幻の恋

 

 

              *自殺のニュース*
 シャムネコ、ミーシャは定刻の5時30分に拓也の唇をなめる。ミーシャを抱っこするとベッドから立ち上がりパジャマのまま書斎に向かう。デスクの前に立ちPCの起動スイッチを左手の人差し指でオン。部屋着に着替えるとキッチンでコーヒーの準備をする。いつものキリマンはお休み。昨日届いたブルマンをペーパーフィルターに大匙2杯入れる。電気湯沸しティーポットのお湯を少しずつ注ぐ。拓也はほんのり甘い幻想的な香りに酔いしれる。

  コーヒーを書斎に運ぶとPCのニュースを確認する。いつもの暗いニュースが今日も顔を出している。*火星で核実験成功 *過労死裁判 *幼児虐待の増加 *臓器売買の激化 *女子大生の自殺

  即座に自殺をクリック!S女子大学のJ・Yさんが、8月5日(火)、午後10時ごろ、自宅の寝室で遺体で発見された。死亡鑑定の結果、死因は多量の睡眠薬と判明。K教団の信者であるJ・Yさんはその施設で集団生活していたが、8月4日(月)両親に引き取られた。両親によると、教団に戻してほしい、神の子を産みたい、と涙を流して何度も訴えた。

 神の子、あの患者と同じだ。大変なことになった。大学に行かなければ。プルルル・・・こんなときに。拓也は携帯に耳を当てる。「はい、研究室ですね」ドクターからの指示。拓也はタクシーを拾い大学へ向かった。一人の職員が校門前で数人の記者たちに囲まれていた。拓也は記者の引止めを振り切ると研究室に突進した。「ドクター!」拓也は息を切らせて叫ぶ。

 「落ち着いてください。理事長からの連絡があるはずです」ドクターはコントローラーチェアでソファーまでやってくると、拓也にソファーに腰掛けるように手招きする。「他にも信者がいるんですか?」拓也は腰掛けると即座にたずねた。「います。現在、3件の捜索願が出ています」ドクターは最小限の情報を拓也に与えた。「3件も。さらに自殺ってことは?」拓也は自殺のスキャンダルを心配している。
 

 「いや、病院で対応することになっています。あの子も、今日入院させる予定だったのです」ドクターはゆっくり目を閉じる。「残念ですね・・」拓也はドクターの心境をさっし言葉を呑んだ。「当大学の信者が何人いるかつかめていませんが、今のところ警察に任せる以外ありません」ドクターは立ち上がると小さなキッチンに向かう。

 

 

 

 「そうだ、知り合いのコロンダ刑事に相談されては?」拓也も立ち上がりドクターの横に立つ。「もちろんです、手は打ってます。今回の事件も自殺と断定できませんからね」ドクターは眉間にしわを寄せる。「ところで、あの患者は大丈夫ですか?」更なる自殺を懸念した。「管理体制は万全です。きっと、治療して見せます」医者としての威厳のある態度を示した。
      

 

               *佳織と拓也の出会い*

 


 自殺事件はマスコミに取り上げられ、大学に混乱をもたらした。もし、このまま混乱が続けば来年の入学志願者は激減する。どうすることもできない拓也はドクターからの連絡を待った。ドクターから連絡があったのは事件後3日経ってから。電話を受け、安部精神病院にタクシーを飛ばした。受付を通すと拓也はまっすぐドクターの研究室に向かった。

 

  また、自殺者が出たのではないかと驚いた拓也はノックもせず研究室に飛び込んだ。「先生、あまり興奮しないでください」ドクターはいつものフラットな口調で振り向く。「また、自殺ですか?」目をむいてたずねる。ドクターはゆっくりとソファーに腰を落とすと話し始めた。「ご安心ください、今日は先生にお願いがあってお呼びしたのです。以前、お話した患者のこと覚えておられますか?彼女に先生の話をしたところ、授業を受けていたみたいで、会いたいと本人が言うものでお呼びしたしだいです」ドクターは笑顔で拓也を見つめる。

 

 

 「それは良かった」拓也はドクターの正面に腰掛けると目を細めて笑顔を作った。「やっと、心を開くようになりましたが、まだ心は不安定です。これから少しずつ現実に引き戻さなければなりません。彼女を患者としてみるのではなく、一人の生徒として彼女と接してください」ドクターは患者の両親に話すかのように丁寧に説明した。「わかりました」拓也はゆっくり頷く。「早速ですが、三人で会食をしたいのですが、今日のご都合は?」少し身を乗り出す。

 

  「もちろん、OKです。楽しい会話ができるといいですね」拓也はにっこり笑顔を作る。「名前は千葉佳織。3回生です。2回生のときに数学をとっていました。それでは、佳織を呼んできます」ドクターが席を立つと、拓也は廊下で待つことにした。10分ほどすると、ゴルフウェアにグリーンのジャケットを着たドクターがゆっくりと拓也に向かってきた。ドクターの後ろからは、かなりやつれた少女が彼に隠れるように静かに歩いてきた。

 

 

春日信彦
作家:春日信彦
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