幻の恋

 神の子、あの患者と同じだ。大変なことになった。大学に行かなければ。プルルル・・・こんなときに。拓也は携帯に耳を当てる。「はい、研究室ですね」ドクターからの指示。拓也はタクシーを拾い大学へ向かった。一人の職員が校門前で数人の記者たちに囲まれていた。拓也は記者の引止めを振り切ると研究室に突進した。「ドクター!」拓也は息を切らせて叫ぶ。

 「落ち着いてください。理事長からの連絡があるはずです」ドクターはコントローラーチェアでソファーまでやってくると、拓也にソファーに腰掛けるように手招きする。「他にも信者がいるんですか?」拓也は腰掛けると即座にたずねた。「います。現在、3件の捜索願が出ています」ドクターは最小限の情報を拓也に与えた。「3件も。さらに自殺ってことは?」拓也は自殺のスキャンダルを心配している。
 

 「いや、病院で対応することになっています。あの子も、今日入院させる予定だったのです」ドクターはゆっくり目を閉じる。「残念ですね・・」拓也はドクターの心境をさっし言葉を呑んだ。「当大学の信者が何人いるかつかめていませんが、今のところ警察に任せる以外ありません」ドクターは立ち上がると小さなキッチンに向かう。

 

 

 

 「そうだ、知り合いのコロンダ刑事に相談されては?」拓也も立ち上がりドクターの横に立つ。「もちろんです、手は打ってます。今回の事件も自殺と断定できませんからね」ドクターは眉間にしわを寄せる。「ところで、あの患者は大丈夫ですか?」更なる自殺を懸念した。「管理体制は万全です。きっと、治療して見せます」医者としての威厳のある態度を示した。
      

 

               *佳織と拓也の出会い*

 


 自殺事件はマスコミに取り上げられ、大学に混乱をもたらした。もし、このまま混乱が続けば来年の入学志願者は激減する。どうすることもできない拓也はドクターからの連絡を待った。ドクターから連絡があったのは事件後3日経ってから。電話を受け、安部精神病院にタクシーを飛ばした。受付を通すと拓也はまっすぐドクターの研究室に向かった。

 

  また、自殺者が出たのではないかと驚いた拓也はノックもせず研究室に飛び込んだ。「先生、あまり興奮しないでください」ドクターはいつものフラットな口調で振り向く。「また、自殺ですか?」目をむいてたずねる。ドクターはゆっくりとソファーに腰を落とすと話し始めた。「ご安心ください、今日は先生にお願いがあってお呼びしたのです。以前、お話した患者のこと覚えておられますか?彼女に先生の話をしたところ、授業を受けていたみたいで、会いたいと本人が言うものでお呼びしたしだいです」ドクターは笑顔で拓也を見つめる。

 

 

 「それは良かった」拓也はドクターの正面に腰掛けると目を細めて笑顔を作った。「やっと、心を開くようになりましたが、まだ心は不安定です。これから少しずつ現実に引き戻さなければなりません。彼女を患者としてみるのではなく、一人の生徒として彼女と接してください」ドクターは患者の両親に話すかのように丁寧に説明した。「わかりました」拓也はゆっくり頷く。「早速ですが、三人で会食をしたいのですが、今日のご都合は?」少し身を乗り出す。

 

  「もちろん、OKです。楽しい会話ができるといいですね」拓也はにっこり笑顔を作る。「名前は千葉佳織。3回生です。2回生のときに数学をとっていました。それでは、佳織を呼んできます」ドクターが席を立つと、拓也は廊下で待つことにした。10分ほどすると、ゴルフウェアにグリーンのジャケットを着たドクターがゆっくりと拓也に向かってきた。ドクターの後ろからは、かなりやつれた少女が彼に隠れるように静かに歩いてきた。

 

 

 「先生、覚えている?」拓也は彼女の顔を覚えてないが、笑顔を作って子供に話すように声をかけた。「はい!」佳織は笑顔で応える。三人は玄関まで行くと、赤のキャデラックセビルが待っていた。すでに予約していたレストランに到着するとすばやく燕尾服のボーイがやってきた。ボーイは佳織をエスコートしながら三人をテーブルへと案内した。

 


 三人が窓際の禁煙テーブルに案内されると拓也は佳織の正面に腰掛けた。「佳織さん」拓也は優しい声でメニューを見せる。佳織はメニューに目を向けず「先生のと同じでいいです」と心細い声でつぶやいた。「ドクター、スペシャルコースということで」ドクターの確認を取ると、「佳織さん、夏休みだね、彼氏とデートしなくっちゃ」佳織は正面左のドクターをじっと見ている。

 


 「ドクター、海水浴ぐらいはいいだろ~」ドクターの顔色を伺う。「う~ん、両親とであれば」ドクターはしばらく考えて返事した。「いやです」佳織は猫のような細い目でドクターを睨んだ。拓也は小さいがきつい口調に驚き、精神状態が普通でないことに気がついた。拓也は笑顔を作ると、「そうだ、京都に一人娘がいてね。テニスをやっているんだ。佳恵って言うんだけど、おっちょこちょいで、クロンボで、甘えん坊で、こんなの」拓也はおどけて見せた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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