「いらっしゃいませ。何名様ですか?おタバコはお吸いになりますか?」
マニュアル化された店員の接客に、2人で微笑み合いながら、ショッピングモールの最上階に入っている全国チェーンのファミレスに僕たちは入った。
ここの売りはハンバーグ定食だ。
箸をいれると溢れ出す肉汁が人気のオージービーフ100パーセントのハンバーグは、実はタネを作るときに牛脂をいれていると、この店でアルバイトをしていた友人に聞いたことがある。
ガラス玉のような目をクルクルキラキラ輝かせながら、ハンバーグ定食を食べる華に、僕は余計な事を言わない。
時に人のささやかな幸せを壊すような輩がいるが、知らないで困ることより、知らないで幸せなことのほうが世の中には多いと思う。
そして、僕は余計なことを知って、人生の小さなきらめきをふいにするより、
知らないで生きて行きたいと思う。愚鈍、鈍感、無関心と言われようと、それでいいと思う。
ハンバーグ定食を完食した僕たちは、満腹でぼやける思考でとりとめのない会話を目と目を絡ませながら楽しみ、まるで行き場のない10代の恋人同志のような時間を過ごしていた。
だが、このまま永遠に続くかのような時間も、甲高い一声に壊された。
「あれ~?優君!久しぶり!」
栗色の艶やかなショートボブ、体型を隠すワンピースに、その必要性のわからないレギンスという黒スパッツのようなものをはいた幼馴染の三浦佳菜子が、手にドリンクバーの薄い清涼飲料水を持って立っていた。
「ああ久しぶり。」
気持ちの良い午睡から突然起こされたような気持ちで僕は応えた。
「デート中?お邪魔してごめんね~。」
佳菜子は小さい頃から変わらない屈託ない笑顔を華に投げかけながら、僕の横にドスンと乱暴に座った。
「優君、おばさんが全然帰ってこないし、連絡もないってぼやいてたわよ。たまには電話くらいしてあげなきゃ!」
「ああ、バイトが忙しいんだよ。佳菜子が伝えといてくれよ。」
突然、 僕の今までの生活という現実を突きつけられ、少し無愛想に答えると、
「こんな可愛い彼女とデートする暇があるんじゃない!なんなら彼女連れて行けばいいじゃない!」
口の減らない佳菜子が間髪いれずにまくしたてる。
華は、少し困ったような顔をして僕と佳菜子のやりとりを見ていた。
そんな華の顔を佳菜子はジッと凝視し
「彼女さん、すごく綺麗な人ね…。」
と言った。
その時初めて僕の心と華の表情はほころび、僕は一緒に居る華の美しさが誇らしく思えた…のも束の間、次の佳菜子の言葉に僕は凍りついた。
「美奈子さんに似てるね。」
「似てないよ。もう忘れたし。」
「似てるよ~!なんていうか……そう、醸し出す雰囲気が!」
なんだか自分がものすごい発見をしたかのように、顔面に大輪の花を咲かせた佳菜子を、なにもわからない仔犬のように真っ黒な瞳の華が、小首をかしげてみている。
佳菜子とは、親同士が仲良く家が二軒隣ということもあり、赤ん坊の頃から交流があり(勿論覚えていないが)、以来、小中高とずっと一緒だった。
あまりにも長く一緒に居たせいか、もう男女、異性の枠を越えて、同性の友達より仲が良く、理解しあっていたといっても過言ではない。
共働き家庭であった佳菜子は、家にもしょっちゅう入り浸り、姉の貴重な話し相手でもあった。
姉も異性で生意気な僕より、同性で明るい佳菜子に対してのほうが、愛想良く心を開いていたように思う。
だから姉の葬式では、妙に冷めていた僕の傍で、血の繋がりのない佳菜子のほうが、悲しみをあらわに感情をほとばしらせていた。
「それより、タイムカプセルおぼえてる?」
氷で更に薄くなった清涼飲料水を、ストローでかき混ぜながら佳菜子が言った。
「えっ?ああ、おぼえてるよ。」
僕が、小学六年の時に、佳菜子と思い出のものを、装飾鮮やかな高級クッキーの缶にいれて、うちの庭先に埋めたことがあった。
「あれ、そろそろ掘り起こしてみない?」
