HEROES OF THE SCHOOLシリーズ moonlight

第三章( 1 / 1 )

 タッタッタッタ。

なんで……どうして……。

 ネオは全速力で、学生校舎から奥にある専門教室校舎(プレハブ小屋が見える)へと向かった。

 実緒が押し隠していた『不安』を確かめるために。

 初めて話したあの日、下駄箱で別れた時の気の沈んだ顔が、頭の中で鮮明に蘇る。そう、『部活へ行こう』としていたときの事を。

 

 

 

 ネオが不安に感じたときから三日後。

 クラスで文化祭の出し物として、小さな子供たちにも楽しんでもらえるように、教室を使って『すごろくゲーム』を作ることに決定。その準備で実緒とマスの絵を描こうとしていたのだが……。

 彼女は突然、クラスから姿を消したのだ。ネオ以外の誰にも、座っている席には前からいなかったと思えるくらい、ごく自然と。

 最初は風邪でも引いていたのだろうと思った。そう思いながら、二日、三日、そして四日目が経過。

 依然と彼女は学校で姿を見せない。

 ネオは何度も携帯電話でメールや電話をかけたが、返事はなかった。

「何かあったのかなぁ」と未知流に相談するが、「急病で休んでいるんじゃないの」と言われ、確かに急病で入院しているのなら出ることもないし、気を遣わせたくないから先生に口止めしているのかもと、一応、そういう風に解釈していた。

 そして、休みを挟んで七日目。

 総合祭開催まで一週間となったこの日も、姿を現すことはなかった。

――これは絶対におかしい……。

 自分の知らないところで何かがあったんだわ。

そう感じたネオは、帰りのホームルームで先生に訊ねた。

「先生、あの、訊きたいことが……」

「何? 麻倉さん? ていうか、服装!」

 あっすいません、とネオはしぶしぶと服装を正す。

 普段は穏やかなのに、校則マナーに関しては厳しいので面倒くさい。まあ、それでも実緒のためだ。そうしなきゃあ、質問すら答えてくれそうにもない。

 服装を整えたネオによろしい、と先生は言い、

「で、訊きたいことは?」

「あ、あの、実緒……いや、竹下さんに何かあったの?」

「え?」

「いや、このところ竹下さんが何日も休んでいるから、心配で……」

 友達のことでやけになっていることが照れくさいのか、先生から視線を外すネオ。

「う~ん、そうなのよね~」

 彼女が実緒のことをどう思っているのかを察したかのように、先生はネオだけに聞こえるように口の近くで手を当て、彼女に近づく。

「実はね。先生も竹下さんのことが分からないの。普段、彼女は真面目な子だから、体調不良の時はちゃんと連絡をしてくれるんだけど……電話が来ないのよ。だから、おかしいなと思って」

 先生の言葉に絶句するネオ。先生は続けて、

「朝のホームルームや昼休み、そしてこのホームルームが終わった後に、今日で五日目かな。

もう、何回もこちらから掛けたんだけど、返事がなくて。明日にでも、竹下さんの家に行こうと思っているのだけど……麻倉さんは何か知らない?」

「い、いえ……」

 ネオは顔を俯き、思う。

 ――なぜ、こんなことになったの? どうして気づかなかったの?

 頭の中で、その言葉がぐるぐると回る。

 『不安』がぶわっと身体中に、震えとして表れる。

「麻倉さん、顔が青いわよ……」

 先生は心配そうな表情を見せる。

 しかしネオは、呆然と佇んだまま。

「麻倉さん!」

「!」

先生の大声で、ネオは別世界から帰ったかのように、ハッとして、我に返る。

「せ、せんせい……」

 涙で濡れた双眸で、先生を見つめる。

「どうしたの? 大丈夫?」

「は、はい……」

 ネオは顔を先生に見られないように、再び下に向ける。

 わたしは……彼女の近くに、いたの、に……。

 思いたくない。思いたくないけど。

 これってやっぱり……!

 頭の中で、ある三文字の言葉が思い浮かぶ。そして、その事件があったのは恐らく……。

「先生! 竹下さんって確か、美術部でしたよね!?」

「え? ええ、そうだけど」

「ありがとうございます!」

「麻倉さん!?」

 ネオは全速力で教室を出ていき、すぐ側にある階段を駆け上がっていった。

 廊下で「ネオ!」と呼ぶ、未知流の声も空耳に聞こえるほど、必死に。

 

 

 

 そして今、ネオは学生校舎から奥にある専門教室校舎へと走っている。

 美術部に問い詰めるために。

 ネオが『傷つけられていた』という真相を確かめるために。彼女とのやり取りで思い当たる部分がそれしかないのだ。

 ネオはふと思った。

 あの表情はもしかしたら、「助けて!」というサインだったのかも、と。それが本当なら、なぜあのときから、気づけなかったのだろう。むしろ、その違和感を夏休みに打ち明けたら良かったんじゃ……。思えば思うほど、早く行動しない自分がバカに思えた。

 歯をギリギリと噛みしめながら、専門教室棟の階段を2階から3階へと上っていく。

 あのときのように友達を失いたくない。失ってたまるか!

 ――友達を失った出来事の一部始終が、フラッシュバックされる。

 

 

 

 小学生五年生の頃、ネオはクラスメイトに傷つけられた。それも親友の裏切りによって。

ある日の放課後。「私服に着替え次第、また学校で会おうよ」と、同じクラスであり、幼稚園の頃からずっと一緒だった親友(女の子)に呼ばれた。ネオは疑いもせず、素直に親友の誘いに乗り、家にランドセルを置いて私服に着替え、すぐさま小学校へ向かった。

待ち合わせ場所である下駄箱の前で親友に会い、自分のクラスから二つほど離れた教室に連れてこられたネオは、先にいた友達二人を紹介される。そして、彼女から自分の秘密が明かされた。

『性格が気にくわない』という理由で、仲間とともに、「死ね!」とか、「消えろ!」とか、卑劣なラクガキをしていることを。そして、それをネオにも書いてもらおうと考えていたのだ。『親友』だから。

 母親の言いつけで善悪の線引きがはっきりとしていたネオは、「こんなの間違っている!」と抵抗し、親友に、

「他人が見ないところで悪さをするヤツほど、『卑怯』という相応しい言葉はないわよ!」

と必死に訴えかけた。同時にここで自分と彼女の関係を崩してはいけないとも思った。誰かが見ないと、第二、第三の者が傷つけられると感じたからだ。ちゃんと正しいことを言える人間がいないと、なくなるはずがない。

ずっと一緒に、笑ったり、泣いたり、助けあった親友だから届くと思った。

だが、

「そんなの知るか! やれ!」

親友には届かなかった。

「!」

親友の命令で、友人二人に手を掴まれ、鉛筆を無理矢理握らされてしまう。彼らによって、「消えろ!」とか書かされてしまう。それだけはいやだ!

「やあっ!」

ネオは机に書く瞬間、右肩方にいる親友の友人の腕を力づくで振り払った。ネオの右手から離れて、左側で動揺しているもう一人の友人の隙をつき、束縛されていた両手を振りほどいだ。

そして親友に向かって、ネオは勢いよく顔を躊躇なく一発ぶん殴った。

「……」

 これで懲りただろうと思い、ネオは無言で教室を出て行った。親友だから、親友だからこそ殴った……。そう自分に言い聞かせながら。

しかし、翌日。昨日の成敗も空しく、今度は自分の下に牙が向けられた。

 机に「死ね!」とか、「消えろ!」とか、書かれていたのだ。それを書いたのはもちろんあいつ。『親友』という関係を一瞬で崩した卑怯者。ネオは消しゴムで掻き消すが、そのラクガキは毎日続いた。

 それでもネオは我慢し続けた。彼女の良心が再び芽生えることを信じて、我慢し続けた。『親友』だから。それに、先生に話したりすれば、さらに事が大きくなると思ったから。

 彼女も昔は「善」という心はあった。家が近所で、幼稚園のときから小学五年生に至るまで、外でよく遊び、買い物をしたり、時にはケンカもしたけど、すぐに元通りになる、そんな仲だった。

 だが、内に秘めた彼女の心は冷え切っていた。家族による虐待によって。そして、この傷つけられた心を癒すその矛先は、生徒に向けられていたのだった。それは、この事件が終わった後に知ることになる。

 

 ある日の夏の放課後。親友の挑発に乗り、ネオは教室で彼女とその悪友二人と対峙した。

 ネオはあくまで強気な態度で、

「一体、何のようなの?」

 と親友に問う。

 親友はそんな彼女の態度を鼻で笑い。

「ネオ、あんたがアタシらにあーんな態度を取ることに、いらいらしちゃったんでねー殴ってやろうかと思ったのよ」

 『あーんな態度』とは恐らく、不登校もせず、あの悪罵(あくば)にも動じないことを指すのだろう。

「あんたのような正義感を持つヤツは、ほーんと嫌気がさすよ。何度も自分を偽って、優しく接しやがってさぁ、ほんと……」

 ガン! と教室のドアを叩きつける。

「ムカつくんだよ!!」

 とネオに向かって罵声を浴びせる。

「何よ、言いたいことはそれだけ?」

「何?」

 ネオは自分の方がよほど格上だと、顔を少し上に向け、

「自分を偽ってる? バカ言わせないでよ。わたしは、あんたには本心で接していたわよ! いつもあんたのことを大切に想っていたわ。 あんたもあんたよ! 何で言ってくれないのよ!? いつだって力になってあげたのに! わたしたちは親友でしょ!? この関係を壊そうとしていることが分かっているの!? バッカじゃないの! 親友として何度も言うわ。こんなのあんたじゃない! こんなの絶対に間違っているって! わたしの家族も絶対にそう言うわ! わたしのことを偽善者って言うのなら、あんたなんか、偽悪者よ! あんたの悪人面はこれ以上見たくない! だから、いつもの、」

「うるさいっ!!」

「!」

 ネオの訴えを『うるさい』の一言で消去する。

 親友は、顔を俯き、身体を震わせながら、

「それが独りよがりなんだよ!! アタシのことを親友と言うくせに、何も気遣ってくれないじゃないか! どこが『大切に』だよ! 目障りなんだよ!

