虹の無い街

第2章 遅れた教育( 2 / 4 )

方言の禁止

まだ小学校低学年の頃、今でも覚えていますが学校では方言が禁止でした。

何の為に禁止にするか判りませんけど、本土の教育水準に合わせるのが目的?

方言を使えばすぐぶん殴られあげくに「方言札」なるものを首からぶら下げて校庭での

正座でした。

時々正門から入ったところで横一列で5人くらい方言札を首から下げて地面に正座を

させられている光景は、なんとも異様です。

ただ、当時の学校の先生もたいした教育者はいなかったと思います。

先生どうしでの方言は、普通に使っています。当然私も方言使って校庭で方言札を

つけて正座をしました。そこで、先生に「どうして先生は、職員室で方言使うの?」と

尋ねるといきなり殴られて「子供は親の言う事を聞く」「生徒は先生の言う事を聞く」

つまり、先生が決めた事はとにかく守るようにとの事でした。

信じられないのが私が2年生の頃、親が子供の面倒が見れずに祖母に預けて

逃げた家庭がありその子が祖母といつも一緒で祖母が方言しか話せずに

家でいつも方言なので学校で方言で先生の罰を受けたのが5回程あり、理由も

聞かずに当時生徒指導をしていた教師がその子のお腹に煙草の火を付けた事も

ありました。わずか2年生の子のお腹に煙草の火をつける先生がいたんです。

 

その頃は、それが普通だったんでしょうね。その子は学校で友だちと話をしなくなり

高学年になるにつれ態度が粗暴になり、中学を卒業したら暴力団にまでなりました。

これは、誰のせいか明らかに学校のせいです。教育者がいなかったせいだと

思います。

 

 

 

第2章 遅れた教育( 3 / 4 )

生活保護家庭

 今でもいろいろな面で問題になっていると思いますけど、生活保護家庭です。

当時は、(救済)とか言われていてどうしてこんなに優遇されるのと思うくらいです。

年に一度クラスに3人程いて年に一度すさまじい程の文具類が届きます。

これに関しては、沖縄だけではないと思いますけど皆さんは、不公平だと

思いませんでしたか?

 

ノートがあり筆箱があり下敷き、えんぴつ、消しゴム、絵の具類、それに画板です

何を基準に決めているのか、当時は私のように兄弟が多い家庭がほとんどで

たいてい兄や姉のお下がりを使っていました。

今は、上の兄弟から貰うのは服ぐらいでその頃は、文具類も当たり前に

お下がりでした。

でも、生活保護家庭は毎年貰っていて中にはずる賢い子がいて例えば去年貰った

筆箱や鉛筆等を同級生に「余っているから安く売るよ」と言って売っている

子がいました。

 

私は、この生活保護家庭を疑問に思い親に尋ねてみました。

「どうして、〇〇君は、いろんな物が貰えるの」と聞くと「あの家は、お父さんが体を壊して働けないから」と聞きました。

それから、家の父も体壊していたら兄弟皆貰えたのにと残酷な事を思う事もありました。

 

ただ、全然納得がいかなかった事があります。それは学校の先生に尋ねた時です

「先生、生活保護家庭は毎年あれだけの文房具類が貰えるのですか?」と聞くと

「そうだよ、あの文具類は生徒にとって必要最低限の文具類だからね。」と言われ

自分は、必要最低限の文具類も持っていないと言うよりその子の使い古しを安く

買った事さえあります(情けないです)

 

当時同級生の子が同じように思っていた事は確かです。

その時の政治家は、生徒皆が最低あれだけの道具は持っていたと思っているのか?

それとも、ただ単に教育にこれだけは必要だろうと思ったのか?

不思議なのは、鉛筆やノート類の消耗品はまだしもどうして筆箱やものさし画板等の

何年も使い回しがきく道具も毎年与えていたのかその道具の費用は、私たちの親の

税金から捻出していたと思うと腹立たしくなりました。

 

その頃不思議な事がありました。実は生活保護受けている子が普通の家庭の子に

対して経済差別をする事も、同級生の子が兄から貰った画板の内ポケットに

穴があいていてそれを見た保護家庭の子が「俺の使い古しのやつ安く売るよ」と

言ったり同じく女の子が母親が布で作った筆入れをみて保護家庭の子が

「ずいぶん古風な筆箱だな」と言って自分の筆箱自慢したりで酷かったです。

 

今の時代で言えばあれくらいは当たり前だろうと言いたいと思いますけど

一般家庭の生活レベルに合わせてほしかったとつくづく思います。

 

 

 

 

 

 

第2章 遅れた教育( 4 / 4 )

プールの無い学校

 

皆さんの学校には、プールはありますか?

体育館はありますか?

当然、過疎地の学校で無い限りそろっています。

私の学校にはプールも体育館もありませんでした。

その時期は、学校の生徒も全校生徒でおよそ1200人でした。

いわゆるマンモス校と言われる位生徒数は多いのに学校の設備は最低です。

先生も最低なら学校も最低でした。

学校の体育の教科書に泳ぎ方とかあり先生もめんどくさいけど一応は、

水泳の時間として教室でやります?

多分、信じがたいと思いますが教室の机を縦に並べてその上にお腹を下にして乗り

手足をバタバタさせるだけ「先生、これで泳げるようになるんですか?」とある生徒が

聞くと「泳げるようになるわけないだろう」と一言、見ると先生も笑いをこらえながら

指導しています。そして後で判った事はこの先生も泳げなかったみたいです。

 

この程度の先生しかいなかったので当然泳ぎなんて覚えられなかったと思います。

私と同じ年代の人は泳げない人がかなりいます。

高校卒業後東京に行くと皆が「沖縄だから当然泳げるでしょう」と言われた時は

やはり、復帰前の沖縄をしらないからそんな事が言えると思いました。

 

 

 

 

 

第3章立ち遅れた経済( 1 / 3 )

交通の不便な街

 

 多分、今でも沖縄を知らない人間に良く聞かれます。

「来年位に沖縄に行きたいけど、〇〇さんの最寄の駅はどこですか?」

それを聞くと頭にきて「鉄道なんかねえよ」とそして「唯一那覇だけモノレール

走ってるけどな」と言います。

 

沖縄では、普通に信じがたい事がたくさんあります。

私がまだ18~20位のころ各家庭に平均1,5台の割で自家用車が普及しています。

とても、裕福に見えると思いますけどそのほとんどが中古車のしかも1台は

大抵貨物車です。

そして、びっくりする事はその頃家庭に電話が普及していません。(笑えます)

どうしてこういう事になったのか不思議です。

今や小学生でも持っているPHSや携帯電話ですが

当時は固定電話のような通信機器も家庭に無かった。

なので友だちの家に行く時でもほとんど連絡はつかないのが現状でした。

それでも、一家に2台は車があるのでなんとか補えました。

 

ここでは車があるのは贅沢ではなく必需品です。鉄道がなく時間通りにこないバスを

バス停で待つよりは車を購入します。

沖縄は、去年普通自動車の登録台数より軽自動車の登録台数が上回る結果

になっています。当然だと思います。

所得が少なく鉄道がない後は頼れる足は車しかないとなると燃費と税金の安い

軽自動車に飛びつくのは当たり前です。

しかも、一家に2台どころではなく一人1台の時代になっています。

私は、米軍基地とか賛成です。その代わり沖縄県民に恩恵を与えてほしい

つまり、まず鉄道を沖縄全体に引くそして米軍基地の中を車で行き来出来るように

民間の専用道路を作るいつも交通の便で泣かされている地域では是非必要な

交通機関です。

 

沖縄の基地問題は県民全部が反対しているわけではなく、むしろ条件付きであれば

県民が賛成するのは目に見えています。

米軍基地は原発より危険だとは思いません。

そして、驚いたのは沖縄にどうして原発がないか不思議でした。

条件で言えば他府県より地震が少ないそして原発で必要な海がどこにでもある

これだけの好条件で原発がどうして出来なかったか?

「沖縄の自然を破壊してはいけないから原発は作らない」と思ったんです。

ところが、理由はアメリカが原発を作らせなかったから

日本政府は、アメリカが作るなと言えばすべて作らない作れと言えば何でも作る。

鉄道も一緒です。米軍基地があるから基地の邪魔になる鉄道は

作るなと言われたから作ってないと私は、思います。

 

ただ、米軍基地が撤退するとどういう事になるか?

多分恐ろしい世の中になると思います。

米軍が撤退するとどうなるか、まず中国が攻めてきます。

そんな時に日本政府は戦うと思いますか?

「平和的に話し合って決めましょう。」と不抜けた事しか言えないでしょう。

そして、最終的には本土を維持させるために

トカゲの尻尾的存在の沖縄は、中国政府に対し

「沖縄は差し上げますので、どうぞ日本本土は責めないで貰いたい」とでも

言うと思います。

今の日本政府では命がけで沖縄を守る事はまずないでしょう。

 

 

 

 

 

カラス
作家:カラス
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