さよなら命ーくつのひもが結べないー

13

と思った。

健一は中学の時、同じ生徒会役員をしていた女の子と
つき合った事があった。
彼女とは映画を見たり、スケートに行ったりしたが、
手をつないで歩いたことしかなかったので、こうして
肩を抱いて歩くのは初めてだったが、昨日の余韻から
何のためらいもなく、恵子の肩に手をまわしたのだった。


「何か観たい映画あるの?」恵子がさっさと歩く健一に聞いた。
「今何やってるか知らんねん。」
「何よ、映画に誘っておいてそれはないでしょう。」
 恵子がいつもの彼女に戻ってきたことが、健一にはうれしかった。
「じゃ、あれにしよう。」
二人が映画館のたくさん立ち並んでいる通りに出たとき、
健一はすぐ目の前でやっている「赤ちゃん戦争」を指さして言った。 

「うん、ええよ。」
 健一は学生2枚を買って恵子に渡した。
「悪いわ、私も払う。」
「ええよ、今日は僕が誘ったんやから僕が出しとく。そやけど今度からは
 割り勘にしてくれよな。」
「うん、でもほんとにええの?」
「ええって。」
「じゃ、遠慮なく。」

 健一には実際二人分の映画代はきつかったけれども、恵子と逢うために
使うのなら、少しも無駄だとは思わなかった。
そして、今度からは・・という言葉の中に、これからもずっとつき合いたいんだと

14

いう気持ちを託したつもりだった。
恵子もその言葉に託された意味に気づいていた。
そして、健一の強引で、開けっぴろげな所にしだいに引かれていくのだった。

  その映画は十四,五歳の少年と少女が恋をし、未知の性を吹雪の中の山小屋で
経験する。
その結果、少女の体に新しい生命が芽生える。
それを知った二人は結婚したいと両親に告げるのだが、当然のようにだめだと言われ、
途方にくれる。
しかし二人は赤ちゃんを産もうと決意し、友達の援助によって、屋根裏のベッドで
無事赤ちゃんを産むというストーリーだった。

 健一にも性は未知のものであり、自分と同じ年の
少年少女が赤ちゃんを産むなんて想像もつかない事で
あった。
驚くというより、あきれていた。

 しかし、吹雪の場面では、健一は大きくつばを飲み込んでいた。
そして呼吸が大きくなり、心臓の鼓動が速くなるのを、横にいる恵子に気づかれない
ようにと願っていた。
そして恵子はこんな場面を観て何ともないのだろうかと様子をうかがってみたかったが
その勇気がなくて、じっとスクリーンを見つめていた。

 映画が終わり、「出ようか。」と健一が言っても恵子は返事をしなかった。
ふと見ると、恵子は下を向いて泣いていた。
「どうしたんや、泣いてるのか?」
恵子は答えなかった。
健一はしばらくそのまま座っていた。

「さっきはごめんね、驚いた?」

15

十分ほどたって、映画館を出たとき、恵子が話しかけた。
「うん。」
「私が泣くなんて思わなかった?」
「そうやな、正直言ってびっくりした。」
「そう。藤ケンって冷たいのね。」
「どうして?」
「藤ケンも、クラスの他の男子と少しも変わらないのよ。
 ただ勉強ばっかりして人間的な所が欠けてしまっているのよ。」
「そんな事はない。」
「じゃ、どうして私が泣いてびっくりするの?」
「いや、君はもっと強い子だと思っていたから。」
「だから、冷たいのよ。あの女の子の気持ちになれば、私くらいの女の子だったら
 誰だって泣くわよきっと。」

 健一は何も言えなかった。
恵子は純粋なのだ。
彼女の気持ちを大事にしてやりたい。
そう心の中でつぶやくと、恵子の肩を抱いて
人混みの中を歩いていった。

 二人は地下街の明るい感じの喫茶店に入り軽い食事をした。

「本当に、僕が冷たい人間やと思うんか?」
「藤ケンはそんな人間じゃないと思ってる。でも今まで
 一度も話したことないから少し不安だったのよ。」

「映画の二人は軽薄すぎる。赤ちゃんができることなんかわかっているのに、
 感情に走ったって感じやったもんな。」
「でも、一度の過ちで出来てしまうなんてかわいそうよ。」

 

16

 二人は今何を話題にしているかに気づいて口ごもってしまった。
健一はこんな話はまだ二人には適当じゃないと思い話題を変えた。

「昨日はびっくりした?」
「うん、でもきっと一緒に踊ってくれると思ってた。」
「どういう事や? そんなに物欲しそうな顔してるんか?」
「うん、顔中あふれてる。」
 二人は笑った。

「私、前から藤ケンのこと好きやってん。」

 健一はその単刀直入な言葉にびっくりして言葉がでなかった。

「前にホームルームの時間に部落差別の事が話題になった時、みんなは全然関心が
なかったみたいやったのに、一人藤ケンが意見を言ってた事があったでしょ。
この人ちょっと普通の人と違うと思った。すごく深く物事を考える人やなと思ったの。」「そういえば、そういう事あったな。」
「『差別はなくならないかも知れないが、僕は一人一人が社会の風習に負けないで、
私は差別をしないんだという強い意志を持つことが大切だと思う』と言った藤ケンの
言葉を今でも覚えているわ。」
 健一はそのホームルームの時間にこんな発言をしたのだった。

「僕は残念ながら差別はなくならないような気がするんや。なぜかってゆうたら
力武のように差別に無関心な人、いや力武はいいやつやけどこの点に関してはもっと
考えて欲しいと思うんや。名前出して悪いけど。
そういう人の意識を変えるのはむずかしいと思う。一方差別が悪いと思っている人でも
社会の風習に負けて、例えばまわりが差別しているからというものやけど、そういう
風習に負けて黙認か是認してしまう人がたくさんいると思うんや。
だから僕は一人一人が社会の風習に負けないで差別をしない、許さないという意志を
強く持つことが大切だと思うんや。」

富士 健
作家:富士 健
さよなら命ーくつのひもが結べないー
10
  • 0円
  • ダウンロード

13 / 133

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント