幻の恋

 「先生、覚えている?」拓也は彼女の顔を覚えてないが、笑顔を作って子供に話すように声をかけた。「はい!」佳織は笑顔で応える。三人は玄関まで行くと、赤のキャデラックセビルが待っていた。すでに予約していたレストランに到着するとすばやく燕尾服のボーイがやってきた。ボーイは佳織をエスコートしながら三人をテーブルへと案内した。

 


 三人が窓際の禁煙テーブルに案内されると拓也は佳織の正面に腰掛けた。「佳織さん」拓也は優しい声でメニューを見せる。佳織はメニューに目を向けず「先生のと同じでいいです」と心細い声でつぶやいた。「ドクター、スペシャルコースということで」ドクターの確認を取ると、「佳織さん、夏休みだね、彼氏とデートしなくっちゃ」佳織は正面左のドクターをじっと見ている。

 


 「ドクター、海水浴ぐらいはいいだろ~」ドクターの顔色を伺う。「う~ん、両親とであれば」ドクターはしばらく考えて返事した。「いやです」佳織は猫のような細い目でドクターを睨んだ。拓也は小さいがきつい口調に驚き、精神状態が普通でないことに気がついた。拓也は笑顔を作ると、「そうだ、京都に一人娘がいてね。テニスをやっているんだ。佳恵って言うんだけど、おっちょこちょいで、クロンボで、甘えん坊で、こんなの」拓也はおどけて見せた。

 

 「ハハハ・・・私も高校までテニスやっていました」拓也は佳織と気持ちが通じ合えたようで少しほっとした。「それはいい、京都,奈良に遊びに行くか」拓也は佳織の笑顔を見るとウキウキしてきた。「ステキ!」佳織は白い歯を輝かせた。ドクターはさっきから話を黙って聞いている。彼女を危険な状態にできないからであった。目を離せば自殺の危険性があるだけでなく、教団に拉致されることも考えられたからだ。
 

 

 ドクターはコロンダ刑事に尾行させることを思いつき承諾することにした。「先生の都合は?」静かに訊ねた。「え、ああ、本当のこと言うと、来週、京都に向かう予定だったんだよ」ドクターの承諾を確認した拓也は佳織の気持ちを引き寄せた。佳織は目を輝かせると「早く会ってみたいわ、佳恵さんに」と拓也に言葉を返した。「善は急げというから、月曜日、出立というのはどうだろう」佳織の気持ちが逃げないうちにすばやくドクターの承諾を求めた。

 

  ドクターは小旅行が効果的な治療法であることを両親に話した。拓也は出立日の変更と紹介したい佳織の件を即座に佳恵にメールした。拓也は佳織から決して眼を離さないこと、教団について質問しないことを強く約束させられた。

 

 

              *京都への旅*

 

 拓也は8月11日(月)出発当日、朝7時に病院に佳織を迎えに行った。両親は広いロビーの左隅に静かに立っていたが、佳織は両親を避けるように、一人玄関の外に立っていた。「おはよう、佳織」拓也は学生のように元気に挨拶した。「おはようございます」普通の学生と変わらない明るい佳織の声が響いた。拓也は駆け足で両親に挨拶にいくと、母親だけが口を開いた。「よろしくお願いします」母親は丁寧に頭を下げた。「娘も佳織さんに会えるのを喜んでいます。それでは行ってまいります」二人と握手を交わすと、佳織が待っているタクシーに飛びこんだ。この旅行で現実のすばらしさを知ってくれることと佳恵との出会いが未来への第一歩になってくれることを願って東京駅に向かった。

 


 窓際の指定席に着くと佳織は自分の空間を手に入れた満足感で、遠足に向かう子供の笑顔を見せた。佳織は流れる風景をぼんやり眺めている。拓也の視線を感じ取ったのか、小さな声で窓に向かって話し始めた。「先生、ドクターって偉いんでしょう。世界的にも有名なんでしょう」真っ青な空を見つめて独り言を言った。「ああ」拓也は話しかけてくれたことに驚き即座に答えた。

 


 「どうして、こんなガンマーランクの大学にいるの?先生も?」佳織は自分の学歴のことを気にしている。「ハハハ・・・どうしてだろうね。確かに、最下位のランクだけど、学問にアルファーもガンマーも無いと思うんだが」拓也は軽く受け流す。「え!そうー」佳織は予想外の返答に驚いた。「だけど、先生もできの悪い学生相手はうんざりでしょ」拓也に振り向くと顔を近づける。「そんなことは無いよ。佳織さん、高校は何処だったの?」
 

 

 

 

佳織は黙っていた。「軽蔑されるから言えないわ」また、窓から遠くの景色を眺め始めた。拓也は佳織を怒らせたと思い次の言葉が出てこなかった。二人はしばらく窓の外を眺めていた。このまま怒らせては取り返しのつかないことになるのではないかと思い、勇気を出して口火を切った。「軽蔑しないよ」拓也は会話を続けた。「ヒルベルト大付属」佳織は消えるような声でささやいた。

 


 「え!アーベル大に100名合格する、あの名門!君こそどうして?」田舎育ちの拓也にとって雲の上の高校であった。「ほら、軽蔑したじゃない」佳織はすばやく振り向くとほほを膨らませた。「いや、まあ、失言でした」拓也は自分の愚かさがいやになった。もうだめだと思い、黙って下を向いてしまった。再び、二人の間に沈黙の時間が流れた。

 


 「佳織、思うんだけど、馬鹿でいいの。エリートじゃなくても、レールから脱線しても、いいの、親のロボットにはなりたくないの」佳織は目を閉じると寝言を言うようにゆっくりと小さな声で言った。拓也はなんと応えて言いか戸惑った。拓也は田舎で自由に育ち佳織のような悩みを持ったことが無かった。「先生は田舎者だからつまんないやつだよ」とにかく言葉をつないだ。

 

春日信彦
作家:春日信彦
幻の恋
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