それから男二人は、不動産の話を始めた。
専門用語だらけで碧にはよく分からなかったが、どうやら「かやしま」は、銀座に狭小な土地を2、3カ所所有しているらしい。それをどうするべきか、売るか、建物を建てるか、建物を建てるならどんな用途か、確実に金になる駐車場にするか。もちろん建物を造るには資金が要り、果たしてそれだけの金を借り入れられるか…その点について、柊が提案したのが「ノン・リコースローン」らしかった。
「ふむ、やっと山の様にあった金利が返済まであと一歩になったのに、また借りるのは考えものですが」
「借りる場所を銀行に限るから、大変なのです。今や資金調達には投資会社の手を借りるのが得策」
「そりゃあ佐竹社長のお立場ならそうおっしゃるでしょうね…」にやり、と笑った顔は、先刻までの風流な青年のものではなく商売人の顔であり、碧はその落差にはっとしたが、にもかかわらず優美さと繊細さはわずかも失われていない。
結局、不動産の話題は結論が出なかった(碧がそう思っただけで、実は「落としどころ」は決まっていたが)。融は腕時計を見、こんなに長居をして、と呟いた。
「恐れ入りますが…奥様」碧は馬鹿みたいに素直に融の方を向いた。
「当店の逸品の反物をお目にかけたくて、お持ちしました…奥様にはやや地味かもしれませんが、こちらは越後上布(えちごじょうふ)といって夏の麻です。
重要無形文化財にも認定されており、財産価値も充分」
くるくると広げた反物は、触るとひんやりとしたなかに素晴らしいこまやかな肌理を感じたが、色彩は、冬の曇り空めいた薄墨色にしか見えなかった。「きっと、きものにすると素敵なんでしょうね」碧には、ほかに言葉が見つからない。
「ええ、それはもう、織物はきものにしたときが最高なのです。ぜひぜひ、銀座店にいらしてください。奥様は今の方には珍しい黒髪ですから、どんなきものもお似合いになりますよ」
「ちなみに、この越後上布って、おいくら?」柊が当然だが、直截すぎる質問を発した。
「仕立てあがりで178万円でございます」
柊は苦笑をこらえるそぶりで碧を見た。「け、結構なお品をありがとうございました。でも、茅島さん、ご商売のやり方をちょっと考えた方が良いですよ…もちろん、もう少し買える値段のものもあるんでしょうが…うちの妻にはどう考えても『猫に小判』です」
「お宅様なら余裕だと思ったのですけどねぇ」
冗談か本気か、若社長は肩を落として反物を黒の大鞄に収めた。その彫刻めいた横顔、袂を押さえて立ち上がるすっきりとした容姿に、碧は心を決めた。
「この若旦那は、わたしのもの。絶対お友達になるわ」