小説の未来(18)

         

                             精神的引きこもり

 

 

 自活はできているが、外部との交流を極力拒絶している人たちについて考えてみると、彼らも一種の引きこもりと考えられるのではないでしょうか?例えば、私のようなアマの小説家です。 

 

 

 自分に関していえば、人との交際によって起きる不安や不快感を極力避けたい性格で、高校の頃から孤独を好み、自分勝手な社会思想を作り、さらに、自分を慰めるための誇大妄想を楽しみ、今でもひっそりと小説を書き続けている。これは、精神的引きこもりと言えないだろうか?

 

 

 学校に行って、就職して、自活したから、世間からは引きこもりとは言われなかった。でも、自分でいうのもなんだが、今でも、自分は常識になじめない精神的引きこもりだと思っている。

 

 

 


 

 なぜ、引きこもりに陥るのか?それは、人とのかかわりで”嫌な思い”をしたくないからです。学校に行けば、他の生徒と先生から、バカだとか、ネクラだとか、クサイだとか、ブスだとか、靴に画びょうを入れられたりとか、殴られたりとか、恐喝されたりとか、様々ないじめを受ける。部活では監督や他の部員にもっと必死に頑張れと非難される。会社では、仕事ができず同僚から非難され、上司からクビにするぞとパワハラを受ける。

 

 

 上記のような不愉快な状態が続けば、誰しも学校や会社にはいきたくない気持ちになってしまう。そして、自分が傷つかないように、自己防衛として家の中に引きこもる。さらに、家族から引きこもりを非難されると、家族とも会話をしなくなる。

 

 

 私の場合、幸運にも自活できた。だから、世間でいう引きこもりではないかもしれない。でも、やはり、精神的引きこもりだと思う。なぜか、それは、対人関係がもたらす恐怖や不安から身を守ろうと精神的に逃避しているからです。

 

 


 内在する恐怖や不安は、そう簡単に消え去ることはない。だから、人は恐怖や不安を感じないようにするために、また、自分をいやすために、何らかの対策を取ろうとする。例えば、夢中でゲームを何時間もする。多量のお酒を飲んで酔っ払う。宗教にのめりこむ。ほとんど毎日パチンコをする。

 

 

 恐怖や不安から逃避しようとする引きこもりの心理は、自活できている人たちでも、起きていると思います。人それぞれに、引きこもりの方法が違うに過ぎないのではないでしょうか?私の場合は、小説を書くという引きこもりと思っています。

 

 

 あくまでも個人的な意見ですが、小説家は、自己の性格と常識に対峙する引きこもりだと思っています。でも、引きこもることによって得た様々な気持ちを言語化し、それらを発信する引きこもりです。


          

                           心の支えとなった小説

 

 

 すでに述べたことですが、小説は架空の世界です。だから、実務的に日常生活に役に立つというわけではありません。だったら、小説は不必要ではないか?と思われますが、なぜか、小説は存続しているのです。それは、やはり娯楽として不可欠だからでしょう。

 

 

 まず、小説とのかかわりについて述べますと、中学校までは、それほど小説に関心がありませんでした。小説に関心が起き始めたのは、高校に入ってからです。小説を書き始めたのは、高校2年生からだったように思います。

 

 

 なぜ、小説を書くようになったのか?この点を考えてみると、今一つはっきりしないのですが、おそらく、学力不振による進学の不安から、また、現実と対峙することからくる恐怖や不安から、可能な限り逃れたい一心で小説を書き始めたのではないかと思われます。小説の世界は、架空の世界です。その自由で無限の世界に酔いしれたかったのでしょう。

 

 

 今、振り返って思うと、小説を書くという心の支えがあったことは、思春期において奇跡的な幸運だったように思えます。もし、小説を書くことがなかったならば、自己嫌悪に陥り、引きこもりになっていたことでしょう。

 


春日信彦
作家:春日信彦
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