HEROES OF THE SCHOOLシリーズ moonlight

第一章( 1 / 1 )

 七月。夏休み前。

 セミの鳴き声で、余計に暑苦しく感じるこの季節。

「はぁ~」とため息を漏らしながら、ネオは二階の職員校舎と学生校舎をつなぐ廊下を歩いていた。

「な~んで、ウチの高校は校則がこんな厳しいのよ~」

 はぁ~、と再びため息が漏れる。

 昨日、期末試験の全科目が終わった次の時間に学年集会があり、その時に服装検査が実施された。いつもの服装――夏服用の半袖カッターを私服のようにだら~っとスカートの上に重ねて、灰色のスカートは膝よりも上(ミニスカ状態)。よくテレビで見る、都会に住んでいる女子校生と同じような服装だ。

 しかし現実は、ニュースでよく見る映像のように甘くはなく、岩国総合高校の校則規定(どの公立、私立高校も同じだと思うが)による服装は、シャツはスカートの中に入れ、そのスカートの丈は、膝よりも下でなくてはならない。

 その校則に基づく検査で、ネオは担任の先生(女性)に、「なんでそんなにだらしない格好をしているのよ!」と、これが当然! と思っているネオは鬼のような形相できつ~く言われ、再検査を昼休みに受けることになったのだ。ちなみに、彼女と同じ格好している未知流の方はというと、事前に服装を正し、免れていた。

 しぶしぶと校則通りの服装に直し、そのファッションを見せる開場――職員校舎三階にある視聴覚室で、先生にきちんとした姿を見てもらった……までは良かったのだが、検査終了後、すぐに廊下で元のスタイルに戻ったところを先生に見られて、再び注意をきつ~く受けてしまった。

 その結果、ぶつぶつ一人で文句を言うほどナイーブな状態になっているのである。アニメのように額の左側に、頭から目のあたりまで直線が三本と青白さが、どことなくうっすらと見える。

 そんなテンションのまま、ネオは自分の教室である、二年一組の教室へと戻っていった。

 いつもなら選択授業など多目的に使われる選択教室で、未知流やクラスの友人たちと共に、歌って、踊って、バカ騒ぎをしているのだが、さすがにこのテンションだと、雰囲気を悪くしてしまうと思ったので、静かに席に座って伏せておこうと、頭から両肩まで重くのしかかる疲れを解放しようと思ったのだ。

 教室は、学生が色々な場所で話したり、遊んだり、男女がデートのような雰囲気になっていたりするような賑やかな雰囲気ではなく、女子学生が数人いるだけで、わりと静かだ。

 ゆっくり寝とこ……、とネオが思ったその時。

「……」

 たまたま、廊下側の前から二番目に座っている女子生徒に目が付いた。

 小柄で、ネオとは対照的に校則を守った服装で、髪は肩にかかるくらいでふわふわしており、清楚なお嬢様のように見える。

――確か名前は、ええと、なんだったっけ?

 悲しいことに、ネオの記憶にすら出てこない女子学生は、何らかの作業をやっているみたいだった。

 ネオは彼女が何に夢中になっているのかが気になり、彼女の左隣の席から覗いてみる。

女子学生の机の上には、A4サイズの用紙。左手には鉛筆を握っている。

 ――何かを描いて……いる?

ネオの存在に気づく素振りは全く感じられない。さらに、話しかけられる雰囲気でもない。まさに、一意専心状態とでも言うべきか。

女子学生の作業をしばらく観察する。

 しかし、5分足らずで、

「う~っ!」

 と低い声で呻く。

 チーターのように獲物の様子をじ~っと伺うような状況に我慢できなくなり、己の好奇心の赴くままに彼女の席へと歩み寄る。

 そして、

「ねぇ」

 女子学生に声をかけてみる。

 しかし、

「……」

 無言。

 本気で「あの状態」のようだ。

 ムッキーッ!!

 ネオはやけになって、人を寄せつけぬほど夢中になっている女子学生の耳元に近づく。

 そして、

「わあぁぁぁ――――――っっっ!!!!」

 ライブの時と同じくらいの、張りのある大声を叫ぶ。

「うわぁあああっ!?」

 女子学生の耳が、ネオの罵声を左から右へと貫通し、あまりの大声にびっくりして、首から頭にかけて電撃が走り、震える。

 彼女はビクビクしながら、左にいるネオの方へ顔を向ける。

「……そ、そんなに怖がらないでよ」

「だ、だって、あまりにも大きな声だった、から……」

「あんたがわたしに気づいてくれないんだから、大声も出すわよ!」

 ちょっとやりすぎたかな、と内心思いながらネオは、自分がシカトされたことへの不満を漏らす。

「あ……ごめん。自分の好きなことをやっていると、つい夢中になって……」

「もうー」

 ネオは腕組みをしながら女子学生を睨む。

 そんな彼女に、女子学生は顔を赤くし、視線を下に向ける。

「そ・れ・で、何を描いているの?」

 ネオは猫のような人懐っこい笑顔で、女子学生の顔を覗き込みながら訊ねる。

「え?」

「その紙に何を描いていたの!?」

 ネオは、きょとんとしている女子学生の作品に指差す。

「あ、ああ、これのこと?」

 女子学生はチラッと机の上に置いてある紙を一瞥する。

「これ、まだ途中だよ」

 それにうまく描けていないし、と女子学生は見せるのを躊躇(ちゅうちょ)する。

「そんなのいいから、いいから! ね! ちょっと見せてよ!」

「あっ!」

 ネオはネコ型ロボットで有名なあのアニメに出てくるガキ大将のように、女子学生の机の上にある用紙を強引に奪い取り、どれどれ~、と見つめる。

「やっぱりうまく描けていないよね……?」

 自信なさげにきゅっ、と女子学生は身体を萎縮(いしゅく)する。

 しかし、

「!」

 その未完成の絵に、ネオは思わず息を()みこむ。

 ――かわいい!!

 ネオからしてみれば、黄金のように輝いていた。

 ドレスを着た清廉(せいれん)な女性が、花畑で穏やかな表情で風を感じている姿を。途中なので、まだ花畑が完全に仕上がっていないが、この世のどこかに存在しているのかと思えるくらい、すごく生きているように見える。

 おおっ! おおおおおっ!! と女子学生の絵に釘付けなり、そして、

「す、す、す、」

「?」

「すっっっっっごぉ――――――いっ!!」

 喉につっかえた言葉を強引に大声で吐き出し、ネオは最大限の驚嘆を露わにした。それは形となって宇宙に向かって飛んでいき、女子学生の髪を暴風のように大きく揺らした。光線を吐く大怪獣のように。

光線が消えた瞬間、時が止まったかのようにシーンとなる。

教室内や廊下を歩いている学生全員が声の主――ネオをじーっと、注目する。

「あ、はははははは、気にしないで」

 ネオは笑いながら周囲に平謝りして、その場をごまかした。だって、すご過ぎたのだ。大声以外にどんな表現をすりゃあいいのよ!? 

 そんなネオを女子学生は、唖然たる面持ちで見つめる。どんな風な言葉を返したらいいのか、分からない。

 二人の間に微妙な空気が漂う。

「ご、ごめん」

 とりあえず、リアクション芸人並の表現をしてしまったことに、後頭部に手を当てて謝ってみる。

「い、いや、気にして、ない、から……」

 女子学生は、ドン引きしたような、驚いたような、わけがわからない表情でネオを見つめた。

 ……。

 ここから、どういう流れにすればいいんだ? このまま立ち去ったほうがいいのだろうか? いや、このままでいたら、彼女の頭に「うざい女子」というイメージが(まと)わりつくのでは?

 頭の中で思考がぐるぐると渦巻く。

 よし! ここは強引に!

 ネオは覚悟を決め、左手に持った絵を右手で指を差しながら、

「い、いやぁ~、ホントにすごいよこれ、ほんとに! 生きているみたいでさ! わたし、そんなに絵がうまくないから、羨ましくて! それから、え~っと、え~っと……」

 ネオは脳内で必死に言葉を絞り出す。

「あ、そう! リアルにいるみたいで! 大自然に生きている彼女が、風を感じながら、友達? か何か、う~ん、人の温かさっていうのかなぁ? それを感じているみたいな? なんか、わたしがやっているものと似たような感覚っていうか、そんなイメージが沸いてきて……あ~もうっ、そうじゃない! え~と、え~と……」

 こーでもない、あーでもない、とネオはぶつぶつ独り言を漏らす。

「あ~っ、もう! どういう風に言えばいいのよ~!」

 制御不能で大暴れするポンコツロボットのように、顔を下にして頭を抱え、大混乱している。

 そんなポンコツ女子学生が披露した、不器用丸出しの賞賛劇を見て思わず、

「ふふふふふ……」

 と女子学生は我慢できなくなり、しまいには、

「あはははは!!」

 腹を抱えて大爆笑。

 おとなしい割にこんな笑い方もできるんだ、と思いながら、彼女を呆然と見つめる。

「あ、ご、ごめんなさい」

 顔を赤くしながら、謝る。

 ウチのバンドにいる誰かさんみたいだなぁ~、と思いながら、ネオは腕組みして顔をぷく~っと膨らませて、

「全くよ! すっっっっごい褒め言葉を考えていたのに!」

 といじけて見せる。

「でも……結局、思いつかなかったのよ、ね?」

 女子学生が冗談っぽくネオに訊ねる。

 グサッ! と心臓が射抜かれた音がネオだけに聞こえる。

「ま、まあ、そうなんだけど……って、収拾つかなくなったから、こ~んな展開になっちゃったじゃないのよ~!」

 冗談を逆ギレで返す。

「そ、それは、無理矢理貴方が賞賛するから、」

「わたしのせい!? いやいや、あんたも何とか言えばよかったじゃないのよ!」

「そ、そんなの、すぐに思いつかないよ~!」

「はぁ!?」

 わあ、わあ。

 ぎゃあ、ぎゃあ。

 賞賛劇が、収拾つかなかったオチについての議論へと発展していった。

 

 一〇分が経過。

「――だいたい、あんたが『この先どうする?』って投げかけて、わたしが、『何もなかったことにしよ! てへぺろー』って返せば、すぐに次の話題に行けたのよ!」

「そ、そんなの、私には無理だよ~」

「じゃあ、どうすればよかったのよ!?」

 路上ですれ違う犬の吠えあいのように、言い争いが続く。二人のやり取りは次第に熱を帯び、廊下中に響き渡る。

 「何をやっているんだ?」と、二年一組の周りに学生が次第に集まる。もちろん、男女関係なく。

「おうおうどうした!?」と、走って会場に来るものや、「ものすごい舌戦だねー」と他人事のように見る学生。「女性の喧嘩ってこういうものなんだなぁ~」とか、「すげー」と、初めて見る女の喧嘩を新鮮な気持ちでまじまじと見つめる男子学生のやり取り。

 それに気づかず、二人は言い争う。

 そんな、『オチはどの方向へ導けばよかったのか』というお題目による、大激論ショーを、『あの女』の一喝のよって、終了へと導かれる。

 その女は、「あー、はいはい、どいてどいてー」と涼しげな顔で、大勢の学生たちの間を()(くぐ)って進んでいき、教室へと入る。

 そして、

「おまえらぁーっ! いつまで喧嘩しとるんじゃあぁぁぁぁっ!!」

 ドゴ――――――ン!!

「「!!」」

 女子学生の机が破壊されるほどの鉄槌から、電撃が二人に向かって走る。

 ネオと女子高生は、その電撃に痺れたように、カク、カク、と少しずつ制裁者の方へ見やった。

「フン!」

 腕組みしてそこに立っているのは、

「み、みっちぃ……」

 みっちぃこと、長郷(ながさと)未知流(みちる)だった。

 刺々しい漆黒の髪の毛先が、さらに洗練されたものになっている。その姿はまるでSっ気たっぷりの黒薔薇の女王だ。紫色の魔のオーラが背中から見える。

 ネオと女子学生のみならず、周囲にいるギャラリーのみなさんまでもが、女王の怒りに(おのの)く。

 シーン、と者抜けの殻になったかのように静寂につつまれる。

 ややあって、黒薔薇の女王、いや、未知流様からの、

「おまえたちもぉーっ! これは見せモンじゃねぇんだぞ!!」

 ――雷がギャラリーを襲う。

「悪魔が現れた~っ!」、「わあぁぁっ~っ!」と廊下にいる学生たちは、一目散(いちもくさん)にその場から離れる。

「人を悪魔扱いするとは、失礼にもほどがあるっつうの!」

 廊下を横目で睨みつけ、ハア~、と息をつく。

 いやいやいや、悪の女王だったよ! とネオは内心でツッコミしつつ、キッと自分を睨み付けてくる未知流を見つめる。まだ、紫のオーラは消えていない。

「……」

 無言の怒りを抑えてもらうためにネオは、ははは、と笑いながら、

「てへぺろー」

 オチ収拾議論で思いついた案を実行してみる。これで、少しはなごんだ、とネオは思った。

 しかし、

 バッコ――――――ン!

 鉄球のような拳で、未知流は無言で頭を叩いた。彼女は強いのだ。中学校まで空手を習っており、その実力は黒帯レベルだとか。

「いった~いっ!」

 ネオは、涙目で叩かれたところ擦った。

「バカネオが」

 ふ~っ、と未知流は拳に息を吹いた。

 二人をこうしてみると、妖艶で肝の据わった姉といじっぱりの妹みたいな関係だなと、女子学生は思った。

「だってぇ~」

「だってじゃない! ……ごめんな、ネオが余計な茶々を入れて」

「い、いえ……」

 ネオの姉として謝る未知流に、女子学生は思わず両手を振る。

「はあぁ~、センコーに怒られるし、みっちぃにも雷を浴びるしー、なんでこんなに運がないのよ~」

 そのまま抜けた空気のようにぷっしゅ~っ! と膝を床につき、女子学生の机に顔を伏せて寝そべる。

 その姿に女子学生は目を丸くする。

「はいはい、ご愁傷様。じゃあ、これからはバカな喧嘩しないで、仲良くやること! いい!?」

「はーい」

 ネオの気の抜けた返事を聞いた未知流は、漆黒の長髪をパサッ! と揺らし、教室から立ち去る。

「だ……大丈夫?」

 腑抜けになったネオを女子学生は、苦笑しながら見つめる。

「な、なんとか……」

 ネオは女子学生の方へ顔を見上げ、Vサインをする。

 その姿に、ははは、と女子学生は作り笑いするしかなかった。

「あっ!あの、絵の事なんだけど」

 思い出すかのように、自分の描いたものについて触れる。

「ん? これ?」

 ネオは立ち上がり、絵を彼女の机の上に置く。

「うん……あ、あの、その、ありがとう」

「へ?」

「わたし、絵であんなに大喜びして、褒められたの、初めてで、なんて言っていいか分からなくて……」

 ネオに喜びの笑顔を作って見せる。

「あ、ああ~、そのことね。 うん! 分かればいいのよ!」

 うんうん、とネオは満足気に首を縦に振る。

「それにしてもほんと、すごいよなぁ~」

 ネオは改めて、絵に目を移す。

「ねぇ? これって、何かのキャラなの」

 そのままの体勢で、女子高生に訊ねる。

「うん。月刊『クローバー』って雑誌知ってる?」

「ああ、少女雑誌の?」

「うん。そこで連載している漫画のキャラクターなの。この話がすごく気に入ってて……」

「その漫画のタイトルは何ていうの? な~んか、見たことあるんだけど……」

「『ミラーマジック』っていう漫画だよ」

「ああー、あの漫画ね! わたしも読んでるよ!」

「えっ、そうなの!?」

 口元に手を置き、意外、と言わんばかりの表情を見せる。

「わたし、あんまり漫画とか読まない方なんだけど、これだけは何故かハマったのよ」

「そうなんだ」

「この漫画、二人のすれ違う恋愛模様を描いているでしょ。それに、いきなり予想できない展開に入り込むから、『この先どうなるんだろう?』って夢中になっちゃって」

「分かる分かる~。彼の方に実は想い人がいて、その子が何処にいるのか探したいとか」

「そうそう、それでね、」

 ヒマワリの花が咲きほこるように、会話が弾んでいくが、

――キーンコーンカーンコーン。

 時間だ。

「あ~、もう終わりなの。せっかくいいところだったのに~」

 とネオは嘆く。

 自分が「あの展開」に持ち込んでしまったことを少しばかり後悔した。

「5、6時間目の授業は何?」

「数学Ⅱだよ。で、その次が英語Ⅱ」

「あちゃあ~、わたしは英語Ⅱで、6時間目が数学Ⅱだよ~」

 入れ違いかぁ~、とネオは残念そうに額に手を当てる。

 もしかしたら授業の合間にヒソヒソと話すことができるかもしれないと思ったが、案の定、この女子学生は別の科目を取っていた。

この高校は、「総合高校」という名の通り、普通科や専門学科を設けている高校とは違い、大学のように自分の進路に合わせて科目を選べることができる。そのため、学生によって時間割が違うのだ。(まれ)に同じように選択している者もいるが。

「じゃあ、また後で話そっか」

「そうね。出来れば帰る前とかに。ええっと、ええっと……ごめん、名前を教えてくれない?」

 あははは、と自分の情けなさに苦笑するネオ。

竹下実緒(たけしたみお)、よ。麻倉(あさくら)さん」

「ネオでいいよ。じゃあ、また後で」

「うん」

 実緒に手を振り、ネオは廊下側から二列目の一番後ろにある自分の机へと戻り、英語の教科書とノートを取り出す。

 実緒かぁ……いい友達になれそうね。

 胸を弾ませながら、ネオは自分を呼ぶ友達の下へと向かった。

 

 

 

