二、
「あなた、カラスという名前なのですか。名字などは」
「ワタリガラスに名字は必要ないし、そもそも君に、カラスという名前が姓なのか名なのか分かるのか」
私は慌ててかぶりを振った。言われてみればカラスはカラスでありまた渡りをする烏であり、それ以上の存在ではないため、姓名は必要でないように感じたのである。
「それでは、カラスさん」
「さん、ね」
「ええ、私、それなりに礼儀正しいのですよ」
カラスは笑った。
「こそばゆい。尊敬されるなど、まずない事だから」
「そうですか。しかし、北欧神話では、オーディンの使いとして、フギンとムニンというワタリガラスがいます」
「私は、北欧まで行かないよ。精々がカムチャツカまでだ」
「成る程」
三、
私は彼女を、カラスと呼び捨てにする事とした。三度目にさん付けをした時、困ったような顔をされたからである。人を、否、誰かを困らせるのは好きではなく、まして気まずい顔などされたら、理不尽に怒りを感じてしまう。好きでない。怒るのも困らせるのも好きではない。殊に、憧憬を抱いている相手に対しては。友人と思いたい、カラスに対しては。勿論私の怒りや焦燥などカラスは気にも留めないかもしれないが、それはそれとして、ごく個人的ながら、こうありたいと望む自分は存在する。
四、
「カラス、あなたはとても大きい。女性として。シャープでもあります。私はちびで丸っこいから、とても羨ましいのです。渡りに出たら、私もあなたのようになれますか」
カラスはそのような事を言うと可笑しげに答える。いつでも、彼女はそのような表情をしている。
「順序が逆だよ。私は渡りをするために生まれて来たからこのような姿なのであって、渡るに連れて姿を変えて来た訳ではない」
「では、私など、男子にからかわれるためにこのような格好に」
「自分を卑下するものではないよ」
「はい、カラス、あなたがそう言うなら」
はは、とカラスは微笑み、聞いたことのないメロディを口ずさむ。
それは明らかに人間の声ではないものの、札幌の繁華街や住宅地を明け方行き来するハシホソガラスよりも品が有り、どこか異国的な情緒を感じさせた。カムチャツカの民謡だろうか。今でも分からない。
五、
「フギンとムニンというのは偉いのか」
「一応、神の使いだとか言われていますもの。神がいないとしても、お話として偉い事になっているのです」
「偉くて良い事などあるのか」
「面倒事なら或いは。生徒会長などはいつも眉間に皺を寄せています」
「では校長ならどうだ」
「教師が偉いとは思えないのです。色々と、若いなりに怒りを感じているもので」
「成る程、君は大変だ」