「いいけど、まだあるかな。あれから母さんが家庭菜園とか始めてたからな」
あれからとは、姉が死んでからだ。母親は、それまで面倒みていた姉貴の代わりとでもいうように、手入れなどほとんどしたことのない荒地化していた庭に、畑をこしらえ、甲斐甲斐しく野菜の面倒を見ていた。
「タイムカプセルってなあに?」
それまで口を硬く閉ざしていた華が寝起きのような掠れた声をだして聞いた。
「あっ、彼女さんごめんね。内輪の話ばかりで。別に優君と私は怪しい中じゃないから、誤解しないでね!タイムカプセル知らない?」
「ええ。」
「ほら、小さい頃の思い出の物を、缶やなにかに詰めて埋めておいて、大人になってから掘りおこすの。ロマンティックでしょ!」
佳菜子がまるで自分が考えたアイデアのように声高に話す。
華は、何か思いつめたような顔をしてからゆっくり頷いた。
「また、時間とれたら帰るよ。 」
「絶対だからね!また電話するから!」
突然現れた嵐のような佳菜子は、華に手を振り、竜巻のように去った。
「元気な方ね。」
華が微笑みながら言った。
「昔からあんななんだ。元気すぎて参るよ。」
「あら!これからは女性は元気でなくてはいけないのよ!太陽なんだから!」
僕にとって、満面の笑みでそう話す華が太陽のように眩しく美しかった。
松山美奈子。
17歳でこの世を去った僕のたった1人の姉。
姉は生まれつき身体が弱く、更に精神薄弱であった。
その短い人生を、ほとんど華やかに飾り立てられた自宅のベッドの上か、殺風景な病院の個室で過ごした。
外にあまり出てないからか、その肌は透き通るように白く、髪は母が洗髪の時に椿油を塗るからか、艶めく黒髪で、身内は勿論、近所でも評判の美人で、噂を聞いた男子学生が家の前をうろついていたこともある。
精神薄弱であっても、姉は自分の美しさは自覚していたようで、体調の良い時には、ベッドから身を起こし、南向きの小さな窓から、純粋な男子学生に怪しい微笑みを撒き散らしていた。
白痴美人…という言葉が、姉を形容するのにぴったりだった。
僕は、親の、特に母親の愛情を一身に受ける姉が憎らしく、あまりいい思い出がない。
だから、目下1番大切といえる華が、姉に似ていると言われて、心が怒りに激しく波打つのを感じた。
しかし、その感情は、姉と華が確かに同じ雰囲気を醸し出していたからであることは否めない。
昔、こんなことがあった。
ある夏の夜、友達と夏祭りに行った僕は、当てもので中国製のエアガンを当てたことに気をよくして、夏の暑さで体調を壊し家のベッドに寝たきりの姉に土産を持って帰ろうと思いついた。
よくあるカステーラやりんご飴は、屋台の食べ物が嫌いな母が嫌がると思い、土産を探しうろついていると、人だかりを見つけた。
覗いて見ると、そこは、鮮やかな金魚が舞泳ぐ金魚すくいの屋台で、子どもはもちろん、大人もその小さく非力な金魚をアイスクリームのもなかのようなポイで追いかけていた。
「そうだ!金魚を持って帰ろう!」
僕は金魚すくいの屋台の煌々とついたライトに負けないくらいのヒラメキを感じ、ポケットに残っている最後の300円をタバコを咥えた屋台のおじさんに渡した。
ヒラヒラ尾びれを水中でひらめかせながら泳ぐ金魚はみな元気で、金魚すくいを初めてした僕は、狙った金魚にことごとく逃げられ、モナカのようなポイはすぐにふにゃふにゃになり使い物にならなくなってしまった。
あまりに早すぎたことの終わりに落胆した僕を憐れんだのか、屋台のおじさんは、白い煙を吐きながら一匹の真っ赤な金魚を持ち帰りのビニール袋にいれてくれた。
無骨なおじさんの優しさに胸を一杯にし、おじさんにむかって精一杯頷き、駆けて帰ろうとするとおじさんが僕の背中にむけて言った。
「その金魚弱ってんで~。」
幼い僕には、おじさんの投げかけた言葉の意味が理解できず、何がなんだかわからなかった。
善意でくれたはずの金魚が弱っているって、小さないたずら的な悪意だったのか?