「違う!」

「違わない! ……もういい。 おまえなんか、おまえなんか、アタシの気持ちが分からない、親友ぶっているおまえなんか……、」

 自分の孤独な気持ちが――

「やってしまえ!!」

 ネオに襲い掛かる。悪友二人に仕向けるその姿は、まさに善を裁く死神だった。

「くらえ!」

 二人はネオに殴りかかる。

「くぅっ!」

 ネオは双方から一発ずつ悪友たちに殴られ、よろめく。

「な、なによ……自分はただの傍観者じゃない。ホントにひきょ……ううっ!」

 悪友にみぞおちを喰らい、膝をつく。

「ははは、やっちゃえ!」

 悪友に殴られ、あおむけに倒れてしまう。

 そのまま殴られ続けられるが、ネオは一切抵抗しなかった。そんな彼女の内心に気づけなかった、自分への罰として。

 一体、何があったのだろう。なんで、そこまで傷ついたのだろう。

 意識が遠のく中、そればかりが頭に過った。

 ごめん。本当にごめん。

 親友の気持ちに気づけないなんて、最低だね……。

 あんたの言う通り、独りよがりだ……。

 いっそこのまま、消えてしまっても……。

 その時。

「ネオ!」

「おまえたち! 何をしている!?」

「「「!」」」

 三人はにビクッとし、振り向いて廊下に立っている二人を見つめる。

「あに、き……? せん、せい……」

 弱々しく掠れた声で、助けに来た二人を呼ぶ。ネオはそこで意識が途絶えた――

 

「ん……」

「ネオ!」

 二歳年上の兄の顔が、目に映る。

「あにき……」

 弱々しい声を発しながら、見つめる。

 窓から差し込んでくる夕日が眩しい。

「良かった、無事で!」

 ネオの兄は学校の保健室にある白いベッドの上で、顔が腫れている妹を優しく抱きしめた。

 その中でぼんやりとあの『悪夢』を思い出す。

 彼女に痛めつけられた恐怖や悲しみが入り混じり、

「お兄ちゃん……わたし、わたし……」

 自然とポタポタと涙が溢れる。

「いいんだ……もう、終わったんだ。よく耐えたな」

 兄も自然と、キュッと強くネオを抱きしめる。

「うん……わたし、わた、し……、」

 ネオは兄の胸に顔をぶつけて、

「うわああああああっ!!」

 ネオはぐちゃぐちゃになった親友への思いを、泣き叫んだ。

 

 

 

 この事件の後、毎日家で暗い顔を浮かべて、寝る時には泣いていたネオを心配して、後をついて行ったということを兄から聞いた。親友と教室で言い争いをしているところで、すぐさま職員室にいる先生を呼んで、助けてくれたのだ。ネオが気を失った直後、親友は悪友二人と警察に連行された。

そして翌日、この事件は学校で話題になり、親友は少年院へと収容されたことをネオは先生から聞いた。その原因を作った親友の両親は、麻倉家には謝罪の言葉も何も言わずに姿を消した。

 ――この出来事をネオは高校生になった今も、未だに自分への戒めとしている。

 確かに彼女は悪いことを犯した。だけど、彼女の気持ちを汲み取ることはどこかでできたはずだ。それが分かるのは、ずっと一緒にいる自分だけ。もしそれができていたら、変わったかもしれない。なぜ、気づくことができなかったのか。そんなことで親友を失ったのが悔しくてたまらなかった。

 ――それを再び起こしてはいけない!

 ネオは、静寂と化した教室の中で唯一学生たちがガヤガヤとしている――美術部が活動している美術教室へと辿りつく。

 ネオはためらいもなく、

 バン!!

 と教室のドアを開いた。

 その力強い音が、美術室にいた部員全員を黙らせた。キャンバスに向かって色を塗る作業も中断する。「あんた誰?」と言っているような視線が、ネオを完全アウェイな状況にさせた。

 上等じゃない! ネオは孤立状態に動じず、険悪な顔つきで堂々と中へと入っていく。

「あの」

 そんな彼女にびびりながらも、ドアの近くで座って作業している、メガネをかけた凛々しい男子学生が部員を代表してネオの前へとやって来る。おそらく部長だ。それも学年が一つ上の。

「君は、軽音楽同好会の麻倉さん、だよね」

「そうよ!」

 上級生相手に威勢のいい態度をとるネオ。

「一体、ウチに何のようなの? 君の部活とは、無関係のはずだけど」

 部長はネオに負けじと、冷ややかな態度で対抗する。

「関係あるわよ! わたしの友人にね!」

「友人?」

 肩をすくめている部長にネオは、ええ、と頷き、

「この部活に所属している、竹下実緒についてよ!」

「竹下さん、に?」

 部長は『竹下さん』というワードに一瞬、ビクッと身体を震わせる。

「そうよ! 急に一週間不登校になったんだけど、何か知らない!? 部活に行く前、暗い顔をしていたのだけど!」

 教室中に轟く怒声を、部長に向かって叩きつける。

「ねえ! どうなのよ!!」

 獲物を狙う猛獣のような鋭い目つきで前のめりになり、部長を威嚇する。

「そ、それは……」

「それは、何!?」

 ためらう部長に、もう一歩前へと踏み込もうとしたその時。

「竹下ぁ? ああ、あのお邪魔虫のことか。ずっと来ねぇと思ったら、そうんなことになっていやがったのかぁ~」

武藤(むとう)!」

 校舎が見える窓際の席に座っていた男子学生が立ち上がる。いかにも『不良』と呼ぶに相応しいだらけた格好、厳つい目つき。そして、金色に染まった髪。武藤と呼ばれた男は「ククク」とネオをあざ笑いながら、こちらに向かって歩いてくる。彼の狂気に怯えたのか、「ひぃっ!」と部長は逃げるように、二人の間に入る。教室の空気も陰気なものへと変わる。

 ネオは武藤という名前に聞き覚えがあった。確か、未知流と同じクラスだったはず。

 しかし相手が誰であろうと、ネオの態度は変わらない。茨のように刺々しい形相で武藤を見上げる。

「へっ! いい度胸してんじゃねぇか。麻倉さんよ」

「あんたに褒められても、何もないわよ」

 強がるネオに武藤はフッ、と笑みを浮かべる。

「実緒を不登校へと追い込んだのはあんたね」

 ネオの唐突な発言に、武藤は、ギャハハハハと哄笑する。

「不登校へと追い込んだぁ!? 嗤わせてくれるぜ! オレのせいじゃねぇ。あいつが原因なんだよ!」

「何、それ? 一体どういうこと!?」

「ククク。あいつの絵は、部員の誰よりも上手くて、憧れの対象になった。あいつは簡単に俺の地位を奪いやがったんだよぉ!」

「!」

 武藤の発言に、ネオは絶句する。

「入りたての頃は、俺が部活のエースだった。先輩や同級生からも、憧れの対象になった。その高みにオレは喜びを感じた! オレこそが! 頂点だとな! だが、そんな俺の居場所をあいつは、」

 厳つい顔つきが、鬼のように変化する。

「今年の春のコンクールで、俺よりも格上の賞を取りやがったんだよ! おかげで部員の注目も変わった! 何もかも! あいつは俺の地位を簡単に掻っ攫いやがった! 大人しく、誰にも悟られず、平然と! おかげでオレのプライドはズタズタになった! しかも、部員に褒められても、大人しくやってやがってよぉ、お嬢っぽいオーラを出すあいつに、オレはムカついた! だからよぉ、」

 武藤はニヤッと笑みを浮かべ、

「あいつのキャンバスに毎日、ラクガキをして、むちゃくちゃにしてやったのさ! どっちが『格上』だったのかをハッキリさせるためになぁ! クックック、あいつの絶望に満ちてその場で佇んだ表情、実に愉快だったぜぇー!」

 フハハハハハ! と武藤は高らかに嘲笑した。

 その高嗤いを美術部の部員たちは、他人事のように見つめる。武藤に逆らうことのできない奴隷みたいだ。

 夏休みに『部員にバカにされるし』という実緒の言葉が、ネオの脳裏に浮かぶ。恐らく、この悪魔が何度も言っていたのだろう。

「だからオレは、竹下を追い詰めちゃあいねぇ! あいつは、オレを追い詰めた(・・・・・・・・)罰を受けたのさ!」

 武藤は俯いているネオの顔を覗く。

「これで分かっただろう。俺に逆らうとどうなることが! だったら、とっとと……、」

「何よ、それ?」

 あん? と首をかしげる武藤に、ネオは怒りのこもった声色で、

「あんたはただの、努力もせずに思い上がっただけの、ゴミ同然のクソ野郎よ! あんたみたいなヤツがいるから、努力を否定する大馬鹿がいるから、夢への、『自分の可能性』を失う人がいるのよ!!」

 両手の拳が、身体を震わせるほど、力が入る。

「『俺に逆らう』? 怒りを通り越して、アンタの人間性に呆れるわよ。分からないの!? あんたが誰よりも格上の『天才』だからってね、努力し続けたものの方が、圧倒的に有利で、優れているってことを! 創作する全ての者はね、みんなみんな、辛い道を通って、努力して、一歩ずつ前へと歩いているんだよ! わたしだって、去年は色々と迷惑をかけて、辛い思いもした。だけどね、その過程があるからこそ『今のわたし』がある。それだけは否定できないわ! それは実緒だって同じよ! 努力したからすごい賞が取れた! 何物にも代えがたい価値を、あんたは壊したのよ! 誰にも否定できない『証』を! 存在を! そんな努力する人の気持ちを傷つけて、美術を語るあんたなんか、あんたなんか……」

 潤んだ瞳で、キッ、と武藤を見つめ、

「こうしてやる!!」

 ネオは勢いよく武藤の顔面を目がけて、力強く握った右の拳を突きだす!

 美術室に「うわぁ!!」と、恐怖と驚きが入り混じった悲鳴が響き渡る。

 しかし。

 武藤の顔面ギリギリのところで、ピタッと踏みとどまった。

「……っ!」

 歯をギシギシと噛みしめる。

 ネオには分かっていた。同級生に向かって『殴る』という行為が、どれほど重たいものかを。小学生の頃とは違うことを。

 それはすなわち、自分と仲間たちが目標としていた舞台から、外されるということ。

 ここで彼と暴力沙汰を起こせば、内にため込んだ怒りから解放されるだろう。だが、それと引き換えに、総合祭に向けて必死にここまで頑張ってきたものが、崩壊してしまう。仲間たちを裏切るわけにはいかない。そして、自分たちのステージを楽しみに待っている学生たちにも――。

 だから、踏みとどまった。心の内にある怒りを、引き出しの奥へ奥へと無理矢理押し隠した。

 ネオは俯いて、武藤に向けた拳を下げた。

 二人しかいないと思わせるような沈黙が続く。

 ネオはそれを利用して、踵を返して下の方へと歩き出した。

「んだよ……」

 予想外の行動に、武藤はその場で呆然と佇み、ネオを見つめる。

 ネオは、廊下へ出ていき、

「あんたのせいで……、」

 溢れる涙でくしゃくしゃになった表情で、武藤を見つめ、

「アンタのその腐った神経が、実緒の心をむちゃくちゃにしたんだよ!!」

 押し隠した怒りを言葉に変え、ネオは猛スピードで廊下を走った。

 実緒、実緒!

 なんで気づいてやれなかったんだろう。なんで力になれなかったんだろう。後悔の念が次々と、頭の中で渦を巻く。

 とめどなく流れる涙が後悔の塊として、次々と宙に浮かぶ。

「ネオ!」

 先生から事情を聞いて、追いかけていた未知流の存在にも気づかず、ネオは階段を駆け下り、下駄箱で革靴に速攻で履き替え、校舎まで続く長い坂を下って駐輪場へ向かい、自転車の鍵を外し、駅の方角へと向かう学生が「うわぁ……」と呻らせるほどの光の速さで、実緒の家へと向かった。

 晴天だった空模様は、彼女の気持ちを反映しているのか、怪しくなっていった。

 

 

 

 ハァ……ハァ……。

 あの長い坂を登りきり、ネオは実緒の家へと辿り着いた。

 学校から走ってきたおかげで、あらゆるものが汗で冷たく染み渡っている。

 ネオは家の前に自転車を置き、すぐさま玄関前にあるインターホンを鳴らす。

 全ては自分の想いを、「あんなゴミとは違う!」ということを伝えるために。いつでも実緒の味方だと伝えるために。偽善者なんかではなく、いつも心から親友のことを想っていることを。バカにしたことはこれっぽっちもないことを。

 親友の手をとって、暗い暗い闇の海から引っ張り出したい。

 そんな気持ちがネオを急かせた。

 何度も何度もインターホンを鳴らす。実緒が出てくるまで。

 すると、中から足音が聞こえてきた。

 そして、

 ガチャ!

