赤い糸

 本当にゆう子先輩のショーツであれば、捨てることができるはずがなかった。「今の話は、マジなんだな。正真正銘のゆう子先輩のショーツなんだな」美緒は、柄にもなくマジな表情で強い口調で返事した。「マジよ。嘘なんか言うわけないじゃない。鳥羽君に喜んでもらおうと、勇気を出して、ネコババしてきたんだから。いらないんだったら、返してよ。捨てたりしたら、ゆう子先輩に申し訳ないわよ」いったい何といって返事していいか、頭が混乱してしまった。ショーツをありがたくもらうといえば、変態のようだし、でも、正真正銘のゆう子先輩のショーツと知ると、家宝にしたい気持ちにもなった。

 

 気まずそうに鳥羽は話し始めた。「いや、ゆう子先輩のショーツとわかれば、捨てないさ。まあ、何といえばいいか、美緒が俺のためにネコババしてくれたとなれば、感謝しなければならないし、そうだよな、美緒に感謝して、ありがたく頂戴いたします。でも、俺は、変態じゃないからな。ゆう子先輩のショーツを家宝と思い、大切に保管するということだ。さっきは、怒鳴って、悪かったな」クスクスと小さな笑い声が鳥羽の耳に入ってきた。ベッドに腰掛けていた美緒は、うまくいったと笑みを浮かべていた。「もらってくれるのね。よかった。大切にしてね」鳥羽は、ピンクのショーツを右手で握りしめ返事した。「ありがとよ。そいじゃな」美緒が電話を切ると鳥羽も切った。

 

 ピンクのショーツをゆう子姫のものと真に受けた鳥羽は、ショーツの股間部分をかいでみたくなった。自分は変態ではないと思いつつ、やはりゆう子姫が穿いていたと思うといてもたってもいられなくなった。机にショーツを広げ股間部分に鼻をくっつけてみた。イヌのようにクンクンとかいでみると甘いバラのにおいがした。香水の匂いのようであったが、ゆう子姫の匂いだと思うと夢心地になった。匂いにしびれてしまった鳥羽は、指を振るわせながらショーツをそっと折りたたみビニール袋に入れた。その袋を両手でそっと持ち上げると軽くお辞儀して小箱に戻した。袖の一番下の引き出しを引くと小箱を丁重に置き、静かに引き出しを戻した。頭の中には、ピンクのショーツにピンクのブラのゆう子姫が浮かび上がっていた。


             幸運

 

 1021日(日)ひろ子にプロポーズした沢富は、ようやくひろ子から結婚承諾の返事を得たが、沢富はそのことを母親に報告すると、ひろ子の家系と素性が気に入らないらしく、母親はひろ子に直接会って断りを入れると言い出した。困り果てた二人は、伊達夫妻の援護を求めるためにやってきたのだった。仲人ができると喜んでいた伊達夫妻だったが、母親に反対されては、すべてが水の泡になると思い、必死になって対応策を考えていた。ひろ子がバツイチであること、職業がタクシーの運転手であること、家系が漁業であること、それらのことが反対の理由と思われたが、二人は、いかなる理由で反対されたとしても、結婚の意思は、ダイヤモンドよりも固いと、伊達夫妻に伝えた。

 

 伊達夫妻もこの結婚は、必ず、成就させたかった。仲人に成功すれば、沢富家とのつながりができ、出世も確実なものになると思われたからだ。沢富は、絶望的な声で伊達に話しかけた。「どうしましょう。せっかく、ここまでたどり着いたのに、いったいどうすればいいんですか。母は、いったん言ったことをそう簡単に変えるような人じゃないんです。福岡にまでやってくるということは、きっぱりケリをつけるということです。ア~~、こんなことがあっていいんでしょうか。おそらく、父親も反対しているということです。もう、僕の人生は終わりです」伊達夫妻も困り果てた顔でうなずいていた。伊達は、打開策がわかったわけではなかったが、返事した。「そうか。反対されたか。お母さんが相手じゃ、俺らだって、何と言って説得すればいいか、よくわからんな~~」

 

 ナオ子も母親相手じゃ、どう対応していいか、困惑してしまった。仲人したいばかりに、下手に二人の結婚を支援して、母親に嫌われてしまえば、出世どころではなくなってしまう。警察署長は、夢で終わってしまうように思えた。ナオ子も困り果てた顔で話し始めた。「お母さまがね~~。反対ですか。ひろ子さんは、素晴らしい人なのに。どこが、気に入らないっていうのかしら。タクシーの運転手だって、りっぱな職業じゃない。サワちゃん、ひろ子さんのこと、しっかり褒めたの。お母さまに、ひろ子さんの良さが、伝わってないんじゃないの。でも、本当に困ったわ。お母さまに、何と言って説得すればいいか?あ~~、困った。困った」

 

 

 


