「ツクツクボウシ」が9月になっても鳴いてるのは残暑が厳しいから?
地球の温暖化のためとも考えられますね。
「ヒグラシ」はあまり詳しく知らないのですが、高地(または少し気温の
低いところ)にもともと生息していたのでしょうか?
となると、平地にまで生息地を伸ばしてきたというのは、さっきとは逆に
平地が涼しくなったということでしょうか?
ちょっと原因がわかりにくいですね。
→「肥後の金工」さんより
ヒグラシの移動は植物の植生が変わったのが一因かもしれません。
昔はほとんど雑木林だったところが伐採されて杉檜の林に変わってしまい
ました。棲家を追われて里に来たのでしょう。
近隣の山は手入れができていない針葉樹の林かみかん畑に変わっております。
以前10年ほど前に熊本県人吉市の山林王の方が80才の頃にお会いしたのですが
立派な山ですねと言ったらその老人は
「私は一生かけて自然を壊してきた」と言われました。
良かれ思ってやって来た事がそうではなかったのです。
雑木林を伐り炭を焼きその跡に杉を植えたのです
小作の人が何十家族も山に入り数十年にわたり雑木林を杉山に変えてきたのです。
小作のいるところに山の分校があったと話しておられました。
最近やっとお国も間違いに気が付いて雑木林を作り始めていますが一朝一夕
には回復しないようです。
→Fujikenより
森林伐採による生態系の変化と、植林は、環境問題として今はとても
大きな問題になっていますね。メールありがとうございました。
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■今日のテーマ 「科学史『生命の探究』」 2004/9/21 No.200
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古代の人々は魂を生命の源であると考えていました。
古代エジプトでは、死とは魂と肉体が分離することであり、魂は永遠のものと
信じられていました。
魂は帰るべき肉体があれば、一体化して永遠に生き続けることができるのです。
そこで遺体を完全に保存するためのミイラがつくられたのです。
ギリシャのアリストテレスは、様々な生物の観察を行い「生物学の祖」ともよ
ばれています。彼は、50種の動物を解剖し、300種の動物を分類しました。
(この時、クジラをほ乳類に近いものと位置づけています。)
しかし、アリストテレスも霊魂を用いて、生物と無生物を分類しています。
霊魂を用いて生命活動を説明することは、17世紀まで続きました。
1500年ごろ、レオナルド・ダ・ビンチは精密な人体解剖図を作成し、
1590年ごろ、ヤンセン父子が顕微鏡を発明し、新しい生命の探究が始まりました。
1628年、イギリスのハーベイは「血液循環説」を発表しました。
血液が心臓のポンプ作用によって体中を循環しているというもので、
動物の体のはたらきについて初めてなされた合理的な説明でありました。
1600年代に入ると、偉大な顕微鏡観察者が何人も現れ、生命の本質につい
ての概念は革命的に変化しました。
オランダのレーウェンフク(1632~1723)は200倍以上に拡大できる精巧な
レンズをつくり、顕微鏡を広く普及させました。
はじめて動物の精子や微生物の研究をしたのがレーウェンフクです。
イギリスのロバート・フック(1635~1703)が1665年に著した『顕微鏡図譜』
には、鉱物、植物、動物のみごとな図が納められています。
なかでもコルクの構造図は重要で、有名です。
彼は、細胞壁がつくる小さな無数の部屋を「cell」と名付けました。
それはのちに、「細胞」を意味する語となりました。