 扉の向こうから、縦縞模様の緑色のパジャマを着た実緒が、恐る恐る顔を出した。その姿は、『恐怖』という塊が、ウイルスのように全身を蝕んでいるみたいだ。

「実緒っ!」

 実緒という存在を確認できて、ネオの表情は明るくなる。

 だが、

 バタン!!

「!」

 実緒は目の前にいる親友の存在を否定するかの如く、何も言わずに扉を閉め、鍵をかけ、現実から目を背けた。そんな彼女にネオは一瞬、息を呑んだ。

「実緒! 実緒! 開けて!!」

 ドンドン! とネオは懸命にドアを叩いた。

「お願いっ! 話があるの!!」

 ドア越しから声を枯らして叫ぶ。

「わたしは、実緒のことを……」

 胸に込み上がる想いを吐きだそうしたその時。

「……麻倉さんも私のことを傷つけに来たんでしょ……」

 唇を震わせて、ネオが自分の全てを知ったことを見透かしたのか、冷ややかな言葉が返ってくる。

 『ネオちゃん』ではなく、『麻倉さん』と言われたことに、槍で心臓を思い切り貫かれる感覚をネオは感じる。途轍もなく凍えた槍で。

「違うよ! わたしは、実緒が心配で……実緒を傷つけたあんなゴミ野郎とは……!」

 胸が張り裂けそうな声で、自分の気持ちを訴えようとするが、

「ほっといてよ!」

 拒絶とも言える、実緒の掠れた叫び声で遮られる。

「麻倉さんも私のことを嫌っているんでしょ!? 部員のみんなだってそう! 武藤くんのことは(ゆる)して、私に対しては他人事のように、冷たい視線を私に向けてくる! 麻倉さんも偽善者ぶって、友達のフリをして、本当は私のことをバカにしていたんでしょ!! 『こんな夢、叶うわけがない』って!!」

「そんなワケないわよ!! わたしは、あんたのことを友達やメンバーには一度も馬鹿にしたことなんて……、」

「いいや、そんなの嘘に決まっているわ!」

「嘘つく理由がどこにあるのよ! 私はいつも自慢していたわよ!! 『実緒の絵は可愛い』って! わたしの自慢だって!! 信じてよ!!」

「信じられないよ!! 部活のみんなも、麻倉さんも! みんなみんなみんな! 誰も助けてくれない! 私を孤独にするこんな場所、私を嫌うこんな場所――世界なんか……、」

 現実への絶望感が涙で溢れ、そして、

 

 

「こっちから願い下げよ!!」

 

 

「……!」

 実緒の言葉に、ネオは何もかもが真っ白な風景を一瞬見た。何もない、空っぽの世界を。

 二階へと向かう音が聞こえる。

「実緒、実緒! ミオ――――――ッ!!」

 しかし、ネオの悲痛な叫びも空しく、ドンッ! と自室に引きこもった音が外から聞こえた。

「……」

 彼女の心の傷は、修復することが出来ないほど、深かった。彼女の手を掴むには、あまりにも遠い距離に自分はいた。

 何もかもが、遅かった。

 小学生の頃にあったことが再び、ドラマのハイライトみたいにパッ、パッ、とシーンが切り替わりながら、頭の中で再現される。

 あの頃と変わらない。友達の力にもなっていない。

 その事実だけが、ネオの胸に刻まれる。

 脱力して、両膝が自然と冷たいコンクリートの上につく。

 違う……違う……。

 わたしは、わたしは、本当に実緒のことを……。

 助けたかったから、ここに来たのよ。

 本当なのよ……。

 身体が震え、絶望感でいっぱいになる。

 そんな彼女の気持ちが、雨で映し出される。ポツ、ポツ、と空から少しずつ降ってくる。

「実緒……みお……わたしたち、しんゆう、でしょ……」

 わたしの、せい、で……。

 わたしが気づいてたら、どうだったの? 教えてよ……ねぇ、実緒……。

 こんなことで……こんな、バカみたいなことで……。

 

 

「うわああああああああ――――――っ!!」

 

 

 大粒の涙がとめどなく、流れ落ちた。

 その涙を隠すように、雨が降り出した。

 後悔、絶望など、いろんな感情が混じり合ったネオの想いが、雨脚(あまあし)を強くさせた。雨が、ネオの身体を濡らす。

 後ろから、足跡が微かに聞こえてくる。

 ザッ、ザッ、と。

 誰かが、立ち止まった。

「……」

 ――未知流が、泣いているネオの頭上に、赤い傘をそっと差した。

 

 

 

 実緒の家の近くにある、つい最近できたような真新しい公園に設置された公衆便所の入口で二人は雨宿りをし、雨脚が弱まるのを待った。

 雨が静かに降り続く。ネオはその場で座ったまま、潤んだ瞳で公園の風景をじっと見つめた。彼女の後ろに置いてある自転車が、彼女の心境を表しているかのように、冷たく光る。

 そんな彼女を、左隣にいる未知流は立ったまま、黙って見守った。かける言葉がでてこない。いや、ここは落ち着くまで待つべきだと感じた。ヘタに言葉を発しても、彼女を余計に傷つけるだけだ。

だからせめて、彼女が一人にならないように、しっかり支えてあげなければと、心に強く思った。大事なmoment'sのメンバーとして。そして、高校生活で初めてできた、大事な大事な一人の友達として。ただただ、彼女が口を開くのを待つ。

小一時間が経過する。

「……ありがとう、みっちぃ」

 ぐすん、と鼻を鳴らしながら、待っていた友人にネオは、感謝の言葉を述べた。

「礼には及ばないよ。当然のことをしたまでさ」

 どことなく強がっている未知流の声に、ネオは隠れて微苦笑して見せる。

 未知流も静かに腰を下ろし、彼女の濡れたポニーテールにした髪を優しく撫でる。髪も花が元気を無くしたように、しおれている。

 未知流は雨に濡れた公園の風景を見ながら、口を開いた。

「……美術部の部長から聞いたよ。彼女――竹下さんが、同じクラスの武藤にヒドイ仕打ちを受けていたってことを。アイツ、誰からも好かれていたヤツだったのに、5月くらいから急にヤンキーみたいな恰好になっていたから、何があったんだろうと少しは思ってたけど……まさか、あんな卑劣なことをしていたなんてね。……ホント、高校生になっても『正しい』と『悪い』の区別もつかない、ガキの思考を持った『オレ様クソ野郎』がいたとはね。ホンッと、学校じゃなかったら、空手でボッコボコにシメてやりたかったよ!」

 コンクリートの上に置いた両手に、自然と力が入り、あの男への怒りが込み上がる。

「実緒は……あいつのせいで、深い傷を負ってしまった。わたしの手を掴めないほど、ズタズタにされて……わたしだけは、実緒の味方だって、言いたかったのに……! あたしの態度は、やっぱり独りよがりだったのかぁ……」

 くやしいよ、と呟きながら、ネオは項垂れてしまう。

「あんな奴のせいで、あいつと一緒にされて、親友としての時間を、簡単に無かったことにされるなんて……!」

「ネオ……」

「もう、終わり、なのかな……?」

「え!?」

 『終わり』というネオらしくもない発言に、未知流は思わず彼女の方へと振り向く。

「この関係は……終わりにした方がいいのかな……いつも、いつも、精一杯やれることはやってきたけど……今回ばかりは……諦めた方が……」

 呻くネオ。

 一人でずっと考えるネオ。

 たった一人で苦しむネオ。

 相談はするけど、頼ることを知らないネオ。

 なんで、なんで、ボロボロになっても『力を貸して』って言ってくれないんだよ! あたしはそんなに頼りないの? 頼ってよ!

 

 ――なんで頼らないだよ!

 

「バカ!!」

 未知流の想いが溢れだす。

 自然と立ち上がり、うじうじネオを見下ろす。

「みっちぃ……」

 ネオは目を丸くしながら、未知流を見上げる。

「あたしはいつもネオの本気(マジ)を見てきた! その結果、同好会として認められ、絢都とター坊が加わり、バンドとして成立し、そして総合祭のステージに立つ夢も叶った! あんたのその諦めの悪さは、あたしやメンバーに最高のプレゼントを運んできたじゃない!! 今回だってそうなるわよ!!」

「みっちぃ……でも……」

 未知流から視線を外し、顔を伏せる。

 あー、もーっ!!

「ネオ!!」

 未知流はネオの両肩を掴む。

「なんで、一人で考え込むんだよ! あたしがいるだろ! 一人で格好つけんなよ! 頼ってよ! 頼らせてよ! 友達だろ! あたしにも本気で言ってよ! あたしは頼りないっていうの!?」

 未知流は、胸にため込んだ気持ちをネオに叫ぶように吐き出した。

 ネオは口をぽっかり開いたまま、顔を覗き込む未知流を見つめる。

 普段見せない顔だ。

「ごめん……あたし、ネオがここまで友達のことを、本気だとは思わなかった。こんなことになったのは、あたしにも非がある。その方が、ネオのためだって。その方が、お互い傷つかなくて済むから……」

「ううん! みっちぃの言ってることだって正しいよ!」

「違う!」

 気遣うネオに、かぶりを振る未知流。

「あたし自身が、ネオが竹下さんに本気で接した結果、傷ついてしまうのを恐れていたんだ。そんなネオを見たくなかった! 友達として! いつも元気なあんたを見たいから! あたしの下から離れてほしくないから!」

「……」

 両肩を締め付ける、未知流の気持ちが、痛いほどネオに伝わる。

「でも、その結果、あの子は最悪な方向へと言ってしまった。ネオの声も届かないほど……だから、そういう風にアドバイスしたあたしにも責任がある」

 そんなこと……、とネオはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。

「みっちぃのせいじゃないわ! 常に一緒にいて、気づかなかったわたしがいけないのよ!!」

「いいや! あたしがいけないの!!」

「いや、わたしだよ!」

「違う! あたし!」

 未知流は立ち上がって、ネオを見下す。

「わたしだって!」

 ネオも対抗し、立ち上がる。

お互い、自分の気持ちを譲らず、ぶつかり合う。

「あたし!」

「わたし!」

「あたし!」

 ボクシングのようにラリーの応酬が続く。

 5分、10分、15分と。

 そして20分が経過。

 両者、決着がつかず、唇が渇き、息が漏れる。

 未知流は右手で唇を拭いて、

「やあっと、ネオらしくなってきたじゃないの」

 うっすらと笑みを浮かべる。

 生意気なネオが戻ってきて、少し安心したのだ。

「みっちぃ……」

 立ち上がった彼女を見上げるネオ。

「まぁ、何はともあれ、あたしもネオの気持ちと同じだよ。ネオの友達は、あたしの友達でもあるから、ね」

 未知流は左目だけ閉じ、ウインクをする。

「助けようよ、竹下さんを!」

 ネオの両手を握る。

「で、でも、助けようって言っても、どうすれば……」

 救いの手が欲しいと思わせるような相貌(そうぼう)で、未知流を見つめる。

「そんなの簡単よ!」

「え?」

 にっこり、と余裕の笑みを見せる未知流。

「歌よ!」

「歌!?」

 ネオは思わず目を見開く。

「そうよ! ネオが大好きな歌!! 二人でやってたときに話してくれたじゃない、歌の魅力を!! 歌には魂が宿っていて、人と人との想いや絆をつなぐ、大切な大切な、『内に秘めた想い』を伝える力があるって!! 今こそ、その力を信じるときよ!!」

 そうだ。そうだよ……。

 歌――自分の気持ちを必要以上に伝えられる、わたしの唯一の魔法。わたしが輝くことを許してくれる、わたしの人生で、今一番誇れるもの。

 ――なんで、すぐ近くにあるものを忘れていたのよ!

 うん。みっちぃの言う通りだ。今こそ、わたしの想いを『歌』に込めないと! 『歌』の力を信じないと!

 希望が見えてきた。

 ネオから暗い表情が消えていき、決意を固めた真剣な表情へと変わる。

「みっちぃ、わたし決めた! 実緒のために歌うよ! どんな結果になっても、やってやるわ!!」

 未知流に深く頷く。もう迷いはない、と。

 彼女はネオの両肩を再びがっちりと掴み、

「よーし、それでこそネオよ!! いや、ネオだけじゃない! あたし、ナル男、ター坊――moment's本気(マジ)本気(マジ)をぶつけて、あの子の笑顔を取り戻して、あのクソ野郎の鼻をボッキボキにへし折ってやろうぜ!!」

「み、みっちぃ~気合い入れ過ぎぃ~」

 ヒートアップしすぎて、思わずネオの肩を揺らしていたことに気づく。

「あ、ごめん」

 ピタッ、と動きが止まり、手が離れる。目が回ったように、前後ろへ揺れた感覚が残る。

「もう~」

 ぷく~っ、とネオは顔を膨らませて友人を見つめる。

 その顔を見て、もう大丈夫だな、と未知流は思った。いつものネオだ。

 ハハハハハ! と思わず笑ってしまう。

 ネオも未知流の笑いにつられる。

 ネオの心が晴れてきたように、雨もいつの間にか止み、雨雲の間から希望の光が二人を照らした。

 未知流は、ん~っ、と背伸びしながら、

「さぁーてと! そうと決まったら、今日の練習から何とかしないとね。 まずはあの二人を説得するのは……なんとかなるけど、問題は曲だなぁ。こればっかりは話し合わないと。よし! 学校に戻るよ、ネオ!」

「う、うん……」

 立ち上がり、赤い傘をもって先に歩く未知流を見つめる。

 何か言わなくては、という気持ちが、彼女が先を行く度にどんどん強くなる。

「み、みっちぃ!」

 未知流に向かって叫ぶ。

 彼女はネオに背中を向けたまま、

「何?」

 と訊ねる。背中を向けても、微笑んでいるのが分かる。

「あ、あのね! 来てくれてありがとう。そして、ごめん……あたし、不器用で生意気だから、これからも素直に言えないかもしれないけど……わたしの友達でいてくれる? 頼っても、いい!?」

 友人に対して、言いたかったことを全て吐き出したかのように、ネオは長い息を吐いた。

 ややあって、サッ、と未知流は右手を挙げ、

「当然のことをやったまでよ!」

 と言いながら、公園を出ていく。

 ネオは安心したように、未知流の背中を見つめた。

 心の中で、「ありがとう」と言いながら、

「ま、待ってよ~」

 自転車の鍵を開け、押しながら走って未知流の下へと向かった。

 

 

 

「まっ、ネオ先輩のためなら、しょうがないっスね!」

 プレハブ小屋で、昼にあった出来事をネオから聞いた絢都は、開き直った態度で受け入れる。

 巧も、

「……やりましょう!」

 とクールな態度を装うも、彼の胸の中には熱いものが込み上がっているなとネオは感じた。

 隣にいた未知流に左肩を、軽く叩かれる。

 本当に、いいメンバーが加わってくれたものだ。

「二人とも、ありがとう!」

 ネオは、絢都と巧に最大限の感謝を礼で表す。

 そんなネオに一瞬戸惑うも、ニッ! と絢都は口を横に広げて、

「オレらに礼は不要っスよ、先輩。どーせ、嫌だとか言っても、みっちぃ先輩が説得するでしょうし……ね。何が何でもやるって顔をしていましたよ。だったら、俺たち一年が文句を言う義理は無いっスよ」

「絢都」

 未知流は見透かされていたかと思いながら、笑っている絢都を見つめた。

 絢都は隣にいる巧に、なあ? と同意を求める。

「……う、うん。俺たちの曲で、彼女が前へ向いてくれるのであれば、これほど嬉しいことはないですよ……それこそ、『moment's』じゃないですか!」

 「タックン……」と、巧の思わぬ言葉に、目を見張る。

「も、もう、タっくんのくせに、格好いい事を言っちゃって」

 ネオにからかわれ、巧の顔は赤くなる。

「そ・れ・に、オレたちは先輩のワガママに、いっつもついて行っているだけっスからねー!」

 と絢都がネオに向かって悪戯っぽい表情を浮かべる。

 ネオは『ワガママ』というワードに引っ掛かり、

「わ、ワガママって何よ~!?」

 不満げな表情で絢都を見返す。

「そのままを言っただけですよ! いっつもオレたちに何も言わずに、選曲も決めたり、選曲が合わないものだって、意地でも入れようとするし……ワガママ以外の何物でもないじゃないっスか!」

「なにを~!」

 両者の間に見えない火花が散る。

 しかし、

「喧嘩をしている場合じゃないだろ!!」

 と未知流に押されて、お互いの額をゴツン! とぶつけられる。

「いったぁ~い!」とネオ。

「……って~」と絢都。

「全く、あんたたちは……」

 はぁ~、と未知流からため息が漏れる。

「と・に・か・く! 時間がないんだ! とっとと彼女に届く曲は何か、考えるよ!!」

 命令するかのように、右手を勢いよく振り払う。

「うーん、そうは言ってもですねぇ~。ネオ先輩の気持ちを伝えられるドストレート曲っスねぇ……」

 腕組みしながら考え込む絢都。

「急に言われましても……」

 目を瞑って、顎に手を当て、う~ん、と巧は呻く。

「そうだよねぇ……ウチらで作ったので当てはまるとしたら、『wind』とか『dash!!』 とかだと思うけど 、疾走感のある曲ばっかりだからねぇ~」

 天井を見上げる未知流。

「ですよね。バラード系とか作ってないっスから……」

「コピーするしかないのかねぇ~」

 う~ん……。

 三者三様のポーズで悩んでいるところに、

「ねぇ」

 ネオが三人に声をかける。

 三人は彼女を見つめる。

「提案があるの」

「どうしたのよ。改まって」

「ちょっと、無理なお願いを今から言うけど、いい?」

「無理なお願い?」

 目を丸くしている未知流たちに、ネオは大きく頷き、

「うん。一週間でやるのは厳しいかもしれないけれど……新曲を作ろうよ! いつも通り、私が作詞で、みっちぃが作曲、そして絢都とタックンが編曲で!」

「ま、マジ?」

 未知流を始め、絢都と巧も驚きを見せる。

「わたしはいつだって本気よ! ……この問題はきっと、自分の言葉じゃないといけないと思うの。もちろん、有名アーティストの楽曲のコピーもいいかもしれない。でもそれは、人の力を使ったという事実(・・・・・・・・・・・・)があるから、言い方が悪いけど、わたしたちの『気持ち』なんて一切こもってない。だったら、自分たちの『気持ち』を前面に引き出した、この世に一つしかない、『わたしたちだけの曲』を作った方がリアルに、実緒に届くんじゃないかと……」

 ゴメンうまく言えないや、とネオは低い声で締めくくる。

 こんなの無謀だよね。今まで普通に1、2か月かかっていたんだから。

 やっぱり、といいかけたその時、

「ネオ」

 未知流がネオの前へと歩み寄る。

 そして、ネオの両肩に手をかけ、

「いいよ」

 と静かに告げた。

 仲間の答えにネオは思わず、

「いいの?」

 と訊きかえす。

 未知流は無言のまま、うん、と頷く。「それが竹下さんに伝える一番の方法だよ」と言っているみたいだった。

 そして後ろを振り向き、

「絢都、ター坊もそれでいいね!?」

 未知流への返答に、「うっス!」と絢都、「はい」と巧。

「よし、決定!」

 未知流は改めてネオの顔を見つめ、

「作ろう! あの子に届ける歌を!!」

「うん!!」

「よし! それじゃあ活動を始めるから、各自準備!」

 三人は楽器を取り出し、準備に取り掛かった。

 彼らの背中を見て、

 ――ありがとう。

心の底から、ネオは思った。

 そう。わたしには仲間がいる。一人で考える必要なんてないんだ。分からないなら、力を貸してもらえばいい。そうやって、力を合わせれば扉は必ず開いていく。

 ネオは、それを実感した。もっと早く気づいていたら、とも思った。

 でも、それでいい。

 実緒にも、この力を、『実緒の背中にはわたしたちがいる』ことを教えることが出来るのだから。

 ネオはこの想いを、今までの音楽活動の中で、最高の歌詞を書いてやる、と誓った。

 これからの、『わたしたち』のためにも。

 

 

 

「う~ん」

 二十三時三〇分。明かりが消えた暗い部屋で、ピンクのパジャマを着たネオは、布団の中で呻っていた。

 ネオの家は、築三十年の古ぼけた二階建ての木の家で、実桜の家がある場所よりも緩やかな坂の上にできた団地にある。

ネオは二階の右の部屋を使っている。ちなみに左の部屋は、兄が使っている。

 実緒にも話した通り、机の上は学校で使っているノートや音楽雑誌がぐちゃぐちゃに散乱しており(その上、服も置きっぱなし)、女性らしからぬ、部屋の汚さだ。よく堂々と友達を入れることができるものだ。

 その空間でネオは、一〇代に絶大な人気のあるラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』を聴きながら、用紙とにらめっこしていた。

「ううーん」

 ああは言ったものの、なかなか歌詞が浮かんでこない。

 綺麗な言葉の方がいいのかなと考えるが、出てくる言葉はストレートな言葉ばかり。器用な言い回しの歌詞を書くのは、ネオにとっては難しかった。

 MC(教頭)の名台詞である『高二はいいぞ!』を聴いたところで、MDコンボの電源を切る。そして両耳にイヤホンを差し込み、アイポッドを起動させてゴロンと体を捻り、プロのアーティストの楽曲を聴きながら月を眺める。

今日は満月のようだ。雨が昼に降ったせいか、雲一つなく、星と共にネオを明るく照らしている。

 疾走感にあふれた曲は飛ばし、バラードばかりを聴いてみる。

すると、

『今もどこかで微笑んでいますように…』

「!」

 アイポッドから流れる歌詞に、ネオは耳を奪われた。

 小さい頃から自分が好きなアーティスト、Every Little Thing(通称ELT)の『good night』に。

そうだ。これだ。

ネオはガバッ! と起き上がって月を眺める。

「月ってこうやって見ると、わたしのことを見守っているみたいだよね。だったら、月から彼女が、実緒が元気でいるようにと願っている……。そういう歌詞にすれば……!」

 いける!

