現代、彼女は 僕の太陽であった。

 

「嶋本さん、真っ赤な金魚の正体がわかりましたよ!」

 

 

翌日、僕は、寝不足の目をこすりながら事務所のドアを開き言った。

 

 

「おお、おはようさん。今日はまた、えらい機嫌ええなぁ。」

 

嶋本さんは気だるそうに白い煙を吐き出しながら言った。

 

「なんや、彼女でもできたんかい?」

 

「違いますよ。赤い金魚がやってきたんです。」

 

「ははは、えらいべっぴんの金魚やのう。餌食わしたりや~。」

 

「もちろんですよ。」

 

嶋本さんには、どこまで見えているのかわからないので、

 

僕はその金魚が大正時代から映画のようにタイムスリップしてきたことは言わなかった。

 

 

彼女がやってきた夜、僕たちは明け方まで話し込んでいた。

 

彼女の家や家族の話。

 

当時の恋愛観や結婚観。

 

そして、僕の家や家族の話。

 

現代の恋愛観や結婚観。

 

特に彼女を驚かせたのは携帯電話だ。

 

僕の部屋にはテレビがなかったので、携帯電話でインターネットに繋ぎ、

 

外国の写真や、町の動画を見せると、口を鯉のようにあけて

 

「まぁ!」

 

と驚いていた。

 

空が白み始め、二人があくびを我慢できなくなったころに、

 

僕の部屋のたったひと組の布団で背中と背中をくっつけあって眠った。

 

変な気持が微塵もなかったのか?と問われるとあったとしか答えることができない。

 

ただ、現代の恋愛観、結婚観について話した後に彼女が

 

「未来は楽しそうだけれど・・結婚前に関係を結ぶなんていけないわ。絶対いけないわ。」

 

とつぶやいたことを思うと、手を出そうなんて気にならなかった。

 

その時の彼女は、鬼気迫る表情で、そう言い放ったからだ。

 

満開の桜が、月光の下だと妖しく、美しすぎて、怖ろしさを感じることがあるように

 

美しいものは、時として非常に怖ろしく見えることがある。

 

そのときの彼女がそうであった。

 

 

 

(そうだ、華さんに服を買ってあげよう)

 

 

僕はいつもの仕事をこなしながら、彼女の窮屈そうな着物姿を思い出していた。

 

バイトが終わると、僕は作業着をたたむことすらせず、ロッカーに押し込み、慌てて電車に飛び乗った。

 

家では華が待っている。

 

とりあえず、彼女の日中の食事は菓子パンなどを置いていったけれど、お腹をすかせてるにちがいない。

 

昔、飼っていた金魚のように、口をパクパクさせて待っている華の姿が頭に浮かぶ。

 

まともなものを食べさせてあげたいし、服も買ってあげたい。パジャマだっているだろう。

 

駅の改札横にあるATMから貯金をひきだし、僕は家に駆けた。

 

木のドアを開く前に僕は、深呼吸をした。

 

もしも、華が消えて大正時代に帰っていたら?そんなこともあり得るからだ。

 

たった一晩だったけれど、女気のなかった僕の生活に久しぶりに咲いた花。

 

モノクロだった世界が、オズの魔法使いのオズの国みたいにたちまちカラーになった。

 

もし、華がいなかったら、また、たちまちモノクロの世界に戻るだろう。

 

華との生活に期待で胸をいっぱいにしていた僕には、それは耐えがたいことだろう。

 

モノクロどころか、墨をぶちまけたみたいに真黒なせかいになるもしれない。

 

それほど、僕は華に惚れ込んでいた。

 

息を整え、ドアをゆっくり開くと、

 

ああ、麗しの天使は少しきつくなってきた西日を浴びながらスヤスヤと眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の白い手をとって、僕は夕方の町へと出掛けた。

 

時を越えてやってきた彼女の手は、汚れを全く知らない真っ白な小さな手で、そして確かに命のぬくもりを感じた。

 

違う時代からやってきた美女と出掛ける。こんな不思議なことを普通に受け止めている僕は、どこか、何かが麻痺していたのかもしれないが、今、そこで感じるその手のぬくもりだけが僕の存在を証明し、白昼夢のように心地よく体をつき動かしていた。

 

 

僕の住む安アパートを出て、まだつぼみのつかない紫陽花の植え込みのが並ぶ小道の間を通りすぎて

 

しばらく行くと、その川はあった。

 

中規模な川で、歩行者と自転車用の橋がかかっている。

夕日の沈むほうをみると車道の渡る橋、その向こうには電車が飛ぶように川の上を渡っているのがみえた。

 

この橋を渡れば、そこそこ大きいショッピングモールがあって、遠出の嫌いな僕はいつもこのモールで全てを済ませていた。

 

大都会にあるそれとはまた雰囲気も規模も違うけれど、中々お洒落なインポートブランドを扱うセレクトショップや、そこそこ美味しい店もそろっている。

 

はるか遠いところから来た彼女を、まず連れてくるにはちょうどいいところだと思った。

 

彼女はというと、初めて外の世界をみる子猫のように、小さな身体全体を好奇心でいっぱいにして、

落ち着きなく周りを見ては感嘆の声をあげていた。

 

自動ドアに驚いたかと思えば、店舗紹介の巨大スクリーンに釘付けになる。

 

エスカレーターにはしゃいだかと思えば、派手な服装の女性店員に呆気にとられていた。

 

そんな彼女を面白おかしくみていた僕に彼女は

 

「どうして平然となさってるの?」

 

と聞いた。

 

「もう慣れてるからさ。当たり前の世界だから。」

 

「当たり前・・・・・。もしあなたの言う当たり前が本当のことなら・・・

 

 

 当たり前ってつまらない寂しいものね。」

 

 

ああ、そうだった。幼いころは見るもの全てが新しく、新鮮で、毎日が冒険のようだった。

 

歳を経るにつれて、フルカラーでみていた世界が、どんどん色を失っていた。

 

当たり前の世界は確かに、つまらなくて寂しいものだ。

 

「ねえ、今日は今からその当たり前を捨ててみない?

 

 全部、私と同じで初めてみたみたいにしてみるのよ!」

 

彼女はいたずらに笑う。

 

ああ、この笑顔は前にみたことがある。

 

金魚を手にしたねえちゃんだ。

 

何やってるんだ?姉ちゃん。

 

 

「いいねえ!」

 

僕は記憶を後ろに押し返し、明るく答えた。

 

「じゃあ、目を閉じてみて!」

 

彼女が僕の目を両手で覆う。

 

「3・2.1!」

 

僕は何をやってるんだとおもいつつも、彼女の無邪気さにはあらがうことができずに

 

目をゆっくりと開いた。

 

すると、目のなかに飛び込んできたのは、鮮やかな世界。息苦しくなるほどの人や物や色。

 

なんて奇妙な世界。

 

「ね、すごいと思わない?」

 

僕の顔を覗きこんだ彼女だけが、見慣れたものとして映った。

 

全てを初めてみるものとしてショッピングモールを歩くのは危険だ。

 

僕の脳では対応しきれない。

 

思えば人間はものすごいスピードで進化し向上してきたんだと、思った。

 

あふれる情報に物、音、刺激的な場所。

 

今まで当たり前として、何の疑問もなく歩いてきたことを不思議に思った。

 

そばではしゃいでいる彼女のほうが、よっぽど自然で当たり前なような気がしてきた。

 

見慣れたものを、初めてのつもりで見るという、一見子供だましな遊びも彼女の手にかかれば

 

魔法のように鮮やかに僕の見る目を変えていった。

 

その日、僕は、彼女の気に入った水色のワンピースに、シンプルなパンプスを買った。

 

 

そして初めての場所で初めてのものを見て驚き疲れたぼくらは、空っぽの胃を満たすために

 

モールの最上階にあるファミレスに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ。何名様ですか?おタバコはお吸いになりますか?」

 

マニュアル化された店員の接客に、2人で微笑み合いながら、ショッピングモールの最上階に入っている全国チェーンのファミレスに僕たちは入った。

ここの売りはハンバーグ定食だ。

箸をいれると溢れ出す肉汁が人気のオージービーフ100パーセントのハンバーグは、実はタネを作るときに牛脂をいれていると、この店でアルバイトをしていた友人に聞いたことがある。

ガラス玉のような目をクルクルキラキラ輝かせながら、ハンバーグ定食を食べる華に、僕は余計な事を言わない。

時に人のささやかな幸せを壊すような輩がいるが、知らないで困ることより、知らないで幸せなことのほうが世の中には多いと思う。

そして、僕は余計なことを知って、人生の小さなきらめきをふいにするより、
知らないで生きて行きたいと思う。愚鈍、鈍感、無関心と言われようと、それでいいと思う。

ハンバーグ定食を完食した僕たちは、満腹でぼやける思考でとりとめのない会話を目と目を絡ませながら楽しみ、まるで行き場のない10代の恋人同志のような時間を過ごしていた。

だが、このまま永遠に続くかのような時間も、甲高い一声に壊された。

 

「あれ~?優君!久しぶり!」

 

栗色の艶やかなショートボブ、体型を隠すワンピースに、その必要性のわからないレギンスという黒スパッツのようなものをはいた幼馴染の三浦佳菜子が、手にドリンクバーの薄い清涼飲料水を持って立っていた。

 

「ああ久しぶり。」

 

気持ちの良い午睡から突然起こされたような気持ちで僕は応えた。

 

「デート中?お邪魔してごめんね~。」

 

佳菜子は小さい頃から変わらない屈託ない笑顔を華に投げかけながら、僕の横にドスンと乱暴に座った。

 

「優君、おばさんが全然帰ってこないし、連絡もないってぼやいてたわよ。たまには電話くらいしてあげなきゃ!」

 

「ああ、バイトが忙しいんだよ。佳菜子が伝えといてくれよ。」

 

突然、 僕の今までの生活という現実を突きつけられ、少し無愛想に答えると、

 

「こんな可愛い彼女とデートする暇があるんじゃない!なんなら彼女連れて行けばいいじゃない!」

 

口の減らない佳菜子が間髪いれずにまくしたてる。

華は、少し困ったような顔をして僕と佳菜子のやりとりを見ていた。

そんな華の顔を佳菜子はジッと凝視し

 

「彼女さん、すごく綺麗な人ね…。」

 

と言った。

その時初めて僕の心と華の表情はほころび、僕は一緒に居る華の美しさが誇らしく思えた…のも束の間、次の佳菜子の言葉に僕は凍りついた。

 

「美奈子さんに似てるね。」

 


「似てないよ。もう忘れたし。」

 


「似てるよ~!なんていうか……そう、醸し出す雰囲気が!」



なんだか自分がものすごい発見をしたかのように、顔面に大輪の花を咲かせた佳菜子を、なにもわからない仔犬のように真っ黒な瞳の華が、小首をかしげてみている。


佳菜子とは、親同士が仲良く家が二軒隣ということもあり、赤ん坊の頃から交流があり(勿論覚えていないが)、以来、小中高とずっと一緒だった。

あまりにも長く一緒に居たせいか、もう男女、異性の枠を越えて、同性の友達より仲が良く、理解しあっていたといっても過言ではない。

共働き家庭であった佳菜子は、家にもしょっちゅう入り浸り、姉の貴重な話し相手でもあった。

姉も異性で生意気な僕より、同性で明るい佳菜子に対してのほうが、愛想良く心を開いていたように思う。

だから姉の葬式では、妙に冷めていた僕の傍で、血の繋がりのない佳菜子のほうが、悲しみをあらわに感情をほとばしらせていた。

「それより、タイムカプセルおぼえてる?」
氷で更に薄くなった清涼飲料水を、ストローでかき混ぜながら佳菜子が言った。

「えっ?ああ、おぼえてるよ。」

僕が、小学六年の時に、佳菜子と思い出のものを、装飾鮮やかな高級クッキーの缶にいれて、うちの庭先に埋めたことがあった。

「あれ、そろそろ掘り起こしてみない?」


「いいけど、まだあるかな。あれから母さんが家庭菜園とか始めてたからな」



あれからとは、姉が死んでからだ。母親は、それまで面倒みていた姉貴の代わりとでもいうように、手入れなどほとんどしたことのない荒地化していた庭に、畑をこしらえ、甲斐甲斐しく野菜の面倒を見ていた。