 午後のホームルームが終わり、ネオは早速、

「みおっち~♪」

 ――教科書を鞄の中に入れている実緒の下へと向かった。

早くもフレンドリーに渾名(あだな)で呼ばれた彼女は、

「あっ、ネオちゃん」

 何の抵抗もなく、気さくにネオの名を呼ぶ。普段はおとなしいが、自分に親しくしてくれる人には打ち解けることができるのだろう。

「お疲れ~、今から部活?」

「うん」

「やっぱり美術部?」

「そうだよ」

「あぁ~なるほど、納得」

 実緒があんなにうまく絵が描けることが何となく分かった気がする。もちろんその裏では努力をしているはずだけど。

「ネオちゃんも今から軽音の活動?」

「そうよ……ってなんで知っているのよ!?」

 こんなに大人しい子は自分のことをあまり知らないのでは、とネオは内心失礼ながらも疑う。

「え? だって、去年、あんなに騒いでいたら、誰もが注目するんじゃないかしら?」

「うっ……そ、そうね。あんなに大々的なことをやっていたら、ね」

 ははは、とネオは、昨年の大胆な行動を思い出した。本当に色々と迷惑なことをしてもんだ。

もう少し学校のルールに乗っ取った行動をしたら、すんなり創部できたかもしれない。先生たちの説得よりも、先に生徒会とコンタクトを取って、味方になってもらう……とか。

 

 ――昨年、生徒会や先生の許可もなく、一年から三年までの全クラスに、誰もいなくなったタイミングを見計らって、教卓側の黒板に、「プレハブ小屋でゲリラライブ開催!」のビラを貼ったのだ。

翌朝は大混乱だった。学生たちは、「おおーっ」、「こんな奴がいるのか~」と、感嘆の声をあげていたが、クラスを受け持っている先生たちは驚愕した。「何の許可もなく宣伝するな!」と、担任の先生や、軽音の創部を良しとしない教頭にこっ酷く叱られた。そして、それを教えなかった未知流にも。当然、この独断専行のライブは中止になった。

 しかし、これが学生全員の注目の的になったのは、不幸中の幸いだった。

 休み時間に、「是非やってくれよ!」とライブの開催をクラスメイトやネオ知る学生にせがまれ、「勝手にプレハブ小屋を開催場所にするのは感心しないけど、少しの時間なら使ってもいいわよ」と、クラスにいた演劇部の友達を通じて、部長から許可をもらうことが出来た。そして、生徒会にも話をして、「これで評判が良かったら創部について考えて!」と説得し、生徒会の認可を受けて、先生には内緒でゲリラライブの開催が決定したのだ。

 途中から駆けつけてきた教頭を始めとした、数名の教師たちが止めに入ろうとしたが、それは演劇部や生徒会、そしてプレハブ小屋に集まった大多数の学生たちがネオと未知流の盾となり、大盛況のうちに幕を閉じた。

 それを受けて、生徒会の意見を参考に、校長から同好会の創部を認められた。

 創部という願いがかなって、ネオは未知流とともに喜びを噛みしめた。本当に心から喜んだ。同時に、色々な方たちに迷惑をかけたことも事実ということを忘れてはいけないと、ネオは思った。ここにいる学生のたちのおかげで、それが成り立っていることを。それを裏切らないために、自分なりに走っていかないと、と。

 

 ――そのことを実緒とのやり取りで、改めてその「責任」という重みを感じた。

 存続の為に、頑張らないと。

「うん、そうだよね……」

 視線を床に向けて、ポツリと呟く。

「ネオちゃん?」

「ああ、ごめん、ごめん。ちょっと、去年のことを思い出したっていうか……」

 気にしないで! とネオは笑ってみせる。

「あ、そうそう。実緒、わたし、あんたの絵が気に入ったから、いつでもいいから絵を見せてくれない? いっぱい見たいんだ」

「え!? ……で、でも、あまり期待しない方がいいと思うよ」

 自信なさそうな声音で答える。

「いいや! どんな絵でも上手い! いや、絶対!」

 あまり見せる気がない実緒を、ネオは自信たっぷりに励ます。

「でも……」

 実緒は、顔を俯く。

 あ~、もうっ! と髪をかきながら、

「いーい、実緒! わたしは別にあんたの努力を否定するわけじゃないの! いや、否定なんかできないよ! 人が時間をかけて作ったものをバカにはできない。その人に失礼だし、頑張ることは素敵なことだもん。わたしはどこぞの批判住民とは違うから!」

 自分がどのように思っているか、言葉を探しながら実緒に伝える。

「ネオちゃん……」

 実緒は、圧倒されたような表情でネオを見つめる。彼女の大きな器に引き込まれていく。

「じゃあ、こうしよっ! わたしもお気に入りの曲とか部活で歌った音源とか見せるから、実緒も見せるってことで。これなら、おあいこでしょ?」

 初めからこう言えばよかったと思いながら、ネオは提案する。

「ネオちゃんがそういうなら……分かったわ。その代わり、私が持ってきた次の日は、ちゃんと持ってきてよ」

 持ってこなかったら見せないからね、と一言付け足す。

「りょーかい! 約束よ!」

 ネオは、拳を作り、実緒の前へと出す。

 実緒はそれが何のことか一瞬、戸惑うも、

「うん!」

 実緒も拳を作って、ネオのそれとコツン! と当てる。

 この二人の間に『友情』が結ばれた。

「それにしても、ネオと実緒……う~ん、名前も似ているからなのかなぁ。似た者同士だよね、わたしたち!」

 ね! と太陽のような笑みで、実緒の両肩をガシッと掴み、顔を覗き込む。

 え、えええええ!! と実緒は困惑しながら、

「そ、そう?」

 と答える。

「うん! 絶対!」

 何を根拠に言っているのか、まったくもって意味不明だが、ネオは感慨深げに腕組みをしながら、うんうん! と頷く。

 そんな彼女に申し訳なさそうに、

「あ、あの~、それって、名前だけじゃ、ないかなぁ……」

 ネオから視線を横に外し、さりげな~くツッコんでみる。

 それを金魚すくいの達人みたく、

「な、何よ~! わたしと一緒だってことが嬉しくないの~?」

 スパッ! とすくい上げ、口の中を風船のように膨らませ、実緒を鋭い目つきで顔を近づく。

 そんな実緒のピンチに、

「ネオ~」

「!」

 ――助けに来てくれたかのように、未知流が教室へと入ってくる。途端にネオは、急に姿勢を真っ直ぐ伸ばし、彼女を見つめる。

 黒薔薇の女王は、不機嫌な顔をしている。

「……早くしな。みんな、ネオを待っているから」

「え!?」

「今日は、演劇部が休みだから、昼からやろうって言ったのはどこのどいつだよ?」

 ゴゴゴゴゴ、と揺れるのを感じる。

 え? ちょっと待って! とネオは速攻で昨日のことを頭の中でふりかえる。

 ええっと、夏休みに市内の音楽ホールでやる、『アマチュア・ロック・フェスティバルin IWAKUNI』の音合わせをするのは良いとして、昨日、活動前に演劇部の部長から「明日、休みだから、昼から使っていいよ♪」って言われて……、昼からやれる! いっぱい練習できる! うれしいーっ! と昨日、大はしゃぎしていたよ……ね。

 ――ははははは。「責任」の重みを感じ取ったばっかりだったのに。

 ネオの額から冷や汗が垂れる。

「あは、はははは、……ごめんなさい」

 従順している僕のようにペコッ、と謝る。

「まったく。話に夢中になりすぎだ。見ろ!」

「あ……」

辺りを見回すと、教室にいるのはネオと実緒だけで、がらんとしている。

実緒も罪悪感を感じたのか、席から立ち上がって、

「ご、ごめんなさい! 気づいていたけど、ネオちゃんがあまりにも楽しそうに話すから」

 と謝る。

「いや、謝らなくてもいいよ。悪いのは、迷惑ばっかりかける、こんの『人でなし』、だから」

「は、はぁ……」

 未知流はつっつくように、『人でなし』に向かって指を差す。

 ネオは急いで、実緒の足元にある自分の鞄をせっせと持ち上げた。

 

「じゃあね、実緒!」

 ネオは学校指定の革靴に履きかえ、下駄箱と下駄箱の間から見える実緒に手を振る。

「うん……また明日……」

 実緒も微笑みながら手を振る。

 にっこりと笑っているその顔から、どことなく寂しそうな雰囲気を、ネオは感じた。

 ネオはすたすたと廊下を歩く彼女に目を疑った。

「……」

「ネオ?」

 呆然と佇むネオに、未知流が肩を揺する。

「いや、今、寂しそうな顔をしてたような」

「そうかぁ? 至って普通だったけど」

「……」

 ――気のせい、よね。

 どことなく感じた違和感を、胸の奥底に押し隠し、ネオは未知流と一緒にプレハブ小屋へと向かった。

第二章( 1 / 1 )

 夏休みが終わり、残暑の厳しい八月末。

 岩国総合高校は他の高校とは違い、大学のように二期制を設けている。そのため、他の高校よりも一週間早めに学校が始まる。

 その制度により、学生たちが他の高校をうらやましく思うそんな中、

「ほ、本当、ですか!?」

 一階の下駄箱の真上にある教室――生徒会室で、ネオがテンションの高い声をあげている。

「ええ。いつもならオーディションをして決めているんだけど、貴方たちは正式な『同好会』として活躍しているから、特別に免除しよう考えているの。ね、実行委員長?」

 とネオの真正面に座っている――生徒会長の右隣にいる、総合祭実行委員長――大山茜(おおやまあかね)に話を振る。

「うん。去年のあのライブからずっと思っていたんだよね。麻倉(あさくら)さん、是非、moment'sのメンバーで総合祭を盛り上げてくれないかしら?」

 アカネは首を少し傾けて、ふふ、と微笑みながらネオを見つめる。

 その視線にネオは迷わず、

「やりますっ! というか、是非やらせてください!!」

 張りのある声で答えた。

 自分たちが『目標』にしていたことが、無条件で叶うという思いがけないレアイベントに、ネオは興奮収まりきれない。胸の鼓動が高まる。この部屋から出たら、爆発しそうだ。

「じゃあ、決定ね」

 生徒会長が立ち上がる。

「実行委員、いや、生徒会の正式な依頼としてお願いするわね。期待しているわよ」

「はい!」

 生徒会長の差し出した手を、ネオはがっちりと握り、固い握手を交わした。

 

 

 

「「「マジっスか!!!」」」

 ネオの一報聞いて、moment'sのメンバーの士気は一気に頂点に達した。

 自分たちが『特別枠』として、ステージに立ちあがれるのだ。こんなに嬉しいことはない。

 早速、選曲を決めて、生徒会と実行委員のご期待に添えるために、彼らは各パートそれぞれ、自分の表現力を最大限に発揮し、他のどのステージよりも最高の舞台にするため、必死に己を磨いて行った。

 そんな日々が毎日続き、気が付けば九月の中旬。

 紅葉が少しずつ色つき始めるこの季節。総合祭へ向けて、学生たちのテンションも日に日に高くなっていく。

 今宵も沈む夕日をバックに、演劇部の活動を終えたプレハブ小屋で、せっせと機材を準備し、文化祭に向けた活動が始まろうとした……のだが、

「ネオ先輩、遅いっスねぇ~」

 呆れ顔で、絢都は呟く。

「前もそんなことがあったような」と巧は絢都の呟きに続く。

 三人は、何の返事もないネオを待っている。

 今日は、総合祭でやる選曲を一通り音合わせする日。そのため、ボーカル兼リーダーである彼女がいないと練習にならないのだ。

 活動開始の時刻から三〇分が経過している。

「あれでも二人の先輩でリーダーで創部者だってのに……自覚がないのかねぇ~」

 はぁ~、と未知流がため息を漏らす。

「しょーがない。携帯にかけても連絡も来ないから、三人でさっさと、」

 と言いかけたそのとき、

「みんな――――――っ!!」

 ――外からネオの大声が聞こえてくる。

 そして、

 ズザアァァァ――――――ッ!!

 急ブレーキで砂埃が巻き起こる。

 猛ダッシュでここまで来たことをアピールして、お騒がせ娘が未知流たちの真正面に現れる。

 そのまま靴を脱ぎ、

「ごめ――――――ん、遅くなっちゃった」

 涼しげな顔で、ネオはすぐさまプレハブ小屋へと入っていく。

「「……」」

「あれ? みっちぃ、絢都、どうしたの?」

 冷たい視線で自分を見つめる二人に、ネオは訝しそうに見つめる。巧は冷徹な二人が恐ろしいのか、背中を向ける。

 未知流がネオのもとへと行く。その一歩はズシン、とプレハブ小屋全体を揺らしているかのようだ。

「?」

 ネオは不思議そうに未知流を見つめる。

 そして、

 バッコ――――――ン!

 ――ネオの頭にタンコブができた。

「いった――――――い! 何すんのよ、みっちぃ~!」

 コブの部分に手をあて、左側の目を瞑って痛みを噛みしめる。

「なーにが、何すんのよ、だよ! 連絡を寄越さず、10分も遅刻して! えぇ!?」

 ったく! と腕を組んで、右斜め上に顔を向けてネオを見下す。

これじゃあどっちが部長なのか分からない。

「ほんとッスよ先輩! 今日から実践だっていうのに、迷惑かけすぎ……」

 呆れ口調で女王の発言に同意する絢都。

 何よ、ナル男のくせに! と文句を言いたいところだが、未知流様が壁を作っている以上、文句を言えまい。メンバーに迷惑をかけたことは事実だ。

 というわけで、素直に、

「ご、ごめんなさい」

 状況を理解して、ペコッと一礼。しっかり背筋を伸ばし、斜め45度をキープ。

「よろしい」

 未知流様の機嫌が治まる。

 こんなんじゃあ、後輩には「名ばかり部長」と思われそうだ。もう思っているかもだけど。

「で、こんなに遅れた理由は何? まさかあんた、素で遅刻したんじゃないだろうね? 事と次第によっちゃあ……」

 右手の関節をポキポキ唸らせる未知流。

 本気の彼女を見て、焦りながら両手を前へ出して、

「待って、待って! 二度目は嫌だからね! ……えーとね、描いてもらってたのよ」

「何を?」

「えっとね、確かここに……」

 鞄を開き、ネオはガサゴソと探す。

「あった!」

 クリアケースから一枚の用紙を取り出し、

「じゃーん!! どうよ!!」

 バーン! と自慢げに一枚の絵を三人に見せる。

 ポニーテールを揺らし、穏やかな表情で笑っている女性。その表情はまるで太陽みたいだ。でも、どことなーく誰かに……。

 三人は、息ピッタリに絵とネオを見比べる。

「これ、ネオさん、ですか?」

 珍しく巧が訊ねる。

 その質問にネオは、周囲に花が咲き誇るようなニッコリ笑顔で、

「うん!」

 と即答。

 三人は、目を丸くして、

「「「ええええええっ!?」」」

 と仰天する。

「うっそ!」

 と未知流が呻き、

「マジっスか!?」

 と絢都が疑念を抱き、

「へ、へえ……」

 巧はどんな反応していいか分からず、動揺する。

 三者三様の反応に、ネオは思わずクスクスと笑ってしまう。

「にってるでしょ~♪」

 ね! ね! と賛同を求める。

 しかし、

「に、似てませんよ~」

 そう言うのは絢都。

「思い違いですよ~。だいたい、こ~んなにネオ先輩が美人なわけないでしょー? 先輩はもっと、ガサツで、態度がデカくて、意地っ張りで。それが絵に表れてないッスよ~」

 バカにしたように、「違う、違う!」と言い放つ。

 それを聞いたネオはムッ! となり、

「何よ~、わたしはいっつもこの絵の通りでしょー!」

「いいや、ぜんっぜん違いますって! 美人には程遠いッス!」

「なによ~! いつだってわたしは美人よ!」

「いやいや、カマみたいにグサッ! と殺人鬼ヘアーで斬りつけてくる時点で、美人ではなく悪魔っスよ!」

「わたしのトレードマークにケチつける気!? ていうか、いつそんなことしたっていうのよ!?」

「部活帰りにありました、よ!」

「それはあんたの注意不足でしょーが!」

「いーや、先輩っス! とんでもない野獣っスよ!」

「わたしが野獣!? はっ、ふざけないでよ! だったらあんたは、ナルシストぶりをお山の上で披露する変態サルよ!」

「だれがナルシストっスか! じゃあ、先輩はジャイアニズムむき出しのバカゴリラっスよ!」

「なにを~っ!」

 真正面からのにらみ合い。

「はぁ~、なんでこの二人はいつもいつも……」

未知流はくしゃくしゃに髪をかきながら、醜い言い争いを永遠に続けそうな二人の後ろ頭に手を当て、

「いいかげんにしろっ!!」

 ゴチーン! と二人の額をぶつける。

「いったぁ~」

「う~」

 とネオと絢都は赤くなった額を擦る。

「毎日、毎日ケンカばっかりして……少しは仲良くやらんか!」

「は~い」

「すんません」

「まったく……」

 未知流は呆れたように額に手を当て、首を横に振る。「あたしの身にもなれ!」と動きで表す。

「それにしても……、」

 と未知流はネオを方へ顔を向け、

「ネオ、その似顔絵、誰が描いたのよ?」

 ようやく『本題』と言える質問をネオに訊ねる。

「誰って、みっちぃも知っているじゃない。実緒よ、竹下(たけした)()()!」

「あ、ああ~……あんたがたまに昼休みに話をしている、影の薄そうな、あの子のこと?」

「影が薄いって失礼よ!」

 友達をバカにされて、顔だけ前のめりに未知流を見つめる。

「悪かったよ……あの子とあんなにフレンドリーになるとは思わなかったからさ」

 あんな事があって、仲良くなっていることに疑っていた未知流は、改めて彼女の人付き合いの良さに感心する。

 本当に人付き合いが良いのだ。普通、入学して間もない頃は、同じ中学校の顔見知りがいるならともかく、どことなくぎこちなくて、「あの人は相性がよさそうだな」と探りながらクラスメイトに話しかけていくのが世の常だ。しかし、ネオは物怖じすることなく、クラスメイトの女子たちと積極的に話の輪に入り、交流を深めていった。それは当時、一緒のクラスだった未知流も例外ではなかった。彼女のように、恐そうなイメージを持つ学生にも話しかけていた。そのおかげで、未知流にも彼女を通して友達がたくさんできた。

