無人駅の駅長

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夏木立


年老いて忘却力がついた。淋しくもあるが、助かっている。

 うまれつき記憶力がずば抜けて優れていた。見たもの聞いたもの、すべてを記憶してしまって辛かった。

 おもうに、人の脳とは、忘れたいことを実際に忘れる機能を備えている。おかげで精神衛生が保たれるのだ。なんでも憶えてしまい、忘れる能力がないと、その人の脳の中の本人が意識できる部分の記憶が増える一方。辛いことも苦しい記憶も、脳の無意識部分に格納することができないとなると、人格は人生の経過とともに増え続ける記憶によって圧迫される。ありすぎる記憶は心理的脳腫瘍だ。あまりに耐えがたさに人格が異常をきたすだろう。

 ぼくは勉強経験がない。

 中学校を出て世の中へ出たから高校受験や大学受験と無縁だった。それで今でも難しいことを知っているくせに、初歩的なことを知らない。

 中学二年生のとき、学校の定期テストで学年一位を二度とった。勉強ができて一位だったのではなかった。教科の内容なんか理解していなかった。勉強したことがなかったし、ぼくが育った家庭は教育に無関心だった。いちどたりとも「勉強しなさい」と言われなった。

 テスト前に先生がテスト範囲を、教科書何ページから何ページまでと生徒全員に教えてくれた。中学の勉強だから分厚い教科書ではない。薄い本の一部のページだけが出題されるのだ。

なんだ簡単なことじゃないか。全部憶えてしまえばいい。中学生のぼくは簡単な方法を見つけた。若かったぼくの記憶力は恐ろしほど優秀だったのだ。どんな本でも、それを見れば(熟読すれば、ではない)すべて憶えてしまえた。人の話やラジオ放送の話も聴いた途端に記憶してしまえた。だからわずか数ページの教科書を、カメラが写真を撮るようにして脳の中に写した。脳のメモリに入れて、試験日にメモリから出した。それだけだ。ぼくは人間コピー機だった。ぼくにとってなんでもない作業だった。うまれつきそうなのだから。

 その結果学年首位の成績となったのである。中身の理解などしていなかったのだ。

 一位になった瞬間は嬉しく誇らしかったけれど、じかに飽きてしまった。

ぼくにとっては至極簡単なことで、首位にたってもおもしろくもない。ぼくはなにか創ること、表現することがたまらなく好きだった。今も好きだ。テストで良い点をとることはクリエイティヴな作業でない。好きなことに沈潜したときの集中力の深さならばおそらく誰にも負けない。文字通り寝食を忘れるから。しかしなにごとについても、じぶんが興味を持てない作業には本腰をいれられない困った性格なのである。 強いて努めるという意味での勉強ができない性格なのだ。ゆえに会社や官庁等の宮仕えはなにより苦手だ。

ところで、聴いたことと見たものすべて記憶してしまい、忘れる能力がないとは実に苦しいのである。それは苦しい人生の連続なのである。人生経験のほとんどすべてが意識上に可視化されてあるということなのだ。思い出したくない記憶を無意識の領域へ押しやれないということなのだ。いつでも過去記憶と対面し続けなければならないということなのだ。この苦痛を軽減するために、なるべく情報に接しない方法をぼくはとってきた。テレビを見て一切見ないとか、ニュースをきかない読まないなどだ。

 このごろはその記憶力が急速に衰え、忘却力が増している。老化による人の脳の能力低下がこんなに坂を落ちるように急速なことを知って驚いている。寂しいことだ。ふつうにできたことが一つ一つできなる。死に向かう階段をいそいで降りつつある。

 でもそのおかげで物ごとを適度に忘れられるようになった。楽になった。

現在のところ、老化のかなしさよりも、その嬉しさがぼくには大きい。

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巴里


 祖父が商売をしていたため、幼少のころ私の苗字入りのカレンダーがトイレにかけられていた。小学校へ上げる前のことである。まいにちそれをみるうち、自分の苗字の漢字が読めるようにいつのまにか成っていた。

 その字を訓読みではカナイと発音する。音読みなら「キンセイ」であろうか。私は音読みの方だけ読めたのである。訓は読めなかった。ましてやひらがなカタカナは読めなかった。

 それには理由がある。漢字の発音の規則性を発見したのである。

 私の苗字の上の字は「金」である。この字はキンとかコンとかゴンと発音する。みっつともよく似た音だ。そこから出発して、金が左側につく漢字はすべて非常に似た発音をすることに気づいた。金偏漢字はたいてい画数が多くて難しい字だが、発音に関しては難しくない。どれもこれも、キンまたはゴンなどにちかい音なのである。

 漢字というのは基本的に絵文字だ。アイコンだ。だから未知の漢字でもみればその発音と意味が直感的に推察できるものである。そんなことから未就学児童であった私はあらゆる漢字をかたっぱしから発音していた。言うまでもないが発音できただけで意味をわかってはいなかった。

 けれども、漢字の訓読みとカナはぜんぜん読めなかった。それらは規則性が希薄なのである。ゆえに大人から教えてもらわなくては読めるようになれない。まだ小学校にも入ってなくて誰からも教育を受けていない児童だったから読めないことは当然だった。

 十年ほど前だったか、みすず書房が出しているレヴィ・ストロースの幼い日々の回想記を読んで「あっ」といってしまった。説明するまでもないが彼は二十世紀人類学の巨星である。

 乳母車に乗せられた幼少のストロースがパリの街の看板等に書かれたフランス語のアルファベを片っ端から読んで大人たちを驚嘆させたそうだ。

私が驚いたのは、その理由の解説である。

 乳母車から、丸かったり角ばっていたりする奇妙な形の模様(アルファベのこと)を毎日見続けるうちに、幼児のかれはその中にあるフランス語の発音の規則を発見したというのだ。いちど見つけてしまえば、どの看板のフランス語も苦労なく読めたそうだ。この説明を読んで、私は膝を打ち「あっ」と言った。私の経験とそっくりだ。

 だからレヴィ・ストロースの回想が嘘や誇張でないことがすんなりとわかった。こうした経験をしなかった人は理解してくれないだろう。だが複雑でいっけんなんらの関係もないかのような物ごとたちから、その中にある規則性を見出す才能に恵まれた人が地球上に実在するのである。ほかのひとにみえないものがみえるのである。それは努力して見つけ出すのでなく、しぜんに見えてしまうのだ。

 この資質の上にレヴィ・ストロースあの立派な人類学研究が花開いた。交差イトコ婚など常人に見えない規則性が見えたのだ。

ところでこういう能力をもって生まれてしまった少数者は、まず同類にめぐりあえない。この話を誰かにしても話が通じない。向こうは意味を理解できないから、自慢話はじめやがったとおもわれるのがせいぜいだ。そんな孤独の中でレヴィ・ストロースという同類の人を知って私は嬉しかった。かれは割と最近まで生きていたが、およそ百歳で死んでしまった。

 彼に死なれて私はたった一人の同類を失った。また一人になった。

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あたりまえのことを言う


 産経新聞社の宣伝コピー

「当たり前のことを言う!」

 私は言い返す。

「当たり前のことを言っていたら、当たり前にしかなれない」

と。

「規範から逸脱しなければ進歩はありえない。」

 フランク・ザッパー

 (ミュージシャン、一九七一年頃)

「はみ出し者、逆らう者、やっかい者、変わり者。

 ものごとが世間の人々と違ってみえる人。ルールなどわずらわしいだけの人。現状など気にもしない人。

 かれらを引きあいに出すことはできる。否定することもできる。讃えることも、けなすこともできる。

 できないのは、おそらくただ一つ。かれらを無視すること。

 なぜなら、かれらはものごとを変える人だから。創意工夫して発明をする人だから。想像する人だから。癒す人だから。探索する人だから。周りの人を鼓舞する人だから。人類を前へ進める人だから。」

 スティーヴ・ジョブズ

  (起業家、一九九七年頃)

 私は再び反論をしよう。これこそあたりまえの道理だから。

「あたりまえのことを言っていたら、あたりまえにしかなれない。」

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猫の夢


 生命科学があきらかにした知識によると、細胞は絶えず死に、絶えず新生している。

 僕らは数十兆個の細胞から成りたっている。垢は古い皮膚細胞の死骸である。個体の死までの五十年なり、一百年なりを、おなじ細胞が働き続ける。そうみると、僕らが生きるということは、たえず死に、一瞬の休息なく、生死を繰り返しているということである。

 僕らは、休むことなく、たえず生まれている。さらに、分子レベルで考えると、また様子がかわってくる。僕らの体の各細胞は、酸素分子だとか窒素分子・炭素分子などで構成されている。計算によると、約三カ月ですべて新しい分子に入れ代わるという話である。これには神経細胞などの例外はない。つまり、赤ん坊の時の私を構成していた分子は、たった一個さえ今の私にはない。ということは「私」を純粋に物質としてみれば、恒常性も同一性もないことになる。

 私どもの腸内にはたくさんの大腸菌が棲みついている。一部を除いて僕らの生体に悪さをしない。それどころか、もしも大腸菌等がいなくなれば、僕らは死んでしまう。その他の菌も無数にいる。

 バクテリアは胃にもいる。口腔内にもいる。皮膚にもいる。どこにでもいる。そのほかウィルスが入りこんだ細胞もあれば、ウイルスが入ったバクテリアが腸にいるという複雑関係もある。いずれも基本的に健康に害をしない。

 ところで、免疫の考えからするとバクテリアと「私」を区別できるのだろうか?

 通常私たちは「善玉菌」にしろ「悪玉菌」にしろ『私』に寄棲する別の生物と考えちだが、実際はその境界はあいまいで、互恵共存に近いのではないか。少なくとも免疫系はバクテリアなどを異物と認識していないか、非自己ではあるけれどもトレランスしてるか、いづれかである。

 免疫とは自己と非自己を峻別する働きである。非自己の物質を有害とみなして排除する。けれども非自己であっても必要なもの、食物や、母体にとっての胎児などを免疫は寛やかに認容する。

 別の先生の研究によると、私どもの個体の細胞数より、皮膚や身体内部に棲み着いてい細菌数のほうが多いという。「私」を主としバクテリアを「從」とできるか?

