さやかとアンナ

「さやかの愛って、嘘の愛よね」

「さやかは、さやかの愛しかたでいいのよ。

病気だと思うから自分を責めるってドクターがよく言うじゃない。

あたいだって、つい自分を病気って思っちゃうのよ。

それがダメなのよね。」

アンナは枕元で寝ていたプーさんを右手で掴むとさやかに渡す。


「男の人を身体で愛せないのよ。これからも、ずっと」

プーさんをしっかり抱きしめると、さやかの目じりから光が走る。

「アンナがいるじゃない。お互い、過去に生きるんじゃなく、

幸せを創るのよ。ドクターに言われたでしょ」

「アンナは男の人を愛せるじゃない。ごめん、こんなこと言って」

さやかはアンナにプーさんを手渡す。

「仕事、仕事。お金のためにやってるだけよ。前にも言ったじゃない。

男を愛すがらじゃないって」

アンナはプーさんを天井に向かって放り投げる。


「アンナのことよくわかってるのに愚痴なんか言って、

先生のことでどうかしてるんだわ。ごめんね!」

「さやかは考えすぎだよ!」

アンナはプーさんでさやかの頭をポンと叩くと、さやかに渡した。

「これからも一緒にいてくれるわよね、アンナ」

さやかはプーさんをしっかり抱きしめる」


「元気出せよ!さやかは傷ついた子どもたちの女神だろ。

しっかりしろよ!」

「そうね」さやかにほんの少し笑みが戻る。

「ところで、病院の方はどう?」

「どうして、かわいそうな子どもたちが多いのかしら。

まだ、5歳の女の子よ!親に虐待され続けて、

体じゅうにたくさんの傷があるの。大人を怖がっているのね、

誰とも話そうとしないわ」

さやかはプーさんをしっかり抱きしめ涙をこらえる。


「そんな親は殺してしまえばいいのよ」

アンナは拳で思いっきりベッドを殴る。

「本当ね、世界中で、たくさんの子どもたちが殺されているのよ。

こんなことがこれからも続くのね。

大人たちは、どうして弱い子どもたちを救ってあげようとしないのかしら?」

「しようがないよ、みんな、自分のことで精一杯なんだから。

さやか、私ね、孤児院を建てるつもりなの。

お金は足りないと思うけど、やれることをやって死にたいの」

初めて、アンナは、自分のやりたいことをさやかに伝えた。


「そうだったの。だから、がむしゃらに働くのね。

そういえば、アンナ。明日からロケに行くって言ってたわね」

「軽井沢に行くの。帰ってくるのは土曜日だな。だけど、もう年ね。

ロボの肌を見ると落ち込んじゃう。いつ、お払い箱になるか。

そう、新人のキューティーロボ1919が売れてんのよ。負けるものか!」

人間女優はロボ女優におされ気味。


「アンナって、本当にたくましいのね」

さやかはプーさんをアンナの胸にポンと投げる。

「まあね。ガッツりためなくっちゃ。弟のためにも!」

アンナはプーさんを赤ちゃんのように抱きかかえ、まぶたを閉じる。

「あ、いけない!ドクターにメールしなくっちゃ」

さやかはアンナを起こさないように、そっと隣の部屋に向かう。




安部精神病院では、凶暴な患者を除いた規律に従う患者は、

普段の生活ができるようになっている。

また、学校を併設しており、教室、図書館、映画館、体育館、

グランド、プール、コンピュータールーム、ロボット開発ルームなど、

子どもたちに必要な設備はすべてそろっている。


ドクターはさやかの力が必要だと考えたとき、カウンセリングをさやかに

依頼する。たとえば、親の虐待を受けた児童たち、

殺人事件を起こした子どもたち、あるいは、

自殺しそうなうつ病の老人たちのカウンセリング。

さやかは病院においては一看護師だが、子どもたちにとっては

「女神様」。



3日前、11歳の男の子が父親殺害で当病院に収容された。

今日、さやかはこの子に第一回目のカウンセリングを行う。