ネオとは、そういう人なのだ。ワガママな部分もあるが、海よりも広い心の持ち主なのだ。

 その良さは羨ましくも感じ、同時にそんな彼女の友達でいられることに、未知流は誇りを持っていた。本人には話せないけど。

「ということは、夏休みに活動が終わってすぐに帰ってたことがあったけど……彼女と遊んでいたの?」

「そうよ」

「ふうん」

 夏休みの活動は普段とは違い、演劇部が使わない日を利用して、午前中から活動していた。そのため、午後からはフリーなので、実緒の部活動の休みに合わせて、遊びに行っていたのだった。

「あ、みっちぃも遊びたかった?」

 未知流はネオの気持ちを察して、

「いや。別にいいけど。でも、そんなに仲良くなったってことは、一緒に駅前の商店街とかで買い物したり、家で遊んだりしてたの?」

「まあね。わたしと実緒は『親友』だからね」

 と言い、夏休みに彼女と遊んだことを、少しだけ。

 とても自慢げに。

 

 

 

「こ、ここ……だわ……」

 急こう配な坂を駆け上がった先にある二階建ての一軒家――実緒の家へとネオは辿り着いた。

 彼女は、ハァ、ハァ……と喘ぎ、額には汗が流れている。どことなく夏の流行色であるパステルブルーのシフォンブラウスと七分丈のデニムに、汗の湿り気を感じる。

 ――だって、大変だったのだ。

 最初は涼しげに、通学時の自転車で軽やかに国道沿いを漕いだ。しかし、教えられたルートは国道から離れていき、狭い道を通り、しまいには「あの坂」だ。

自分が住んでいる団地よりもさらに急な角度の坂だ。この試練を乗り越えたら、絶景や楽園が待っていると思うくらい。

地獄から天国に這い上がらないといけない状況を目の当たりにして、ネオの身体はへなへなにふやけて、自転車のハンドルバーの上にもたれ掛る。しかし、その先で親友と思っている実緒が待っているのだ。彼女が笑っている姿が脳裏に焼き付く。そんな彼女を、自分がここで引き返して、悲しませ、「友達をやめる」なんて言われたくない。「大変だよ」と忠告してくれた実緒に「大丈夫だから!」と余裕の表情で言ったのは自分なのだ。責任を果たさないと。

「実緒がわたしを待っている!」と自分に言い聞かせ、自転車を押しながら坂を必死に歩いていった。

――それを乗り越え、ここに辿りついた。

ネオは自動車の邪魔にならないように自転車を家の前に置いて、カゴに入っているピンクのショルダーバックを取り、苦しげな顔つきで前のめりになりながら、玄関の近くにあるインターホンを、

 ピンポーン!

 と押した。

 タッタッタッタ、とドアの奥から走ってくる音が聞こえてくる。

 ガチャ! と扉が少し開く。

「あ、ネオちゃん」

 半顔でネオを確認した実緒は、ドアを全開にする。

 ふわふわした黒髪に、白い水玉模様の紺色のチュニック、白の九分丈カーゴパンツと、いかにも彼女の可愛さを引き立てる、夏にピッタリの服装だ。

「あの坂、大丈夫だった?」

「……うん。聞いたときはそれほどでもないと思ってたけど……あれは、地獄だわ。う~……」

 夏の暑さで熱中症になりかけそうだよ~、と目を細め、ショルダーバックを肩にかけたまま、ダラ~ッと手を下げる。

 ちなみに実緒は、父親の車でこの坂を楽に攻略しているのだとか。

「お、お疲れ様~」

 大げさなリアクションに実緒は、苦笑しながらネオを見つめる。

「それよりも、中に入れて~。もう、日差しはみたくないよ~」

「そ、そうね……」

苦笑しながら実緒は、手を家の方へ向けて、「どうぞ、中に入って」と案内する。

「へぇ~、わたしの家となんとなく似ているわね~」

 靴を脱ぎながら、家の感想を述べる。

真新しさを感じられないどす黒い木の色から、自分の家と同じような、質素な家だなと感じた。電気をつけていないので、さらに暗く感じる。

「おじさんは仕事として、おばさんもお仕事なの?」

「うん。ファッションデザイナーの仕事をやっているの」

実緒は奥にある台所の机に置かれているお菓子の入った皿とお茶とコップを花柄のおぼんにまとめる。母親がデザイナーをやっているとは、ネオは何となく実緒が絵を描いているルーツが分かったような気がした。

「こっちだよ」

 螺旋状にできた階段を、彼女の後に続いて上っていき、粘土で『みおのへや』、と書かれたルームプレートが飾られている部屋へと入っていく。ニスでキラキラと輝いており、小学校で作った感が溢れている。

 中へと入ると、それは華やかなものであった。ちゃんと整理されており、奥にある桃色カーテンの左隣にはタンスがあり、その上には、綺麗に並んだクマやパンダなどの可愛いぬいぐるみたちが置かれている。その反対()側には、自分の机が置いてあり、教科書などがきちっと整理されている。そして、その隣にある本棚には漫画(もちろん『ミラーマジック』が全館揃っている)と絵の入門書が置かれている。

 何とも自分の趣味全開で、綺麗でファンシーな部屋である。古びた家がリフォームで様変わりしているみたいだ。

「すご……わたしの部屋と全然違う」

 ネオは部屋のキラキラ度に思わず驚嘆する。

「そう? 昨日までぐちゃぐちゃだったから、直しただけだよ」

 謙遜する彼女に、ネオは首を左右に振り、

「いやいや、友達が来るっていうのに片づけるなんてすごいって。わたしなんか、音楽雑誌やら、楽譜やら、ぐちゃぐちゃに置きっぱなしでも、平気に中へ入れるもん」

「そ、そうなんだ……」

 それもどうかと……、と思いながら実緒は微苦笑してみせる。

「それよりも、例のブツを持ってきたよ。……あっ、座ってもいい?」

「いいよ。はい、元気の源」

 二人は床に敷かれたブラウンのカーペットの上に座り、実緒はボトルにある氷たっぷりの冷たいお茶をコップに注いで、ネオに渡す。

「ありがとう~」

 ネオはもらったお茶を、一気にグイ! っと飲み干す。

 乾ききった喉が一気に潤う。命の水ならぬお茶を飲み下し、一言。

「ぷっっっはーっ、生き返ったーーーーっっ!」

 ビールで疲れを流し込むサラリーマンのように、大げさに態度を取る。この瞬間だけ、ネオは間違いなく中年のオッサンだ。

 そんなオッサンに実緒は、

「じゃあ、もう一杯いりますか? ご主人様?」

 とメイドのような姿勢で、ネオをもてなす。心を許した友達には、こういう冗談も言えるみたいだ。

「うむ。いただこう……って、わたしはアキバ系の男どもか!」

 すかさず、実緒にツッコミを入れ、お互いに笑い合った。

ネオは笑いながら、ショルダーバックから百均で買ったCDを取り出す。

一見、商品の説明書きが入っているだけの、録音をしていないものに見えるが、

「はい、これがわたしのグループ――moment'sで作ったCDよ。プレハブ小屋で録音したものだから、ちょっと音質が悪いけど」

 夏休みの始めに、岩国市内の音楽ホールであった『アマチュア・ロック・フェスティバルin IWAKUNI』で無料配布したものを実緒に渡す。ネオのために一枚とっておいたのだ(無料配布したものは全部売れた)

「ううん。全然構わないよ、ありがとう。じゃあ、早速」

 漫画が置いてある本棚の奥にある押入れから、小型のコンポを取り出し、CDを入れて聴き始める……が、

 

 ズギャギャギャギャーーーーーーン!!

 

「うわぁーーーーーーっ!!」

「きゃあああーーーーーーっ!!」

 部屋中に響く爆音に思わず、声を上げ、耳を塞ぐネオと実緒。

 家が崩れそうなぐらいの暴音だ。

「ちょっと、ちょっと! なんでこんなにボリュームが大きいのよ~っ!」

「ごめ~ん! 今、下げるね!」

 耳を片方塞ぎこみながら、実緒は音量を調節する。

 適正なボリュームへと戻る。

「ふぅ~」

 とネオの口から息が漏れる。

「ごめんね~」

 もう一度謝る実緒。

「まったくよ」

 適正な音量に戻ったところで、改めてmoment'sの音楽を聴きはじめる。

 一つ一つの曲ごとにネオの解説を受けながら、実緒は彼らの楽曲を楽しんだ。

 有名なプロのアーティストのアップテンポな曲がうまく再現されており、moment's独自の楽曲も、彼らが伝えたい『前進』というキーワードのもと、風を駆け抜けるような熱い曲が溢れていた。

そして、ナル男こと、絢都がメインボーカルのハードロックな楽曲が流れたときは、

「こいつ、ものすごいナルシストなのよ」

「そうなの? こんなに良い歌声なのに」

 ネオの言っている事を不思議に思うが、最後まで聞くと、

「ほんとだ。ナルシストだね」

とネオの説明に実緒も納得した。曲の最後に「これで君も、俺の(ハート)にロックオン!」と某ナルシスト芸人風に締めくくっていたのだから。実緒だけでなく、聴いた誰もが思うはずだ。

「でもすごいね~、プロのアーティストみたい」

 ネオの――moment'sCDに、実緒は大満足の表情を浮かべる。

「そ、そう?」

「うん、すごいよ。ネオちゃんがこんなに歌が上手だなんて、びっくりしちゃった。歌詞や曲の激しさによって、こんなに表現できる人ってあまりいないよ! カラオケとかで練習しているの?」

「うん。あんまり人には言わないけど、週三回はカラオケショップで歌っているし、ボイストレ―ニングの本も買って、わたしなりに努力はしているよ」

 そんな彼女の一面を見て、

「すごいなぁ……こんなに努力しているなんて……私なんか全然だよ」

「いやいや、実緒と比べたら全然……」

「本当だよ! 真っ直ぐで、必死に夢に向かって……ネオちゃんが羨ましいよ」

 ネオのすごさを見せつけられて、実緒はがっくりと肩を落とす。

「私なんか、いつも不安に押しつぶされっぱなしだもん。部員のメンバーにもバカにされるし。だから、そんなネオちゃんが、羨ましいよ……」

 実緒は、視界をネオの顔から外す。道に迷っているみたいに。

「あ、あのねえ、実緒……」

 悄然としている彼女の肩を叩く。

「そんな些細なこと、ほっときゃあいいのよ! わたしもそうしているよ」

 実緒は、ネオのまっすぐな表情を見つめる。

「自分の好きなことなんでしょ? だったら前を向いて、とことんまで足掻いて、自分が納得できるところまでやらないと!」

「自分が、納得できるまで……?」

「そうよ! バカにされたっていいのよ! そういうコンテスト? に何回も堂々と参加すりゃあいいのよ! 大切なのは夢を諦めないこと! その意志があり続ける限り、奇跡は起きるわ! そこでどんな道を辿ったとしても、最後には夢が叶う! わたしは、そう、信じる」

「ネオちゃん……でも……」

 胸が苦しい表情で俯く実緒。

「大丈夫! わたしがついているから! ね!」

「え!?」

 ネオがウインクしている姿を実緒は見つめる。

「道が違っても、夢に向かう情熱は……絶対に同じだわ! みんながみんな、夢が違うのは当然の事。だけど、『叶える』というゴールへの道は、夢を持っている人すべての、共通の『ゴール』だわ! わたしも実緒もその途中にいる。だから、一緒に行こうよ! そのゴールへ! お互い悩みとか、打ち明けながら、協力して目指していこうよ、ね!」

「ネオちゃん……」

 首を少し傾けながら笑う彼女が、実緒には救いの手を差し伸べる天使のように見えた。

 少し楽になった気がした。

「だ・か・ら! 見せて!」

「へ!?」

 鼻がくっつきそうなくらいの距離を取るネオ。

「絵よ! 約束したでしょ!! わたしが見せたんだから、あんたも早く見せてよ!」

「は、はいっ!」

 ネオの狂気にビビったのか、慌てて机の上にあるノートを取る。

 そして、ガバッ! とページをめくる。

「あ、あった!」

 そのページを実緒に見せる。

「わぁ~……」

 感嘆の声が漏らしながら、手に取った実緒のノートを見つめる。

「ど、どう……」

 実緒は顔を赤くし、もじもじしながら身体を左右に揺らす。

「すごい……すごいよ! わたしたちらしいよ!」

「ホントに?」

「うん!」

 頷きながら、お腹いっぱいの表情をみせる。

 ネオが見ているそれは、女二人と男二人がバンドを組んで歌と曲をかき鳴らしている姿だった。

 センターでマイクスタンド持って叫んでいる、髪のポニーテールを半袖カッターシャツと黒とギザギザな黄色い横縞模様のミニスカート。白のソックスに赤いコンバースのスニーカー。

彼女の右上にいるのは、センターにいる女子と同じ服装だが、漆黒のストレートパーマを揺らして、エレキギターを響かせている。

 左上は前髪を左右に分けた半袖カッターシャツと黒のズボンを穿いた、クールでイケメン顔の男性が、淡々とエレキベースを弾いている。

 そして最後に、ギターとベースの二人の間に入るように、ドラムセットを前に、スティックを持ってウインクしながらキラン! と白い歯を輝かせている、ナルシストな白いバンダナの男性がいる。

 そう。実緒が描いたのは、ネオ、未知流、巧、絢都――moment'sの面々だ。

 ネオが夏休み直前に、彼女に頼んで作ってもらったものだ。ネオ以外の三人のことは、ネオが特徴を教えてあげた。完璧に特徴を掴んだものに仕上がっている。

 まだ、線画ではあるが。

「これでさらにmoment'sをアピールできるよ! あとはこれをカラーで塗るだけ?」

「うん。白黒で塗ろうと思うけど、どうかな。インパクトがあると思うんだけど……」

「実緒が思うなら、それでいいよ」

「えっ、いいの?」

「わたしは実緒の慣性を信じているから!」

 ルンルン気分で答えるネオ。このテンションは、一日中続きそうだ。

「あ、ありがとう」

 実緒は、ものすごく喜んでくれたことに一息つく。

 そんな彼女を見て、

「もう~、緊張しすぎだよ~」

 大げさなんだから、とネオは苦笑する。

「だ、だってぇ~」

 じ、自信が、と小さく呟き、ネオを視線から外す実緒。

「もう、卑屈なんだから! いい、実緒!」

 ネオは突然立ち上がり、胸を当てながら、

「少しは自信を持ちなさい! 実緒はできる子なんだよ! 少なくともわたしはそう思っている! 卑屈になってたら、前へと進めないわよ! 恐れる必要なんてない!」

 仏のように、実緒に道を指し示す。

「わたしだって、同じよ! 不安も少しはあるわ! でも、わたしには認めてくれる人がいた。才能を認められることって、本当にすごいことなんだよ! そういう友達や人が少なからずいるってことは、前に進んでる証拠! わたしはもう実緒のファンだよ! あんたを認めてるんだよ! 応援しているんだよ! 進んでいるんだよ! 頑張ろうよ!」

 胸に置いた右手を力強く振り払う。

 黙ったまま、実緒はネオを見つめる。本当にこの人は強い、と心からそう思う。そして、勇気をくれる。

「だから、勝手かもしれないけど……わたしは、実緒のことを同じ夢を目指す『親友』で、ジャンルが違っても、『ライバル』だと思っているから。負けないわよ!」

「ええっ!」

 勝手に宣戦布告するネオに、動揺する。

「なによー、嫌?」

 むー、と実緒の顔を覗く。

 実緒は顔を横に振ってみせる。

「う、ううん……イヤじゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「私のことを……こんなにも大切に想う友達が……」

 顔を伏せて、表情を隠す。涙が一滴こぼれる。

 大人しい性格だからなのか、今まで共に喜怒哀楽を分かち合える本当の『友達』と呼べる存在がいなかったのだろう。ネオに出会うまでは。

 それが涙として、集約された。悲しいのではく、嬉しいのだ。

「ちょっ、ちょっと、実緒!」

 泣いている実緒に慌てふためく。

「わ、わたし、な、何か傷つけるようなことを言った!?」

「ううん。違うの。嬉しくて……」

 大粒の涙がポタポタと白のカーゴパンツを滲ませる。

「もう、可愛い顔が台無しになっちゃうよ」

 ネオは微笑みながら、ポケットにある水色のハンカチを取り出し、実緒の涙をやさしく拭いた。

 

 ――一人じゃないよ。

 

 

 

 ――そしてネオは、新たにできた親友のこと――駅前にあるデパートで買い物したり、夢を語り合ったことや、お互いに悩みなどを打ち明けたりしたことを三人に話した。少し内容を省きながら。

「へぇ~、やるじゃない」

 と未知流が感心する。

「やっぱりあんたはすごいよ」

「単に先輩のことをおせっかいだと思ってるかもしれないっスけどね~」

 未知流の褒め言葉の裏の気持ちを言っているかのように、絢都が悪戯っぽい笑みを浮かべて茶化す。

 そんな彼にネオはすかさず後頭部を、

 パッコ――――――ン!