振り返る勇気のなかった僕は、祭りの人ごみの中を金魚のようにすり抜け、家にひた走った。
今思えば、その金魚の運命は、その後の姉を彷彿とさせるものであった。
華と白昼夢のような生活をひっそりと送るうちに、季節は晩春から初夏へのカーテンをおろそうとしていた。
相変わらず派遣のアルバイトに週5日通い、定時になると一目散に華の待つ家に帰った。
帰る道中に買い物する日もあれば、華とスーパーに行く日もあった。
華が手料理を振舞ってくれるようになったのは、奇妙な共同生活を始めて一週間ほどたったころ…一緒にスーパーに行った華がちょっと目を離した隙に迷子になる幼児のように居なくなったかと思ったら、卵のパックを手に僕を探していた。
「この卵、買っていただいていいかしら?」
僕を見つけた安堵の瞳をもって、たかだか198円の卵を手にした華のえらく丁寧なねだり方に小さな感動を覚えた。
「いいけど…温める気?」
「まあ!違うわ!私は鶏じゃないわ!料理したいのよ!」
ちょっとからかうとすぐムキになるところが可愛くて、ついつい余計なことをいってしまう。
結局華は、可愛い怒りのとうり、卵を温めずに、炒り卵を作ってくれた。
醤油と砂糖で味付けされた、少し甘めの炒り卵は白米のおかずにピッタリで、僕は電子レンジで加熱してできるパックご飯を2パックぶん平らげた。
華はそんな僕を目を細めて微笑みながら見つめ、残った米粒に眉をひそめて注意した。
「ばあちゃんみたいだね。」
もちろん冗談のつもりで僕が言ったことに一瞬その大きな目を見開き、
「まあ……!」
と言ってからすぐに華は大きな大きなため息をついた。
「そうよね…あなたは私よりずっとあとに生まれたんですもの。私はおばあさんだわ。」
まつげをふせ苦渋の色を浮かべた華をみて、まずいことを言ったと思ったが、放った言葉はどうあがいても取り戻せやしない。
小さな折りたたみのテーブルの向かい側に座り、少しうつむく華の手を取り
「ごめん。」
と言うと、華は透き通る目でまっすぐ僕の顔を見据え、
「行動と同じよ。言葉は消せないから簡単に人を傷つけることができるの。だから、人はもっと自分の言動に責任をもつことが大切よ。それは貴方にもいえることだわ。」
と言った。
ああ、そうだ。
わかっていたつもりでもわかっていないことだった。
今までも友人から注意されたことがあるが、結局、その場しのぎの「無神経!」の一言で怒りの感情しかわかず、気づかずにいた。
しかし、こうして面と向かってはっきり言われると、感情の波に揺さぶられず、やっと今までの「無神経!」の意味を理解したのだ。
「本当にごめん。」
そう言ったとき、どこかで風鈴の音がした。
「そうだ、すぐそこの神社にもうすぐ縁日がでるんだ。浴衣をプレゼントするからいかないか?」
「本当に?」
華は顔をパッと明るくした。
「うん、本当だ。今の発言の全責任をもつよ。」
僕はまだ果たされていない約束に誇らしい気持ちで笑った。
初夏の縁日は、いくつになっても特別なものだ。
闇に煌々とともった下品なほど眩しいライトに、飛び交うテキ屋の怒声にも似た呼び込みの声。
川のように流れる人の波にチラチラ見え隠れする、艶やかな浴衣姿の女性たち。
和服を身につけた女性は、心なしか普段より上品に、たおやかにその身を踊らせているような気がする。
それはただ動きづらいからか、それともやはり、身体の奥底に根付く、本来控えめであった日本女性としての血なのか僕にはわからないけれど、和服を身につけた女性を洋服のときより好ましく、色香があるように思う僕の身体には間違いなく日本男子の血が脈々と流れているんだなあとこの身に感じられる。
「あんず飴よ!」
僕が買った真っ赤な浴衣を着た華が、興奮の声をあげる。
縁日は、いつの時代も同じらしい。見慣れないものを見るよりも見慣れたものを見つけたときのほうが華は興奮するようだ。
「食べたい?」
「優さんがいいのなら…」
と控えめに言いつつも足先はあんず飴の店に向かっている華が可笑しくて笑いがこぼれる。
目当てのあんず飴を手にした華は子どものように、妖し紅色を舐めている。その様子をみて僕は心底愛しいと思った。
