限り有る地平
私たち人の現世観は、
常に時代に束縛(そくばく)され、
絶えず時代とともに移り変わり、
定めがたくも限られたものにすぎません。
ですから、たとえこの先どこまで捗々(はかばか)しく、
目覚ましくも著(いちじる)しい、
一長足の飛躍的進化を遂(と)げようとも、
その時代時代に望み得る地平線の、その限りを、
断じてもけっして、
超えられようことなどの叶いようはずもないのです。
果たして、そうでもあればこそ、
私たちは、その与えられた時代時代を、
努めて望ましくも生き延びるより他ないのです。
有限を尽くす努め
『 有限 』 にして 『 卑小 』 且(か)つ 『 儚い 』
そんな存在にすぎない私たちが、
『 無限 』 にして 『 尊大 』 かつ 『 永久 』
を、たとえどれほど強くも切実に望もうと、
それの実際に叶えられようことなどの、
一縷(いちる)の希(のぞみ)ほどにもありえません。
さては、その現実を弁(わきま)えずしては、
この世にあることすらの徒(いたずら)に、
ただ虚(むな)しいばかりに煩(わざら)わしく、
嘆(なげ)かわしくも恨(うら)めしいのみに、
思い遣(や)られてならないことともなりましょう。
それゆえ 『 知足(ちそく) 』、
すなわち 『 足(た)るを知る 』 ことこその、
この世を生きるに欠かせない、
まさに肝要必定(かんようひつじょう)の、
『 教訓 』 にして 『 戒(いまし)め 』 にも、
他ならないに違いないのです。
しかし、断じてもけっして、
『 大望を抱(いだ)かず、努めて小利口にも小さく纏(まと)まれ 』
などと、誤解されてなどなりません。
それよりむしろ、
『 大いに限界の限りを験(ため)し、有らん限りを尽くせ 』
とこそ、正しくも解されるべきなのですから。
『 神理の書 』 のはじめに
本編に始まる 『 神理の書 』 を以ってして、
この世の現状を厳しくも忌憚(きたん)無く糺(ただ)し、
本来あるべく望ましくも改めるべく、
諸事万端に亘(わた)って、
忠言・諫言(かんげん)・提言の限りこその、
努めて尽くされようことともなろう次第です。
さては、この世にあっての、
掛け替えのない唯一無二の一生涯を、
努々(ゆめゆめ)悔(く)い過(あやま)つことのなく、
結局は無駄骨折りの徒労の限りに過ごされぬよう、
あなたのご安寧ご幸福のためにこそ、
どうぞご存分にお役立てください。
なお、次編よりお納めいただくご購読料は、
社会福祉並びに慈善活動に、
広くも遍(あまね)く役立たせていただきますので、
何卒(なにとぞ)その旨(むね)宜(よろ)しくご理解の上、
ご協力の程を心よりお願い致します。