「いって――――――ぇ!!」

 未知流レベルではないが、脳を抉られるようなゲンコツを喰らい、絢都は頭を抱える。

「まったく!」

 フン! とネオは鼻息を鳴らす。

 はぁ~、と未知流が息を漏らし、しゃがみこんだ絢都の頭をなでる。

 そんな彼をスルーするように、

「本当にすごいですよ、ネオさん」

 巧が話に入ってくる。

「そう?」

「は、はい。俺には、こんなこと、とても……」

 首を傾けて話す彼女に思わずドキッ! としたのか、巧は思わず床を見てしまう。

「う~ん。当然のことをしただけなんだけどなぁ~」

 三人に「すごい」と言われたことに、ネオは微苦笑して見せる。

「それができるから、すごいんだよ。普通ならそういうことはなかなかできないよ」

 未知流が立ち上がる。

「それにしてもこの子、いや、竹下さんにこんな特技があるとはね。美術家とか、何かを目指しているの?」

「うん。彼女、漫画家になりたいの」

「なるほどね。どうりで美術の教科書みたいな、古臭い絵じゃないってわけね」

 もう一度見せて、とネオに頼み、ネオの自画像をまじまじと見つめる。

「で、わたしの勝手でお願いしたんだけど……この同好会をアピールするための、ポスターを描いてくれているんだ」

 ネオは、『内容を省いた部分』を明かす。

「ええっ!?」

 マジっスか! と痛みから復帰した絢都がサッ! と立ち上がる。

「それって、俺ら全員が入っている?」

「当然でしょ。わたしが特徴を教えたら、もうそっくりに描いてくれて」

「そ……そっくり……」

 現実の自分をリアルに描いているのではと考え、絶句する巧。

「……タックン、何もそこまでリアルじゃないわよ。FFじゃあるまいし。ていうか第一、CGで描かないわよ」

 巧の考えていることを見透かすようなツッコミを入れる。

「漫画やアニメにでてくるようなキャラになっているよ。あとはカラーを塗るだけだから、期待しててね」

 ふふっ! と笑みをこぼしながら、ネオはウィンクして見せる。

「楽しみにしているよ」

「オレのカッコよさを際立たせてくださいよ」

「……ま、待っています……」

 未知流、絢都、巧の順に期待を寄せた。

 そのことを実緒に伝えなくっちゃ! とネオは内心思ったが、

「うん……でも、ちょっと……」

 いきなり、気難しい顔に方向転換する彼女に、三人は、ん? と目を丸くしながら見つめる。

「まさか、これだけ期待しといて、『実はウソでしたー』とか言うんじゃないんだろうね。エイプリルフールは、とっくに過ぎているんだけど」

 と未知流が目を細める。

 ネオは慌てて両手を開いて左右に振り、

「ちがう、ちがう! ただ、気になることがあって……」

「気になること……?」

 うん、とネオは頷き、普段見せない真剣な表情を見せる。

「最近気づいた違和感なんだけど、最近、表情が暗くなっているような気がして……」

「暗い?」

 首を傾げる未知流。

「夏休みは、ものすっごい明るかったの。テンションも高かったよ。ところが、学校が始まってからの昼休み中の実緒は、明るいんだけど、どことなく暗くて……それが、だんだん目に見えてきて……う~ん、わたしの思い違いなのかなぁ……」

 ネオは腕組みをして天井を見つめる。

 気になって仕方がないのだ。友達のことになるとどうしても。

「こういうときって、わたしから聞くべきなのかなぁ……?」

「大丈夫よ」

 未知流がネオの前へと出る。

「そんなに仲良くやっているのなら、楽しいと思っているわよ」

「だといいんだけど……」

「まあ、人間誰にだって言えない悩みの一つや二つはあるもんだよ」

「う~ん、でもなあ……」

 今日の昼休みに、精一杯の『作り笑顔』っぽかった実緒の表情が、ネオの脳裏に焼き付く。誰かに助けを求めているような。初めて会ったとき以上に怯えていた……というかあれは、『自分の世界』に入っていただけだが。

 とにかく、煮え切らない気持ちでいっぱいなのだ。

 「誰にだって、言えない事はある」という未知流の言葉も理解できる。でも、吐き出すことでスッキリすることだってあるはずなのだ。

――本当に黙って見守るべきなのか。

「ネオ、心配し過ぎだよ」

 ネオは右肩を優しく叩く未知流を見つめる。

「そんな風に考えることは良い事だけど、言いたくない事まで踏み込んで、『話してよ!』と押し付けたら、竹下さんに嫌われるよ」

 『嫌われる』という言葉にネオは、ビクッ! と背筋に電撃が走る。

「そ、そう?」

「そう! 近づ離れずの距離で語り合うのが一番! ずんずん前に出たら、逆に言えなくなるわよ。友達付き合いも駆け引きが重要だよ。時が来れば、そのうちあっちから悩みをぶつけてくるわよ」

「そう言われると、確かに……」

 説得力のある未知流の言い回しに、納得してしまう。

「よし! 分かったんなら堅苦しい話はもうおしまい! 活動開始から五〇分も経過して、日も落ちちゃったよ。誰かさんのせいで」

 未知流は踵を返して、定位置にあるエレキギターのケースを開く。

 嫌味っぽく未知流に言われて、

「うっ……悪かったよ……」

 そこは責任を感じたのか、ネオは素直に謝る。

「絢都もター坊も、準備をする!」

 二人も未知流の指示に「うっス!」、「はい!」といい、自分の定位置で準備を始める。

「今日は、総合祭で歌う楽曲の音合わせをするんだから、本番だと思ってやるように! 特にネオ!」

 ビシッと、バスカーズの黒いエレキギターをストラップで吊るして左肩にのせた状態で、右手の人差し指で、ネオの顔を差す。

「え? わたし!?」

 思わず右手の人差し指を自分に差す。

 いやいやわたし、準備OKなんですけど。

「そう! 竹下さんの事を考えるのはいいけど、リーダーらしくきっちりやってよ……あんたが元気じゃないと、ウチらはなーんにもできないんだから!」

 ああ、そういうことか。

 未知流なりの気遣いに内心感謝しながら、

「わかっているわよ!」

 と強気で、威張った態度を取る。

――うん。みっちぃの言う通り、信じよう。わたしと実緒は『夢』を追いかける親友だもの! 大丈夫!

 親友になる以前から、実緒のことは信じているのだ。ここで信じないでどうする。わたしらしくもない。

 ネオは開き直り、準備ができた三人に向けて、いつものハイテンションな声で、

「よぉーし! 今日も爆音で夜を明るく照らすわよ!!」

「「「おおーっ!!」」」

 部員達はネオの大声で盛り上がる。

 そして、練習という名の夜の宴が今日も始まった。

 

 

 

 しかし、ネオは気づいていない。

 『彼女』の闇が、手を取れないくらい、今もなお深く深く掘進(くっしん)していることに――

 

 ――総合祭まで、あと二週間と三日。

第三章( 1 / 1 )

 タッタッタッタ。

なんで……どうして……。

 ネオは全速力で、学生校舎から奥にある専門教室校舎(プレハブ小屋が見える)へと向かった。

 実緒が押し隠していた『不安』を確かめるために。

 初めて話したあの日、下駄箱で別れた時の気の沈んだ顔が、頭の中で鮮明に蘇る。そう、『部活へ行こう』としていたときの事を。

 

 

 

 ネオが不安に感じたときから三日後。

 クラスで文化祭の出し物として、小さな子供たちにも楽しんでもらえるように、教室を使って『すごろくゲーム』を作ることに決定。その準備で実緒とマスの絵を描こうとしていたのだが……。

 彼女は突然、クラスから姿を消したのだ。ネオ以外の誰にも、座っている席には前からいなかったと思えるくらい、ごく自然と。

 最初は風邪でも引いていたのだろうと思った。そう思いながら、二日、三日、そして四日目が経過。

 依然と彼女は学校で姿を見せない。

 ネオは何度も携帯電話でメールや電話をかけたが、返事はなかった。

「何かあったのかなぁ」と未知流に相談するが、「急病で休んでいるんじゃないの」と言われ、確かに急病で入院しているのなら出ることもないし、気を遣わせたくないから先生に口止めしているのかもと、一応、そういう風に解釈していた。

 そして、休みを挟んで七日目。

 総合祭開催まで一週間となったこの日も、姿を現すことはなかった。

――これは絶対におかしい……。

 自分の知らないところで何かがあったんだわ。

そう感じたネオは、帰りのホームルームで先生に訊ねた。

「先生、あの、訊きたいことが……」

「何? 麻倉さん? ていうか、服装!」

 あっすいません、とネオはしぶしぶと服装を正す。

 普段は穏やかなのに、校則マナーに関しては厳しいので面倒くさい。まあ、それでも実緒のためだ。そうしなきゃあ、質問すら答えてくれそうにもない。

 服装を整えたネオによろしい、と先生は言い、

「で、訊きたいことは?」

「あ、あの、実緒……いや、竹下さんに何かあったの?」

「え?」

「いや、このところ竹下さんが何日も休んでいるから、心配で……」

 友達のことでやけになっていることが照れくさいのか、先生から視線を外すネオ。

「う~ん、そうなのよね~」

 彼女が実緒のことをどう思っているのかを察したかのように、先生はネオだけに聞こえるように口の近くで手を当て、彼女に近づく。

「実はね。先生も竹下さんのことが分からないの。普段、彼女は真面目な子だから、体調不良の時はちゃんと連絡をしてくれるんだけど……電話が来ないのよ。だから、おかしいなと思って」

 先生の言葉に絶句するネオ。先生は続けて、

「朝のホームルームや昼休み、そしてこのホームルームが終わった後に、今日で五日目かな。

もう、何回もこちらから掛けたんだけど、返事がなくて。明日にでも、竹下さんの家に行こうと思っているのだけど……麻倉さんは何か知らない?」

「い、いえ……」

 ネオは顔を俯き、思う。

 ――なぜ、こんなことになったの? どうして気づかなかったの?

 頭の中で、その言葉がぐるぐると回る。

 『不安』がぶわっと身体中に、震えとして表れる。

「麻倉さん、顔が青いわよ……」

 先生は心配そうな表情を見せる。

 しかしネオは、呆然と佇んだまま。

「麻倉さん!」

「!」

先生の大声で、ネオは別世界から帰ったかのように、ハッとして、我に返る。

「せ、せんせい……」

 涙で濡れた双眸で、先生を見つめる。

「どうしたの? 大丈夫?」

「は、はい……」

 ネオは顔を先生に見られないように、再び下に向ける。

 わたしは……彼女の近くに、いたの、に……。

 思いたくない。思いたくないけど。

 これってやっぱり……!

 頭の中で、ある三文字の言葉が思い浮かぶ。そして、その事件があったのは恐らく……。

「先生! 竹下さんって確か、美術部でしたよね!?」

「え? ええ、そうだけど」

「ありがとうございます!」

「麻倉さん!?」

 ネオは全速力で教室を出ていき、すぐ側にある階段を駆け上がっていった。

 廊下で「ネオ!」と呼ぶ、未知流の声も空耳に聞こえるほど、必死に。

 

 

 

 そして今、ネオは学生校舎から奥にある専門教室校舎へと走っている。

 美術部に問い詰めるために。

 ネオが『傷つけられていた』という真相を確かめるために。彼女とのやり取りで思い当たる部分がそれしかないのだ。

 ネオはふと思った。

 あの表情はもしかしたら、「助けて!」というサインだったのかも、と。それが本当なら、なぜあのときから、気づけなかったのだろう。むしろ、その違和感を夏休みに打ち明けたら良かったんじゃ……。思えば思うほど、早く行動しない自分がバカに思えた。

 歯をギリギリと噛みしめながら、専門教室棟の階段を2階から3階へと上っていく。

 あのときのように友達を失いたくない。失ってたまるか!

 ――友達を失った出来事の一部始終が、フラッシュバックされる。

 

 

 

 小学生五年生の頃、ネオはクラスメイトに傷つけられた。それも親友の裏切りによって。

ある日の放課後。「私服に着替え次第、また学校で会おうよ」と、同じクラスであり、幼稚園の頃からずっと一緒だった親友(女の子)に呼ばれた。ネオは疑いもせず、素直に親友の誘いに乗り、家にランドセルを置いて私服に着替え、すぐさま小学校へ向かった。

待ち合わせ場所である下駄箱の前で親友に会い、自分のクラスから二つほど離れた教室に連れてこられたネオは、先にいた友達二人を紹介される。そして、彼女から自分の秘密が明かされた。

『性格が気にくわない』という理由で、仲間とともに、「死ね!」とか、「消えろ!」とか、卑劣なラクガキをしていることを。そして、それをネオにも書いてもらおうと考えていたのだ。『親友』だから。

 母親の言いつけで善悪の線引きがはっきりとしていたネオは、「こんなの間違っている!」と抵抗し、親友に、

「他人が見ないところで悪さをするヤツほど、『卑怯』という相応しい言葉はないわよ!」

と必死に訴えかけた。同時にここで自分と彼女の関係を崩してはいけないとも思った。誰かが見ないと、第二、第三の者が傷つけられると感じたからだ。ちゃんと正しいことを言える人間がいないと、なくなるはずがない。

ずっと一緒に、笑ったり、泣いたり、助けあった親友だから届くと思った。

だが、

「そんなの知るか! やれ!」

親友には届かなかった。

「!」

親友の命令で、友人二人に手を掴まれ、鉛筆を無理矢理握らされてしまう。彼らによって、「消えろ!」とか書かされてしまう。それだけはいやだ!

「やあっ!」

ネオは机に書く瞬間、右肩方にいる親友の友人の腕を力づくで振り払った。ネオの右手から離れて、左側で動揺しているもう一人の友人の隙をつき、束縛されていた両手を振りほどいだ。

そして親友に向かって、ネオは勢いよく顔を躊躇なく一発ぶん殴った。

「……」

 これで懲りただろうと思い、ネオは無言で教室を出て行った。親友だから、親友だからこそ殴った……。そう自分に言い聞かせながら。

しかし、翌日。昨日の成敗も空しく、今度は自分の下に牙が向けられた。

 机に「死ね!」とか、「消えろ!」とか、書かれていたのだ。それを書いたのはもちろんあいつ。『親友』という関係を一瞬で崩した卑怯者。ネオは消しゴムで掻き消すが、そのラクガキは毎日続いた。

 それでもネオは我慢し続けた。彼女の良心が再び芽生えることを信じて、我慢し続けた。『親友』だから。それに、先生に話したりすれば、さらに事が大きくなると思ったから。

 彼女も昔は「善」という心はあった。家が近所で、幼稚園のときから小学五年生に至るまで、外でよく遊び、買い物をしたり、時にはケンカもしたけど、すぐに元通りになる、そんな仲だった。

 だが、内に秘めた彼女の心は冷え切っていた。家族による虐待によって。そして、この傷つけられた心を癒すその矛先は、生徒に向けられていたのだった。それは、この事件が終わった後に知ることになる。

 

 ある日の夏の放課後。親友の挑発に乗り、ネオは教室で彼女とその悪友二人と対峙した。

 ネオはあくまで強気な態度で、

「一体、何のようなの?」

 と親友に問う。

 親友はそんな彼女の態度を鼻で笑い。

「ネオ、あんたがアタシらにあーんな態度を取ることに、いらいらしちゃったんでねー殴ってやろうかと思ったのよ」

 『あーんな態度』とは恐らく、不登校もせず、あの悪罵(あくば)にも動じないことを指すのだろう。

「あんたのような正義感を持つヤツは、ほーんと嫌気がさすよ。何度も自分を偽って、優しく接しやがってさぁ、ほんと……」

 ガン! と教室のドアを叩きつける。

「ムカつくんだよ!!」

 とネオに向かって罵声を浴びせる。

「何よ、言いたいことはそれだけ?」

「何?」

 ネオは自分の方がよほど格上だと、顔を少し上に向け、

「自分を偽ってる? バカ言わせないでよ。わたしは、あんたには本心で接していたわよ! いつもあんたのことを大切に想っていたわ。 あんたもあんたよ! 何で言ってくれないのよ!? いつだって力になってあげたのに! わたしたちは親友でしょ!? この関係を壊そうとしていることが分かっているの!? バッカじゃないの! 親友として何度も言うわ。こんなのあんたじゃない! こんなの絶対に間違っているって! わたしの家族も絶対にそう言うわ! わたしのことを偽善者って言うのなら、あんたなんか、偽悪者よ! あんたの悪人面はこれ以上見たくない! だから、いつもの、」

「うるさいっ!!」

「!」

 ネオの訴えを『うるさい』の一言で消去する。

 親友は、顔を俯き、身体を震わせながら、

「それが独りよがりなんだよ!! アタシのことを親友と言うくせに、何も気遣ってくれないじゃないか! どこが『大切に』だよ! 目障りなんだよ!