  算数上ではそう云えない。もしかしたら「私」が大腸菌に寄棲しているのかもしれない。バクテリアに「私」が寄棲しているのか?  あるいは僕がバクテリアなのか?

 現代天文学のビッグバン理論は聖書の記述とよく似ている。アリストテレスの「不動の神」の思想とも似ている。ギリシアの哲人によると、事物は動きである.。いま運動する物体αを措定する。運動以外に、αに動きを与えたβなる「なにか」があるはずだ。それをかぎなく遡れば、みずからは動くことなく、事物に動きを与えた「神」がある。これは時間因果論である。ただしヘブライの創造神と違い「神」は最初の一突きをくれるだけ。その後自然法則に則って運動する。最初の一突き以前は無である。なにもない。存在は動きである。

 量子論ともよく似ている。ビッグバン理論を学者から聞くと

「じゃあその前は?」

と尋ねたくなる。でもそれは愚問だそうだ。

「宇宙の果ての向こうはどうなってるいの?」

と尋ねたくなる。宇宙の始まり以前は「無」なのだそうだ。

 それは擱くとして、物理学の説く物質生成の理論はヘンにインド世界の輪廻説と似ているところがあるアビダルマクシャ論」の宇宙説など壮大で聞いてて面白い。

 宇宙生成後しばらくの間、この世は光だけの世界だった。それがいつの時か、原子ができ、第一世代の星が出現した。この星々はみな軽い水素原子で出来ている、星の中心部の融合反応によって水素からヘリウムが出来、ヘリウムから炭素が出来、炭素から酸素ができる。重い星の中心部ではこの反応がさらに進んで、鉄が出来たところで止まる。やがてそれら星々は超新星爆発を起こして、多量の中性子を周囲の宇宙空間にまき散らし、それが星の中心部の鉄などと化合して、核融合反応だけでは作られない鉄より重いウランまでのすべての重元素をつくる。その元素が星間雲を汚染し,その中から第二第三世代の星々が誕まれる。

 古い星々は重い元素を残して死んでいき、新しい星が生まれる。そうして宇宙生成後五十億年位したところで私たちの太陽系が生まれ、生物が誕生したという。そんな話だ。

 僕らの体は炭素や酸素その他多数の元素から出来ている。それらはすべて遙かな太古に星々の生まれかわりの中でできたものなのだ。だから私が死亡すれば私の体は元来の元素に戻って、やがて数十億年後、太陽が死滅する時に宇宙空間に放出され、想像もつかないような遠い未来には、見知らぬ星の生物の体を構成するかも知れない。不可思議である。

 人間の思議の及ばぬ世界である。インド人の考えとなんと似ていることか。

 死とはそういうものかもしれない。何十億あるか分からぬ中の一個ずつの卵子と精子がたまたま結合して私のからだができた。そうして私が死ねばまた元素に戻っていく。それだけのこと。精神は死なないと考える人がいるが、そんなことはない。志賀直哉の晩年に『ナイルの水の一滴』という一文がある。

「人間が出来て何千万年になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き死んでいった。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えて云えば、悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。」

 私の死後、体を構成していた元素は、気の遠くなるような長い時間をかけて、やがて何かに転生するだろう。しかし、いま私の身体を構成している物質が、もう一度同じメンバーとして全部集まり、私という一個の固有の人物として再生されることはない。過去にも無かったはずである。

『荘子』に「荘周之夢」の寓話がある。荘周が夢に胡蝶となり、ヒラヒラと舞い飛び、栩栩然としてうれしかった。しかし俄然として目覚めると、荘周は荘周でしかない。長い長い年月で見れば、荘周が夢を見て胡蝶となったか、胡蝶が夢を見て荘周になっているのか。それはわからない。

 漱石の『吾輩は猫であろ』では猫が夢みる。

「ある日の午後,吾輩は例の如く縁側へ出て午睡をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁が食いたい、雁鍋へ行って誂えて来いと云うと、蕪の香の物と、塩煎餅と一所に召し上がりますと雁の味が致しますと例の如く茶羅ッ鉾を云うから、大きな口をあいて、うーと唸って嚇かしてやったら、迷亭は蒼くなって山下の雁鍋は廃業致しましたが如何取り計らいましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折って駆け出した。吾輩は急に体が大きくなったので、縁側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、忽ち家中に響く大きな声がして折角の牛も食わぬ間に夢がさめて吾に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いの外の主人が、いきなり後架から飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云う程蹴たから、吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから、何となく極まりが悪くもあり、可笑しくもあったが、」

 (新潮文庫版二七三頁)

 吾輩氏の夢に猫が虎となる哉。虎の夢に猫となる哉。豈誰か能く知らむ。

金井隆久
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