ひねもすのたり

南相馬さいがいfmで読まれた投稿~あの方はご無事か?(nhkラジオ深夜便に電話出演なさっていた男性)

皆様こんにちは。放送ご苦労様です。
 
ところでテーマとは関係なく申し訳ないのですが、たぶん相馬の方面にお住まいで何年か前のnhkラジオ深夜便で、電話で定期的にお話しになっていた男性は今頃ご無事だろうか?となんとなく思っています。
何もかもうる覚えなのですが、確か野馬追のお祭りのお話をなさっていて、
なるほど変わったと言うかすてきなお祭りもあるもんだなあと、もちろん震災が起ころうとは思いもせずに夜中のラジオを聴いておりました。
本来ならばnhkに問い合わせるべきところ、たまたまこのラジオに出会いましたので、あえてこちらへお便りを書かせて戴きました。失礼でしたらお詫び申し上げます。
何しろその方のお名前もまったく分らず、ただ歳は私と同じくらいか少し上の方かなあと思っております。
よろしくお願い申し上げます。
 
ありがとうございました。
 

何より更なる再生可能エネルギー研究・開発・促進政策を!

原子力発電反対!
停止中の原子力発電所等再稼働反対!
東電の余剰見込み電力をもっと西へ融通すべき!
また使用済み核燃料などの安全策を!

何より更なる再生可能エネルギー研究・開発・促進政策を!
現在は水力などを含めてもほんの少しに留まっている自然エネルギー・再生可能エネルギーの研究開発などに今までの原子力に注いできた力並みに集中的に行うべきなのは言うまでもない。
また、大量生産大量消費の経済哲学の根本的転換も同時に!
地球は有限であり、私たちは無限に"成長"出来るわけではないことを認識しましょう。

 

資本主義の結末、それは富の偏在だったー地球は有限であることを知るという哲学

ある意味資本主義という哲学の時代は終わった。

その結末は要するに富の偏在であった。

グローバリズムの目的は世界の平準化であったはずなのだが、

資本主義の結末、つまり経済のグローバリズムがもたらしたものはその逆の経済の二極化であった。

そして大量生産大量消費の時代でもあった。

ある意味共産主義などの「敵」が居ない一人相撲の結果勝手に「負けて」しまったのである。

その主な原因は私たちは地球がさまざまな意味で有限なのにも関わらず、

どこまでも無限に経済などが成長出来ると思い込んでいたということではないだろうか。

しかしどうも政治家、ことのほかTPP参加派の政治家などは いまさらのように右肩上がりの経済成長の時代に見切りをつけられないようだ。 何の幻想を追い続けているのか? もちろん昔を忘れられないのは理解できる。 しかし少なくとも政治家たるものは未来を見据えなければいけない。 もうとうに経済成長や経済のグローバリゼーションの時代は終わったのである。 そんなことも認識できない人間は今すぐ政治家をやめるべきである。 たとえばの話、 人口減少や高齢化が今すぐに止められなければ、 もう経済成長など夢見るべきでない。それはもう手遅れだ。

重要なことはたとえば人口爆発などによる食糧やエネルギーの限界を知ることであり、

そしてもっとコンパクトな自給圏などの経済地域的概念を導入することではないのか。
つまり食糧、エネルギーなどをある程度の地域において自給し、"地域経済"が自立することであり、
大量生産・大量消費の文化をやめて、いわゆる地産地消型の経済圏をそれぞれの地域において確立することである。成長経済からの脱皮はそういった"哲学"に基づいて成り立つのである。

TPPは米による事実上"古い"資本主義復権を狙ったものに過ぎない。 今や脱原発も含めて新しい「哲学の大転換」の時だ。


参考 NHK クローズアップ現代~FEC自給圏(内橋克人氏)

“自給力”

 ~食とエネルギーを自給する暮らしの可能性~

http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3108&html=2

経済の成長は人を幸せにしない 経済哲学者・ラトゥーシュ氏に聞く

2010年7月13日14時36分 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007130317.html
 

幼かった頃

私と妹は二つ違いだ。
今そのふたりともが50歳を過ぎ、そしてふたりともが精神障害者である。
少なくとも私はまったく記憶にないが、わたしたち兄妹はまだ妹が赤ん坊と言ってもいいくらいの頃、それはほほえましい仲の良い兄妹だったと、いつか母が話してくれた。近所で八百屋を営んでいた父の叔母に当たる婆さんの家まで仲良く手をつないで歩いていたそうだ。そんな子供らしいかわいい二人の姿を想像するだけで涙が出てくる。もし神というものが居るとすれば、なんと残酷なのだろう?いまの歳となって私たち兄妹はまるでそのような関係ではないからだ。ある意味では人が大人になるとはつまりはそういうことなのだ。当たり前と言えば当たり前だが、私たちの場合は、互いに病気の分だけその神の残酷さが際立っている。誰よりも両親こそが心を痛めていることだろう。

 

 

 

篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
ひねもすのたり
0
  • 0円
  • ダウンロード

10 / 71

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント