在宅看護師のいけない関係

 看護師の白衣に包まれた、私の胸の大きなふくらみをまさぐる老人の手。
「あっ……ダメですよ、藤堂さん……」
「何を言ってるんだ、今更」
「や、やめてください。お願いです……」
 この人を放り出して、逃げられるものならそうしたい。
 しかし、自分の責務において引き受けた以上、投げ出すわけにもいかない。
 血管が浮き出るほどに痩せ細り、シワだらけの老いた手は、悪びれることもなく五本の指を乳房に這わせた。
「今日もまた、ガッチリした下着を付けているのか」
「えっ?」
「感触が悪くて、愉快じゃないな」
「……」
 私はできるだけ胸元が自由にならない、締め付けるタイプのブラを選んでいた。
 この人だけの在宅看護師である限り、こういったことが避けられないのはわかっている。だけど、毎日のように平然と触られ続けるのは、正直楽しいわけはない。
 そんな私の心情も知らず、老人の指先は気持ちよさそうにボリュームあるおっぱいを揉み始めた。
 そして、影も形も現れていなかった乳首の場所を、白衣の上からピタリと探り当てる。
「あんっ……」
「ここだ、ここだ」
「やっ……」
 老人は満足そうな笑みをこぼす。
「どうだい、感じるだろ?」
 ツンと固くなり始めた私の胸の急所を、年老いた親指と人差し指がつまみ、クリクリと嬉しそうに弄ぶ。
「あ、ちょっと……」
「たまには悶えた声でも出してみんかね。老い先短い年寄りを喜ばすのも、看護師のあんたの仕事だよ」
「……」


 二十三歳の私、山本純香は、藤堂グループ会長、藤堂秀彦氏の在宅看護師として、一か月前からこの大豪邸に勤務していた。
 藤堂家といえば、誰もが知る大財閥グループ。商社、金融、運輸、海外のホテルまで、その事業規模は莫大だ。 
 そして七十八歳を迎えたこの老人こそが、そのグループの頂点に立つ、藤堂秀彦会長だった。
 ワンマン経営者として知られていたが、七年前に脊髄を患い、下半身麻痺となってからはその実権を長男である秀明氏に譲り、自宅で療養を続けていた。
 そしてつい先日のこと、肺炎を引き起こし、私の勤務する大学病院へと搬送されてきたのだ。
 十数日間、特別室の担当看護師として誠心誠意お世話をした。それが気に入ってもらえたのか、退院後も在宅看護師として自宅に来てほしいと打診されたのだ。
 これはもちろん、病院を通しての正式な申し入れだったので断ることなど許されない。また金銭面でも、今以上に優遇してくれるという。
 私はすぐに飛びついた。
 十八の時、突然の事故で両親を一度に亡くした私は、少し歳が離れた、まだ中学になったばかりの弟と二人、支えあって生きてきた。
 親が残してくれた古くて小さな一軒家があったものの、生活は苦しく、私は念願だった大学への進学を諦め、お給料のいい看護師になることにしたのだ。
 病院でバイトをしながら、看護学校に二年間通うという日々。准看護師の資格を取る前も、取った後も、とにかく必死で働いた。
 自分のほしいものなど何一つ買ったことはない。同年代の友達とも遊ばなかった。そんな贅沢、私のような境遇の人間には許されなかったから。 
 そして今年は、特にお金がいる。大学受験を控えた弟の学費を捻出する必要があるのだ。
 弟は小さい時から成績優秀で、ある意味、生き甲斐だった。彼が立派に成長していくのを見るのが、親代わりでもある私の、何よりの希望でもあった。
 こんな節約三昧の、ギリギリの人生だから、もちろんこれまで男性と付き合ったことなどない。
 時には、医師や患者さんに食事に誘われることもあったけど、とても私と弟の未来を託せるとは思えなかった。 
 捨てられるのがわかっていて、遊びで恋愛する余裕など存在しなかったのだ。
 バストが人より大きいことで、軽いだの、男性経験が豊富だのと、噂されることもあった。だが、実際には未だに男性経験はなく、キスさえもしたことがない。
 だから、いくら専任の在宅患者とはいえ、毎日のように体を触られるのは正直苦痛だった。
 大学病院での藤堂氏は、品のいい穏やかな老人という印象だったが、この豪邸に戻ってからは人が変わったみたいだ。
 もしかして私にエッチなことをしたくて、在宅看護師に指名したのだろうか。バストの大きさだけが目的で……?
 そう考えると、少し情けなくなった。

 豪華なシャンデリアがある広々とした寝室に、その老人は横たわっていた。国内最大級サイズの、特別仕様の介護用ベッドに。
 私が体を拭き始めると、決まっておっぱいに触れてくる。
 今日も、両手のひらでふくよかな乳房を持ち上げ、掴むように揉みしだいたかと思うと、その中心を攻めてきた。
「全く、感じないのかね」
「……」
 表情ひとつ変えない私が面白くないのか、藤堂会長はつまらなさそうに聞いてくる。
「あんた、セックス経験が多過ぎるのか、それともないのか、どっちかね」
「えっ?」
「看護師という仕事は、裸や性器を平気で見るから、不感症になる人も多いと聞くが、そうなのか?」
「……別に、そういうわけじゃ……」
「こんな看護師、初めてだよ」
「ということは、別の人にも?」
「これも給与のうちだ」
「そんな……」
 納得いかない彼の論理に、私は少しムッとした。
「しかし……こんなにそそられた女は、あんたが初めてだよ」
「え……」
「あんたには、人の心を惹きつける、魔性の魅力があるからね」
「はぁ……」
 方向性を大きく取り違えている気もしたが、私はちょっとだけ嬉しかった。今まで看護を担当してきた女性と差別化されたのだ。
 私はこの人に、認められている……。
「それに山本さん、私はあんたが心配なんだ。お色気ムンムンの、性的に一番盛んな年頃なのに、そんなに無反応じゃ……」
「え?」
「将来、男をうまく操れないぞ。せっかく魅力あるおっぱいをしてるのに」
「そう、ですか……」
「どうだ、私が開発してやろうか? あんたのこと」
「そ、そんな……結構です!」
 私は逃げるように、老人の体を拭いていたタオルの手
を引っ込めた。しかし遮るように、腕を掴まれる。
 藤堂会長は話を聞く様子もなく、一方的に巨乳を撫でまわした。
「それに死ぬ前に一度だけ、一度だけでいいから……ナマであんたの大きな乳をしゃぶってみたいんだ。ダメかい?」
 さっきは上から目線だったのに、今度は哀願するように見つめてくる。
 実は私は、こういった気力の衰えた患者さんの頼みごとに弱い……。
 看護師という職業を選んだのには、もちろんお給料がいいというのが大前提だったが、昔から困っている人を助けてあげたい、悩みに耳を傾けてあげたいという性格にもあった。
 会長はここ最近、同じようなことばかり言っている。
 これは体の自由が奪われ、いつ死が訪れるかわからない老人の、恐怖に怯えた悲痛な叫びなのかもしれない。
 そう思うと、この人が急に可哀想になってきた。
 同時に、『望みをかなえてあげたい』という元来の職業的責務が頭をかすめる。
「考えてみてくれ、弟さんの学費がいるんだろ」
「どうしてそれを」
「あんたのことなら、何でも知ってるよ。今まで良く、頑張ってきたね」
「え……」
 そしてこのいたわりの一言が、ついに私の急所を突いた。
「これからは悪いようにはせんから」
 悪いようにしないということは、お給料を少しはあげてくれるのだろうか。
 でも、やっぱり……。 
「私、今まで、男性に触れられたことがなくて……」
「処女なのか、あんた」
 私はコックリと頷いた。
「それなら、三百万。三百万出そう」
「さ、三百万!?」
「昔から初物は、高い値がつくもんなんだ」
「……」
 確かに三百万もあれば、当面の生活、弟の学費の心配もなくなる。
「それに、妻はもう死んでこの世にはいない。あんたを好いて恋愛感情を持ち、金銭面で援助したところで、誰に文句を言われる筋合いでもないんだ」
「つまり、私が好きっていうこと、ですか?」
「そうだ、好きだ。入院してた時から、あんたのことが瞼から離れんのだよ」
 老人のストレートな求愛に、なぜか動揺した。
 トキメキのようなものさえ、感じている。信じられないけれど。 
 それにこの人は、そんな大金を払ってまでも私を求めている。つまり必要とされているのだ。
「ホントにおっぱい、触るだけでいいんですか?」
「ああ、怖がらせるようなことは絶対にしない」
 どちらにしても下半身が麻痺しているので、この人に男としての機能は備わっていない。つまりセックスはできないということだ。触ったり、舐めたり、それが限界なのだ。
 提示された金額が衝撃的だったのも事実だけど、私はそれ以上に、この哀れな老人の願いを聞き入れてあげたいと純粋に思った。
「そんなに私のことを?」
「ああ、そうだよ、山本さん。あんたが好きだ。あんたのおっぱいを触れるなら、今すぐ死んでも後悔しないよ」
 見ると、藤堂会長は目にうっすら涙を溜めている。この気持ちは嘘ではないようだ。
 今なら、一緒に暮らす息子の秀明さんは会社だし、彼の妻である祥子さんも出かけている。この豪邸には、台所を任されたコックとヨシさんという家政婦しかいない。 
 昼食が終わったこの時間なら、大声で呼びでもしない限り、絶対に部屋には入ってこないだろう。
 私は念のため、ドアロックした。
オリオンブックス
作家:早瀬らいむ
在宅看護師のいけない関係
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