 ネオは、再び布団に寝そべり、置いてある紙に鉛筆で書いていった。すらすらと、言葉が浮かんでくる。

 そんな彼女を、月が優しく見守った。

 ――実緒! わたしやるよ!

 親友への想いをネオは歌詞に込めていった。

 

 

 

 そして、一〇月四日。一週間という短い期間の中で、新曲は完成し、明日の総合祭でやる選曲の音合わせも完了した。

ネオは家に帰る前に、実緒の家のポストに手紙をそっと入れた。

 moment'sのメンバーが夢にまで見たステージ――総合祭でのライブへの招待状を。

「あんたがいないとライブが始まらない」という想いを込めて。

 彼女への想いを胸に、ネオの総合祭が始まる。

第四章( 1 / 1 )

「実緒ーっ! 手紙が届いているわよーっ!」

「……はい」

 一〇月五日。午前一〇時。

 一階から母親の声がした実緒は、パジャマのまま階段を下り、白い封筒を受け取る。その姿に生気は感じられない。身体中が絶望に満ちている。

 自分の部屋に戻り、確かめてみる。

「宛て名が、ない」

 不思議に思いながら、実緒は封筒を裏返して見る。

 右下に、『実緒へ』という達筆な字が書かれている。

 ――明らかに怪しい。

 実緒は恐る恐る、封筒を開けてみる。

 中には三つ折りにされた用紙が入っていた。

 ゆっくりと開いていき、読んでみる。

「……!」

 その瞬間、実緒の目から一粒の涙が零れた。

 

『     実緒へ

 

 お元気ですか。うーん、『ですか』っていうのはやっぱり気恥ずかしいなあ。……普通に、わたしなりの文章で書くね。てへへ()

 最近はどう? 元気でやってる? 実緒が元気でやっているのか、すごく、すごーく、心配だよ。あの雨の日からずっと考えているんだよ!

 あの日は本当にショックだった。なんで? そりゃあ、実緒に、親友に拒絶されちゃったから。こんなこと小学生の頃に続いて二度目だよ。

 何度も言うけど、ホントに……本当にショックだった。悔しかった。あのゴミ武藤と同じにされたことが。

 わたしは……わたしは、実緒のことは本当にバカになんてしていない! これだけは事実! みっちぃ(長郷さんのことね!)だって、ナル男やタックン(一年生二人ね!)だって、すごいと言ってくれたんだよ。本当なんだから!

 助けたかったんだよ! だから、実緒の家まで、猛ダッシュで来たんだよ! 同じように夢に向かう親友の道を、閉ざさないためにも! どんなことがあっても、わたしだけは実緒の味方だって言いたかったんだよ!!

 でも……手をとれなかった。傷つけられていた実緒の心の限界に気づいてやれることができなかった。親友として最低だね、わたし。

 ごめん。本当に……ごめん。

 部活に行く前の実緒の暗くなった顔に気づいていたけど、それを気づかないふりをして、本当に、ごめんね。

 だから……聞いてほしいものがあるの!

 わたしの気持ちを実緒に届けたい!

 今の実緒には、不器用なわたしの言葉だと余計に傷つけてしまいそうだから、歌に込めたの。わたしが気づいたように、実緒にも『一人じゃない!』っていうのを! 傷つけられても、わたしやmoment'sのメンバーが味方だってことを! わたしたちがいつも背中から見守っているってことを!

 だから、怖いかもしれないけど……学校に来て! 『騙された!』と思って来て! わたしたち――わたしが、実緒のために用意した新曲を届けるから!

 今日の総合祭――13時から1時間半、わたしたちのライブがあるから、最後の曲までには……来てね。必ずよ!

 めちゃくちゃな文章になっちゃったけど、これがわたしの本心だから。この想いだけは、変わらないから!

 だから……待ってるよ!

あんたの親友より』

 文章から、一目瞭然であった。

 その送り主が誰なのか。

 あの女子学生からの正直な――熱い想いが感じる。

 強引なところもあるけど、常に笑っていた女の子を。

 夢に向かって一緒に頑張ろうと言ってくれた大事な友人。

「……ネオちゃん……!」

 私、なんであんなひどいことを……。

 謝らないと……。

 行かなくちゃ!

 自然と実緒の足は、制服が置いてあるクローゼットの方へと動いた。

 送り主に、会うために!

 

 

 

「みんな、期待しているわよ!」

今回のライブのオファーをもらった総合祭実行委員長、大山茜(おおやまあかね)がステージである講堂の舞台裏で、ネオと未知流を激励する。

「はい! 頑張ります!」

 ネオは気合いの入った声で返事をする。

 今日のネオたちは一味違う。ライブ用の服を着ているのだ。

 moment'sの服は、メンバーでお金を出して作った――胸に『Light』と白地で描かれた半袖黒Tシャツ以外は、自由な服装をしている。

 ネオは腰の部分に、右足の膝まで届くくらいまでの赤いサッシュを巻き、紺色の三段フリルのミニスカートと合わせて黒のレギンスを穿き、そして頭に黒のリボンをつけた、トレードマークのポニーテール――プライドの高いリーダーを表現している。

「今、先生たちにインタビューしているハヤトの、いや、片平(かたひら)くんがみんなのことを呼ぶから、そのタイミングで登壇してね」

「了解です!」

 と未知流がグッ! とアカネに向かって親指を突き立てる。

彼女は、ピンクのベルトを締めた、黒の短いプリーツ・スカート、黒のニーソックス、両手首には黒のシュシュ、そして腰まで届く漆黒のストレートパーマという、ワイルドな感じに仕上げている。制服を着てもそんな雰囲気があったが、さらに磨きをかけたみたいだ。

「アカネさん! 例の件、お願いしますね」

「まっかしといてー!」

 アカネはネオに手を振りながら、勝手口からでていった。

 総合祭。

 学生主体で、日頃の成果の展示や催し者を出して、学生はもちろん、保護者や地域の方々を楽しませる、学校の一大イベントの一つ。

 三年生は調理室を使って料理を販売しており、二年生や一年生は出し物を行っていた。中には、生徒会と実行委員会の許可を得て、視聴覚室でお笑いをしている学生や、部活でイベントを開いており、午前中から大賑わいだった。

 ネオのクラスである二年一組では、教室をすごろくに見立てて作り上げた出し物、『サイコロ☆あどべんちゃー』をやっており、彼女は午前中、その運営当番をやっていた。

 大人から子供までが楽しめる出し物であったためか、色々な世代の方が楽しんでくれた。

お客さんがしばらく来ないときは、運営しているメンバーで勝負をしていたのだが、『誰が好きか教壇で叫ぶべし!』とかいう、突拍子もないマスに止まってしまい、おかげで誰が好きか(もちろん実緒ではない)を無理矢理言うはめになってしまった。そのことは三人には内緒だが。

 そんなこんなでネオは楽しくやっていたが、一人足りない。

 その件について、

「竹下さん、ほんとどうしたのかなぁ?」と女子学生。

「そうだよな。何があったんだろ?」と男子学生。

 午前中に運営当番になった実緒のことを、クラスメイトのみんなが気にかけている。

 その声を聞いて、ネオはすごく嬉しかった。

 実緒には、帰る場所があることを。自分を始めとするクラスメイトの何人かは、彼女のことを待っていることを。

 ――それを……今日、伝えてやるんだ!

 やってやる!

 ネオは、責任重大だと感じ、気の引き締まる思いで講堂のステージを見つづけた。

 先にジャズ演奏をやった、三人の先生のインタビューもあと少しで終わる。

それを余所に、moment'sのタイムシフトが近づくにつれ、ステージ裏からでもはっきりと聞こえるくらい、学生たちの人数や大人や子供のざわつきが大きくなっている。学校でのライブやフェスに参加した結果なのかもしれない。

 ガチャ! と講堂内を偵察した絢都と巧が戻ってくる。

「人がものすごく集まってきましたよ……」

 絢都がネオたちに報告する。

 彼は頭に、部活でも使う白のバンダナを巻き、両手には黒の指ぬきグローブ、ズボンは青のデニムと、いかにもカッコつけた着こなしをしていた。さすが、ナル男と言われるだけのことはある。

 一方、

「緊張しますね……」

 と巧。緊張のあまり、手が震えている。

 彼は昨日言われたように、いつものクールで暗い雰囲気から脱却――いや、「自分を変えたいんなら、まずは服装からよ!」と夏休みのフェス前にネオから指摘され、未知流と一緒に自腹(バイトで貯めたお金)で買った、ビジュアル系バンドが履いてそうな、巧の細い脚を美しく目立たせるスキニーチノ、腰のベルトはギラギラと銀色に輝いている。そして、他のメンバーのような緑色の体育館シューズではなく、長身を活かした()、黒のブーツを履いている。本来はいけないが、今日は緑のシートが講堂中に敷かれているので問題ない。そして顔が整ったこのイケメン顔。いかにも某男性アイドル事務所でデビューできそうなテイストだ。

 その服装に似合わない、ガチガチの強張った顔をしている巧に、ニヤけながら左肘で脇腹をつつき、

「とか言って、ロックフェスのときは、相棒のベースを楽しそうに引いていたクセに~」

「今日もアレくらいやっちゃてよ~!」

 とネオと未知流に茶化される。

あのライブで巧は、自ら観客に近づき、愛用のエレキベースであるトランスブルーの『PLAYTECH(プレイテック)EBF-305(株式会社サウンドハウス製)』で自慢の音を披露し、普段は恥ずかしがっているくせに大声をあげ、終始テンションが高かったのだ。

そして終わった直後には、巧に興味を示した女の子たちがサインを求め、テンションスイッチをOFFにした彼は、大変な目にあってしまったのである。

 フェスから約二か月が経過するも、未だに頭に残る忘れられない出来事だ。

「い、いや、あのですね……アレは、体が勝手に……というかネオさんたちとやっているからで……」

「嘘つけ! おまえ、お客さんと一緒にものすごく楽しんでいたじゃないか! 出しゃばって俺よりも人気者になりやがって! ……いいか! 今日はおまえよりも俺が一流ってところを見せてやる!」

