小説の未来(18)

 内在する恐怖や不安は、そう簡単に消え去ることはない。だから、人は恐怖や不安を感じないようにするために、また、自分をいやすために、何らかの対策を取ろうとする。例えば、夢中でゲームを何時間もする。多量のお酒を飲んで酔っ払う。宗教にのめりこむ。ほとんど毎日パチンコをする。

 

 

 恐怖や不安から逃避しようとする引きこもりの心理は、自活できている人たちでも、起きていると思います。人それぞれに、引きこもりの方法が違うに過ぎないのではないでしょうか?私の場合は、小説を書くという引きこもりと思っています。

 

 

 あくまでも個人的な意見ですが、小説家は、自己の性格と常識に対峙する引きこもりだと思っています。でも、引きこもることによって得た様々な気持ちを言語化し、それらを発信する引きこもりです。


          

                           心の支えとなった小説

 

 

 すでに述べたことですが、小説は架空の世界です。だから、実務的に日常生活に役に立つというわけではありません。だったら、小説は不必要ではないか?と思われますが、なぜか、小説は存続しているのです。それは、やはり娯楽として不可欠だからでしょう。

 

 

 まず、小説とのかかわりについて述べますと、中学校までは、それほど小説に関心がありませんでした。小説に関心が起き始めたのは、高校に入ってからです。小説を書き始めたのは、高校2年生からだったように思います。

 

 

 なぜ、小説を書くようになったのか?この点を考えてみると、今一つはっきりしないのですが、おそらく、学力不振による進学の不安から、また、現実と対峙することからくる恐怖や不安から、可能な限り逃れたい一心で小説を書き始めたのではないかと思われます。小説の世界は、架空の世界です。その自由で無限の世界に酔いしれたかったのでしょう。

 

 

 今、振り返って思うと、小説を書くという心の支えがあったことは、思春期において奇跡的な幸運だったように思えます。もし、小説を書くことがなかったならば、自己嫌悪に陥り、引きこもりになっていたことでしょう。

 


 

        

                       小説を書く上での基本的技術

 

 

 まず、小説を読むという点から考えてみると、読むのが好きになるのは、読んでいて楽しいからです。なぜ、読んでいると楽しいのでしょうか?個人差はあるでしょうが、思うに、小説が作り出したドラマで、読者が登場人物になって、恋愛できたり、名探偵になれるからではないでしょうか。

 

 

 では、小説を書くということはどうでしょう。小説を書くということは、読者の言語力、理解度、感性を考慮しながら、自分の言語力で独自の架空の世界を作り上げるということです。

 

 

 そこで、作品を構成していく上で基本的な技術があります。それは、一つの世界を作り上げていく場合、自分の好きな面と嫌いな面とを”同時に”書かなければならないという点です。

 

 

 

 誰しも、愛される自分や尊敬される自分を書くことは好むでしょう。でも、反社会的な自分やバカにされる自分を書くのは嫌いでしょう。でも、一つの世界を作り上げていく過程では、”表の世界”と”裏の世界”を組み合わせて行かなければなりません。だから、どうしても、自分が不愉快になることも書く必要が出てくるのです。

 


    

                        小説を書くことの効用

 

 

 

 簡単にえば、”小説を書く”とは、自分を見つめ、解析し、自分独自の言語世界を創造していくことです。自分を見つめることは、簡単なようで、実はとても難しいことなのです。なぜなら、内在する恐怖や不安と闘わなければならないからです。

 

 

 だからといって、小説を書くことは、困難なことだといってるわけではないのです。小説を書くということは、だれでも、いつでもできる最も手軽な自己表現なのです。常識と非常識、社会の表と裏、好きなことと嫌いなこと、を書くからこそ、自分の潜在的な可能性が見えてくるのです。

 

 

 小説を書くことは、”常識という牢獄”から脱出するための一つの方法だと思っています。また、”常識と対峙することからくる恐怖や不安と闘うための武器”でもあるように思えます。

 

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
小説の未来(18)
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