名前は、飛来 清(ひらい きよし)11歳。

一ヶ月前、バットで父親の後頭部を一撃し、殺害。

動機は、母親を父親の暴力から守るため。


家族構成は36歳の母と8歳の妹。

趣味はサッカー。

将来の夢は、プロになってワールドカップに出場すること。


さやかはカルテを思い出しながら、ホワイトのブラウスに、

少女が着るようなピンクのフレアスカートで少年の部屋に入った。

ブルーのトレーニングウエアを着た清は、勉強机から眼下に見える

サッカーグラウンドをぼんやり眺めている。


「清君!」

「はい。今日は、おじちゃんじゃないね」

清は少し警戒しているような表情で返事する。

「これからは、お姉ちゃんが担当よ。よろしくね」

「やったー!うれしいな!」

清はカウンセリング用に置いてある丸いグリーンのテーブルに

飛んでやってくる。


「すごく元気みたいね」

さやかはテーブルに着くと、笑顔で清に声をかける。

「うん。だけど、友達と遊べないから、つまんないよ」

「そうね、しばらくは寂しいね。昨日はお母さんと妹さんが来られたみたいね」

「うん、早くここから出たいよ」

「気持ちはわかるけど、反省もしないとね」

「なんの?」

「お父さん殺しちゃったこと」

「殺したんじゃないよ。悪魔を退治したんだ、お母さんのために」


「だけど、命を奪うことは罪になるのよ」

「そんなことないよ。あの鬼は、狂った殺人者なんだ。

生かしておいたら、お母さんは殺されていたんだ。

僕はまったく悪くない!」

少し怒った顔でさやかをにらみつける。


「清君の言っていることは、よくわかるわ。

だけど、これからは大きな悲しみと苦しみを、

一生、背負って生きていくことになるの。わかる?」

「どうして、正義の僕が苦しむの?お姉ちゃんもおじちゃんと同じだね」

窓のほうに目をそらし、席を離れようとする。



「待って。そうね、清君の言っていることは正しいの。

だけど、お父さんが死んでうれしい?」

「うれしいとか、そんなことはないけど。

死にそうな呼吸困難にならなくてもすむし、

夜、夜叉のような悪魔にうなされなくてもすむよ」

清はテーブルの下に合ったサッカーボールを、

左足で遊びながらつぶやく。


「そうか、鬼はいなくなったからね。お母さん殺されなくてすんだもんね」

さやかは笑顔で清の目を見つめる。

「そうだよ、本当によかった。本当はあいつも殺すつもりだったんだ」

「あいつって?」

僕をいじめる中学生さ。子分をつれて、金をよこせとか、いやだと言うと、

よってたかって殴るんだ。いつか殺してやる」

清は誰かを殴るような真似をすると、窓のある壁にボールをける。


「ずっといやな目にあっていたのね」

「こんな悪いやつを殺すことは、いいことだろ!」

清は目を吊り上げる。

「いい事かどうか、お姉ちゃんにはわからないわ。

確かに悪いやつはいるよね。

お姉ちゃんにも殺したいって思っているやつがいるの。

ずっと以前から」

さやかは大きく目を開き拳を作る。


「だったら、殺しなよ!」

「そう思うけど、殺せないの。なぜかしら」

「気が弱いんだね、思い切ってバットで殴ればいいんだよ」

清は少し強めに左足で壁にめがけてボールを蹴る。

「思いきって、やっちゃおうかしら」

さやかは拳をつくると大きく腕を振り、

誰かを殴る動作をする。

「やっちゃえ!やっちゃえ!」

清は跳ね返ってきたボールを拾うと、

両手で頭の上にボールを乗せる。



「清君!犬好き?」

「大好きだよ。毛がつやつやしたハスキー犬、飼ってるんだ。

ラスカーって言うんだ」

「ラスカーが死んだら悲しい?」

「当たり前じゃないか!何、言ってるんだよ」

「もしもの話よ。ラスカーがね、人を噛んでしまったの。

みんながこの犬は危険だからといって、

ラスカーを殺してしまったらどう思う?」


「ラスカーが噛むわけないよ。バカなこと言うなよ」

清は、さやかにボールを投げつける振りをした。

「だから、もしもよ」

さやかは一瞬頭を右に振ったが、笑顔で訊ねる。

「どうして、そんなこと言うんだよ。お姉ちゃんなんか、嫌いだ!」

清はボールを胸の前で抱くと、目じりを下げて悲しそうな声。


「あのね、お父さんのお母さん、清君のおばあちゃんがいるよね。

おばあちゃんにとっては、お父さんは子どもよね。わかる?」

「うん」小さくうなずく。

「お父さんは、おばあちゃんが大好きな人よね。

わかるでしょ。おばあちゃん、今どんな気持ちだろうね。

清君は、大好きなラスカーが死んだら悲しいじゃない。

誰だって、大好きな人が死んだら気が狂うほど悲しいね」

「うん。お母さんとか、妹が死んだら悲しいよ。ラスカーも」

ボールをテーブルの上に置くと、その上にあごを乗せて小さな声で言う。


「誰だって悲しむのよ。だから、鬼のような人が死んでも、

悲しむ人はいるの、わかるよね」

「うん、お父さんが死んで、おばあちゃんは泣いているんだろ」

また、ボールを抱きかかえると、何かに気づいたような表情。

「その通りよ。清君がお母さんの命を救ったことは、

神様はチャンとわかってくれてるの。だけどね、

それと同時に、清君は、一生、おばあちゃんと同じように悲しむの。そうでしょ」


「そうだね。だけど、もう殺しちゃったから、どうしようもないよ」

ボールをさやかに向かって転がす。

「そんなことはないわ。清君には、愛があるわ!」

ボールを受け取ったさやかは、清に転がして返す。


「愛って?」

「お母さんのために、やったんでしょ。

お母さんのために、自分の命を捨てたのよね」

「そうだよ」

「これが愛なの!好きな人のために、すべてを捨てるのが愛なの。

愛があれば、これから多くの人を幸せにできるの。わかってくれた?」

「まだ、子どもだからわかんないよ。だけど、人を幸せにしたいな!」

両手でボールを跳ね上げながら、清は今までに感じたことのない、

さわやかな気持ちを感じた。


「それでいいの。お父さんのことも、中学生のことも、神様に任せるの。

これからは、愛に生きればいいの!お姉ちゃんが見守ってあげるから」

「うん、もう、人は殺さないよ。悲しいことだから。

おばあちゃんにもあやまるよ」

ボールを脇に抱えると、大きな声で訴えるように言う。

「わかってくれたのね。お姉ちゃん、とってもうれしい」


「お姉ちゃんは、きれいだね」

清は笑顔をつくると、少し恥ずかしそうに小さな声で言う。

「あら、うれしいわ」

「一つ、お願いがあるんだ。

僕、お姉ちゃんみたいに優しい人になりたいんだ。

だから、キスしていい。あ、手にだよ」

自分の左手の甲を指差す。


さやかは立ち上がり、清の左側に立つと左手を差し出す。

清は両手で目の前の手をすくう様なしぐさをすると、

さやかの手の甲に軽く唇を押し当てる。


「僕も、お姉ちゃんみたいになるよ。だから、見捨てちゃダメだよ」

「もちよ。お姉ちゃんに、任せなさい」

「おじちゃんにも、このこと、話すよ。いっぱい、あやまるよ」

清はさやかの目をしっかり見つめると、目を輝かせて立ち上がる。

「えらいわ、これからもがんばるのよ。自分に負けちゃダメよ」

さやかは、清の瞳をしっかり見つめるとドアに向かう。


「また来てよ。お姉ちゃん!」

「これからは、清君のお姉ちゃんだから、時々、遊びに来るわ」

「嘘ついちゃダメだからね。きっとだよ!きっとだよ!」

清は泣きそうな声。

さやかは左手を肩まで上げ、指先を小さく動かすと、ドアから消えた。



春日信彦
作家:春日信彦
さやかとアンナ
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