「違う!」

「違わない! ……もういい。 おまえなんか、おまえなんか、アタシの気持ちが分からない、親友ぶっているおまえなんか……、」

 自分の孤独な気持ちが――

「やってしまえ!!」

 ネオに襲い掛かる。悪友二人に仕向けるその姿は、まさに善を裁く死神だった。

「くらえ!」

 二人はネオに殴りかかる。

「くぅっ!」

 ネオは双方から一発ずつ悪友たちに殴られ、よろめく。

「な、なによ……自分はただの傍観者じゃない。ホントにひきょ……ううっ!」

 悪友にみぞおちを喰らい、膝をつく。

「ははは、やっちゃえ!」

 悪友に殴られ、あおむけに倒れてしまう。

 そのまま殴られ続けられるが、ネオは一切抵抗しなかった。そんな彼女の内心に気づけなかった、自分への罰として。

 一体、何があったのだろう。なんで、そこまで傷ついたのだろう。

 意識が遠のく中、そればかりが頭に過った。

 ごめん。本当にごめん。

 親友の気持ちに気づけないなんて、最低だね……。

 あんたの言う通り、独りよがりだ……。

 いっそこのまま、消えてしまっても……。

 その時。

「ネオ!」

「おまえたち! 何をしている!?」

「「「!」」」

 三人はにビクッとし、振り向いて廊下に立っている二人を見つめる。

「あに、き……? せん、せい……」

 弱々しく掠れた声で、助けに来た二人を呼ぶ。ネオはそこで意識が途絶えた――

 

「ん……」

「ネオ!」

 二歳年上の兄の顔が、目に映る。

「あにき……」

 弱々しい声を発しながら、見つめる。

 窓から差し込んでくる夕日が眩しい。

「良かった、無事で!」

 ネオの兄は学校の保健室にある白いベッドの上で、顔が腫れている妹を優しく抱きしめた。

 その中でぼんやりとあの『悪夢』を思い出す。

 彼女に痛めつけられた恐怖や悲しみが入り混じり、

「お兄ちゃん……わたし、わたし……」

 自然とポタポタと涙が溢れる。

「いいんだ……もう、終わったんだ。よく耐えたな」

 兄も自然と、キュッと強くネオを抱きしめる。

「うん……わたし、わた、し……、」

 ネオは兄の胸に顔をぶつけて、

「うわああああああっ!!」

 ネオはぐちゃぐちゃになった親友への思いを、泣き叫んだ。

 

 

 

 この事件の後、毎日家で暗い顔を浮かべて、寝る時には泣いていたネオを心配して、後をついて行ったということを兄から聞いた。親友と教室で言い争いをしているところで、すぐさま職員室にいる先生を呼んで、助けてくれたのだ。ネオが気を失った直後、親友は悪友二人と警察に連行された。

そして翌日、この事件は学校で話題になり、親友は少年院へと収容されたことをネオは先生から聞いた。その原因を作った親友の両親は、麻倉家には謝罪の言葉も何も言わずに姿を消した。

 ――この出来事をネオは高校生になった今も、未だに自分への戒めとしている。

 確かに彼女は悪いことを犯した。だけど、彼女の気持ちを汲み取ることはどこかでできたはずだ。それが分かるのは、ずっと一緒にいる自分だけ。もしそれができていたら、変わったかもしれない。なぜ、気づくことができなかったのか。そんなことで親友を失ったのが悔しくてたまらなかった。

 ――それを再び起こしてはいけない!

 ネオは、静寂と化した教室の中で唯一学生たちがガヤガヤとしている――美術部が活動している美術教室へと辿りつく。

 ネオはためらいもなく、

 バン!!

 と教室のドアを開いた。

 その力強い音が、美術室にいた部員全員を黙らせた。キャンバスに向かって色を塗る作業も中断する。「あんた誰?」と言っているような視線が、ネオを完全アウェイな状況にさせた。

 上等じゃない! ネオは孤立状態に動じず、険悪な顔つきで堂々と中へと入っていく。

「あの」

 そんな彼女にびびりながらも、ドアの近くで座って作業している、メガネをかけた凛々しい男子学生が部員を代表してネオの前へとやって来る。おそらく部長だ。それも学年が一つ上の。

「君は、軽音楽同好会の麻倉さん、だよね」

「そうよ!」

 上級生相手に威勢のいい態度をとるネオ。

「一体、ウチに何のようなの? 君の部活とは、無関係のはずだけど」

 部長はネオに負けじと、冷ややかな態度で対抗する。

「関係あるわよ! わたしの友人にね!」

「友人?」

 肩をすくめている部長にネオは、ええ、と頷き、

「この部活に所属している、竹下実緒についてよ!」

「竹下さん、に?」

 部長は『竹下さん』というワードに一瞬、ビクッと身体を震わせる。

「そうよ! 急に一週間不登校になったんだけど、何か知らない!? 部活に行く前、暗い顔をしていたのだけど!」

 教室中に轟く怒声を、部長に向かって叩きつける。

「ねえ! どうなのよ!!」

 獲物を狙う猛獣のような鋭い目つきで前のめりになり、部長を威嚇する。

「そ、それは……」

「それは、何!?」

 ためらう部長に、もう一歩前へと踏み込もうとしたその時。

「竹下ぁ? ああ、あのお邪魔虫のことか。ずっと来ねぇと思ったら、そうんなことになっていやがったのかぁ~」

武藤(むとう)!」

 校舎が見える窓際の席に座っていた男子学生が立ち上がる。いかにも『不良』と呼ぶに相応しいだらけた格好、厳つい目つき。そして、金色に染まった髪。武藤と呼ばれた男は「ククク」とネオをあざ笑いながら、こちらに向かって歩いてくる。彼の狂気に怯えたのか、「ひぃっ!」と部長は逃げるように、二人の間に入る。教室の空気も陰気なものへと変わる。

 ネオは武藤という名前に聞き覚えがあった。確か、未知流と同じクラスだったはず。

 しかし相手が誰であろうと、ネオの態度は変わらない。茨のように刺々しい形相で武藤を見上げる。

「へっ! いい度胸してんじゃねぇか。麻倉さんよ」

「あんたに褒められても、何もないわよ」

 強がるネオに武藤はフッ、と笑みを浮かべる。

「実緒を不登校へと追い込んだのはあんたね」

 ネオの唐突な発言に、武藤は、ギャハハハハと哄笑する。

「不登校へと追い込んだぁ!? 嗤わせてくれるぜ! オレのせいじゃねぇ。あいつが原因なんだよ!」

「何、それ? 一体どういうこと!?」

「ククク。あいつの絵は、部員の誰よりも上手くて、憧れの対象になった。あいつは簡単に俺の地位を奪いやがったんだよぉ!」

「!」

 武藤の発言に、ネオは絶句する。

「入りたての頃は、俺が部活のエースだった。先輩や同級生からも、憧れの対象になった。その高みにオレは喜びを感じた! オレこそが! 頂点だとな! だが、そんな俺の居場所をあいつは、」

 厳つい顔つきが、鬼のように変化する。

「今年の春のコンクールで、俺よりも格上の賞を取りやがったんだよ! おかげで部員の注目も変わった! 何もかも! あいつは俺の地位を簡単に掻っ攫いやがった! 大人しく、誰にも悟られず、平然と! おかげでオレのプライドはズタズタになった! しかも、部員に褒められても、大人しくやってやがってよぉ、お嬢っぽいオーラを出すあいつに、オレはムカついた! だからよぉ、」

 武藤はニヤッと笑みを浮かべ、

「あいつのキャンバスに毎日、ラクガキをして、むちゃくちゃにしてやったのさ! どっちが『格上』だったのかをハッキリさせるためになぁ! クックック、あいつの絶望に満ちてその場で佇んだ表情、実に愉快だったぜぇー!」

 フハハハハハ! と武藤は高らかに嘲笑した。

 その高嗤いを美術部の部員たちは、他人事のように見つめる。武藤に逆らうことのできない奴隷みたいだ。

 夏休みに『部員にバカにされるし』という実緒の言葉が、ネオの脳裏に浮かぶ。恐らく、この悪魔が何度も言っていたのだろう。

「だからオレは、竹下を追い詰めちゃあいねぇ! あいつは、オレを追い詰めた(・・・・・・・・)罰を受けたのさ!」

 武藤は俯いているネオの顔を覗く。

「これで分かっただろう。俺に逆らうとどうなることが! だったら、とっとと……、」

「何よ、それ?」

 あん? と首をかしげる武藤に、ネオは怒りのこもった声色で、

「あんたはただの、努力もせずに思い上がっただけの、ゴミ同然のクソ野郎よ! あんたみたいなヤツがいるから、努力を否定する大馬鹿がいるから、夢への、『自分の可能性』を失う人がいるのよ!!」

 両手の拳が、身体を震わせるほど、力が入る。

「『俺に逆らう』? 怒りを通り越して、アンタの人間性に呆れるわよ。分からないの!? あんたが誰よりも格上の『天才』だからってね、努力し続けたものの方が、圧倒的に有利で、優れているってことを! 創作する全ての者はね、みんなみんな、辛い道を通って、努力して、一歩ずつ前へと歩いているんだよ! わたしだって、去年は色々と迷惑をかけて、辛い思いもした。だけどね、その過程があるからこそ『今のわたし』がある。それだけは否定できないわ! それは実緒だって同じよ! 努力したからすごい賞が取れた! 何物にも代えがたい価値を、あんたは壊したのよ! 誰にも否定できない『証』を! 存在を! そんな努力する人の気持ちを傷つけて、美術を語るあんたなんか、あんたなんか……」

 潤んだ瞳で、キッ、と武藤を見つめ、

「こうしてやる!!」

 ネオは勢いよく武藤の顔面を目がけて、力強く握った右の拳を突きだす!

 美術室に「うわぁ!!」と、恐怖と驚きが入り混じった悲鳴が響き渡る。

 しかし。

 武藤の顔面ギリギリのところで、ピタッと踏みとどまった。

「……っ!」

 歯をギシギシと噛みしめる。

 ネオには分かっていた。同級生に向かって『殴る』という行為が、どれほど重たいものかを。小学生の頃とは違うことを。

 それはすなわち、自分と仲間たちが目標としていた舞台から、外されるということ。

 ここで彼と暴力沙汰を起こせば、内にため込んだ怒りから解放されるだろう。だが、それと引き換えに、総合祭に向けて必死にここまで頑張ってきたものが、崩壊してしまう。仲間たちを裏切るわけにはいかない。そして、自分たちのステージを楽しみに待っている学生たちにも――。

 だから、踏みとどまった。心の内にある怒りを、引き出しの奥へ奥へと無理矢理押し隠した。

 ネオは俯いて、武藤に向けた拳を下げた。

 二人しかいないと思わせるような沈黙が続く。

 ネオはそれを利用して、踵を返して下の方へと歩き出した。

「んだよ……」

 予想外の行動に、武藤はその場で呆然と佇み、ネオを見つめる。

 ネオは、廊下へ出ていき、

「あんたのせいで……、」

 溢れる涙でくしゃくしゃになった表情で、武藤を見つめ、

「アンタのその腐った神経が、実緒の心をむちゃくちゃにしたんだよ!!」

 押し隠した怒りを言葉に変え、ネオは猛スピードで廊下を走った。

 実緒、実緒!

 なんで気づいてやれなかったんだろう。なんで力になれなかったんだろう。後悔の念が次々と、頭の中で渦を巻く。

 とめどなく流れる涙が後悔の塊として、次々と宙に浮かぶ。

「ネオ!」

 先生から事情を聞いて、追いかけていた未知流の存在にも気づかず、ネオは階段を駆け下り、下駄箱で革靴に速攻で履き替え、校舎まで続く長い坂を下って駐輪場へ向かい、自転車の鍵を外し、駅の方角へと向かう学生が「うわぁ……」と呻らせるほどの光の速さで、実緒の家へと向かった。

 晴天だった空模様は、彼女の気持ちを反映しているのか、怪しくなっていった。

 

 

 

 ハァ……ハァ……。

 あの長い坂を登りきり、ネオは実緒の家へと辿り着いた。

 学校から走ってきたおかげで、あらゆるものが汗で冷たく染み渡っている。

 ネオは家の前に自転車を置き、すぐさま玄関前にあるインターホンを鳴らす。

 全ては自分の想いを、「あんなゴミとは違う!」ということを伝えるために。いつでも実緒の味方だと伝えるために。偽善者なんかではなく、いつも心から親友のことを想っていることを。バカにしたことはこれっぽっちもないことを。

 親友の手をとって、暗い暗い闇の海から引っ張り出したい。

 そんな気持ちがネオを急かせた。

 何度も何度もインターホンを鳴らす。実緒が出てくるまで。

 すると、中から足音が聞こえてきた。

 そして、

 ガチャ!

 扉の向こうから、縦縞模様の緑色のパジャマを着た実緒が、恐る恐る顔を出した。その姿は、『恐怖』という塊が、ウイルスのように全身を蝕んでいるみたいだ。

「実緒っ!」

 実緒という存在を確認できて、ネオの表情は明るくなる。

 だが、

 バタン!!

「!」

 実緒は目の前にいる親友の存在を否定するかの如く、何も言わずに扉を閉め、鍵をかけ、現実から目を背けた。そんな彼女にネオは一瞬、息を呑んだ。

「実緒! 実緒! 開けて!!」

 ドンドン! とネオは懸命にドアを叩いた。

「お願いっ! 話があるの!!」

 ドア越しから声を枯らして叫ぶ。

「わたしは、実緒のことを……」

 胸に込み上がる想いを吐きだそうしたその時。

「……麻倉さんも私のことを傷つけに来たんでしょ……」

 唇を震わせて、ネオが自分の全てを知ったことを見透かしたのか、冷ややかな言葉が返ってくる。

 『ネオちゃん』ではなく、『麻倉さん』と言われたことに、槍で心臓を思い切り貫かれる感覚をネオは感じる。途轍もなく凍えた槍で。

「違うよ! わたしは、実緒が心配で……実緒を傷つけたあんなゴミ野郎とは……!」

 胸が張り裂けそうな声で、自分の気持ちを訴えようとするが、

「ほっといてよ!」

 拒絶とも言える、実緒の掠れた叫び声で遮られる。

「麻倉さんも私のことを嫌っているんでしょ!? 部員のみんなだってそう! 武藤くんのことは(ゆる)して、私に対しては他人事のように、冷たい視線を私に向けてくる! 麻倉さんも偽善者ぶって、友達のフリをして、本当は私のことをバカにしていたんでしょ!! 『こんな夢、叶うわけがない』って!!」

「そんなワケないわよ!! わたしは、あんたのことを友達やメンバーには一度も馬鹿にしたことなんて……、」

「いいや、そんなの嘘に決まっているわ!」

「嘘つく理由がどこにあるのよ! 私はいつも自慢していたわよ!! 『実緒の絵は可愛い』って! わたしの自慢だって!! 信じてよ!!」

「信じられないよ!! 部活のみんなも、麻倉さんも! みんなみんなみんな! 誰も助けてくれない! 私を孤独にするこんな場所、私を嫌うこんな場所――世界なんか……、」

 現実への絶望感が涙で溢れ、そして、

 

 

「こっちから願い下げよ!!」

 

 

「……!」

 実緒の言葉に、ネオは何もかもが真っ白な風景を一瞬見た。何もない、空っぽの世界を。

 二階へと向かう音が聞こえる。

「実緒、実緒! ミオ――――――ッ!!」

 しかし、ネオの悲痛な叫びも空しく、ドンッ! と自室に引きこもった音が外から聞こえた。

「……」

 彼女の心の傷は、修復することが出来ないほど、深かった。彼女の手を掴むには、あまりにも遠い距離に自分はいた。

 何もかもが、遅かった。

 小学生の頃にあったことが再び、ドラマのハイライトみたいにパッ、パッ、とシーンが切り替わりながら、頭の中で再現される。

 あの頃と変わらない。友達の力にもなっていない。

 その事実だけが、ネオの胸に刻まれる。

 脱力して、両膝が自然と冷たいコンクリートの上につく。

 違う……違う……。

 わたしは、わたしは、本当に実緒のことを……。

 助けたかったから、ここに来たのよ。

 本当なのよ……。

 身体が震え、絶望感でいっぱいになる。

 そんな彼女の気持ちが、雨で映し出される。ポツ、ポツ、と空から少しずつ降ってくる。

「実緒……みお……わたしたち、しんゆう、でしょ……」

 わたしの、せい、で……。

 わたしが気づいてたら、どうだったの? 教えてよ……ねぇ、実緒……。

 こんなことで……こんな、バカみたいなことで……。

 

 

「うわああああああああ――――――っ!!」

 

 

 大粒の涙がとめどなく、流れ落ちた。

 その涙を隠すように、雨が降り出した。

 後悔、絶望など、いろんな感情が混じり合ったネオの想いが、雨脚(あまあし)を強くさせた。雨が、ネオの身体を濡らす。

 後ろから、足跡が微かに聞こえてくる。

 ザッ、ザッ、と。

 誰かが、立ち止まった。

「……」

 ――未知流が、泣いているネオの頭上に、赤い傘をそっと差した。

 

 

 

 実緒の家の近くにある、つい最近できたような真新しい公園に設置された公衆便所の入口で二人は雨宿りをし、雨脚が弱まるのを待った。

 雨が静かに降り続く。ネオはその場で座ったまま、潤んだ瞳で公園の風景をじっと見つめた。彼女の後ろに置いてある自転車が、彼女の心境を表しているかのように、冷たく光る。

 そんな彼女を、左隣にいる未知流は立ったまま、黙って見守った。かける言葉がでてこない。いや、ここは落ち着くまで待つべきだと感じた。ヘタに言葉を発しても、彼女を余計に傷つけるだけだ。

だからせめて、彼女が一人にならないように、しっかり支えてあげなければと、心に強く思った。大事なmoment'sのメンバーとして。そして、高校生活で初めてできた、大事な大事な一人の友達として。ただただ、彼女が口を開くのを待つ。

小一時間が経過する。

「……ありがとう、みっちぃ」

 ぐすん、と鼻を鳴らしながら、待っていた友人にネオは、感謝の言葉を述べた。

「礼には及ばないよ。当然のことをしたまでさ」

 どことなく強がっている未知流の声に、ネオは隠れて微苦笑して見せる。

 未知流も静かに腰を下ろし、彼女の濡れたポニーテールにした髪を優しく撫でる。髪も花が元気を無くしたように、しおれている。

 未知流は雨に濡れた公園の風景を見ながら、口を開いた。

「……美術部の部長から聞いたよ。彼女――竹下さんが、同じクラスの武藤にヒドイ仕打ちを受けていたってことを。アイツ、誰からも好かれていたヤツだったのに、5月くらいから急にヤンキーみたいな恰好になっていたから、何があったんだろうと少しは思ってたけど……まさか、あんな卑劣なことをしていたなんてね。……ホント、高校生になっても『正しい』と『悪い』の区別もつかない、ガキの思考を持った『オレ様クソ野郎』がいたとはね。ホンッと、学校じゃなかったら、空手でボッコボコにシメてやりたかったよ!」

 コンクリートの上に置いた両手に、自然と力が入り、あの男への怒りが込み上がる。

「実緒は……あいつのせいで、深い傷を負ってしまった。わたしの手を掴めないほど、ズタズタにされて……わたしだけは、実緒の味方だって、言いたかったのに……! あたしの態度は、やっぱり独りよがりだったのかぁ……」

 くやしいよ、と呟きながら、ネオは項垂れてしまう。

「あんな奴のせいで、あいつと一緒にされて、親友としての時間を、簡単に無かったことにされるなんて……!」

「ネオ……」

「もう、終わり、なのかな……?」

「え!?」

 『終わり』というネオらしくもない発言に、未知流は思わず彼女の方へと振り向く。

「この関係は……終わりにした方がいいのかな……いつも、いつも、精一杯やれることはやってきたけど……今回ばかりは……諦めた方が……」

 呻くネオ。

 一人でずっと考えるネオ。

 たった一人で苦しむネオ。

 相談はするけど、頼ることを知らないネオ。

 なんで、なんで、ボロボロになっても『力を貸して』って言ってくれないんだよ! あたしはそんなに頼りないの? 頼ってよ!

 

 ――なんで頼らないだよ!

 

「バカ!!」

 未知流の想いが溢れだす。

 自然と立ち上がり、うじうじネオを見下ろす。

「みっちぃ……」

 ネオは目を丸くしながら、未知流を見上げる。

「あたしはいつもネオの本気(マジ)を見てきた! その結果、同好会として認められ、絢都とター坊が加わり、バンドとして成立し、そして総合祭のステージに立つ夢も叶った! あんたのその諦めの悪さは、あたしやメンバーに最高のプレゼントを運んできたじゃない!! 今回だってそうなるわよ!!」

「みっちぃ……でも……」

 未知流から視線を外し、顔を伏せる。

 あー、もーっ!!

「ネオ!!」

 未知流はネオの両肩を掴む。

「なんで、一人で考え込むんだよ! あたしがいるだろ! 一人で格好つけんなよ! 頼ってよ! 頼らせてよ! 友達だろ! あたしにも本気で言ってよ! あたしは頼りないっていうの!?」

 未知流は、胸にため込んだ気持ちをネオに叫ぶように吐き出した。

 ネオは口をぽっかり開いたまま、顔を覗き込む未知流を見つめる。

 普段見せない顔だ。

「ごめん……あたし、ネオがここまで友達のことを、本気だとは思わなかった。こんなことになったのは、あたしにも非がある。その方が、ネオのためだって。その方が、お互い傷つかなくて済むから……」

「ううん! みっちぃの言ってることだって正しいよ!」

「違う!」

 気遣うネオに、かぶりを振る未知流。

「あたし自身が、ネオが竹下さんに本気で接した結果、傷ついてしまうのを恐れていたんだ。そんなネオを見たくなかった! 友達として! いつも元気なあんたを見たいから! あたしの下から離れてほしくないから!」

「……」

 両肩を締め付ける、未知流の気持ちが、痛いほどネオに伝わる。

「でも、その結果、あの子は最悪な方向へと言ってしまった。ネオの声も届かないほど……だから、そういう風にアドバイスしたあたしにも責任がある」

 そんなこと……、とネオはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。

「みっちぃのせいじゃないわ! 常に一緒にいて、気づかなかったわたしがいけないのよ!!」

「いいや! あたしがいけないの!!」

「いや、わたしだよ!」

「違う! あたし!」

 未知流は立ち上がって、ネオを見下す。

「わたしだって!」

 ネオも対抗し、立ち上がる。

お互い、自分の気持ちを譲らず、ぶつかり合う。

「あたし!」

「わたし!」

「あたし!」

 ボクシングのようにラリーの応酬が続く。

 5分、10分、15分と。

 そして20分が経過。

 両者、決着がつかず、唇が渇き、息が漏れる。

 未知流は右手で唇を拭いて、

「やあっと、ネオらしくなってきたじゃないの」

 うっすらと笑みを浮かべる。

 生意気なネオが戻ってきて、少し安心したのだ。

「みっちぃ……」

 立ち上がった彼女を見上げるネオ。

「まぁ、何はともあれ、あたしもネオの気持ちと同じだよ。ネオの友達は、あたしの友達でもあるから、ね」

 未知流は左目だけ閉じ、ウインクをする。

「助けようよ、竹下さんを!」

 ネオの両手を握る。

「で、でも、助けようって言っても、どうすれば……」

 救いの手が欲しいと思わせるような相貌(そうぼう)で、未知流を見つめる。

「そんなの簡単よ!」

「え?」

 にっこり、と余裕の笑みを見せる未知流。

「歌よ!」

「歌!?」

 ネオは思わず目を見開く。

「そうよ! ネオが大好きな歌!! 二人でやってたときに話してくれたじゃない、歌の魅力を!! 歌には魂が宿っていて、人と人との想いや絆をつなぐ、大切な大切な、『内に秘めた想い』を伝える力があるって!! 今こそ、その力を信じるときよ!!」

 そうだ。そうだよ……。

 歌――自分の気持ちを必要以上に伝えられる、わたしの唯一の魔法。わたしが輝くことを許してくれる、わたしの人生で、今一番誇れるもの。

 ――なんで、すぐ近くにあるものを忘れていたのよ!

 うん。みっちぃの言う通りだ。今こそ、わたしの想いを『歌』に込めないと! 『歌』の力を信じないと!

 希望が見えてきた。

 ネオから暗い表情が消えていき、決意を固めた真剣な表情へと変わる。

「みっちぃ、わたし決めた! 実緒のために歌うよ! どんな結果になっても、やってやるわ!!」

 未知流に深く頷く。もう迷いはない、と。

 彼女はネオの両肩を再びがっちりと掴み、

「よーし、それでこそネオよ!! いや、ネオだけじゃない! あたし、ナル男、ター坊――moment's本気(マジ)本気(マジ)をぶつけて、あの子の笑顔を取り戻して、あのクソ野郎の鼻をボッキボキにへし折ってやろうぜ!!」

「み、みっちぃ~気合い入れ過ぎぃ~」

 ヒートアップしすぎて、思わずネオの肩を揺らしていたことに気づく。

「あ、ごめん」

 ピタッ、と動きが止まり、手が離れる。目が回ったように、前後ろへ揺れた感覚が残る。

「もう~」

 ぷく~っ、とネオは顔を膨らませて友人を見つめる。

 その顔を見て、もう大丈夫だな、と未知流は思った。いつものネオだ。

 ハハハハハ! と思わず笑ってしまう。

 ネオも未知流の笑いにつられる。

 ネオの心が晴れてきたように、雨もいつの間にか止み、雨雲の間から希望の光が二人を照らした。

 未知流は、ん~っ、と背伸びしながら、

「さぁーてと! そうと決まったら、今日の練習から何とかしないとね。 まずはあの二人を説得するのは……なんとかなるけど、問題は曲だなぁ。こればっかりは話し合わないと。よし! 学校に戻るよ、ネオ!」

「う、うん……」

 立ち上がり、赤い傘をもって先に歩く未知流を見つめる。

 何か言わなくては、という気持ちが、彼女が先を行く度にどんどん強くなる。

「み、みっちぃ!」

 未知流に向かって叫ぶ。

 彼女はネオに背中を向けたまま、

「何?」

 と訊ねる。背中を向けても、微笑んでいるのが分かる。

「あ、あのね! 来てくれてありがとう。そして、ごめん……あたし、不器用で生意気だから、これからも素直に言えないかもしれないけど……わたしの友達でいてくれる? 頼っても、いい!?」

 友人に対して、言いたかったことを全て吐き出したかのように、ネオは長い息を吐いた。

 ややあって、サッ、と未知流は右手を挙げ、

「当然のことをやったまでよ!」

 と言いながら、公園を出ていく。

 ネオは安心したように、未知流の背中を見つめた。

 心の中で、「ありがとう」と言いながら、

「ま、待ってよ~」

 自転車の鍵を開け、押しながら走って未知流の下へと向かった。

 

 

 

「まっ、ネオ先輩のためなら、しょうがないっスね!」

 プレハブ小屋で、昼にあった出来事をネオから聞いた絢都は、開き直った態度で受け入れる。

 巧も、

「……やりましょう!」

 とクールな態度を装うも、彼の胸の中には熱いものが込み上がっているなとネオは感じた。

 隣にいた未知流に左肩を、軽く叩かれる。

 本当に、いいメンバーが加わってくれたものだ。

「二人とも、ありがとう!」

 ネオは、絢都と巧に最大限の感謝を礼で表す。

 そんなネオに一瞬戸惑うも、ニッ! と絢都は口を横に広げて、

「オレらに礼は不要っスよ、先輩。どーせ、嫌だとか言っても、みっちぃ先輩が説得するでしょうし……ね。何が何でもやるって顔をしていましたよ。だったら、俺たち一年が文句を言う義理は無いっスよ」

「絢都」

 未知流は見透かされていたかと思いながら、笑っている絢都を見つめた。

 絢都は隣にいる巧に、なあ? と同意を求める。

「……う、うん。俺たちの曲で、彼女が前へ向いてくれるのであれば、これほど嬉しいことはないですよ……それこそ、『moment's』じゃないですか!」

 「タックン……」と、巧の思わぬ言葉に、目を見張る。

「も、もう、タっくんのくせに、格好いい事を言っちゃって」

 ネオにからかわれ、巧の顔は赤くなる。

「そ・れ・に、オレたちは先輩のワガママに、いっつもついて行っているだけっスからねー!」

 と絢都がネオに向かって悪戯っぽい表情を浮かべる。

 ネオは『ワガママ』というワードに引っ掛かり、

「わ、ワガママって何よ~!?」

 不満げな表情で絢都を見返す。

「そのままを言っただけですよ! いっつもオレたちに何も言わずに、選曲も決めたり、選曲が合わないものだって、意地でも入れようとするし……ワガママ以外の何物でもないじゃないっスか!」

「なにを~!」

 両者の間に見えない火花が散る。

 しかし、

「喧嘩をしている場合じゃないだろ!!」

 と未知流に押されて、お互いの額をゴツン! とぶつけられる。

「いったぁ~い!」とネオ。

「……って~」と絢都。

「全く、あんたたちは……」

 はぁ~、と未知流からため息が漏れる。

「と・に・か・く! 時間がないんだ! とっとと彼女に届く曲は何か、考えるよ!!」

 命令するかのように、右手を勢いよく振り払う。

「うーん、そうは言ってもですねぇ~。ネオ先輩の気持ちを伝えられるドストレート曲っスねぇ……」

 腕組みしながら考え込む絢都。

「急に言われましても……」

 目を瞑って、顎に手を当て、う~ん、と巧は呻く。

「そうだよねぇ……ウチらで作ったので当てはまるとしたら、『wind』とか『dash!!』 とかだと思うけど 、疾走感のある曲ばっかりだからねぇ~」

 天井を見上げる未知流。

「ですよね。バラード系とか作ってないっスから……」

「コピーするしかないのかねぇ~」

 う~ん……。

 三者三様のポーズで悩んでいるところに、

「ねぇ」

 ネオが三人に声をかける。

 三人は彼女を見つめる。

「提案があるの」

「どうしたのよ。改まって」

「ちょっと、無理なお願いを今から言うけど、いい?」

「無理なお願い?」

 目を丸くしている未知流たちに、ネオは大きく頷き、

「うん。一週間でやるのは厳しいかもしれないけれど……新曲を作ろうよ! いつも通り、私が作詞で、みっちぃが作曲、そして絢都とタックンが編曲で!」

「ま、マジ?」

 未知流を始め、絢都と巧も驚きを見せる。

「わたしはいつだって本気よ! ……この問題はきっと、自分の言葉じゃないといけないと思うの。もちろん、有名アーティストの楽曲のコピーもいいかもしれない。でもそれは、人の力を使ったという事実(・・・・・・・・・・・・)があるから、言い方が悪いけど、わたしたちの『気持ち』なんて一切こもってない。だったら、自分たちの『気持ち』を前面に引き出した、この世に一つしかない、『わたしたちだけの曲』を作った方がリアルに、実緒に届くんじゃないかと……」

 ゴメンうまく言えないや、とネオは低い声で締めくくる。

 こんなの無謀だよね。今まで普通に1、2か月かかっていたんだから。

 やっぱり、といいかけたその時、

「ネオ」

 未知流がネオの前へと歩み寄る。

 そして、ネオの両肩に手をかけ、

「いいよ」

 と静かに告げた。

 仲間の答えにネオは思わず、

「いいの?」

 と訊きかえす。

 未知流は無言のまま、うん、と頷く。「それが竹下さんに伝える一番の方法だよ」と言っているみたいだった。

 そして後ろを振り向き、

「絢都、ター坊もそれでいいね!?」

 未知流への返答に、「うっス!」と絢都、「はい」と巧。

「よし、決定!」

 未知流は改めてネオの顔を見つめ、

「作ろう! あの子に届ける歌を!!」

「うん!!」

「よし! それじゃあ活動を始めるから、各自準備!」

 三人は楽器を取り出し、準備に取り掛かった。

 彼らの背中を見て、

 ――ありがとう。

心の底から、ネオは思った。

 そう。わたしには仲間がいる。一人で考える必要なんてないんだ。分からないなら、力を貸してもらえばいい。そうやって、力を合わせれば扉は必ず開いていく。

 ネオは、それを実感した。もっと早く気づいていたら、とも思った。

 でも、それでいい。

 実緒にも、この力を、『実緒の背中にはわたしたちがいる』ことを教えることが出来るのだから。

 ネオはこの想いを、今までの音楽活動の中で、最高の歌詞を書いてやる、と誓った。

 これからの、『わたしたち』のためにも。

 

 

 

「う~ん」

 二十三時三〇分。明かりが消えた暗い部屋で、ピンクのパジャマを着たネオは、布団の中で呻っていた。

 ネオの家は、築三十年の古ぼけた二階建ての木の家で、実桜の家がある場所よりも緩やかな坂の上にできた団地にある。

ネオは二階の右の部屋を使っている。ちなみに左の部屋は、兄が使っている。

 実緒にも話した通り、机の上は学校で使っているノートや音楽雑誌がぐちゃぐちゃに散乱しており(その上、服も置きっぱなし)、女性らしからぬ、部屋の汚さだ。よく堂々と友達を入れることができるものだ。

 その空間でネオは、一〇代に絶大な人気のあるラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』を聴きながら、用紙とにらめっこしていた。

「ううーん」

 ああは言ったものの、なかなか歌詞が浮かんでこない。

 綺麗な言葉の方がいいのかなと考えるが、出てくる言葉はストレートな言葉ばかり。器用な言い回しの歌詞を書くのは、ネオにとっては難しかった。

 MC(教頭)の名台詞である『高二はいいぞ!』を聴いたところで、MDコンボの電源を切る。そして両耳にイヤホンを差し込み、アイポッドを起動させてゴロンと体を捻り、プロのアーティストの楽曲を聴きながら月を眺める。

今日は満月のようだ。雨が昼に降ったせいか、雲一つなく、星と共にネオを明るく照らしている。

 疾走感にあふれた曲は飛ばし、バラードばかりを聴いてみる。

すると、

『今もどこかで微笑んでいますように…』

「!」

 アイポッドから流れる歌詞に、ネオは耳を奪われた。

 小さい頃から自分が好きなアーティスト、Every Little Thing(通称ELT)の『good night』に。

そうだ。これだ。

ネオはガバッ! と起き上がって月を眺める。

「月ってこうやって見ると、わたしのことを見守っているみたいだよね。だったら、月から彼女が、実緒が元気でいるようにと願っている……。そういう歌詞にすれば……!」

 いける!

 ネオは、再び布団に寝そべり、置いてある紙に鉛筆で書いていった。すらすらと、言葉が浮かんでくる。

 そんな彼女を、月が優しく見守った。

 ――実緒! わたしやるよ!

 親友への想いをネオは歌詞に込めていった。

 

 

 

 そして、一〇月四日。一週間という短い期間の中で、新曲は完成し、明日の総合祭でやる選曲の音合わせも完了した。

ネオは家に帰る前に、実緒の家のポストに手紙をそっと入れた。

 moment'sのメンバーが夢にまで見たステージ――総合祭でのライブへの招待状を。

「あんたがいないとライブが始まらない」という想いを込めて。

 彼女への想いを胸に、ネオの総合祭が始まる。

第四章( 1 / 1 )

「実緒ーっ! 手紙が届いているわよーっ!」

「……はい」

 一〇月五日。午前一〇時。

 一階から母親の声がした実緒は、パジャマのまま階段を下り、白い封筒を受け取る。その姿に生気は感じられない。身体中が絶望に満ちている。

 自分の部屋に戻り、確かめてみる。

「宛て名が、ない」

 不思議に思いながら、実緒は封筒を裏返して見る。

 右下に、『実緒へ』という達筆な字が書かれている。

 ――明らかに怪しい。

 実緒は恐る恐る、封筒を開けてみる。

 中には三つ折りにされた用紙が入っていた。

 ゆっくりと開いていき、読んでみる。

「……!」

 その瞬間、実緒の目から一粒の涙が零れた。

 

『     実緒へ

 

 お元気ですか。うーん、『ですか』っていうのはやっぱり気恥ずかしいなあ。……普通に、わたしなりの文章で書くね。てへへ()

 最近はどう? 元気でやってる? 実緒が元気でやっているのか、すごく、すごーく、心配だよ。あの雨の日からずっと考えているんだよ!

 あの日は本当にショックだった。なんで? そりゃあ、実緒に、親友に拒絶されちゃったから。こんなこと小学生の頃に続いて二度目だよ。

 何度も言うけど、ホントに……本当にショックだった。悔しかった。あのゴミ武藤と同じにされたことが。

 わたしは……わたしは、実緒のことは本当にバカになんてしていない! これだけは事実! みっちぃ(長郷さんのことね!)だって、ナル男やタックン(一年生二人ね!)だって、すごいと言ってくれたんだよ。本当なんだから!

