タラコ唇

 

 話に夢中になっていると姫島港に到着していた。「もう、ついちゃったの。あっという間ね。酔わなくてよかった」鳥羽も美緒の元気な顔を見て、笑顔を作った。「タケルの家は、姫島神社の近くなんだ。港から西に歩いていけば、すぐにつく」美緒は、小さな階段を上り甲板に出た。少し船が揺れふらついた。とっさに鳥羽は、美緒の左腕を取って、体を支えた。美緒は、ニコッと笑顔を作り、ゆっくりと下船した。「こっちの方向だ」と言って、鳥羽は西に向かって海岸沿いの小道を歩き出した。美緒は、鳥羽の右側を歩き始めた。「なんだか、さみしい島ね。タケル君の気持ちわかるわ」鳥羽は、尋ねた。「どういうこと?」美緒は、呆れた顔で、即座に返事した。「当然、じゃない。こんなさみしいとこ、住めないわよ。私だったら、3日いたら、引っ越したくなる。なんだか怖くなってきた」

 

 姫島育ちの鳥羽は、そこまでさみしいとは思わなかった。でも、若い人は姫島にやってこない。ますます、人口は減っている。美緒の感想は、もっともだった。「やっぱ、さみしいよな~~。遊ぶところもないし、子供はいないし。全く、何にもない。あるのは、漁船だけか」美緒は、鳥羽が姫島育ちであることを思い出した。ハッとした美緒は、明るい声で話し始めた。「でも、空気はいいし、健康にはいいわよね。ア、かわいいネコちゃん。ほら、あそこにも、こっちにも」鳥羽は、笑顔で返事した。「この島は、ネコには、楽園なんだ。みんな、ネコをかわいがるんだ。魚は、食べ放題だし。西側の岸辺にもたくさんいるよ」美緒は、玄関先で寝転がっている三毛猫に近づいた。

 

 猫たちは、エサをくれると勘違いして、美緒に近づいてきた。「あら、ネコちゃんたち、集まってきた。え~~、マジ、すごい。ネコ島じゃん」鳥羽は、ワハハと笑い声をあげた。「いっただろ。ここは、ネコの楽園なんだ。人より、ネコのほうが多いんだ。姫島神社は、すぐそこ」鳥羽は、美緒をおいて歩き出した。置いてきぼりにされた美緒は、鳥羽を追いかけた。「待ってよ、鳥羽ク~~ン。せっかちなんだから」鳥羽は、小さな路地を右に折れた。古びた家の前に立つと表札を確認した。まだ、表札には、近衛(このえ)の表記があった。開き戸に手をかけ、力を入れてみた。ガラガラとドアが開いた。鳥羽は、タケルとサッカーをしたときのことを思い出した。あの時も、タケルはドアに鍵をかけずに飛び出していった。

 

 

 

 ハ~ハ~息を切らしてやってきた美緒が、中を覗き込んだ。「だれも住んでいないみたい。でも、表札は、あるじゃない。ってことは、戻ってくるってこと?」鳥羽は、首をかしげて返事した。「どうなんだろ~。引っ越したのは、間違いない。確かに、人が住んでる気配は、ないな~。でも、いずれ戻ってくるのかもしれないね。でも、空き家にしてると、物騒じゃないか。そうだ、隣のおばあさんに、ちょっと聞いてみよう」鳥羽は、隣の家に向かった。インターホンがないため、大きな声で叫んだ。「ごめんください。ごめんください。ちょっと、お尋ねしたいんですが」すると、中からおばあさんの声が返ってきた。「はい。はい。そう、そうおらばんでも、すぐ行くから」

 

 ガラガラとドアが開くと70代半ばとみられるおばあさんが顔を出した。「まったく、うるさか~。そんなに、おらばんでも、聞こえちょる。耳は遠くなか。なんね、ニィ~ちゃん」鳥羽は、頭をかきながら返事した。「大きな声を出して、すみません。お隣のことでお聞きしたいんです」おばあさんは、じろっと鳥羽を見つめて返事した。「この前も、色白のニィ~ちゃんが、同じこと聞きよった。隣は、引っ越したばい。今は、だれも、住んどらん。なんか、用ね」鳥羽は、ちょっと言葉に詰まったが、話をつないだ。「用事って、ほどのことはないんですが、ここに住んでいたタケル君と友達なんです。でも、連絡が取れないもので。知っておられたら、教えていただきたいと思いまして」

 

 またもや、じろっと鳥羽を見つめたおばあさんは、怪訝そうな顔つきで返事した。「あのときのニィ~ちゃんと同じこと聞くね~。あんたも、タケルの友達ね。タケルは、あいらしかった。タケルが、おらんくなって、さみしか~。そう、立ち話しも、なんやけん、うちに、はいりんしゃい」二人は、ちょっと薄暗い土間に入っていった。「ここに、座りんしゃい」小さな声を残して、腰を曲げたおばあさんは、奥に引っ込んだ。二人は、遠慮がちに、上(あ)がり框(かまち)に並んで腰かけた。しばらくすると、静かにお茶を運んできた。おばさんは、正座して話し始めた。「タケルは、いい子やった。明るくて、サッカー、バッカ、やっとった。いったい、どうしたんやろ。突然、去年の夏休みに、引っ越してしもうた。挨拶もせんと、おらんくなったとばい。まあ、しょうがなか。若いもんは、みんな、島ば、出ていく。ここには、ジジババしかおらん」

 

 

 鳥羽は、家の様子を聞くことにした。「家は、空けっぱなしですが、いいんですか?泥棒が入りませんか?」呆れた顔のおばあさんが、返事した。「なんが、どろぼうね。島には、泥棒も強盗もおらん。家には、なんもなか。なんば、ぬすむとね。時々、家ん中ば、のぞくとよ。タケルが、もどっちょらんか。いつ帰ってきてもよかごと、そうじ、しよっとばい。そう、タケルの父ちゃんは、福岡市におるといっとった。きっと、今は、父ちゃんと一緒に、くらしとるとよ。それが、よか。親子は、一緒に暮らすのが、一番たい。よかよか、それがよか」鳥羽にとっては、べらべらしゃべるおばあさんで、都合がよかった。鳥羽は、福岡市を頭にメモした。「そうですか、今は、コロナで外出自粛ですが、収束したら、きっと、おばあさんに会いにやってきますよ」

 

 おばあさんは、小さくうなずき返事した。「ほんと、タケルが、おらんくなって、さみしか~。孫みたいやったから。はよ、会いたか~」鳥羽は、おばあさんと話していると子供のころを思い出した。「僕は、姫島育ちなんです。中学までいました。ヤッパ、姫島はいいですね。一月に、一回は、分校の先生に会いに来るんです。いい先生に恵まれて、幸せでした」おばあさんの顔が、パッと明るくなった。「そう、どこかで見たような、気がしとった。そう、やったね」鳥羽は、話を続けた。「今は、学生ですが、将来は、戻ってこようと思っています。それまで、元気でいてください」おばあさんは、大きくうなずき返事した。「ありがとね。若か人が、戻ってきてくれると、うれしか~。ここで、ようけ、子供作りんしゃい」

 

 長居しては申し訳ないと思い、鳥羽が、腰を上げようとした時、おばあさんが、話し始めた。「姫島で、デートね。そこの民宿に泊まりんしゃい。あんた、健康そうじゃなかね。ようけ、子供産めるばい」鳥羽は、誤解されて、即座に否定した。「いや、デートじゃありません。彼女は、友達です。先生に挨拶したら、すぐに帰ります」美緒が、間髪入れず、話し始めた。「私、姫島は、初めてなんです。でも、猫がたくさんいて、とても素敵。彼は、医者の卵なんです。将来、ここに診療所を建てるといっています。すごく、頼もしいんです。私も、彼のお手伝いをしようと頑張ってます。本当に、いい島ですね」余計なことを言ってと思ったが、後の祭りだった。「そうじゃったね。ニィ~ちゃん、医者の卵ね。こんな島に診療所ば。あんたは、看護師さん。ありがたか~。長生きせんば」

 気まずくなった鳥羽は、お礼を言って帰ることにした。「お話、ありがとうございました。一月に一回は、姫島に来ますから、こちらにも寄ります。タケルも、きっと遊びにやってくると思います。お元気で」おばあさんは、浅黒い両手を合わせて、頭を下げた。「ありがとよ。ありがとよ。あんたも、おいで。待っちょるからね」おばあさんは、二人を玄関先まで見送ってくれた。二人が、振り返ると手を小さく振っていた。おばあさんのさみしさが、ずしんと伝わってきた。確認できたことは、タケルの家は、空き家だった。しかも、今でも、近衛の表札がかけられていた。また、タケルは、父親と同居するために、福岡市に引っ越したのではないか?とおばあさんは言っていた。これらの情報は、真人に伝えてやろう。

 

 なぜか、美緒の機嫌がすこぶる良くなった。生まれ故郷が嫌われるより、気に入ってくれた方が、嬉しかったが、また一緒に来たいと言い出すのではないかと思うと落ち着かなくなった。「やっぱ、空き家だった。でも、お父さんと同居しているかもしれないし、そう、心配することもなさそうだ。マヒト君も安心するだろう」美緒は、浮かれた気分で話し始めた。「来てよかったわ。鳥羽君の生まれ故郷って、ステキ。すっごく、気に入っちゃった。これから、先生のところに行くの?」波多江先生は、4月に糸島市内の中学校に赴任したのを知っていたが、美緒に知らせることでもないと思い、そのことには触れなかった。「いや、今日は、タケルの家を見に来ただけだ。ちょっと、散策して、1420分発で帰る」美緒は、グ~~となるお腹を押さえて、うなずいた。

 

 美緒は、道沿いのお店に目をやった。「ここ、レストランなの?」鳥羽は、顔をしかめて返事した。「いや、単なる雑貨屋なんだ。島には、食事するお店がないんだ。観光客が、わんさか来るほどの観光地じゃないからな。途中で、コンビニに寄ったのは、パンとお茶を買うためさ。おなかすいただろ。今日は、パンで我慢してくれ」美緒は、ホッとした顔で返事した。「おなかすいちゃった。あっちの海岸で食べましょ」美緒は、西側の海岸に向かって短い脚をスキップさせた。美緒は、浜辺の岩場を覗き込むとキャ~~と大声を上げた。「こんなにたくさん、ネコ、ネコ、ネコ。ほんと、この島って、ネコの楽園ね」鳥羽は、ワハハと笑い声をあげ、浜辺まで降りると腰掛けるのに手ごろな岩場を探した。「ここにしよう。美緒さん、おいでよ」美緒は手を振って、大きな声で返事した。「ハ~~イ、ダ~リ~ン」

春日信彦
作家:春日信彦
タラコ唇
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