「ええっ!?」

 隣でムッとした表情で睨み付け、目から火花を散らす絢都に、巧は動揺する。

 その一幕をネオと未知流は笑った。

「……さてと、笑うのはここまでにして、あの子はまだ……ここには来てなかったよね?」

 未知流が真剣な目で絢都と巧に確認する。

「はい……ネオさんの携帯写真と同じ人は、どこにも……」

 巧はネオに携帯を返す。

「そう……」

 ネオの顔が暗くなる。

 ――やっぱり、そうだよね。

 そんな言葉を胸の中で思っているネオに、

「大丈夫さ」

 未知流が声をかける。

「あんたの気持ちはちゃーんと届いている。『最後のとっておき』までには、来るはずさ。信じてみようぜ。なーに、来なかったらCDに焼き付けて、意地でも渡しに行きゃあいいんだよ!」

 友の声に、ネオの不安という名の鼓動は収まった。

「うん。大丈夫。ありがとう、みっちぃ」

 張りのあるしっかりとした声色で、ネオは答えた。

「すいませーん! そろそろスタンバイをお願いしまーす!」

 暗幕のところに立っている、総合祭実行委員の男子学生が四人に声をかける。

 どうやら『夢の舞台』に立つ時間のようだ。

「よーし、それじゃあ、」

 ネオが未知流を見つめる。彼女は頷き、

「うん! 円陣を組むよー!!」

 おおっ! と四人は円になり、みっちぃ、絢都、巧、ネオの順に手を重ね、本番前の儀式を始める。

「みんなぁ! 今日は思い出に残る最っっっ高のライブにするわよ!! いいわね!!」

「「「おおうっ!!」」」

 リーダーの叫びにメンバーが応える。そして、

「せーの、」

 勢いよく弾ませ、四人の手が一斉に振り上がり、

「「「「ウルトラソウッ!!」」」」

 思いっきり声を張り上げた。

「さあ、行くわよ!」

 自分たちの音楽に絶対の自信を胸に秘め、ネオたちは今か今かと待ちわびている学生たちの下へ――自分たちが唯一大きな輝きを放つステージへと向かった。彼女たちの顔は、岩国総合高校の学生ではなく、バンドグループ『moment's』――Neo(ネオ)michi(未知流)ken(絢都)taku()へと姿を変えた――。

 

「さあ! みなさん、たい! へん! 長らくお待たせしましたぁ! いよいよ、いよいよ、彼女たちのご登場です! 去年は女子学生デュオとして、学校中を騒がしていた二人が、今年は一年生部員を加え、生徒会と実行委員直々のオファーで参加が決定したこのバンド! 前へ踏み出す瞬間を、彼女たちとここで刻もうじゃないかあああああああああっ!!!!」

 司会進行役である総合祭実行委員長アカネと同じクラスである、片平(かたひら)隼人(はやと)の全力のハイトーンシャウトに、「わ――――――っ!!」と彼女たちを見に来た大勢の者がハイテンションな声をあげる。まるで講堂がライブハウスになったみたいだ。

「それでは、呼ぶぜえぇぇぇぇ!! 岩国総合を揺るがせた四人組公認ロックバンド!! 

モウメ――――――――――ンツ!!!!」

「ゥワ――――――――ッ!!」

 顔を赤くしながら、ステージから出ていくハヤトとは対照的に、堂々と実行委員がセットしたステージへと向かう。自分たちのポジションへと移動し、未知流と巧はあらかじめ置かれているそれぞれの愛用の楽器を手に取る。そして、アンプから流れる音を確かめ、調整する。

 ネオは自分たちを見に来てくれて学生たちを見つめた。衣替えの期間だからか、夏服とブレザーを着た学生が混ざり合っている。

 学年の枠を超え、彼らに興味を示してくれた彼らの声や大人たちの拍手が止まらない。「ネオーっ!」、「みっちぃーっ!」と彼女たちを知る友達の大声や「ケンーっ!」、「タクー」という一年男子や、「野上ーっ!」、「伊藤、カッコイイーっ!!」という一年女子の声援が絢都と巧に飛び交う。

 そして、センターにいるネオは、左下で、

「ねおっちーっ!」

 と気さくに呼ぶ、クラスメイトであり、小学生からの長い付き合いである小倉優太(おぐらゆうた)と目が合う。

「!」

 午前中にあったあの屈辱的な事が蘇る。顔が赤く変色しかけるが、気づかれないように横に振り、持ち堪える。今は、ライブに集中しなくては! 平常心、平常心。

 とにもかくにも、ステージは完全にネオたちに支配された。

 さあ、開演だ!

 ネオは後ろにいる三人とアイコンタクトで確認し、ここいる者たちに叫ぶ。

「こんにちはーっ! 初めましてーっ! そして学生のみんなは久しぶりーっ! 軽音楽同好会バンド――『moment's』だぁっ、ぜぇぇ――――――いっ!!!!」

 歓声のボルテージがさらに高まる。そんな空気に、ネオの声も一体化する。

「わたしたちが目標としていたこの舞台のために、()りすぐりの楽曲を用意してきたよぉーっ!! 今しかないこの『瞬間』を、高校生活の思い出に刻んでやるからなぁー、耳かっぽじって遅れずに、ついてこいよぉ――――――っ!!!!」

 もはや歓声が「WAAAAAAAAAA!!」に変わるくらいの臨場感へと増す! 「はやく聞かせろ!」というギャラリーたちの思いがひしひしと伝わってくる!

「いっくぜぇ――――っ!!」

 ギュイイイイイイ――――――ン!!!!!

 未知流のハードなギター音が鳴り響き、

 そして、絢都のドラムが、

 ドドドドドドッ!!

 と唸り、

 ギュギュギュッ!!

 と巧のベース音が、それらの音を引き立たせる!

 ――総合祭最大の宴が、開幕した!

 

 彼女たちに送る歓声とリズムに合わせた拍手が鳴りやまぬ中、次々と歌いこなすmoment's。オリジナルの曲もあるが、中心となる楽曲はプロのアーティストで、お気に入りの曲を歌うコピバンなわけだが、ネオは彼らに匹敵するくらいの歌唱力で歌いこなす。

「みぃせ、つづぅ、ける、ことがモット―――!!」

 と、表現力豊かな人気若手シンガー、阿部真央の『モットー』を歌えば、

「時間が経ってぇ、色褪せたぁってー」

 miwaの『441』をハスキーボイスで力強く歌い、観客たちの心に『この瞬間』を刻んでいく。

 自分たちが決めた選曲を順調に歌い上げる。

そして、

「じゃあここで一旦、おふざけターイム!!」

 謎のコーナーの始まりに、観客たちは(どよめ)く。

「どーしても、この舞台で自分のキャラをさらけ出したいというメンバーがいるので、くぁわりに歌ってもらうわよーっ!! なるお――――――っ!!」

「うおぉぉおおいっ!?」

 (あらかじ)め決めていた演出ではないが、奥のドラムがある場所から、某有名お笑い芸人事務所が劇場でやっている舞台ばりのズッコケをなるお……いや、ナル男こと野上絢都が披露する。

 その演技に、開場はぶわっ! と笑いが巻き起こる。

 自分のことを『ナル男』と言われたのが気に障ったのか、顔を赤くしながら大股開きでネオの下へと行き、

「本番中にそれを言わないで下さいよっ!」

 ネオが持っているマイクをぶんどり、ボーカルの位置へと立つ。逆にネオは、奥にあるドラムの席へと座る。

 絢都はマイクを叩き、調子を伺う。

 すると、一年生と思われる男子学生から、

「ナル男――――っ!!」

「うるせぇ!」

 とマイク越しでツッコむ。

 そして、観客に向かって指を差し、

「い、いいかぁ~お前ら! リーダーからナル男とバカにされたが、そうはいかねぇ! 念願かなったオレ様の魅惑のヴォイスで、甘い楽園へと誘ってやるぜえぇぇぇぇ!!!!ウワ――――――オ!!!!」

 と全力でシャウトする。

 観客も大声でそれに応える。

「リーダーに説得に説得しまくって掴んだ、俺が愛してやまないアニメソングとその良さを、moment'sロックで表現してやるぜ――――――っ!!!! いくぞぉ! みんなも知っている今話題のアニメ、『世紀末美少女ポパイちゃん』のオープニングより、『恋に恋してノックアウト』オォォォォォオオ!!!!」

 ネオの小さなシンバル音から、曲がスタートする。

 よく知っているなぁ……と、盛り上がっている八割の学生たちに無言のツッコミを入れ、アニメの知識がこれっぽっちもないネオは、ドラムを練習通りに黙々と叩く。

 センターにいる絢都は、「これがやりたかったんだよ!」と言わんばかりのハイテンションでアニソンを歌う。

 ――そもそも彼がこうなったのは、今から二週間前。

「だーかーらー! アニメソングには、J―POPとは違う魅力があるんスよ!」

「魅力、ねぇ……」

 絢都の必死の説得に、ネオはうーん、と呻くように考え込む。

 彼は夏休みのフェスに向けて、「モテたい!」という野望の下、自ら歌声を披露して、ネオにチャンスをもらった。

それにより、ネオが作詞で未知流が作曲した、彼の歌声にあったハードロックなオリジナル曲『BURNING!!』を総合祭でも歌ってもらおうと思ったのだが、

「アニソンには、それしかないパワーが宿っているんですよ! ハイテンションにさせたり、J―POPにはない独特な曲調! そして、負けず劣らず、アニメから引き出された、現代に問うダイレクトなメッセージ性! 水木兄貴曰く、『アニソンには勇気や夢や希望や正義など、人間が忘れてはいけないものがたくさん揃ってる』んですよ!」

 と自分はアニソン好きだと主張し、「総合祭では絶対に歌いたい!」と言って引き下がらなかったのだ。

「『ゼット!』の人がそう言ってもなぁ。わたし、わっかんないし」

 その一言に、どんだけもったいないことをしているんだこの人、と絢都は心の底から思う。

「うー、みっちぃ先輩ぃ~」

泣きそうな呻き声をあげながら、隣にいる未知流に懇願する。

 未知流は顎に手を置き、目を瞑る。そして、数十秒も立たないうちに、何かを決断したように、パチッと目を開いて顎から手を離し、

「ネオ……やらせようよ!」

「みっちぃ先輩!」

 未知流の決断に、絢都は目を輝かせる。

「ここまでコイツが言うんなら、好きにやらせた方が今後のためにもなると思うよ。ここで断って、今、『やめます!』とか言われても困るし。それにあたしも、」

 そして不敵な笑みを浮かべ、

「アニソンを演奏することに、興味がある。面白そうじゃないの!」

 ふふん! と鼻で笑った。

 その発言にネオは、マ、マジ!? と驚愕する。

「まっ、これもmoment'sに必要だってことよ!」

 笑いながら、両肩を叩く。

「……というわけで、文句を言ったら……」

 ネオの両肩に鉛が乗っているかのように、グッ! と未知流の両手が重くのしかかる。

 これはもう逆らえまい。

「わ、わかったわよ~。……だったら、絢都! そ~んなに自信があるのなら、本気で歌ってもらうからね!」

「言われるまでもねえッス! やってやりますよ!!」

――とプレッシャーをかけたのだが、見事な歌いっぷりに、ネオも心の中で「すご……」と思った。歌声を披露したときから思っていたけど、まさかここまでとは。

 明らかに女性ものの曲ではあるが、高い音域をものともせず平気な顔で楽しく歌っているのだ。さすが、中学のときにもバンドを組んで、文化祭をアニソンで盛り上げただけのことはある。あのアニソンの帝王も驚くに違いない。

「――君にノックアウト、ノックアウト、ノ――――クゥ、アウトォ――――――ッ!!!!」

 空に向かってシャウトし、楽園の終幕を告げた。

 うお――――――っ!! と観客の叫び声が響く。

 その声に、絢都はすがすがしい表情で、

「この楽園、楽しんでいただけたかな?」

 左目をウインクし、左手の指で銃を作り、観客に向かってパキューン! とギザなポーズをとる。

 その姿に男子たちは、「いいそ――――――っ!!!!」や「ナルシスト――――――!!!!」と賞賛(?)が、逆に女子生徒からは「キモ――――――い!!!!」とか、「こんのナル男―――――――っ!!!!」とか言われ放題だった。

 ナル男発言した女子学生たちに向かって「その名で言うな!」とツッコミながらも、満足気な表情でネオと席を交代する。この舞台でアニソンが歌えたことが、相当嬉しかったのだろう。

「あとは頼みましたよ、リーダー」

「当然!」

 小声で絢都とやり取りをして、ネオは再び観客の前へと立つ。

「えー、ナル男よりわたしの歌声をもっともっと聴きたい人――――――?」

 耳に手を当て、観客の声を確認する。

 ネオの質問に、ウワアアアアアア――――――――!! と講堂中に声を響かせ、ネオに答える。

「聴きたいか――――――!!」

「聴きたい――――――!!」

「オッケー!! それじゃあ、景気よくいくわよぉ――――――!!!!」

 ギュイイイイイイ――――――ン!!

 再び未知流のエレキギターから、頭を狂わせるほどの大音響が講堂全体に響く! まるで彼らの脳内にある、ぐちゃぐちゃに渦巻いているたっくさんの悩みを、音に変換して絶叫しているかのようだ。

「まずはこれからぁ――っ! わたしが一番やりたかった曲、Every Little Thingの『JUMP』!!」

 ネオの叫びと共に、講堂が震動した!

 未知流の重厚なギターの響き、絢都のドラムさばき、そして、間奏のときに、

「かっこいい――――――!!」

 と女子学生から言われながらも、未知流と一緒に前へと出て、楽しそうに曲を引き立て、自分のエレキベースのテクを見せつける巧。今日もエンジン全開だ。そして、リーダーであるネオの歌唱力。

 曲が終わるたびに拍手喝采、歓声が轟く!

 その大波に乗るかのように、自分たちのボルテージも高くなる! 自分たちの音楽で!

 まさにネオが望む『自分たちと観客がこの瞬間だけ一つになる』ステージへと登りつめていった。

 そして、時間はあっという間に過ぎていき、

「えー、楽しい時間も残念ながらね、これが最後の曲になって、」

「ええ――――――――――っ!?」

 ライブではつきものの、残念がる観客たちの声。

「もう時間がないんだぁー、次のプログラムがあるからねぇ……」

 ネオは残念そうな声音で観客に答える。

 「嫌だ――――――っ!!」「まだやって――――――!!」という声が聞こえる度に、ネオに笑みがこぼれる。諦めずにバンドをやってよかったと思える。

「それじゃあ……最後にふさわしく、とびっきりちょ――――――ういい曲を歌うからさぁ、それでいい?」

 とネオは観客に訊ねる。

 「いいよ――――――っ!!」と女子学生の声、「やれやれ――――――っ!!」と男子生徒の声。

 『あの曲』を歌う準備は整った。

 しかし。

 この舞台の『主役』がまだいない。ネオの想いが詰まった歌を捧げる唯一無二の親友。

 そう、彼女が……。

 ――実緒。

 

 

 

 朝と放課後に学生が行き交う下駄箱前の階段で、総合祭実行委員長の大山茜(おおやまあかね)がブレザーを膝にかけて座っている。

「はぁ~」

雲一つない青空の陽気に似合わないため息が漏れる。

ここに座って、かれこれ1時間弱が経過。

 そろそろ彼女たちのライブが終わる頃だ。

「待ち人来ず、って感じだな」

「ハヤト」

 下駄箱の方から、夏服姿の片平隼人(かたひらはやと)がアクエリアス(ペットボトル)を持って、彼女の下へとやってくる。

「ほい」

「あ、ありがとう」

 アクエリアスを渡し、アカネの左隣に座る。

「ハヤトっていっつもこれだよね~」

 アカネはペットボトルのラベルを見つめる。

「しょうがねぇだろ。好きなんだから」

 ゴク、ゴク、とノド鳴らして飲む。

 アカネもハヤトに続く。

「ぷっはぁーっ! ……ねぇ、ホントに来ると思う」

 アカネはハヤトに訊ねる。

「さあな。麻倉さんが言うんなら、来るんじゃないか」

「何よ、その根拠」

「それを信じているから、待っているんだろ?」

「そ、そうだけど」

 ネオからライブ前に、「学校に来なくなった親友を、わたしのクラスメイトの竹下さんを呼んだから、来たらソッコーで連れてきてください。お願いします!」って頼まれたときの、彼女の強い目を思い出す。「やるべきことはやっていますから!」と言われているみたいだったから、頼みはしたが。

 アカネは腕時計を見つめる。時刻は、タイムシフトが終わる時間に差し掛かっていた。

「うーん。残念だけど、もう時間だわ。次のプログラムもあることだし、サインを送らないと……」

 moment'sに報告するために、ブレザーを着て腰を上げたそのとき、

「あっ!」

 ハヤトが急に立ち上がって指を差す。

「誰かがこっちに向かってる!」

 彼が指を差す方向から、こちらに走ってくる女子生徒を確認する。

「まさか……」

 アカネは上履きのまま、彼女の下へと走っていった。

 

 

 

 ……。

 顔を俯いたまま、ネオは舞台の中心で彼女の出番を待ち続けている。

 静かになった彼女たちに、観客も静まり返る。

 その空気の中で、時間を稼ぐ。「早くやれよ――――っ!!」という男子学生の大声が響く。

 それでも、待つ。

 待ち続ける。

 だが……。

 タイムシフトがあと八分で終わってしまう。

 もう、時は来てしまった。

 未知流がネオの下に駆け寄り、左肩を叩く。彼女の顔を見つめるネオ。

 タイムリミットだと思った。しかし、未知流が講堂の入口の方へ指を差す。

 その視線の先には……、

「!」

 講堂の入口に、アカネの後ろにポツンと立っている女性がいる。

 アカネが目配せしながら親指を立てる。

 ――彼女しかいない!

 急いで来たからか、彼女は息を吐きながら、少しずつネオが立っている舞台の方へと進む。

 これで準備は整った。

 ネオは観客にばれないように顔を下に向け、笑みを浮かべる。

 そして、

「お待たせしてゴメン! よーし、役者も揃ったことだし、今から最後の、moment'sのとっておきのオリジナル新曲をやっちゃうわよ―――――っ!!!!」

 右手を突き上げて、宣言する。

 歓声の渦の中、たった一人の女の子を凝視しながら、ネオは真剣な目つきで学生たちに応える。

「これは……みんなにも、そしてわたしにもありえることだけど……傷つけたり、傷ついたり、拒絶したり、されたり、色々な経験を通して、一人ぼっちになりたいこともあると思います……でも、絶対に一人ではない。世の中には家族を始めとする、たっくさんの人がいる。その中には嫌う人もいる。でも、自分を受け入れてくれる人は必ずどこかにいるはず。心が折れそうになった自分を前へと後押ししてくれる人がきっといる。そんな、互いに助け合う関係は、どんなところでも結ばれる。見えなくても、後ろでそれに支えられているはずだよ。そんな想いを全ての人に捧げます……これは、私の、友達への、不器用な気持ちを歌詞に込めた、大切な曲です」

 涙をこらえながら、震える口から自分の気持ちを言い尽くし、

「聴いてください。『moonlight』」

 始まりの合図を告げる。

 その瞬間、ステージのライトが、ネオだけを照らす。まるで、月から見守る聖女のようだ。

 その聖女を彼女――実緒は見つめる。

 優しくて、力強いエレキギターの音が鳴り響く。

 

『冷たい夜に キミの名を呼んだ

 その声は閃光のように かき消された

 

 こんなにも想っているのに 何で遠ざけるの?

 ねぇ 教えてよ!

 わたしのナニがイケナイの……

 

 月の光の中で 私は見ているわ

 背中からキミを包み込んで

 一緒に行きたい わたしの『勇気』を与えたい

 「側にいたい」と叫んでいる

 

 雨降る夜に キミの涙が映った

 黒く塗りつぶされて 涙があふれた

 

 この雫を照らしたい キミを輝かせたい

 ねぇ 教えてよ!

 わたしにデキルコトを……

 

 キミの手を わたしが掴むわ

 「いつも側にいるから」

 振り返れば いつもここに立っている

 キミの力になりたいから』

 

 ネオからの、胸に痛いほど伝わる自分への気持ち。

 実緒の胸にぽっかりと開いた孔に、ネオから貰った、金色にキラキラと輝く月の雫で埋めつくされる。自然と涙が零れる。

 間奏に流れるエレキギター、エレキベース、ドラムの優しい音色が、自分を闇から引きずり出していく。

 そして、ネオが実緒の手を――

 

『その手を掴んだ瞬間 扉が開いた

 一緒に行こう

 わたしたちはひとりじゃない

 もう 怖いものはないよ』

 

 涙で濡れた瞳を輝かせて、力強く――

 

『キミの手を わたしが掴むわ

 「ここにいるから」

 振り返れば いつも叫んでいる

 キミの名前を

 

 あの月の光の中で

 

 見守っているから……』

 

 歌にのせて、実緒の手を強く掴み、光の世界へと連れ出した。

 ネオは涙を見せながら、精一杯の笑顔を作る。そしてメンバー全員で、聴いてくれた観客に一礼した。

 学生や大人たちの心に響いたのか、彼女たちが舞台から降りるまでの間、会場は暖かい拍手に包まれた。

 そして、実緒は学生たちの後ろで泣き続けた。

 それは黒ではなく、純白の涙だった……。

 

 

 

「「「「かんぱーい!!」」」」

 ホームルーム終了後。

太陽が沈みかけ、星や満月がうっすらと見える中、四人はプレハブ小屋でドリンクをコツンと当て、ささやかな飲み会をしていた(もちろん、学生服に着替えている)

 ライブは大盛況のうちに終わった。

 四人は各クラスで、「楽しかったよ」「いいライブだったぜ!」「あの曲良かったぜ」など、クラスメイトから賞賛の言葉をもらい、喜びを噛みしめた。

 自分たちのライブという『瞬間』を、彼らの胸中に刻まれていることに。

「あっという間だったね……」

 夕日を見ながら座っているネオがポツリと呟く。

「うん。だけど、楽しかったね」

 ネオの呟きに、右隣にいる未知流が答え、

「そうっスね。最高だったス」

「はい」

 絢都と巧が続く。

 彼女たちは達成感で溢れた顔つきだった。どんな風に楽しかったと聞かれても具体的な理由などない。ただただ、あのステージが楽しかったのだ。

 こんな異例な部活に『特別枠』としてバックアップしてくれた、生徒会と総合祭実行委員会には感謝しないといけないなとネオは思った。

 そして、自分についてきてくれた三人にも。

 実緒の件から今日にかけてネオは、自分の背中にはこの三人やクラスメイトの友達、ライブを見に来てくれる人たち、家族など、力になってくれる人が背中にたくさんいるという自分に改めて気づくことができた。