 助けたかったんだよ! だから、実緒の家まで、猛ダッシュで来たんだよ! 同じように夢に向かう親友の道を、閉ざさないためにも! どんなことがあっても、わたしだけは実緒の味方だって言いたかったんだよ!!

 でも……手をとれなかった。傷つけられていた実緒の心の限界に気づいてやれることができなかった。親友として最低だね、わたし。

 ごめん。本当に……ごめん。

 部活に行く前の実緒の暗くなった顔に気づいていたけど、それを気づかないふりをして、本当に、ごめんね。

 だから……聞いてほしいものがあるの!

 わたしの気持ちを実緒に届けたい!

 今の実緒には、不器用なわたしの言葉だと余計に傷つけてしまいそうだから、歌に込めたの。わたしが気づいたように、実緒にも『一人じゃない!』っていうのを! 傷つけられても、わたしやmoment'sのメンバーが味方だってことを! わたしたちがいつも背中から見守っているってことを!

 だから、怖いかもしれないけど……学校に来て! 『騙された!』と思って来て! わたしたち――わたしが、実緒のために用意した新曲を届けるから!

 今日の総合祭――13時から1時間半、わたしたちのライブがあるから、最後の曲までには……来てね。必ずよ!

 めちゃくちゃな文章になっちゃったけど、これがわたしの本心だから。この想いだけは、変わらないから!

 だから……待ってるよ!

あんたの親友より』

 文章から、一目瞭然であった。

 その送り主が誰なのか。

 あの女子学生からの正直な――熱い想いが感じる。

 強引なところもあるけど、常に笑っていた女の子を。

 夢に向かって一緒に頑張ろうと言ってくれた大事な友人。

「……ネオちゃん……!」

 私、なんであんなひどいことを……。

 謝らないと……。

 行かなくちゃ!

 自然と実緒の足は、制服が置いてあるクローゼットの方へと動いた。

 送り主に、会うために!

 

 

 

「みんな、期待しているわよ!」

今回のライブのオファーをもらった総合祭実行委員長、大山茜(おおやまあかね)がステージである講堂の舞台裏で、ネオと未知流を激励する。

「はい! 頑張ります!」

 ネオは気合いの入った声で返事をする。

 今日のネオたちは一味違う。ライブ用の服を着ているのだ。

 moment'sの服は、メンバーでお金を出して作った――胸に『Light』と白地で描かれた半袖黒Tシャツ以外は、自由な服装をしている。

 ネオは腰の部分に、右足の膝まで届くくらいまでの赤いサッシュを巻き、紺色の三段フリルのミニスカートと合わせて黒のレギンスを穿き、そして頭に黒のリボンをつけた、トレードマークのポニーテール――プライドの高いリーダーを表現している。

「今、先生たちにインタビューしているハヤトの、いや、片平(かたひら)くんがみんなのことを呼ぶから、そのタイミングで登壇してね」

「了解です!」

 と未知流がグッ! とアカネに向かって親指を突き立てる。

彼女は、ピンクのベルトを締めた、黒の短いプリーツ・スカート、黒のニーソックス、両手首には黒のシュシュ、そして腰まで届く漆黒のストレートパーマという、ワイルドな感じに仕上げている。制服を着てもそんな雰囲気があったが、さらに磨きをかけたみたいだ。

「アカネさん! 例の件、お願いしますね」

「まっかしといてー!」

 アカネはネオに手を振りながら、勝手口からでていった。

 総合祭。

 学生主体で、日頃の成果の展示や催し者を出して、学生はもちろん、保護者や地域の方々を楽しませる、学校の一大イベントの一つ。

 三年生は調理室を使って料理を販売しており、二年生や一年生は出し物を行っていた。中には、生徒会と実行委員会の許可を得て、視聴覚室でお笑いをしている学生や、部活でイベントを開いており、午前中から大賑わいだった。

 ネオのクラスである二年一組では、教室をすごろくに見立てて作り上げた出し物、『サイコロ☆あどべんちゃー』をやっており、彼女は午前中、その運営当番をやっていた。

 大人から子供までが楽しめる出し物であったためか、色々な世代の方が楽しんでくれた。

お客さんがしばらく来ないときは、運営しているメンバーで勝負をしていたのだが、『誰が好きか教壇で叫ぶべし!』とかいう、突拍子もないマスに止まってしまい、おかげで誰が好きか(もちろん実緒ではない)を無理矢理言うはめになってしまった。そのことは三人には内緒だが。

 そんなこんなでネオは楽しくやっていたが、一人足りない。

 その件について、

「竹下さん、ほんとどうしたのかなぁ?」と女子学生。

「そうだよな。何があったんだろ?」と男子学生。

 午前中に運営当番になった実緒のことを、クラスメイトのみんなが気にかけている。

 その声を聞いて、ネオはすごく嬉しかった。

 実緒には、帰る場所があることを。自分を始めとするクラスメイトの何人かは、彼女のことを待っていることを。

 ――それを……今日、伝えてやるんだ!

 やってやる!

 ネオは、責任重大だと感じ、気の引き締まる思いで講堂のステージを見つづけた。

 先にジャズ演奏をやった、三人の先生のインタビューもあと少しで終わる。

それを余所に、moment'sのタイムシフトが近づくにつれ、ステージ裏からでもはっきりと聞こえるくらい、学生たちの人数や大人や子供のざわつきが大きくなっている。学校でのライブやフェスに参加した結果なのかもしれない。

 ガチャ! と講堂内を偵察した絢都と巧が戻ってくる。

「人がものすごく集まってきましたよ……」

 絢都がネオたちに報告する。

 彼は頭に、部活でも使う白のバンダナを巻き、両手には黒の指ぬきグローブ、ズボンは青のデニムと、いかにもカッコつけた着こなしをしていた。さすが、ナル男と言われるだけのことはある。

 一方、

「緊張しますね……」

 と巧。緊張のあまり、手が震えている。

 彼は昨日言われたように、いつものクールで暗い雰囲気から脱却――いや、「自分を変えたいんなら、まずは服装からよ!」と夏休みのフェス前にネオから指摘され、未知流と一緒に自腹(バイトで貯めたお金)で買った、ビジュアル系バンドが履いてそうな、巧の細い脚を美しく目立たせるスキニーチノ、腰のベルトはギラギラと銀色に輝いている。そして、他のメンバーのような緑色の体育館シューズではなく、長身を活かした()、黒のブーツを履いている。本来はいけないが、今日は緑のシートが講堂中に敷かれているので問題ない。そして顔が整ったこのイケメン顔。いかにも某男性アイドル事務所でデビューできそうなテイストだ。

 その服装に似合わない、ガチガチの強張った顔をしている巧に、ニヤけながら左肘で脇腹をつつき、

「とか言って、ロックフェスのときは、相棒のベースを楽しそうに引いていたクセに~」

「今日もアレくらいやっちゃてよ~!」

 とネオと未知流に茶化される。

あのライブで巧は、自ら観客に近づき、愛用のエレキベースであるトランスブルーの『PLAYTECH(プレイテック)EBF-305(株式会社サウンドハウス製)』で自慢の音を披露し、普段は恥ずかしがっているくせに大声をあげ、終始テンションが高かったのだ。

そして終わった直後には、巧に興味を示した女の子たちがサインを求め、テンションスイッチをOFFにした彼は、大変な目にあってしまったのである。

 フェスから約二か月が経過するも、未だに頭に残る忘れられない出来事だ。

「い、いや、あのですね……アレは、体が勝手に……というかネオさんたちとやっているからで……」

「嘘つけ! おまえ、お客さんと一緒にものすごく楽しんでいたじゃないか! 出しゃばって俺よりも人気者になりやがって! ……いいか! 今日はおまえよりも俺が一流ってところを見せてやる!」

「ええっ!?」

 隣でムッとした表情で睨み付け、目から火花を散らす絢都に、巧は動揺する。

 その一幕をネオと未知流は笑った。

「……さてと、笑うのはここまでにして、あの子はまだ……ここには来てなかったよね?」

 未知流が真剣な目で絢都と巧に確認する。

「はい……ネオさんの携帯写真と同じ人は、どこにも……」

 巧はネオに携帯を返す。

「そう……」

 ネオの顔が暗くなる。

 ――やっぱり、そうだよね。

 そんな言葉を胸の中で思っているネオに、

「大丈夫さ」

 未知流が声をかける。

「あんたの気持ちはちゃーんと届いている。『最後のとっておき』までには、来るはずさ。信じてみようぜ。なーに、来なかったらCDに焼き付けて、意地でも渡しに行きゃあいいんだよ!」

 友の声に、ネオの不安という名の鼓動は収まった。

「うん。大丈夫。ありがとう、みっちぃ」

 張りのあるしっかりとした声色で、ネオは答えた。

「すいませーん! そろそろスタンバイをお願いしまーす!」

 暗幕のところに立っている、総合祭実行委員の男子学生が四人に声をかける。

 どうやら『夢の舞台』に立つ時間のようだ。

「よーし、それじゃあ、」

 ネオが未知流を見つめる。彼女は頷き、

「うん! 円陣を組むよー!!」

 おおっ! と四人は円になり、みっちぃ、絢都、巧、ネオの順に手を重ね、本番前の儀式を始める。

「みんなぁ! 今日は思い出に残る最っっっ高のライブにするわよ!! いいわね!!」

「「「おおうっ!!」」」

 リーダーの叫びにメンバーが応える。そして、

「せーの、」

 勢いよく弾ませ、四人の手が一斉に振り上がり、

「「「「ウルトラソウッ!!」」」」

 思いっきり声を張り上げた。

「さあ、行くわよ!」

 自分たちの音楽に絶対の自信を胸に秘め、ネオたちは今か今かと待ちわびている学生たちの下へ――自分たちが唯一大きな輝きを放つステージへと向かった。彼女たちの顔は、岩国総合高校の学生ではなく、バンドグループ『moment's』――Neo(ネオ)michi(未知流)ken(絢都)taku()へと姿を変えた――。

 

「さあ! みなさん、たい! へん! 長らくお待たせしましたぁ! いよいよ、いよいよ、彼女たちのご登場です! 去年は女子学生デュオとして、学校中を騒がしていた二人が、今年は一年生部員を加え、生徒会と実行委員直々のオファーで参加が決定したこのバンド! 前へ踏み出す瞬間を、彼女たちとここで刻もうじゃないかあああああああああっ!!!!」

 司会進行役である総合祭実行委員長アカネと同じクラスである、片平(かたひら)隼人(はやと)の全力のハイトーンシャウトに、「わ――――――っ!!」と彼女たちを見に来た大勢の者がハイテンションな声をあげる。まるで講堂がライブハウスになったみたいだ。

「それでは、呼ぶぜえぇぇぇぇ!! 岩国総合を揺るがせた四人組公認ロックバンド!! 

モウメ――――――――――ンツ!!!!」

「ゥワ――――――――ッ!!」

 顔を赤くしながら、ステージから出ていくハヤトとは対照的に、堂々と実行委員がセットしたステージへと向かう。自分たちのポジションへと移動し、未知流と巧はあらかじめ置かれているそれぞれの愛用の楽器を手に取る。そして、アンプから流れる音を確かめ、調整する。

 ネオは自分たちを見に来てくれて学生たちを見つめた。衣替えの期間だからか、夏服とブレザーを着た学生が混ざり合っている。

 学年の枠を超え、彼らに興味を示してくれた彼らの声や大人たちの拍手が止まらない。「ネオーっ!」、「みっちぃーっ!」と彼女たちを知る友達の大声や「ケンーっ!」、「タクー」という一年男子や、「野上ーっ!」、「伊藤、カッコイイーっ!!」という一年女子の声援が絢都と巧に飛び交う。

 そして、センターにいるネオは、左下で、

「ねおっちーっ!」

 と気さくに呼ぶ、クラスメイトであり、小学生からの長い付き合いである小倉優太(おぐらゆうた)と目が合う。

「!」

 午前中にあったあの屈辱的な事が蘇る。顔が赤く変色しかけるが、気づかれないように横に振り、持ち堪える。今は、ライブに集中しなくては! 平常心、平常心。

 とにもかくにも、ステージは完全にネオたちに支配された。

 さあ、開演だ!

 ネオは後ろにいる三人とアイコンタクトで確認し、ここいる者たちに叫ぶ。

「こんにちはーっ! 初めましてーっ! そして学生のみんなは久しぶりーっ! 軽音楽同好会バンド――『moment's』だぁっ、ぜぇぇ――――――いっ!!!!」

 歓声のボルテージがさらに高まる。そんな空気に、ネオの声も一体化する。

「わたしたちが目標としていたこの舞台のために、()りすぐりの楽曲を用意してきたよぉーっ!! 今しかないこの『瞬間』を、高校生活の思い出に刻んでやるからなぁー、耳かっぽじって遅れずに、ついてこいよぉ――――――っ!!!!」

 もはや歓声が「WAAAAAAAAAA!!」に変わるくらいの臨場感へと増す! 「はやく聞かせろ!」というギャラリーたちの思いがひしひしと伝わってくる!

「いっくぜぇ――――っ!!」

 ギュイイイイイイ――――――ン!!!!!

 未知流のハードなギター音が鳴り響き、

 そして、絢都のドラムが、

 ドドドドドドッ!!

 と唸り、

 ギュギュギュッ!!

 と巧のベース音が、それらの音を引き立たせる!

 ――総合祭最大の宴が、開幕した!

 

 彼女たちに送る歓声とリズムに合わせた拍手が鳴りやまぬ中、次々と歌いこなすmoment's。オリジナルの曲もあるが、中心となる楽曲はプロのアーティストで、お気に入りの曲を歌うコピバンなわけだが、ネオは彼らに匹敵するくらいの歌唱力で歌いこなす。

「みぃせ、つづぅ、ける、ことがモット―――!!」

 と、表現力豊かな人気若手シンガー、阿部真央の『モットー』を歌えば、

「時間が経ってぇ、色褪せたぁってー」

 miwaの『441』をハスキーボイスで力強く歌い、観客たちの心に『この瞬間』を刻んでいく。

 自分たちが決めた選曲を順調に歌い上げる。

そして、

「じゃあここで一旦、おふざけターイム!!」

 謎のコーナーの始まりに、観客たちは(どよめ)く。

「どーしても、この舞台で自分のキャラをさらけ出したいというメンバーがいるので、くぁわりに歌ってもらうわよーっ!! なるお――――――っ!!」

「うおぉぉおおいっ!?」

 (あらかじ)め決めていた演出ではないが、奥のドラムがある場所から、某有名お笑い芸人事務所が劇場でやっている舞台ばりのズッコケをなるお……いや、ナル男こと野上絢都が披露する。

 その演技に、開場はぶわっ! と笑いが巻き起こる。

 自分のことを『ナル男』と言われたのが気に障ったのか、顔を赤くしながら大股開きでネオの下へと行き、

「本番中にそれを言わないで下さいよっ!」

 ネオが持っているマイクをぶんどり、ボーカルの位置へと立つ。逆にネオは、奥にあるドラムの席へと座る。

 絢都はマイクを叩き、調子を伺う。

 すると、一年生と思われる男子学生から、

「ナル男――――っ!!」

「うるせぇ!」

 とマイク越しでツッコむ。

 そして、観客に向かって指を差し、

「い、いいかぁ~お前ら! リーダーからナル男とバカにされたが、そうはいかねぇ! 念願かなったオレ様の魅惑のヴォイスで、甘い楽園へと誘ってやるぜえぇぇぇぇ!!!!ウワ――――――オ!!!!」

 と全力でシャウトする。

 観客も大声でそれに応える。

「リーダーに説得に説得しまくって掴んだ、俺が愛してやまないアニメソングとその良さを、moment'sロックで表現してやるぜ――――――っ!!!! いくぞぉ! みんなも知っている今話題のアニメ、『世紀末美少女ポパイちゃん』のオープニングより、『恋に恋してノックアウト』オォォォォォオオ!!!!」

 ネオの小さなシンバル音から、曲がスタートする。

 よく知っているなぁ……と、盛り上がっている八割の学生たちに無言のツッコミを入れ、アニメの知識がこれっぽっちもないネオは、ドラムを練習通りに黙々と叩く。

 センターにいる絢都は、「これがやりたかったんだよ!」と言わんばかりのハイテンションでアニソンを歌う。

 ――そもそも彼がこうなったのは、今から二週間前。

「だーかーらー! アニメソングには、J―POPとは違う魅力があるんスよ!」

「魅力、ねぇ……」

 絢都の必死の説得に、ネオはうーん、と呻くように考え込む。

 彼は夏休みのフェスに向けて、「モテたい!」という野望の下、自ら歌声を披露して、ネオにチャンスをもらった。

それにより、ネオが作詞で未知流が作曲した、彼の歌声にあったハードロックなオリジナル曲『BURNING!!』を総合祭でも歌ってもらおうと思ったのだが、

「アニソンには、それしかないパワーが宿っているんですよ! ハイテンションにさせたり、J―POPにはない独特な曲調! そして、負けず劣らず、アニメから引き出された、現代に問うダイレクトなメッセージ性! 水木兄貴曰く、『アニソンには勇気や夢や希望や正義など、人間が忘れてはいけないものがたくさん揃ってる』んですよ!」

