タラコ唇

 鳥羽は、家の様子を聞くことにした。「家は、空けっぱなしですが、いいんですか?泥棒が入りませんか?」呆れた顔のおばあさんが、返事した。「なんが、どろぼうね。島には、泥棒も強盗もおらん。家には、なんもなか。なんば、ぬすむとね。時々、家ん中ば、のぞくとよ。タケルが、もどっちょらんか。いつ帰ってきてもよかごと、そうじ、しよっとばい。そう、タケルの父ちゃんは、福岡市におるといっとった。きっと、今は、父ちゃんと一緒に、くらしとるとよ。それが、よか。親子は、一緒に暮らすのが、一番たい。よかよか、それがよか」鳥羽にとっては、べらべらしゃべるおばあさんで、都合がよかった。鳥羽は、福岡市を頭にメモした。「そうですか、今は、コロナで外出自粛ですが、収束したら、きっと、おばあさんに会いにやってきますよ」

 

 おばあさんは、小さくうなずき返事した。「ほんと、タケルが、おらんくなって、さみしか~。孫みたいやったから。はよ、会いたか~」鳥羽は、おばあさんと話していると子供のころを思い出した。「僕は、姫島育ちなんです。中学までいました。ヤッパ、姫島はいいですね。一月に、一回は、分校の先生に会いに来るんです。いい先生に恵まれて、幸せでした」おばあさんの顔が、パッと明るくなった。「そう、どこかで見たような、気がしとった。そう、やったね」鳥羽は、話を続けた。「今は、学生ですが、将来は、戻ってこようと思っています。それまで、元気でいてください」おばあさんは、大きくうなずき返事した。「ありがとね。若か人が、戻ってきてくれると、うれしか~。ここで、ようけ、子供作りんしゃい」

 

 長居しては申し訳ないと思い、鳥羽が、腰を上げようとした時、おばあさんが、話し始めた。「姫島で、デートね。そこの民宿に泊まりんしゃい。あんた、健康そうじゃなかね。ようけ、子供産めるばい」鳥羽は、誤解されて、即座に否定した。「いや、デートじゃありません。彼女は、友達です。先生に挨拶したら、すぐに帰ります」美緒が、間髪入れず、話し始めた。「私、姫島は、初めてなんです。でも、猫がたくさんいて、とても素敵。彼は、医者の卵なんです。将来、ここに診療所を建てるといっています。すごく、頼もしいんです。私も、彼のお手伝いをしようと頑張ってます。本当に、いい島ですね」余計なことを言ってと思ったが、後の祭りだった。「そうじゃったね。ニィ~ちゃん、医者の卵ね。こんな島に診療所ば。あんたは、看護師さん。ありがたか~。長生きせんば」

 気まずくなった鳥羽は、お礼を言って帰ることにした。「お話、ありがとうございました。一月に一回は、姫島に来ますから、こちらにも寄ります。タケルも、きっと遊びにやってくると思います。お元気で」おばあさんは、浅黒い両手を合わせて、頭を下げた。「ありがとよ。ありがとよ。あんたも、おいで。待っちょるからね」おばあさんは、二人を玄関先まで見送ってくれた。二人が、振り返ると手を小さく振っていた。おばあさんのさみしさが、ずしんと伝わってきた。確認できたことは、タケルの家は、空き家だった。しかも、今でも、近衛の表札がかけられていた。また、タケルは、父親と同居するために、福岡市に引っ越したのではないか?とおばあさんは言っていた。これらの情報は、真人に伝えてやろう。

 

 なぜか、美緒の機嫌がすこぶる良くなった。生まれ故郷が嫌われるより、気に入ってくれた方が、嬉しかったが、また一緒に来たいと言い出すのではないかと思うと落ち着かなくなった。「やっぱ、空き家だった。でも、お父さんと同居しているかもしれないし、そう、心配することもなさそうだ。マヒト君も安心するだろう」美緒は、浮かれた気分で話し始めた。「来てよかったわ。鳥羽君の生まれ故郷って、ステキ。すっごく、気に入っちゃった。これから、先生のところに行くの?」波多江先生は、4月に糸島市内の中学校に赴任したのを知っていたが、美緒に知らせることでもないと思い、そのことには触れなかった。「いや、今日は、タケルの家を見に来ただけだ。ちょっと、散策して、1420分発で帰る」美緒は、グ~~となるお腹を押さえて、うなずいた。

 

 美緒は、道沿いのお店に目をやった。「ここ、レストランなの?」鳥羽は、顔をしかめて返事した。「いや、単なる雑貨屋なんだ。島には、食事するお店がないんだ。観光客が、わんさか来るほどの観光地じゃないからな。途中で、コンビニに寄ったのは、パンとお茶を買うためさ。おなかすいただろ。今日は、パンで我慢してくれ」美緒は、ホッとした顔で返事した。「おなかすいちゃった。あっちの海岸で食べましょ」美緒は、西側の海岸に向かって短い脚をスキップさせた。美緒は、浜辺の岩場を覗き込むとキャ~~と大声を上げた。「こんなにたくさん、ネコ、ネコ、ネコ。ほんと、この島って、ネコの楽園ね」鳥羽は、ワハハと笑い声をあげ、浜辺まで降りると腰掛けるのに手ごろな岩場を探した。「ここにしよう。美緒さん、おいでよ」美緒は手を振って、大きな声で返事した。「ハ~~イ、ダ~リ~ン」