 自分もこの『瞬間』を忘れてはいけない、いや、忘れることのできないものとなった。

 これからも自分と自分を支えてくれる人を大事にしながら、歌手と言う夢に向かって強く生きていこうとネオは思った。頼れる仲間がいるのだから。

「……それにしても……巧。おまえ、女子たちにサインを求められていたよな……」

 絢都はじろり、と巧を見つめる。

「い、いやあ……そ……それは……」

 巧は後ろ頭に手を当て、顔を赤らめる。

「そうなの!?」

 ネオはクイッ! と急に巧の方へと振り向く。

「ター坊、モッテモテじゃないのよー」

 やるねぇ! と未知流は巧の背中をバシバシ叩く。

 うげっ! と巧は呻いた。

「そーなんスよ! オレは巧よりも先に教室に帰ってたんスけど、しばらくすると廊下から女子たちの声がうるさくて、なんだと思ったら、コイツがサインを書いていやがったんですよ~!」

 ふてくされた表情で巧に指を差す。

「そ、そーいうー絢都だって、サインを書いてたじゃないか!」

「違う! オレはサインを書くぞーとアピールしても、『ナル男には興味はないっ!』『アニオタはどっか行けっ!』って断られたんだよ! おまえだけいい思いしやがって」

 立ち上がり、こんのー! と巧の首を絢都は絞める。

「ぐええええ――っ!」

 蛇のような腕を前に、巧は喚く。よっぽど悔しかったのだろう。せっかくチャンスをもらったのにこのザマなのだから。

「……ったく。なんでこうなるんだよ……」

 巧から離れ、絢都は俯いて両手で頭を抱えた。

「まあ、ナル男はナル男だからねぇー」

 ぐふふ、と悪戯っぽい笑みで絢都を見つめる。

「そうッスよ! だいたい、あんときネオ先輩がナル男って言うから、こうなったんじゃないっスか――!!」

 ネオに向かって指を差す絢都。

「いやいや、あんたがアニソンを歌うからでしょ!」

 ネオは立ち上がって絢都を責める。

「アニソンのせいじゃないっス! どう見ても先輩のせいっス! この殺人鬼ヘアーが!」

 絢都はネオに近づいて反撃する。

「なんだとー! わたしのトレードマークにケチをつけるな! このナルシスト!」

「ナルシストはそっちだろーっ! ワガママリーダー!」

「ワガママなのはそっちも同じでしょー!」

 う――――――っ! 飲み干したペットボトルをギュッ! と握りしめ、バチバチと火花を散らすネオと絢都。

 もう! と未知流が割って入ろうとするが、

「みんなーっ!」

「!」

 文化祭実行委員長である大山茜(おおやまあかね)がやってくる。

「あっ、なんかぁ、タイミングが悪かった?」

 二人の睨み合いを目の当たりにして、アカネは(おのの)く。

 ネオと絢都は彼女の顔を見て、硬直する。

「い、いえ、全然!」

 未知流はそういうと、ネオの背中を叩き、

「そ、そうね! みんな! 整列!」

 サッ! と靴を履いて、先輩と同じ目線になり、綺麗に横に並ぶ。

「ははは……そう固くならなくてもいいのに」

「いやいや、アカネさんには頭が上がりませんよ。この度は本当にありがとうございました」

 メンバーを代表して礼をするネオ。

「いやいや、こちらこそ最高のライブをありがとう。それで、ちょっとお客様を呼んだんだけど……」

「お客様?」

「うん。竹下さーん!」

「実緒!?」

 アカネが呼んだ名前に、ネオたちは仰天した。

 アカネが向いている方向――校舎の角から現れる。

 ブレザーとスカートを正しく着た、見覚えのある彼女――竹下実緒が恐る恐るこちらに来る。

 久しぶりのネオに、

「ね、ネオ、ちゃん……」

 身体を震わせながら、ネオの顔を見上げる。

 そんなネオに、

「なーに怯えてんのよ、実緒!」

 気負うことなく彼女を見つめるネオ。

「わたしの曲、聴いてくれた?」

「うん。すっごく、良かった……」

「よかった。書いた甲斐があったよ」

 ネオは実緒に微笑む。

「ネオちゃん……わたし、わたし……」

 実緒の瞳から大粒の涙が溢れる。

「謝り、たくて……」

 うっ……ううっ……。

 ネオはそんな実緒を優しく抱きしめて、

「なんで謝る必要があるのよ。ありがとう、来てくれて」

「ネオ……!」

 ネオの胸の中で、実緒は子供のような泣き声をあげた。それは悲しい涙ではなく、嬉し涙であった。

 「ごめんね……ごめんね……」と実緒は言い続けた。

 ネオは優しく頭を擦ってあげた。

 これでもう大丈夫。

 一緒に、『夢』に向かって頑張ろう。

 

 抱き合う二人を、未知流と絢都と巧、そしてアカネは微笑んだ。

 

 抱き合う二人を満月が優しく照らした。

エピローグ( 1 / 1 )

 朝のホームルーム前。

「ネオちゃん!」

 二年一組の教室で、廊下側から二列目の一番後ろの席に座ったネオは、声を掛けられる。

「おはよっ、みおっち!」

 みおっち――実緒に挨拶をかわす。

 あれから二週間が経過した。

 

 総合祭が終わった直後、実緒はホームルームには出席せずに自分の身に何があったのか、学年主任の先生に事のすべてを正直に話した。

 それにより武藤(むとう)は翌日、職員室に無理矢理担任に連れてこられ、二年生を受け持つ全教師を前に、警察のような事情聴取を受けた。最初は口を開かなかったが、ネオと未知流、そして美術の部長のありのままの証言プラス先生方の鬼のような形相を前に、観念して実緒を傷つけたことを話すことになった。

 それを基に生活指導課の先生と担任、校長の話し合いの結果、彼は一か月間の停止処分と部活の退部を言い渡されたが、「それだけはやめてください!」という実緒の申し出により、退部は免れた。慈悲深き彼女の一言を受け、武藤は泣き崩れてしまったのだとか。

 そのことについて心配したネオは、携帯で訊いたのが、

「ネオちゃんみたいに……彼ともそういう関係でいたいから。一人減るのは淋しいことだし、もし、彼と私に何かあったらネオちゃんがいるから、ね!」

 と明るい口調で実緒は言った。

 多くは話さなかったが、実緒なりの考えがあるのだろう。ネオのように、自分も彼と対等になって、友人という関係を築いていきたいのかもしれない。

 そして実緒は、一週間後に復帰することが決まった。

この間にネオは、クラスメイト全員と実緒についての話し合いを放課後に開き、「実緒が学生生活に復帰できるような環境にしてほしい」と頼んだ。

しかし、それは杞憂であった。

 クラスメイトは全員その気でいたのだ。おとなしいけど、授業中に分からないところを教えてもらったり、話しかけたら話してくれるし、掃除時間でも細かいところまで見たり、気配り上手だし、とみんなそれぞれ、実緒に好感をもっていたのである。しかも、男子生徒にはファンもいた。彼らは、彼女のことをちゃんと見ていたのだ。

 ――これなら何も心配はないわね。

 一週間後。実緒が教室に入ってきた瞬間、クラスメイトは「心配したよ」「大丈夫?」と声をかけ、彼女は気持ちよく学校生活へ復帰できた。

 

「ネオちゃん、軽音楽同好会の立て看板の下書きができたよ。はい!」

 実緒は二つ折りしたA4用紙を広げる。

「わぁ~すごい! これがわたし!? か、かっこいい~!」

 「総合祭のライブを参考にしたの」と実緒は言った。ステージでマイクを両手で持って力強く歌っているのがネオ。右上にエレキギターのヘッドを真上にして豪快に弾いているのが未知流。左でクールに器用な指使いでエレキベースを弾いているのが巧。そして、右上には白いバンダナを巻いて、ドラムの中央でスティックを持って決めポーズしている絢都。彼らの個性を引き出した絵となっている。

 ネオは目を黄金に輝かせながら絵を見つめる。

「ありがとう実緒! これで、夏休みに作ってくれたものをポスターにすれば、確実に新入部員も入ってくるわ!」

「ふふ、どういたしまして」

 満足気なネオに、実緒は微笑む。

 そこに、

「おっ! 何見てんの?」

 横から()(ぐら)(ゆう)()がネオの持っている紙を奪い取る。

「おわっ!」

 ネオは左隣にいる優太に驚く。

「な、なんであんたがここにいるのよ!」

「そりゃあ、隣でまじまじと見ているからだろ。へーこれ、竹下さんが描いたの?」

 優太は実緒を見つめる。

「うん。そうだよー」

「へ~すげぇ……こんなかっこいいのも描けるんだ」

「そうよ! 実緒はなんでも描けるんだから!」

 自分のことではないのに、威張って見せるネオ。

「おまえが威張ってどーすんだよ。……こんなの見ると、おれも竹下さんのファンになっちゃいそうだなぁ~」

「ふぁ、ファン!?」

 ネオが急に高い声を上げる。

 クラスメイトも一瞬、ネオを見る。

「ん? なんで急に大声をあげるんだ? つーか、何顔を赤くしてんだよ」

 不思議そうな表情でネオを見つめる。

 その顔がネオの顔をさらに赤くさせた。

 なぜなら、

 

『わたしは優太が好き――――――っ!!』

 

 ……総合祭での悪夢が蘇るからだ。

「う、う、うるさーい!! どーでもいいでしょ!」

 返して! と奪い返す。

「な、何なんだよ……」と言いながら、優太は自分の席に座った。

「まったく! なにがファンよ!」

 と小声でつぶやき、すぐさま隣の席で友達と話している優太に目を細めた。

「ネオちゃん……まさか小倉君のことを……」

「ち、違う! 絶対に、ぜぇーたいに違うからね!」

 くすくすと笑う実緒に、必死の全否定をするネオであった。

 

 

 

 ホームルーム。

 廊下側から二列目の最後尾に座っている、学校指定の長袖カッターシャツの首のボタンを外し、緑のリボンを垂れ下げ、その上にブレザーを着用し、タータンチェックの学生スカートを膝よりも上げた、ポニーテールがトレードマークのネオ。

そして彼女の右隣(廊下側)の前から二番目には、校則通りに服装を着こなす、真面目でおっとりとした、親友の実緒が座っている。

 そんな当たり前に見ていた光景が、ネオはどことなく真新しく見えた。きっと、新たな関係を結んだからに違いない。

 

 ――月のように輝かしい、夢を追う二人の新たなる日常が始まる。

 

《終わり》
永山あゆむ
HEROES OF THE SCHOOLシリーズ moonlight
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