さよなら命ーくつのひもが結べないー

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「あなたも私と同じで受験で苦しんでいるんだと分かったの、違う?」
「そうやその通りや。」

 健一は森村が自分と同じだという意味が分かってきた。
二人とも大学受験という戦争の中でもがき苦しんでいるのだった。

「私、数学の授業嫌でしかたなかった。谷山先生の言うこときつかったもん。」
 と森村が言った。
「そうやな、僕もびくびくしてたんや。」
「やっぱり似た者同士やね。」
「そうやな。」

 二人は目を見合わせて微笑んだ。

 健一は初めて自分と同じように勉強で悩んでいる人間を見つけ、同じ仲間として
初めて森村に親近感がわいていった。

 

 

 

 

 

 


 

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18、くつのひもが結べない その1

 それから健一と森村は月に一,二度会うようになった。
ある日、二人は大阪城へ行った。
高2の時、文化祭で演劇部の主役をした健一と部長の森村の二人なので
話は自然と『オンディーヌ』の話になった。

「途中で配役を変えようとするなんて横暴なやつやったな。」と健一が言った。
「部長としてどうしても納得いかなかったのよ。」
「でもその後、みんな一つになったから良かった。
 ああいうのを雨降って地固まるって言うんやろうな。」

「藤ケンもよく女子ばかりの中でやれたわね。恥ずかしくなかったの?」
「ああ、あの時はぜんぜん気にしなかった。」
「今なら?」
「今ならって言われても、わからん。そういう状況じゃないから。
 でも、もう無理だろうな。自信を無くしてしまってる。」
「う~ん。」

 健一は大阪城の天守閣のふもとの塀から母校の古びた校舎を見下ろしながら
今こうやって森村と会っていることを不思議に思った。
高2の時からなんて高慢なやつだと思ってた森村と話をしているのだ。

「藤ケン、聞いてくれる。恥ずかしいんだけど、私どうしても出来ないことがあるの。」 と森村が言った。
「なんや?」
「靴のひもが結べないの。」
「えっ?」
「靴のひもを結んでもすぐとけるの。」

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「ちゃんと結べてるやないか。」
「違うの、このひもがとけたら上手に結べないの。」

  健一は言葉が出なかった。
小学生なら分かるがこの年になっていう事じゃないと思った。

「やってごらん。」健一はそう言った。
森村は靴のひもをといた。
「どうするの?」
「こうして、こうして、こうするんや。」健一は教えた。
 よく結び目が十字になるという間違った結び方をするが、森村はそれだけでなく、
力の入れ具合が悪いことに気づいた。
だから、結び目がゆるく、少ししたらほどけてしまうのだと分かった。

「どうして今まで出来ないままなんだ?」
「小さいときから苦手で、ひものない靴ばかり履いていたからこの年になってもできな いの。」

  健一は言葉にならなかった。
親のしつけが悪いと言ってしまえばそれまでだが、それだけでなく
森村自身に何か問題があるような気がした。

そして、こんなことを言い出した。

「藤ケン、一つ聞いて、『これが真実だ』ってどうして言い切れるの?」
健一は森村の言っている意味がよく分からなかった。
「どういう事や」

「偉い人はよく、こうこうやからこれが正しいと言うけれど、私もその人の言ってる事は正しいと思うけれど、それと反対の事を言っている人の話を聞いても、その人も正し

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いと思うの。こんな時、真実ってどうやって決められるの?」

健一は森村の言っていることがなんとなく分かってきた。

「相反したことを聞いて、どちらも正しいと思うのは、どこかで自分の判断が
間違っているからやないか?」

「その判断が私にはできへんねん!」

森村は健一に怒鳴りつけるように言った。

なぜ、森村がこれほど大きな声で怒鳴るのか、健一には分からなかった。

少し、間が空いて再び森村が言いだした。

「ある人が、あの絵は良いと言うのに、私にはそれを見ても良いと思わないの。
それで、私がこの絵が良いと言うと、その人は良くないと言うの。
こんなふうに、今まで私が良いと言ったものを、ほとんど誰も良いと言ってくれないの。
どうしてなの、私はどこか人と違うの?」

「人間には主観というものがあるやろ。だから絵を見て感動するしないは、人によって
違うのは当たり前やないか。」

「でも、私はいつも、人と違うのよ。だから、悩んでるんじゃない!」

森村はまた、大きな声で怒鳴りつけた。
健一はようやく森村の悩みの本質に気づき始めた。

「人と違っていたってそんなこと気にすることない。」
「あなたは、とても常識家だからそんなこと言えるのよ。

富士 健
作家:富士 健
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