの塊なのだ。しかし、人間は、ただの動物ではない。人間には理性というものがある。俺は、理性なのだ」
シロからの話で、私はすべてを理解した。なぜだか、シロの言ったことを、すんなりと受け入れることができた。それは、この世界が主のものであって、私たち三人で一人をなしているからなのかもしれない。
ただ、シロへの攻撃は止められずにいた。シロは、必死になっていた。
「主の欲望が爆発しているのか」
私がそうつぶやくと、シロの盾にひびが入った。それは、理性の崩壊であった。
「俺を殺せばきっと主は生きることができなくなる」
シロは私を説得しようとしたのだろうが、私の答えはもう決まっていた。
「主は、人間である前に、動物なのだ。動物ならば、欲望のままに生きることしかできないのだ」
シロの盾が大きな音を立てて割れた。そして、シロの胸を剣で斬り裂いた。シロは最後に鬼のような形相を見せた。
そして、私は狂気のままに膨れ上がった玉を斬りつけた。
(了)