僕は焼きもろこしを、華はあんず飴を舐めながら、立ち並ぶ出店をひやかしていると、激しい既視感に襲われた。
それは、初めて金魚すくいをしたあの日と同じ空気、感情で、僕の瞳はスコープから覗いたように金魚すくいの出店をフォーカスしていた。
「あら、金魚すくいだわ。見てみましょう!」
華が足のすくんだ僕の手をとり引っ張ったので、僕は抵抗することができなかった。
どうして、こんなにも金魚すくい、または金魚が苦手なのか、それは僕がまだ小学生の頃、姉に金魚の土産を持ち帰ったことから始まった。
あの日、僕はテキ屋のおじさんがおまけにくれた赤く弱っているらしい金魚を揚々とした気分で持ち帰った。
姉と母は、居間で西瓜を食べながら、毎週姉が楽しみにしている動物番組を観ていた。
「お姉ちゃんにお土産!」
僕が金魚の入ったビニール袋を持ち上げ言うと、一瞬の間ののち母が
「あら、珍しい。」
と言った。
「お姉ちゃん毎日退屈だと思って…これからはこの金魚みてたらいいよ!」
姉はキョトンとした顔をし、何か言いかけたがすぐに母がそれを遮った。
「縁日の金魚はすぐに死んでしまうからねえ…」
「でも、ほら、この金魚元気だよ。」
僕は出店のおじさんの放った「その金魚弱ってんで~!」という言葉を頭の奥に押しやり言った。
「そうかしら…?なんだか元気がないように見えるけど。それにうちには水槽もないし…」
「私、飼うわ!」
母の文句を止めるには、姉のこの一言で十分だった。
猫可愛がりしている姉にこう言われては、母も行動に移すしかない。
それからの母の行動は早く、すぐに車で10分ほどのホームセンターに行き、金魚の飼育セットを買ってきた。
母がホームセンターに行っている間、僕と姉は、ビニール袋の狭さから解放されピンクの洗面器に移された金魚が尾ビレをフリフリ泳ぎまわるのを、上から覗き込みながら話した。
「お姉ちゃんの金魚だから、お姉ちゃんが名前をつけてよ!」
「金魚に名前をつけるの?すぐに死んじゃうのに?」
まぶたを伏せ諦めにも似た微笑みでそう言う姉をみて、僕は金魚と姉が重なってみえた。
「上手く飼えば長生きするんだよ!学校の玄関の金魚だって、元は一昨年の花火大会の金魚だけど、今はこんなになってるよ!」
両手で20センチくらいの大きさをつくって僕が言うと、
「ほんとに~?う~ん…じゃあ……」
姉は空を見つめ
「カモメ!カモメにしよう!」
と言った。
「なんで金魚なのにカモメなの?!」
思いもよらない名づけに僕はわらってしまった。
「だって、この子はこの世界しか生きられないのよ。きっと、カモメみたいに羽根を羽ばたかせて違う世界を見てみたいはずよ。」
「そっか…。」
僕は、家から出られない姉を思うと、その名前の由来に妙に納得してしまった。
それからカモメは姉の部屋のサイドテーブルに、一匹には大きすぎる居を構えた。
最初は殺風景だったカモメの家は、父が、母が、色とりどりのビー玉や、竜宮城のような飾りを追加するので、次第に豪邸に変化していった。
姉と僕は、僕が学校で借りてきた金魚の飼育法の本を、姉のベッドの上で丸暗記できるほど読み込み、何度も同じ本を借りてくるので、とうとう見兼ねた母がその飼育本を書店で買ってきてくれた。
それほど僕と姉は真剣にカモメを長生きさせること、学校の金魚の大きさを抜かすという目標に熱く燃えていた。
それは、僕たちが初めて共有した感情であった。
あの日のように出店のおじさんに、大人の料金500円を払って、いまはプラスチックと薄い紙でできたポイを華に渡すともう華は金魚しか見ていなかった。
浴衣の袖が水に浸からないように押さえたのは僕で、華は興奮した様子で逃げ回る金魚を追い回していた。
華には悪いけれど、僕は動きが人よりゆっくりな華に、敏捷な金魚はすくえるはずはないと思った。
だが、華はその白く華奢な手をつかって、見事に三匹の金魚をすくってみせた。
「意外に上手いじゃないか!」
「ふふふ。小さい頃からおじいさまに仕込まれたからね。」
いたずらな瞳で華が答えると、出店のおじさんが
「持って帰るんだったら袋代がいるよ。」
とぶっきらぼうに言ったのと、
「この金魚、いただきます。」
華が答えたのは、ほぼ同時だった。