 と自分はアニソン好きだと主張し、「総合祭では絶対に歌いたい!」と言って引き下がらなかったのだ。

「『ゼット!』の人がそう言ってもなぁ。わたし、わっかんないし」

 その一言に、どんだけもったいないことをしているんだこの人、と絢都は心の底から思う。

「うー、みっちぃ先輩ぃ~」

泣きそうな呻き声をあげながら、隣にいる未知流に懇願する。

 未知流は顎に手を置き、目を瞑る。そして、数十秒も立たないうちに、何かを決断したように、パチッと目を開いて顎から手を離し、

「ネオ……やらせようよ!」

「みっちぃ先輩!」

 未知流の決断に、絢都は目を輝かせる。

「ここまでコイツが言うんなら、好きにやらせた方が今後のためにもなると思うよ。ここで断って、今、『やめます!』とか言われても困るし。それにあたしも、」

 そして不敵な笑みを浮かべ、

「アニソンを演奏することに、興味がある。面白そうじゃないの!」

 ふふん! と鼻で笑った。

 その発言にネオは、マ、マジ!? と驚愕する。

「まっ、これもmoment'sに必要だってことよ!」

 笑いながら、両肩を叩く。

「……というわけで、文句を言ったら……」

 ネオの両肩に鉛が乗っているかのように、グッ! と未知流の両手が重くのしかかる。

 これはもう逆らえまい。

「わ、わかったわよ~。……だったら、絢都! そ~んなに自信があるのなら、本気で歌ってもらうからね!」

「言われるまでもねえッス! やってやりますよ!!」

――とプレッシャーをかけたのだが、見事な歌いっぷりに、ネオも心の中で「すご……」と思った。歌声を披露したときから思っていたけど、まさかここまでとは。

 明らかに女性ものの曲ではあるが、高い音域をものともせず平気な顔で楽しく歌っているのだ。さすが、中学のときにもバンドを組んで、文化祭をアニソンで盛り上げただけのことはある。あのアニソンの帝王も驚くに違いない。

「――君にノックアウト、ノックアウト、ノ――――クゥ、アウトォ――――――ッ!!!!」

 空に向かってシャウトし、楽園の終幕を告げた。

 うお――――――っ!! と観客の叫び声が響く。

 その声に、絢都はすがすがしい表情で、

「この楽園、楽しんでいただけたかな?」

 左目をウインクし、左手の指で銃を作り、観客に向かってパキューン! とギザなポーズをとる。

 その姿に男子たちは、「いいそ――――――っ!!!!」や「ナルシスト――――――!!!!」と賞賛(?)が、逆に女子生徒からは「キモ――――――い!!!!」とか、「こんのナル男―――――――っ!!!!」とか言われ放題だった。

 ナル男発言した女子学生たちに向かって「その名で言うな!」とツッコミながらも、満足気な表情でネオと席を交代する。この舞台でアニソンが歌えたことが、相当嬉しかったのだろう。

「あとは頼みましたよ、リーダー」

「当然!」

 小声で絢都とやり取りをして、ネオは再び観客の前へと立つ。

「えー、ナル男よりわたしの歌声をもっともっと聴きたい人――――――?」

 耳に手を当て、観客の声を確認する。

 ネオの質問に、ウワアアアアアア――――――――!! と講堂中に声を響かせ、ネオに答える。

「聴きたいか――――――!!」

「聴きたい――――――!!」

「オッケー!! それじゃあ、景気よくいくわよぉ――――――!!!!」

 ギュイイイイイイ――――――ン!!

 再び未知流のエレキギターから、頭を狂わせるほどの大音響が講堂全体に響く! まるで彼らの脳内にある、ぐちゃぐちゃに渦巻いているたっくさんの悩みを、音に変換して絶叫しているかのようだ。

「まずはこれからぁ――っ! わたしが一番やりたかった曲、Every Little Thingの『JUMP』!!」

 ネオの叫びと共に、講堂が震動した!

 未知流の重厚なギターの響き、絢都のドラムさばき、そして、間奏のときに、

「かっこいい――――――!!」

 と女子学生から言われながらも、未知流と一緒に前へと出て、楽しそうに曲を引き立て、自分のエレキベースのテクを見せつける巧。今日もエンジン全開だ。そして、リーダーであるネオの歌唱力。

 曲が終わるたびに拍手喝采、歓声が轟く!

 その大波に乗るかのように、自分たちのボルテージも高くなる! 自分たちの音楽で!

 まさにネオが望む『自分たちと観客がこの瞬間だけ一つになる』ステージへと登りつめていった。

 そして、時間はあっという間に過ぎていき、

「えー、楽しい時間も残念ながらね、これが最後の曲になって、」

「ええ――――――――――っ!?」

 ライブではつきものの、残念がる観客たちの声。

「もう時間がないんだぁー、次のプログラムがあるからねぇ……」

 ネオは残念そうな声音で観客に答える。

 「嫌だ――――――っ!!」「まだやって――――――!!」という声が聞こえる度に、ネオに笑みがこぼれる。諦めずにバンドをやってよかったと思える。

「それじゃあ……最後にふさわしく、とびっきりちょ――――――ういい曲を歌うからさぁ、それでいい?」

 とネオは観客に訊ねる。

 「いいよ――――――っ!!」と女子学生の声、「やれやれ――――――っ!!」と男子生徒の声。

 『あの曲』を歌う準備は整った。

 しかし。

 この舞台の『主役』がまだいない。ネオの想いが詰まった歌を捧げる唯一無二の親友。

 そう、彼女が……。

 ――実緒。

 

 

 

 朝と放課後に学生が行き交う下駄箱前の階段で、総合祭実行委員長の大山茜(おおやまあかね)がブレザーを膝にかけて座っている。

「はぁ~」

雲一つない青空の陽気に似合わないため息が漏れる。

ここに座って、かれこれ1時間弱が経過。

 そろそろ彼女たちのライブが終わる頃だ。

「待ち人来ず、って感じだな」

「ハヤト」

 下駄箱の方から、夏服姿の片平隼人(かたひらはやと)がアクエリアス(ペットボトル)を持って、彼女の下へとやってくる。

「ほい」

「あ、ありがとう」

 アクエリアスを渡し、アカネの左隣に座る。

「ハヤトっていっつもこれだよね~」

 アカネはペットボトルのラベルを見つめる。

「しょうがねぇだろ。好きなんだから」

 ゴク、ゴク、とノド鳴らして飲む。

 アカネもハヤトに続く。

「ぷっはぁーっ! ……ねぇ、ホントに来ると思う」

 アカネはハヤトに訊ねる。

「さあな。麻倉さんが言うんなら、来るんじゃないか」

「何よ、その根拠」

「それを信じているから、待っているんだろ?」

「そ、そうだけど」

 ネオからライブ前に、「学校に来なくなった親友を、わたしのクラスメイトの竹下さんを呼んだから、来たらソッコーで連れてきてください。お願いします!」って頼まれたときの、彼女の強い目を思い出す。「やるべきことはやっていますから!」と言われているみたいだったから、頼みはしたが。

 アカネは腕時計を見つめる。時刻は、タイムシフトが終わる時間に差し掛かっていた。

「うーん。残念だけど、もう時間だわ。次のプログラムもあることだし、サインを送らないと……」

 moment'sに報告するために、ブレザーを着て腰を上げたそのとき、

「あっ!」

 ハヤトが急に立ち上がって指を差す。

「誰かがこっちに向かってる!」

 彼が指を差す方向から、こちらに走ってくる女子生徒を確認する。

「まさか……」

 アカネは上履きのまま、彼女の下へと走っていった。

 

 

 

 ……。

 顔を俯いたまま、ネオは舞台の中心で彼女の出番を待ち続けている。

 静かになった彼女たちに、観客も静まり返る。

 その空気の中で、時間を稼ぐ。「早くやれよ――――っ!!」という男子学生の大声が響く。

 それでも、待つ。

 待ち続ける。

 だが……。

 タイムシフトがあと八分で終わってしまう。

 もう、時は来てしまった。

 未知流がネオの下に駆け寄り、左肩を叩く。彼女の顔を見つめるネオ。

 タイムリミットだと思った。しかし、未知流が講堂の入口の方へ指を差す。

 その視線の先には……、

「!」

 講堂の入口に、アカネの後ろにポツンと立っている女性がいる。

 アカネが目配せしながら親指を立てる。

 ――彼女しかいない!

 急いで来たからか、彼女は息を吐きながら、少しずつネオが立っている舞台の方へと進む。

 これで準備は整った。

 ネオは観客にばれないように顔を下に向け、笑みを浮かべる。

 そして、

「お待たせしてゴメン! よーし、役者も揃ったことだし、今から最後の、moment'sのとっておきのオリジナル新曲をやっちゃうわよ―――――っ!!!!」

 右手を突き上げて、宣言する。

 歓声の渦の中、たった一人の女の子を凝視しながら、ネオは真剣な目つきで学生たちに応える。

「これは……みんなにも、そしてわたしにもありえることだけど……傷つけたり、傷ついたり、拒絶したり、されたり、色々な経験を通して、一人ぼっちになりたいこともあると思います……でも、絶対に一人ではない。世の中には家族を始めとする、たっくさんの人がいる。その中には嫌う人もいる。でも、自分を受け入れてくれる人は必ずどこかにいるはず。心が折れそうになった自分を前へと後押ししてくれる人がきっといる。そんな、互いに助け合う関係は、どんなところでも結ばれる。見えなくても、後ろでそれに支えられているはずだよ。そんな想いを全ての人に捧げます……これは、私の、友達への、不器用な気持ちを歌詞に込めた、大切な曲です」

 涙をこらえながら、震える口から自分の気持ちを言い尽くし、

「聴いてください。『moonlight』」

 始まりの合図を告げる。

 その瞬間、ステージのライトが、ネオだけを照らす。まるで、月から見守る聖女のようだ。

 その聖女を彼女――実緒は見つめる。

 優しくて、力強いエレキギターの音が鳴り響く。

 

『冷たい夜に キミの名を呼んだ

 その声は閃光のように かき消された

 

 こんなにも想っているのに 何で遠ざけるの?

 ねぇ 教えてよ!

 わたしのナニがイケナイの……

 

 月の光の中で 私は見ているわ

 背中からキミを包み込んで

 一緒に行きたい わたしの『勇気』を与えたい

 「側にいたい」と叫んでいる

 

 雨降る夜に キミの涙が映った

 黒く塗りつぶされて 涙があふれた

 

 この雫を照らしたい キミを輝かせたい

 ねぇ 教えてよ!

 わたしにデキルコトを……

 

 キミの手を わたしが掴むわ

 「いつも側にいるから」

 振り返れば いつもここに立っている

 キミの力になりたいから』

 

 ネオからの、胸に痛いほど伝わる自分への気持ち。

 実緒の胸にぽっかりと開いた孔に、ネオから貰った、金色にキラキラと輝く月の雫で埋めつくされる。自然と涙が零れる。

 間奏に流れるエレキギター、エレキベース、ドラムの優しい音色が、自分を闇から引きずり出していく。

 そして、ネオが実緒の手を――

 

『その手を掴んだ瞬間 扉が開いた

 一緒に行こう

 わたしたちはひとりじゃない

 もう 怖いものはないよ』

 

 涙で濡れた瞳を輝かせて、力強く――

 

『キミの手を わたしが掴むわ

 「ここにいるから」

 振り返れば いつも叫んでいる

 キミの名前を

 

 あの月の光の中で

 

 見守っているから……』

 

 歌にのせて、実緒の手を強く掴み、光の世界へと連れ出した。

 ネオは涙を見せながら、精一杯の笑顔を作る。そしてメンバー全員で、聴いてくれた観客に一礼した。

 学生や大人たちの心に響いたのか、彼女たちが舞台から降りるまでの間、会場は暖かい拍手に包まれた。

 そして、実緒は学生たちの後ろで泣き続けた。

 それは黒ではなく、純白の涙だった……。

 

 

 

「「「「かんぱーい!!」」」」

 ホームルーム終了後。

太陽が沈みかけ、星や満月がうっすらと見える中、四人はプレハブ小屋でドリンクをコツンと当て、ささやかな飲み会をしていた(もちろん、学生服に着替えている)

 ライブは大盛況のうちに終わった。

 四人は各クラスで、「楽しかったよ」「いいライブだったぜ!」「あの曲良かったぜ」など、クラスメイトから賞賛の言葉をもらい、喜びを噛みしめた。

 自分たちのライブという『瞬間』を、彼らの胸中に刻まれていることに。

「あっという間だったね……」

 夕日を見ながら座っているネオがポツリと呟く。

「うん。だけど、楽しかったね」

 ネオの呟きに、右隣にいる未知流が答え、

「そうっスね。最高だったス」

「はい」

 絢都と巧が続く。

 彼女たちは達成感で溢れた顔つきだった。どんな風に楽しかったと聞かれても具体的な理由などない。ただただ、あのステージが楽しかったのだ。

 こんな異例な部活に『特別枠』としてバックアップしてくれた、生徒会と総合祭実行委員会には感謝しないといけないなとネオは思った。

 そして、自分についてきてくれた三人にも。

 実緒の件から今日にかけてネオは、自分の背中にはこの三人やクラスメイトの友達、ライブを見に来てくれる人たち、家族など、力になってくれる人が背中にたくさんいるという自分に改めて気づくことができた。

 自分もこの『瞬間』を忘れてはいけない、いや、忘れることのできないものとなった。

 これからも自分と自分を支えてくれる人を大事にしながら、歌手と言う夢に向かって強く生きていこうとネオは思った。頼れる仲間がいるのだから。

「……それにしても……巧。おまえ、女子たちにサインを求められていたよな……」

 絢都はじろり、と巧を見つめる。

「い、いやあ……そ……それは……」

 巧は後ろ頭に手を当て、顔を赤らめる。

「そうなの!?」

 ネオはクイッ! と急に巧の方へと振り向く。

「ター坊、モッテモテじゃないのよー」

 やるねぇ! と未知流は巧の背中をバシバシ叩く。

 うげっ! と巧は呻いた。

「そーなんスよ! オレは巧よりも先に教室に帰ってたんスけど、しばらくすると廊下から女子たちの声がうるさくて、なんだと思ったら、コイツがサインを書いていやがったんですよ~!」

 ふてくされた表情で巧に指を差す。

「そ、そーいうー絢都だって、サインを書いてたじゃないか!」

「違う! オレはサインを書くぞーとアピールしても、『ナル男には興味はないっ!』『アニオタはどっか行けっ!』って断られたんだよ! おまえだけいい思いしやがって」

 立ち上がり、こんのー! と巧の首を絢都は絞める。

「ぐええええ――っ!」

 蛇のような腕を前に、巧は喚く。よっぽど悔しかったのだろう。せっかくチャンスをもらったのにこのザマなのだから。

「……ったく。なんでこうなるんだよ……」

 巧から離れ、絢都は俯いて両手で頭を抱えた。

「まあ、ナル男はナル男だからねぇー」

 ぐふふ、と悪戯っぽい笑みで絢都を見つめる。

「そうッスよ! だいたい、あんときネオ先輩がナル男って言うから、こうなったんじゃないっスか――!!」

 ネオに向かって指を差す絢都。

「いやいや、あんたがアニソンを歌うからでしょ!」

 ネオは立ち上がって絢都を責める。

「アニソンのせいじゃないっス! どう見ても先輩のせいっス! この殺人鬼ヘアーが!」

 絢都はネオに近づいて反撃する。

「なんだとー! わたしのトレードマークにケチをつけるな! このナルシスト!」

「ナルシストはそっちだろーっ! ワガママリーダー!」

「ワガママなのはそっちも同じでしょー!」

 う――――――っ! 飲み干したペットボトルをギュッ! と握りしめ、バチバチと火花を散らすネオと絢都。

 もう! と未知流が割って入ろうとするが、

「みんなーっ!」

「!」

 文化祭実行委員長である大山茜(おおやまあかね)がやってくる。

「あっ、なんかぁ、タイミングが悪かった?」

 二人の睨み合いを目の当たりにして、アカネは(おのの)く。

 ネオと絢都は彼女の顔を見て、硬直する。

「い、いえ、全然!」

 未知流はそういうと、ネオの背中を叩き、

「そ、そうね! みんな! 整列!」

 サッ! と靴を履いて、先輩と同じ目線になり、綺麗に横に並ぶ。

「ははは……そう固くならなくてもいいのに」

「いやいや、アカネさんには頭が上がりませんよ。この度は本当にありがとうございました」

 メンバーを代表して礼をするネオ。

「いやいや、こちらこそ最高のライブをありがとう。それで、ちょっとお客様を呼んだんだけど……」

「お客様?」

「うん。竹下さーん!」

「実緒!?」

 アカネが呼んだ名前に、ネオたちは仰天した。

 アカネが向いている方向――校舎の角から現れる。

 ブレザーとスカートを正しく着た、見覚えのある彼女――竹下実緒が恐る恐るこちらに来る。

 久しぶりのネオに、

「ね、ネオ、ちゃん……」

 身体を震わせながら、ネオの顔を見上げる。

 そんなネオに、

「なーに怯えてんのよ、実緒!」

 気負うことなく彼女を見つめるネオ。

「わたしの曲、聴いてくれた?」

「うん。すっごく、良かった……」

「よかった。書いた甲斐があったよ」

 ネオは実緒に微笑む。

「ネオちゃん……わたし、わたし……」

 実緒の瞳から大粒の涙が溢れる。

「謝り、たくて……」

 うっ……ううっ……。

 ネオはそんな実緒を優しく抱きしめて、

「なんで謝る必要があるのよ。ありがとう、来てくれて」

「ネオ……!」

 ネオの胸の中で、実緒は子供のような泣き声をあげた。それは悲しい涙ではなく、嬉し涙であった。

 「ごめんね……ごめんね……」と実緒は言い続けた。

 ネオは優しく頭を擦ってあげた。

 これでもう大丈夫。

 一緒に、『夢』に向かって頑張ろう。

 

 抱き合う二人を、未知流と絢都と巧、そしてアカネは微笑んだ。

 

 抱き合う二人を満月が優しく照らした。
永山あゆむ
HEROES OF THE SCHOOLシリーズ moonlight
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