時代に抗(あらが)えない真理
『 真理 』 といえども、
時代の移り変わりによっては、
次第にその輝きを失い、
かつては尊ばれたその価値さえが、
いつか忘れ去られてさえしまうものです。
それは、たとえ 『 真理 』 とされるものでも、
所詮は、人の為(な)し事の所以(ゆえん)ゆえの、
どうにも致し方の無いことなのです。
それもこれも、そうもした原因の元を質(ただ)せば、
万事に亘(わた)って諸事万端、
悉(ことごと)くも思い為し、且(か)つ行ない尽くせぬ、
人の人たる本来以(も)っての、
つまりは 『 至りなさ 』 のゆえなのですから。
限り有る地平
私たち人の現世観は、
常に時代に束縛(そくばく)され、
絶えず時代とともに移り変わり、
定めがたくも限られたものにすぎません。
ですから、たとえこの先どこまで捗々(はかばか)しく、
目覚ましくも著(いちじる)しい、
一長足の飛躍的進化を遂(と)げようとも、
その時代時代に望み得る地平線の、その限りを、
断じてもけっして、
超えられようことなどの叶いようはずもないのです。
果たして、そうでもあればこそ、
私たちは、その与えられた時代時代を、
努めて望ましくも生き延びるより他ないのです。
有限を尽くす努め
『 有限 』 にして 『 卑小 』 且(か)つ 『 儚い 』
そんな存在にすぎない私たちが、
『 無限 』 にして 『 尊大 』 かつ 『 永久 』
を、たとえどれほど強くも切実に望もうと、
それの実際に叶えられようことなどの、
一縷(いちる)の希(のぞみ)ほどにもありえません。
さては、その現実を弁(わきま)えずしては、
この世にあることすらの徒(いたずら)に、
ただ虚(むな)しいばかりに煩(わざら)わしく、
嘆(なげ)かわしくも恨(うら)めしいのみに、
思い遣(や)られてならないことともなりましょう。