「タイムカプセルってなあに?」



それまで口を硬く閉ざしていた華が寝起きのような掠れた声をだして聞いた。



「あっ、彼女さんごめんね。内輪の話ばかりで。別に優君と私は怪しい中じゃないから、誤解しないでね!タイムカプセル知らない?」



「ええ。」



「ほら、小さい頃の思い出の物を、缶やなにかに詰めて埋めておいて、大人になってから掘りおこすの。ロマンティックでしょ!」


佳菜子がまるで自分が考えたアイデアのように声高に話す。

華は、何か思いつめたような顔をしてからゆっくり頷いた。



「また、時間とれたら帰るよ。 」



「絶対だからね!また電話するから!」



突然現れた嵐のような佳菜子は、華に手を振り、竜巻のように去った。




「元気な方ね。」


華が微笑みながら言った。



「昔からあんななんだ。元気すぎて参るよ。」




「あら!これからは女性は元気でなくてはいけないのよ!太陽なんだから!」



僕にとって、満面の笑みでそう話す華が太陽のように眩しく美しかった。





 

 

松山美奈子。

 

17歳でこの世を去った僕のたった1人の姉。

姉は生まれつき身体が弱く、更に精神薄弱であった。

その短い人生を、ほとんど華やかに飾り立てられた自宅のベッドの上か、殺風景な病院の個室で過ごした。

外にあまり出てないからか、その肌は透き通るように白く、髪は母が洗髪の時に椿油を塗るからか、艶めく黒髪で、身内は勿論、近所でも評判の美人で、噂を聞いた男子学生が家の前をうろついていたこともある。

精神薄弱であっても、姉は自分の美しさは自覚していたようで、体調の良い時には、ベッドから身を起こし、南向きの小さな窓から、純粋な男子学生に怪しい微笑みを撒き散らしていた。

白痴美人…という言葉が、姉を形容するのにぴったりだった。

僕は、親の、特に母親の愛情を一身に受ける姉が憎らしく、あまりいい思い出がない。

だから、目下1番大切といえる華が、姉に似ていると言われて、心が怒りに激しく波打つのを感じた。

しかし、その感情は、姉と華が確かに同じ雰囲気を醸し出していたからであることは否めない。

昔、こんなことがあった。

ある夏の夜、友達と夏祭りに行った僕は、当てもので中国製のエアガンを当てたことに気をよくして、夏の暑さで体調を壊し家のベッドに寝たきりの姉に土産を持って帰ろうと思いついた。

よくあるカステーラやりんご飴は、屋台の食べ物が嫌いな母が嫌がると思い、土産を探しうろついていると、人だかりを見つけた。

覗いて見ると、そこは、鮮やかな金魚が舞泳ぐ金魚すくいの屋台で、子どもはもちろん、大人もその小さく非力な金魚をアイスクリームのもなかのようなポイで追いかけていた。

「そうだ!金魚を持って帰ろう!」

僕は金魚すくいの屋台の煌々とついたライトに負けないくらいのヒラメキを感じ、ポケットに残っている最後の300円をタバコを咥えた屋台のおじさんに渡した。

ヒラヒラ尾びれを水中でひらめかせながら泳ぐ金魚はみな元気で、金魚すくいを初めてした僕は、狙った金魚にことごとく逃げられ、モナカのようなポイはすぐにふにゃふにゃになり使い物にならなくなってしまった。

あまりに早すぎたことの終わりに落胆した僕を憐れんだのか、屋台のおじさんは、白い煙を吐きながら一匹の真っ赤な金魚を持ち帰りのビニール袋にいれてくれた。

無骨なおじさんの優しさに胸を一杯にし、おじさんにむかって精一杯頷き、駆けて帰ろうとするとおじさんが僕の背中にむけて言った。

 

「その金魚弱ってんで~。」

 

幼い僕には、おじさんの投げかけた言葉の意味が理解できず、何がなんだかわからなかった。

善意でくれたはずの金魚が弱っているって、小さないたずら的な悪意だったのか?

振り返る勇気のなかった僕は、祭りの人ごみの中を金魚のようにすり抜け、家にひた走った。

 

今思えば、その金魚の運命は、その後の姉を彷彿とさせるものであった。

 



 

subaru
作家:すばる
現代、彼女は 僕の太陽であった。
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