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六、 カラスの言葉はいつでも何処か他人事のように聞える。実際他人事であるし、種すら違うのだから当然と言えど、あまりの自然さに潔いと感じる時もしばしばである。私は教師に対して色々怒っているが、カラスは渡りを行い、餌を食べ、神の使いと崇められるだけだから仕方ないのかもしれない。否、だけ、という表現はカラスに失礼である。私は自分の浅はかさを反省する。彼女はいつだって尊敬の対象だし、悪し様に言いたくはない。それが微かな言葉のあやでも。
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