健一はしまいにスイカを見るのも嫌になったほどである。
もともと細身の体であった健一は、ますます細くなり、一目で病気ではないかと
分かるようになったので、医師と相談して食事の方はだんだんと元にもどしていった。
今はあれから2年が過ぎようとしている。
「大丈夫や、タンパクはもう降りていないんやから。」
「ほんとか?それならええんやけど。」
「じゃ、行って来るは。」
「いってらっしゃい。」
タンパクは降りていた。
しかし、その通知書を健一は母の久子に見せてはいなかった。
健一は久子に心配かけたくなかった。
それよりも自分は腎炎なんかじゃないんだと健一は思いたかったのだ。
2、ファイヤーストーム
高一の秋、日が驚くほど短くなり、冷たい風が吹きはじめていた。
文化祭の2日目、ファイヤーストームを行うことになっていた。
中学とは違うその自由な雰囲気は、健一に高校生なのだという実感を与えていた。
夕方5時、まだ日が沈んでいなかったが、ビルの谷間からのぞいている西の空は
真っ赤に染まっている。
集合の合図があり生徒が校庭に集まり始めた。
すでに校庭の中央には枕木のような大きな木材が上手に重ねられ、
そばではジャージ姿の上級生と先生が4、5人、
小さなまきをまだ作っているようであった。
集まった1年生は初めての事なので、どんなことをするのだろうという好奇心
からか、積み重ねられたたきぎの方を見たり、隣にいる者としきりになにか
話をしている。
健一は、そういう1年生の表情を観察するかのようにして見回していると、
前の方で並んでいる矢野恵子と視線があった。
健一はわざと避けるようにして、隣にいる力武に話しかけた。
恵子はクラスの中では目立つ存在であった。
勝ち気な性格が一目で分かるような大きな目をしていて、小さな口と鼻が整い、
どこか知的な所を感じさせる女の子だった。
男子の間でも絶えず彼女のことが話題にのぼっていた。
健一は、今まで出会ったことのない彼女の魅力にいつのまにかひかれていく自分を
感じていた。
そして、自分が今まで出会った女の子は、ものをあまり言わないおとなしい子か、
人の気持ちなど無視して、がつがつと自分勝手な事を言う女の子のどちらかで
あったような気がしていた。
やがて、たきぎの周りに二重に円を描くようにして生徒が配列されたころには、
周りはもうだいぶ暗くなっていた。
すると、半袖、半パンにハチマキ姿の男子が、たいまつのようなものを高く持ち、
校庭に走ってきた。
上級生が「ワァー!」という歓声をあげる。
嵐のような拍手を背に、聖火ランナーは、校庭を
一周して、中央のたきぎに火をつけ、
ファイヤーストームが始まった。
そして火が赤く燃え上がると、「マイムマイム」の曲が流れ出し、
上級生は隣同士が手を取り合って踊り始めた。
それを見て1年生も上級生をまねるように動き出したが、
初めて踊る生徒が多いせいか、てんでばらばらに動いていた。
同じ曲が何度も繰り返され、ようやく動きがそろいだした頃には、
上級生はもう男女が交互に並んで踊っているのに、
1年生はまだ男同士、女同士のままであった。
次に「オクラホマミキサー」が流れ出すと、待ってましたとばかりに
上級生はすばやく男女のカップルになり踊り始めた。
今まで上級生のまねをしていた1年生も、この時はどうしてもすぐにはまねを
できないで、ただ眺めるだけでその場に立ちすくんでいた。
いつもバカ騒ぎをして目立っている力武も、後ろの方で男子と話をしながら
誰かが行動を起こすのをうかがっていた。
健一はそんなみんなを見てじれったくなり、一人さっさと恵子の前に歩いていき
「踊れへんか?」と言った。
「うん」と恵子は答えると、右手を肩に持っていき、踊るポーズをとった。
健一はその右手をとり、左手を握って踊り始めた。
それを見ていたクラスの者は「ワァー!」と歓声を上げたが、
続いて力武が別の女の子を誘い、そして次々とカップルが出来上がっていった。
健一は自分のとった態度を少しも恥ずかしいとは思ってはいなかった。
むしろこうして恵子と踊れる機会を得たことがうれしかった。
「驚いたか、僕が誘うなんて。」
「ううん、誘ってくれると思ってた。」
健一は恵子の衝撃的な言葉に胸がしめつけられた。
健一はもう何もしゃべれなくなっていた。
ただ柔らかい恵子の手を握っているのだという
実感だけを感じていたが、すぐに恵子は次の男子と、
健一は次の女子と交代し、ふたりはだんだんと遠ざかっていき、
お互いの姿が闇に消えて見えなくなってしまった。
「オクラホマミキサー」が何回か繰り返された後、中央のステージで
ギターを持った2、3人の男女がフォークソングを歌い始めたので、
みんなは円をくずして、赤く燃える炎のまわりに集まっていった。
健一が恵子の姿を探していると、きょろきょろと誰かを探している恵子を見つけ、
急いでそこへかけていった。
「誰を探してたんや。」
「藤ケンに決まってるやん。」
健一は藤 健一の藤と健をとって「藤ケン」と呼ばれていた。
「いっしょに歌えへんか?」
「うん。」
恵子の声ははずんでいた。
健一は、あらかじめ配られた歌詞の書いた冊子を広げ、恵子に見せた。
二人は一つの冊子を炎の薄明かりにあて、肩を並べて見ながら歌い出した。