幻の恋

 

「今の若い子は派手でざーますわね。女は和服が一番ですわよね」婦人の通路を挟んだ斜め前には顔に絵を描いたような奇妙な化粧をした少女が座っていた。拓也は返事をしなかったがそれでも話を止めなかった。「ところで、どこかでお目にかかったような気がしますわ。あ!思い出しましたわ。テレビだわ。ヒロシがいついも見ていた。数学の先生でいらっしゃるのね」

 


 「はあ~」拓也はとんでもない婦人に絡まれたと思ったがやむを得ず返事した。婦人は笑顔を作り目まで輝かせてメガネの右端を少し持ち上げた。「先生はアーベルでいらしたわね。私もアーベルですの。孫のヒロシもアーベルに行かせたいと思ってますの。そう、ヒロシは先生を尊敬してますの。よろしければ、こちらにサインいただけません?きっと喜びますわ」膝の上の本を開き拓也の目の前に差し出した。拓也は筆記体のローマ字でサインすると佳織の顔色をうかがった。

 


 佳織の目はつりあがっていた。「先生、次は何処かしら?」佳織は足を組み拓也の手をしっかりと握った。それを見た婦人は目を大きくした。「名古屋・・名古屋・・」心地よいアナウンスが流れてきた。「もうすぐね。早く佳恵さんに会いたいわ。待ち合わせは何処なの?」佳織は少し怒った口調で睨みつけた。拓也はどうして急に怒り出したのかわからず硬い笑顔を作って防御した。

 

 

 

 

 二人は京都駅に着くと駅のみやげ物売り場で時間をつぶすことにした。なぜか佳織は機嫌を損ねたらしく、急に笑顔を消してしまった。佳織は拓也から少しはなれて、時々拓也を一瞥するとみやげ物に目をやった。拓也はどうやって機嫌を取り戻せばいいか悩んだあげく手鏡を手に取った。「佳織、ほら、かわいい手鏡見てごらん!」佳織は鏡に映った自分の顔を見てニコッと笑った。「オヤ!オードリー・ヘプバーンが笑っているぞ」拓也はやっと思いついたほめ言葉を投げかけた。二人は3時に佳恵と合流した。佳織は佳恵と二人で京都巡りを楽しむことにした。
              *黄色い風船*

 


 3ヶ月の入院はようやく現実と向かい合える佳織を取り戻させた。無事退院を許された佳織は久しぶりに自分の部屋のベッドに寝転がり、京都旅行をしたときのことを思い出していた。二人は佳恵の部屋で未来について一晩中語り合った。「東京か。ええやろなー」パジャマの佳恵は窓から星を眺めていた。「私は嫌いよ。空気も、心も汚いし、うんざりだわ」シルクのナイトドレスの佳織はベッドに腰掛、駅で買った手鏡の中のすましている自分の顔をじっと見つめていた。

 


 「ずっと東京に憧れてたんやわ。他人の芝生はよく見えるってやつやろか」佳恵は星空に向かってつぶやくと佳織の横にジャンプして座った。「私は京都に住みたいわ。ところで、佳恵さんの彼氏ってどんな人?」佳織は笑顔で訊ねた。「彼氏って言うか、なんと言うか・・高一のとき、テニスの試合会場で知り合ってな、そいで、あいつ、ほんまにやぼったいんけど、なんとなく好きになってしもうてんな、まあいいかっと思って、やっちゃった。佳織さんは?」佳恵は誰にも話したことの無い経験を告白した。

 

 

 「いないのよ、ごめんね」悲しい声で答えると佳織は目を閉じてうつむいた。佳恵は急に立ち上がると机のに置いてあった小さな箱を取りに行った。「気に入ってくれるといいんやけど」佳恵が小箱を手渡すと佳織は即座に開いた。「ステキ!西陣織の財布。ありがとう」藤色の地に真っ赤なバラが描かれた財布を手に取りお礼を言った。佳織はバッグの中からホテルで買った赤ワインを取り出した。

 


「佳恵さん、今夜は飲み明かしましょ。二人の未来に乾杯よ」佳恵は将来は世界各国を飛びまわり、テニス、ゴルフを取材するスポーツジャーナリストになる夢を語った。まだ、現実を見つめることができない佳織は卒業までに決めると誓った。そのときの情景が鮮明に映画を見るように佳織の脳裏に広がっていた。

 


 拓也は何度と無く佳織の安否を気遣い見舞いに行った。3ヶ月の期間は佳織の傷ついた心に拓也の優しさがゆっくりと深くしみ込むには十分であった。佳織にとって男性からの初めての優しさであった。京都旅行のとき今までに経験したことの無い男性への感情を抱いたことを佳織はやっと気づいた。自宅療養をしている間でも佳織の心には拓也の優しい瞳がいつもあった。

 

 ベッドで目をつぶると、”これは恋じゃないよ”ともう一人の佳織がささやく。佳織は初めての男性への気持ちにとまどっていた。拓也を好きになっている自分に気づいていたが、この気持ちをどの方向に運んでいけばいいのか誰かに教えてもらいたい衝動に駆られていた。佳織は拓也の献身的な優しさに感謝した。そして、大学を卒業するつもりであったが、来年の春に留学することにした。もう一人の佳織が新しい世界で現実を見つめることを勧めたからだ。

 


 一方、拓也は佳織の涙を見るたびにふるさとを思い出していた。今でも山奥で病弱な身体で畑を耕している育ての親である老人の姿と、5人しかいなかった古びて小さな分校がたびたび目に浮かんだ。佳織が退院するとき拓也は決意した。ふるさとに帰り分校の先生になることを。

 


 9時に到着した拓也は空港をとぼとぼと散策した。待ち合わせの時間までまだ1時間あった。空港の中心に新しくイベント会場が設けられていた。長い垂れ幕には”世界のゲームを楽しもう!”と青地に金色の文字で書かれてあった。すでに多くの子供たちが集まっていた。拓也もゲームをする子供たちに混じって大声を上げていた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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