さよなら命ーくつのひもが結べないー

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十分ほどたって、映画館を出たとき、恵子が話しかけた。
「うん。」
「私が泣くなんて思わなかった?」
「そうやな、正直言ってびっくりした。」
「そう。藤ケンって冷たいのね。」
「どうして?」
「藤ケンも、クラスの他の男子と少しも変わらないのよ。
 ただ勉強ばっかりして人間的な所が欠けてしまっているのよ。」
「そんな事はない。」
「じゃ、どうして私が泣いてびっくりするの?」
「いや、君はもっと強い子だと思っていたから。」
「だから、冷たいのよ。あの女の子の気持ちになれば、私くらいの女の子だったら
 誰だって泣くわよきっと。」

 健一は何も言えなかった。
恵子は純粋なのだ。
彼女の気持ちを大事にしてやりたい。
そう心の中でつぶやくと、恵子の肩を抱いて
人混みの中を歩いていった。

 二人は地下街の明るい感じの喫茶店に入り軽い食事をした。

「本当に、僕が冷たい人間やと思うんか?」
「藤ケンはそんな人間じゃないと思ってる。でも今まで
 一度も話したことないから少し不安だったのよ。」

「映画の二人は軽薄すぎる。赤ちゃんができることなんかわかっているのに、
 感情に走ったって感じやったもんな。」
「でも、一度の過ちで出来てしまうなんてかわいそうよ。」

 

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 二人は今何を話題にしているかに気づいて口ごもってしまった。
健一はこんな話はまだ二人には適当じゃないと思い話題を変えた。

「昨日はびっくりした?」
「うん、でもきっと一緒に踊ってくれると思ってた。」
「どういう事や? そんなに物欲しそうな顔してるんか?」
「うん、顔中あふれてる。」
 二人は笑った。

「私、前から藤ケンのこと好きやってん。」

 健一はその単刀直入な言葉にびっくりして言葉がでなかった。

「前にホームルームの時間に部落差別の事が話題になった時、みんなは全然関心が
なかったみたいやったのに、一人藤ケンが意見を言ってた事があったでしょ。
この人ちょっと普通の人と違うと思った。すごく深く物事を考える人やなと思ったの。」「そういえば、そういう事あったな。」
「『差別はなくならないかも知れないが、僕は一人一人が社会の風習に負けないで、
私は差別をしないんだという強い意志を持つことが大切だと思う』と言った藤ケンの
言葉を今でも覚えているわ。」
 健一はそのホームルームの時間にこんな発言をしたのだった。

「僕は残念ながら差別はなくならないような気がするんや。なぜかってゆうたら
力武のように差別に無関心な人、いや力武はいいやつやけどこの点に関してはもっと
考えて欲しいと思うんや。名前出して悪いけど。
そういう人の意識を変えるのはむずかしいと思う。一方差別が悪いと思っている人でも
社会の風習に負けて、例えばまわりが差別しているからというものやけど、そういう
風習に負けて黙認か是認してしまう人がたくさんいると思うんや。
だから僕は一人一人が社会の風習に負けないで差別をしない、許さないという意志を
強く持つことが大切だと思うんや。」

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 健一の発言が終わると、2、3人が拍手をした。
健一はみんなに分かってもらえたのかどうか不安だった。
けれども、それ以降、健一と力武は仲の良い友達に
なったのだが・・・

「よう覚えてるな。」
「うん、とっても印象的やったもん。」
「そうか、恵子は分かってくれたんやな。」
「あの後良子と話したけど、彼女も私と同じ事言ってたわ。」
「そうか良子もか。」
「あの時以来、良子と藤ケンの事ばかり話題にしてたんやで。」
「ほんまかいな。」

「藤ケンはどう、私のこと好き?」
 健一はまたもや率直な恵子の言葉に戸惑った。
「ごめんなさい。女の子からこんな事きく方がおかしいね。」
「いいや、ただあまりにもはっきり言うからびっくりしたんや。」
「じゃ、どうなの、私のこと好き?」
「好きや、だから誘ったんやないか。」
 今度は恵子が戸惑った。

 何気なくあれだけずばっときいておいて、いざ好きだと言われると、こんなに
恥ずかしそうな様子を見せる恵子を健一はいじらしく思った。

 その後、二人はクラスの二、三人の友人を話題にして楽しくしゃべった。
 その日は日が暮れるとまもなく二人は別れた。

 

  次の日、学校へ行くとクラスでは健一と恵子のうわさでもちきりだった。

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「おい、藤ケン。お前やっぱし矢野の事好きやったんやな。」と力武が言った。
「恵子、あの日、藤ケンに送ってもらったんやて? 一緒に帰るのを千春が見たって
 言ってたよ。恵子、あなたも藤ケンの事好きなんとちがう?」と良子が言った。

 健一も恵子も、そんな周りの言う事にいちいち返事はしなかった。
否定しない事によって暗黙のうちにそれを肯定していた。

 学校では健一と恵子はあまり話をしなかった。
クラスのみんなの目を気にしての事だったが、それでも、二人がつきあい始めたと
いう噂がクラス中に広まるのにそんなに時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士 健
作家:富士 健
さよなら命ーくつのひもが結べないー
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