 二人は、うつむいて今にも死にそうな表情でため息ばかりついていた。伊達夫妻は、必死に結婚の許しをお願いすべきだと思ったが、単にお願いだけでは納得しそうに思えなかった。ひろ子さんの素晴らしいさを披露する以外ないように思えた。「ひろ子さんは、歌は上手なのよ。まずは、歌が上手だということを訴えることね。次に、料理はどうかしら。ひろ子さん、歌以外に何か、得意なことはないの?」ひろ子は、さみしそうな顔で答えた。「すみません、歌以外、得意なことといわれても、これといったものは」ナオ子は、とにかく材料を探さねばと必死になった。「そう、習い事に通えばいいのよ。今からでも、遅くないわ。とにかく、料理に、お花に、お茶に、着付けに、お母さまが喜びそうな習い事に通うのよ。ひろ子さん、いい」

 

 ひろ子は、顔をゆがめて返事した。「でも、タクシーの仕事があるから、それは、ちょっと。料理ぐらいだったら、どうにか」うなずいたナオ子は、ほかに何かいい方法はないか頭をひねった。「あなた、名案はないの?ボ~~としていても、いい知恵は浮かばないのよ。どうよ、何か思いついた?」伊達は口をとがらせ反論した。「バカ言うんじゃない。俺だって、真剣に考えてるさ。でも、どうしろっていうんだ?ひろ子さんは、今のままでいいんじゃないか?歌はうまいし、やさしいし、思いやりはあるし、美人だし、こんなに素晴らしい女性は、いないんじゃないか。だから、俺たちは、ひろ子さんを選んだんじゃないか?なにも、小細工なんかしなくていい。正々堂々と胸を張って、飾ることなく、立ち向かえばいいんだ。学歴とか、家柄とかで、結婚するんじゃない。二人の気持ちだ、そうだろ。ナオ子」

 

 ナオ子もうなずいた。結婚は二人の気持ち。愛し合っていれば、家庭は守っていける。ナオ子は、自分が浅はかだったことに気づいた。「そうよね。学歴があっても、家系が良くても、愛がなければ、家庭は崩壊する。ひろ子さん、素直な気持ちで、自分をさらけ出して、本当の自分を見せればいいのよ。それでも、お母さまに反対されれば、駆け落ちしなさい。サワちゃん、覚悟はできてるでしょ」伊達は、マジな顔で力強く返事した。「はい。覚悟はできています。刑事をやめてでも、ひろ子さんと結婚します。僕は、どんな仕事でも、やって見せます」ひろ子は、心ではうれしかったが、駆け落ちだけはしたくなかった。沢富には、やらなければならない将来の仕事があると考えていたからだ。

 

 

 


 ひろ子は、結婚のことでみんなに迷惑をかけているようで肩身が狭かった。また、駆け落ちまでして結婚しても、幸せになれないと思えた。「皆さん、心配してくれてありがとう。結婚は、祝福されてするものだと思います。ご両親に反対され、駆け落ちして結婚しても、幸せになれないように思います。もし、お母さまがガンとして反対されれば、あきらめます。サワちゃんの未来を台無しにしてまでして、結婚はできません。サワちゃん、ごめんなさい」沢富は、何と答えていいかわからなかった。いったい、どこが気に食わないんだ、と母親に食ってかかりたい気持ちでいっぱいだった。「そう悲観しないでいいですよ。母親だって、一人の女性です。ひろ子さんの気持ちを踏みにじるようなことはしないはずです。ありのままの姿をぶつけてください。きっと、わかってくれるはずです。二人で、頑張ろう」

 

 1028日(日)二人は、母親と一緒にエルミタージュにやってきた。エルミタージュのオマールエビのご馳走を食べさせ、機嫌を取る作戦に出た。窓際の席で母親と向かい合った沢富は、この店の説明をすることにした。「お母さん、どうです、エルミタージュ、おとぎの国のお店みたいで素敵でしょ。この店に来るといいことが起きるんです。シェフも、ウェイトレスも、すっごくいいかたなんです。ほら、あそこに見えるのは、高校です。先生たちも、よく来られるそうです。この店は、すごく人気があって、県外からも、来られるということです。な~、ひろ子」ひろ子はうなずき小さな声で「はい」と返事した。これ以上言葉が出てこなかった。母親に嫌われているように思えたひろ子はうつむいてしまった。

 

 沢富は、不機嫌そうな顔の母親を見て、無理に笑顔を作り話し始めた。「食事の後は、鏡山(かがみやま)に行きましょう。そこからは、虹の松原が一望できるんです。とても、壮大で、美しいんです。そう、唐津城も見えますよ。きっと気に入ります」母親の表情には、一向に笑顔が現れなかった。母親は、ひろ子に質問した。「ひろ子さんは、一度、離婚なされたと聞きましたが?」離婚と聞いたひろ子は、心臓が止まりそうだった。落ち着け落ち着けと言い聞かせながら、ひろ子は答えた。「はい。22の時に結婚して、24の時に離婚しました」ひろ子は、それだけ言って、うつむいてしまった。母親は、隠し子がいるのではないかと勘繰っていた。「子供は、できなかったんですか?」ヒョイと顔を持ち上げたひろ子は、即座に返事した。「はい。子供はできませんでした」

 

 


春日信彦
作家:春日信彦
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