俺は本気で、働いてお金を稼いで楽な暮らしを手に入れるより、なるべく生活にお金使わないように日々考えて策を練り実行する方が楽チンだと真剣に考えている。
「お金をかけない暮らし」から自給自足生活を想像させるが、それより「地産地消生活」の方が俺の場合は近いと思う。
ここで言う「地産地消」の「地」は俺ん家のことで、今家にあるモノを作り替えて使えるモノを作って使う。なので作るモノは野菜とか果物を庭に植えるだけではない。タンスを机に作り替えて俺がその机で仕事する、みたいな。
最初は俺も庭で野菜栽培をしていたが、労多くして効果が乏しい。
野菜の種や苗を買って栽培した。しかし野菜は大切に育てないと虫食いになったり長雨で腐ったり、日照りで枯れるわ、肥料が要るわでお世話がたいへん。家もろくろく空けられない。そこでミツ葉とかミョウガなどホッタラカシでも育つ野菜とミカンやカキなど果物に変えた。しかし庭がそれらの植物に占領された俺は『野菜栽培とかではお金かけない暮らしはほど遠い』と思い、他の手を考えた。
俺はモノ作りが趣味だけど、工作材料を買うとお金かかるからあまり手をつけていなかった。
学生時代もそうだった。俺はオーディオの趣味もあったが家が貧乏なので昼飯食わずに貯めたお金でレコードは買えたが、アンプやプレイヤー、スピーカーは買えないので秋葉で部品買ってきて組み立てた。しかし部品買うにもお金かかる。そこで俺は当時けっこう不法投棄されていた真空管テレビを拾ってきたり、叔父からもらった古いラジオや壊れたプレーヤーから使える部品をもぎ取って自作品を作っていた。
しばらく忘れていた「もらってくる、拾ってくる、借りてくる、自分家で探す」式は退職後にまた活きた。
上記4つの入手手段で一番良いのは「自分家で探す」だ。家の不用品は減って役立つものができる。コツは見栄えを気にしないということに尽きる。機能さえあればそれでよい、この精神を持つことだ。
二番目は「もらってくる」。これで俺の工作用の工具はかなり充実を見せた。俺もこの先老いたら誰かにあげたくなるだろう。
「拾ってくる」のはあまりできない。拾ってくると妻が怒るからだ。「借りてくる」ことは今はあまりやっていない。
野菜はあまりお値段高くないけど家具とか備品は高額だから、もしそれを材料費格安で自作したら「お金使わない生活」への貢献度は大きい。
モノ作り以外でもお金を使わないことは「工夫」しだいでできる。俺は退職後に東京の実家を訪れる機会が多くなった。俺の住む関西からだと新幹線で往復するのが常套だけど、俺はマイカーで地道を夜中に走って15時間かけて往復していた。実家の駐車スペースは狭いので軽自動車に乗り換えてそれでよく通った。往復の交通費はガソリン代の約7千円。会社員の頃は「お金で時間を買う」のがステイタスだと語られていたと思うが、退職したら「時間を使ってお金を使わない」が正解だ。
このような「お金を使わない工夫」を考えて思いつくことはまるで仕事のようだ。
もうこれは俺のビジネスと言っても過言でないように思う。しかもいくら使うお金を減らして「稼いだ??」としても収入にならないから税金が増えることが無い!
もちろん退職直後からこのようなお金使わない三昧ができたわけではなく、10年をかけてだんだん腕に磨きがかかってきた。
だから、生活費は急に節約できないけど、徐々にだったら下げる工夫はできる。しかもその手段を考えることも仕事のように張り合いがあり、効果もよく分かる。ついでにインフレにも強い。
極論すれば、俺がどうしても、それでもお金を払わなければならず、全部の生活費をゼロにできない理由は「それが自分の能力では作れないから」に他ならない。
自動車や住む家は俺の能力ではどうしたって作れないから買うしか手が無いのだ。もしくは「作るのがメンドクサクなったから」ときだ。