             口は災(わざわ)いの元

 

 その夜、鳥羽は、タケルの家の状況を報告することにした。真人は、首をキリンさんにして待ってるに違いないと午後7時過ぎにコールした。待機してたかのように一発目のコールで応答があった。「はい。どうだった?」鳥羽は、真人のせっかちにびっくりした。いつも冷静な性格だと思っていたが、それは、勘違いだった。「ちゃんと、姫島に行ってきたよ。ちょっと、話が長くなるけど、今いい?」真人は、背筋を伸ばして、返事した。「はい。どうぞ」鳥羽は、なるべく、簡潔に話すことにした。「まず、タケルの家の状況だけど、空き家だった。でも、近衛の表札は、今も、かけられてあった」真人は、うなずいた。「表札がまだあるということは、まだ、売りには、出されてはないということかな?」

 

 鳥羽は、話を続けた。「今のところ、賃貸でも、売りでも、ないな。不動産屋の看板がなかったし。そう、なぜか、ドアには、鍵がかかっていなかった。おばあさん曰く、島には、泥棒も強盗もいないということだ。確かに、僕がいた時にも、全く、強盗事件がなかったからな。それと、あくまでも、おばあさんの話だが、タケルのお父さんは、福岡市にいるそうだ。タケルは、姫島で別居生活をしていたことになる。タケルが引っ越したのは、お父さんと同居するためではないか?というのだ。まあ、こんなところだ。カギは、かかっていないから、家の中に入ることはできる。おばあさんには、挨拶しておいたほうがいいと思うが。泥棒と勘違いされたら、大変だからな」

 

 真人は、おおきくうなずき、マジな顔つきになった。「わざわざ、姫島まで足を運んでくれてありがとう。とにかく、一度、空き家を見てみる。何か手掛かりがあるといいんだが。本当にありがとう。この御礼は、必ずする」鳥羽は、DNA鑑定の件を話すことにした。「それと、DNA鑑定の件だが、この際、はっきり言うよ。期待を持たせても、結果は同じだから。悪く思わないでくれ。DNA鑑定は、できない。できるだけのことはやるといっておいて、こんなことを言うのは、本当に、申し訳ないが、ムリなものは、やはりムリなんだ。父親の鑑定依頼申請書があれば、どうにかなるんだが」

 真人は、一瞬息が詰まった。やはり、と思ったが、DNA鑑定に、かすかな望みを持っていた。「そうか、やはり無理か。そうだよな、第三者が、悪用するってことも考えられるからな。当然といえば、当然か。悪かったな、バカなお願いして。その件は、きっぱり、忘れてくれ」鳥羽は、すでに郵送された毛髪の処理を尋ねた。「それじゃ、明日にでも到着すると思うんだが、鑑定用の毛髪は、どうしようか?」真人は、即座に、返事した。「悪いけど、開封せず、捨ててもらっていいよ。他人が見たとしても、単なる毛髪だし、個人を特定できる情報は書いてない」鳥羽は、うなずき返事した。「わかった。こっちで、処分しておく。まあ、タケルのことは、あまり心配しなくていいんじゃないか。きっと、姫島がイヤになって、福岡市内に引っ越したに違いない。そんな、ところだよ」

 

 真人もそういわれると、なんとなく納得してしまった。「そうだな、きっと、元気にサッカーをやっているような気がする。本当に、ありがとう。コロナが、収束したら、お礼に行くよ」そう返事したものの、後醍醐天皇の子孫と考えると、やはり、気にかかった。真人は、電話が切れるとぼんやりと考え込んだ。期待していたDNA鑑定が、水の泡になってしまった。でも、二人のタラコ唇は、親子の証と思えてならなかった。鳥羽君の話では、タケルは父親が住む福岡市に引っ越したのではないか?とのことだった。もし、そうであれば、電話帳から近衛の住所を拾い上げ、片っ端から聞き込みをすれば、タケルを見つけ出すことができるかもしれない。でも、今すぐにはできない。それをやるにも、コロナ収束後だ。

 

 今は、身動きが取れない。でも、やれることはまだあるはず。とにかく、頭を使え。もっと、冷静にならねば。タケルが後醍醐天皇の子孫だとしても、タケルが天皇になれる可能性は、全くない。天皇の血筋は、すでに決定されている。ならば、北朝は、特段、タケルを恐れることはない。ただ、やはり、北朝を正当化するためには、本物の草薙剣は不可欠。そうか?タラコ先生は、本物の草薙剣を持っていると公言した。それを信じた北朝は、本物の草薙剣を手に入れようと躍起になる。ちょっと待て、本物の草薙剣を欲しがっているのは、北朝と決めつけていたが、それ以外にもいると考えてもいいのではないか?

 

春日信彦
作家:春日信彦
タラコ唇
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