さよなら命ーくつのひもが結べないー

119

映画館を出た二人は軽い食事をした後、喫茶店に入った。

「びっくりした?私が誘ったりして。」
「ほんとの事言ってびっくりしてる。」
「私がどんな気持ちで誘ったのかわかる?」

 健一は森村の言葉が意味ありげに聞こえた。

「私、藤ケンが好きやねん。」

 健一は言葉が出なかった。

「私がこんな事言っても信じてくれないかも知れへんね。」
 森村は続けた。
「私、高3の時あなたはみんなと違うと思ってた。
 あなたに見られると私の心が読まれそうで嫌だった。」

 健一は森村に「私を見ないで。」とみんなの前で大声で言われたことを思い出した。
そしてその口調があまりにも人目を気にしなさすぎた事に森村という人間がわからなかったのだった。
今の森村の言葉を聞いてそんな言動をとった理由が少し分かる気もしたが、自分を
好きだという彼女の言葉をすぐに信じろと言われても無理なことだった。

「あなたは私とよく似ているのよ。」
「どういう事やそれは?」

 森村は自分は中学時代ほとんど勉強せずに北天門高校に入り、
1,2年と上位にいたが、3年になってがたっと成績が落ちて
自信をなくし、少しでも数学の負担をなくそうと理系のクラス
であるのに文系に変えたと言った。

120

「あなたも私と同じで受験で苦しんでいるんだと分かったの、違う?」
「そうやその通りや。」

 健一は森村が自分と同じだという意味が分かってきた。
二人とも大学受験という戦争の中でもがき苦しんでいるのだった。

「私、数学の授業嫌でしかたなかった。谷山先生の言うこときつかったもん。」
 と森村が言った。
「そうやな、僕もびくびくしてたんや。」
「やっぱり似た者同士やね。」
「そうやな。」

 二人は目を見合わせて微笑んだ。

 健一は初めて自分と同じように勉強で悩んでいる人間を見つけ、同じ仲間として
初めて森村に親近感がわいていった。

 

 

 

 

 

 


 

121

18、くつのひもが結べない その1

 それから健一と森村は月に一,二度会うようになった。
ある日、二人は大阪城へ行った。
高2の時、文化祭で演劇部の主役をした健一と部長の森村の二人なので
話は自然と『オンディーヌ』の話になった。

「途中で配役を変えようとするなんて横暴なやつやったな。」と健一が言った。
「部長としてどうしても納得いかなかったのよ。」
「でもその後、みんな一つになったから良かった。
 ああいうのを雨降って地固まるって言うんやろうな。」

「藤ケンもよく女子ばかりの中でやれたわね。恥ずかしくなかったの?」
「ああ、あの時はぜんぜん気にしなかった。」
「今なら?」
「今ならって言われても、わからん。そういう状況じゃないから。
 でも、もう無理だろうな。自信を無くしてしまってる。」
「う~ん。」

 健一は大阪城の天守閣のふもとの塀から母校の古びた校舎を見下ろしながら
今こうやって森村と会っていることを不思議に思った。
高2の時からなんて高慢なやつだと思ってた森村と話をしているのだ。

「藤ケン、聞いてくれる。恥ずかしいんだけど、私どうしても出来ないことがあるの。」 と森村が言った。
「なんや?」
「靴のひもが結べないの。」
「えっ?」
「靴のひもを結んでもすぐとけるの。」

122

「ちゃんと結べてるやないか。」
「違うの、このひもがとけたら上手に結べないの。」

  健一は言葉が出なかった。
小学生なら分かるがこの年になっていう事じゃないと思った。

「やってごらん。」健一はそう言った。
森村は靴のひもをといた。
「どうするの?」
「こうして、こうして、こうするんや。」健一は教えた。
 よく結び目が十字になるという間違った結び方をするが、森村はそれだけでなく、
力の入れ具合が悪いことに気づいた。
だから、結び目がゆるく、少ししたらほどけてしまうのだと分かった。

「どうして今まで出来ないままなんだ?」
「小さいときから苦手で、ひものない靴ばかり履いていたからこの年になってもできな いの。」

  健一は言葉にならなかった。
親のしつけが悪いと言ってしまえばそれまでだが、それだけでなく
森村自身に何か問題があるような気がした。

そして、こんなことを言い出した。

「藤ケン、一つ聞いて、『これが真実だ』ってどうして言い切れるの?」
健一は森村の言っている意味がよく分からなかった。
「どういう事や」

「偉い人はよく、こうこうやからこれが正しいと言うけれど、私もその人の言ってる事は正しいと思うけれど、それと反対の事を言っている人の話を聞いても、その人も正し

富士 健
作家:富士 健
さよなら命ーくつのひもが結べないー
10
  • 0円
  • ダウンロード

119 / 133

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント